それなりタイムス

高橋家の日常を、ファミリーがそれぞれの視点で綴った家族新聞。

大人の休日倶楽部ミドル使ってみた

2006年05月31日 20時40分37秒 | ミドルの楽しみ、ミドルの挑戦
今わたしは東北新幹線の中でこれを書いています。

八戸行きの「はやて19号」で大宮から盛岡へ、そこから新花巻に戻り釜石線で釜石市の松倉駅まで行きます。
けいちゃんに会うためです。

きのうは米沢から長野まで新幹線を乗り継ぎ、駅レンタカーで美麻村の酒井さんのお宅に行き、マツタケの事業の方の営業をしてきました。

今朝は美麻村からレンタカーで長野駅に出て、そこから新幹線で大宮まで来ていたというわけです。

長野の用事も釜石の用事も、仕事と言えば仕事です。
旅と言えば旅みたいなものだけど、仕事の目的地以外の楽しみの時間がないということは、やっぱり仕事のための移動というのが正確かも。

この時期にまとめて移動しているのにはちょっとした事情があります。

JR東日本の「大人の休日倶楽部ミドル」の会員になっていて、5月15日から25日までの11日間、一日6000円で乗り放題の企画があって以前からこの時期の出張を視野に入れていたのです。

ところが前半は、地区運動会の打ち合わせ会や、マツタケ事業の方でマスコミ対応の仕事が重なり日程が取れないでいたのです。
うかうかしているうちに残り期間がなくなってきました。

長野の酒井さんとのトラブル解決には電話ではなく、ご家族みんなと話し合いをする必要を感じていたものですから前日に電話を入れ時間をとってもらいました。

釜石のけいちゃんのところへは以前から行こう行こうと思っていてなかなかチャンスがありませんでした。でも、遅くとも「大人の休日倶楽部ミドル」の乗り放題の期間には出向こうと考えていました。
けいちゃんへの連絡も突然みたいになってしまいましたが、快く時間を空けてくれました。
(ここでパソコンのバッテリー切れ)

(ここからは盛岡駅のカフェにて。パソコンとケイタイの充電させてもらいつつ)

長野の酒井さんのところへは、ほんと、出向いて良かったぁ、と思いました。
マツタケの施業に関してのちょっとした互いの齟齬(そご)だったのですが、少なくないお金を投じての施業ですから、互いに納得して気持ちよく仕事を進めないことには出るはずのマツタケも出なくなる(というかマツタケの生態の原則に拠らないいい加減な仕事になってしまう恐れがある)。

けいちゃんとはきょうが初対面。
メールでは何度も話し合っている仲ではあるけれど。

彼は素晴らしいデザイナー(らしい)。

私の会社のデザインの業務のお手伝いをしてもらいたいとずっと考えてきたのですが、この場合も、一度も直接会っての話しをしたことがなかったのでますはコンタクトしてみたい、ということです。



以上が車内と盛岡駅で書いたもの。
あっと言う間に一週間が過ぎ、きょうは31日。
25日、つまりけいちゃんと会った翌日はそそくさと釜石から米沢に帰るだけの「旅」でした。

高畠高校の演劇愛好会への顔出ししたかったしね。

この日はNHK教育テレビの「からだであそぼ」の中の「アイーダ・アイダ」をマスターさせるためテレビデオ持参での顔出しでした。

幼児向け番組なんだけど、英語であそぼ、日本語であそぼ、からだであそぼ、クィンテットなどの一連の番組はなかなか面白く、演劇やパフォーマンスをやるものにとってはとても参考になるのです。

新幹線の中では「6000円で載り放題」で旅に出たぞ~!のノリで書きたかったのだけれど、いつしか脈絡が違ってきたね。

何だか忙しさにかまけて5月の投稿は不調もまま月が替わろうしています。

6月は心機一転して・・・・・・書けたらいいね。

家族新聞の記事が100件に!

2006年05月17日 20時07分34秒 | 父(英夫)
 それなりタイムスのブログ版を発行し始めて5ヶ月半。記事が100件となりました。
 かなりサボリぎみだったよなぁ、と振り返っていますが、けっこうなボリュームになったなぁとも思います。

 でも、客観者の目で見てみると、ちょっと読みにくいかも・・・と反省もあります。

 そこで今回、過去の記事をカテゴリーの項目を増やして仕分けしてみました。

 カテゴリーから入っていただくと一連の、関連する記事がずらずらっと読むことができるのでワードの検索などから訪問された方にとってはいいかな、と考えまして。

 みなさま、今後とも「それなりタイムス」にときどきはお越しくださいますようお願いいたします。

 また、たまにはコメントをひとこといただければと思います。

よろしくお願いしまーす!!

欽ちゃん、慎吾ちゃんとの記念写真届きました!

2006年05月14日 17時28分21秒 | 仮装大賞
 仮装大賞のリハーサルや収録中は事前に約束事があり、勝手にタレントさんの撮影やツーショットなどは一切できないことになっています。
 唯一、収録終了直後に、欽ちゃんと慎吾ちゃんが順番に記念撮影をさせてくれるのですが、番組制作側のカメラマンが撮影しスタッフが責任をもってグループの人数分送ってくれるのです。

 さっき、妹の家に行ったら
「写真届いたよ」
ということで現物を持ち帰りました。

 せっかくですのでみなさんにもと思いましてご紹介した次第です。

 ちなみに一緒に映っている高校生とそのお母さんですが、あのマンホールからおじさんの手がニョキッと出てきてケイタイを渡してくれるというあの作品で見事演技賞を勝ち取った人たちです。

テニスの季節 バイクの季節

2006年05月14日 11時57分50秒 | ミドルの楽しみ、ミドルの挑戦
 5月12日からスタートした市民スポーツ教室に参加してきました。

 テニスは毎週金曜日の午前0時から正午まで、連続10回。

 意識的に運動の機会を作らないと、運動不足がどこまでも解消できないと考えていた折、米沢市が開催する平成18年度鷹山大学ガイドブックを見て参加を決意したのです。

 バイクで八幡原テニスコートに行くとすでにほとんどの参加者が集まっていました。
 今回は31名の申し込みとのこと。
 初心者、初級、中上級とコースがあり、「ラリーができる人は中上級へ」とのことだったのでそこに入りました。

 いっぱい身体を動かして汗をかくことが目的なのでプレーの時間が長いコースでないと、という思いもありました。

 およそ2時間コートでボールを追いましたが、けっこういい運動になりました。
 
 こんなに長くラケットを振ったのは生まれて初めてだったし、硬式のボールは結構重いんでしょうね。ラスト近くには右手首の筋が伸びたのか、かなりの痛みです。
 帰り道、バイクのアクセルを握れるのか心配になるほどでした。

 参加者や講師陣が次々と車で帰路につく中私は・・・・

 バイクのエンジンがかからず悪戦苦闘していた!

 と言っても手首の痛みが原因ではありません。

 ゴールデンウィーク後に車検整備が終了して私の愛車となったヤマハSRX-4はそもそもセルスターターがないのです。
 400ccの単気筒エンジンなのでただでさえキックが重いのに、やけにかかりが悪いのです。

 これまでも20~30回キックしてようやくかかる、なんてことはあったけど、この時はそんなもんじゃなかった。

 途中、「ハァー」と長い溜息をつきつつ、何度も休憩して・・・。

 5,60回ぐらいはキックしたのかな。

 不思議なものです。

 いったんエンジンがかかるとさっきまでの苛立ちが瞬時に消えるんですから。

 苛立ちから「可愛さ」「いとしさ」に切り替わってニコニコ顔で帰路につく私。

 正直言ってエンジンのかかりを悪さを考えるとつい、車にしようかな、と思ったりもするのですが、走り出してからの楽しさはやっぱりこたえられません。

 SRX-4に載り始めて痛感していることは、「体力がいるぅー」っていうこと。
 だから、ある意味体力づくりのためにもキックスターターは自分には良かったのかな、なんて考えながらゆっくりめに走る中年ライダーの私です。

「いのち耕す人々」観てきました

2006年05月13日 22時46分10秒 | 食と健康
 有機農業で全国的に有名な高畠町の農業を描いた長編ドキュメンタリー映画「いのち耕す人々」を観てきました(それもたった今)
 3月に完成したばかりという出来立てホヤホアの作品です。
 お昼に打ち合わせのためにお伺いした高畠町の菊地良一さんからいただいた優待券で、その時初めて知ったこの催しにちょっと奮起して行って来たのです。

 なぜ奮起なのかというと、午後2時過ぎから5時までは次男とともに南部小学校でバレーボールをやってきたので疲れて眠ってしまうのではないか、ましてかなり地味そうな作品だし、と思っていたから。
 でも実際は少しも眠気に襲われませんでした。それどころか、何度も感動させられ、涙もこみ上げてくるほどでした。
 
 何に一番感動したのか、ということを今日の上映会の会場の状況と重ね合わせて書いてみます。

 とても地味な内容テーマであるにもかかわらず、地元の人がいっぱい映るということもあってか会場の駐車場はいっぱい、客席には満席ではありませんでしたが、500人ぐらいのお客さんが入っていました。

 映画は32年前にたった38人ほどで始まった高畠町有機農業研究会の取り組みを縦軸として描きます。

 化学肥料と農薬の普及で収穫も増え、辛い労働も減ってきた時期に自らの健康を害するような農薬を使った食料を作ることが良い訳がないと考え昔の農業のスタイルに戻ろうとしていた若者たちは変人扱いされ、村八分同然だったそうです。

 しかし、有機農業の取り組みがはじまってから3年後には都会の消費者たちが高畠町に交流や援農にやってくるようになります。
 消費者の喜びの声や直接出会うこのような都会の人々との交流を励みに仲間も増え48人ほどになった1986年、大きな局面にぶつかります。

 それはヘリコプターによる空中散布。

 有機の仲間はもちろん大反対でこれを中止させるよう運動しますが、その場面での説明によると、「高畠町の農家2000戸のうち、48戸の声は余りにも小さかった」というのです。

 はっとしたのです。

 この会場には500人もの人がいる。

 有機農業をやっている人よりも空中散布を希望し普通の近代農業をしている人のほうが圧倒的に多いのではないか、だとすれば、この作品はあまり心象のいいものではないのではないかと心配になってしまったのです。

 でもこの後の映像でこの心配は晴れました。

 高畠町農業研究会は完全無農薬でやってきていたので、
「あのつらい田の草取りをやるというのはとっても無理」という気持ちの農家は仲間になりたくてもハードルが高すぎたのです。
「除草剤を一回だけ散布する、というところまで認めよう」
と上和田有機米生産組合を立ち上げると、多くの地域の農民が結集し、空中散布反対の声が多数派になった上和田地区では空中散布が止まったというのです。

 この動きがやがて全町に広がり、やがて、1000戸が無農薬または減農薬で有機農業に参加してきたのだそうです。

 今では行政も含め、町を挙げて有機農業支援をしています。

 ここのところが私の一番の感動のポイントですね。

 信念を曲げずに運動をし続ける大切さ、多数派を形成しないと事態が変らないという局面ですかさず多数の人々の共感しうる方法や考え方を生み出したこと。

 それと、なんといっても承服させられてしまうところは30数年の確固たる実績が描かれているという点。
 これがフィクションとドキュメンタリーの一番の違いなんだろうけど、食、農、自然、生き方という人間生活の根幹にかかわるところでの実績だけにとても共感できました。
 というか本当のところは自分の「軽さ」が少々恥ずかしかったですね。
 もう少し重く(?)なんなくっちゃ、なんて思わされましたね。

 この作品にご興味のある方、自主上映会などについてのお問い合わせは

映画「いのち耕す人々」制作上映支援会 0238-57-2640 まで


親子共育ちの時間

2006年05月11日 21時05分22秒 | 親子共育ちの時間
 長男要が東北公益文化大学に進学したのでわが家は5人ぐらしとなりました。
 5人は少なくないのでしょうが、2004年10月17日に妻が死に7人家族が6人になってわずか1年半後のことだし、長女もといがあと2年で家から出ると4人ぐらしになっちゃう、なんて考えると「一緒に暮らせる時間」の尊さを感じます。

 もといが今春、高畠高校で演劇愛好会を立ち上げたので少しでも力になってあげられたらと、時々学校に顔を出し指導のお手伝いをしているのも、もといにとっては高校演劇の時間を楽しめるのはわずか1年半しかない、という現実があって、親としては始めた以上は「やってよかった」と生涯思えるような部活であってほしいと願うからです。

 この1年半は、まさに今の1年半であって数年後の1年半とは違います。
 何もしないで時の流れのままにすれば何とはなく過ぎてしまう1年半です。

 もといが嫌がるのであればでしゃばる必要は皆無ですが、もとい自身も一緒の時間をエンジョイしてくれているようなので父ちゃんとすれば演劇愛好会のみんなが「楽しかった!」と思えるような援助を精一杯してあげようと思います。

 正直言って、もといが演劇愛好会を立ち上げて、指導に行ってみるようになって、父ちゃんも改めて表現活動の面白さや大切さをかみ締め味わいなおしているのです。
 ことばを変えれば、非日常性が加わりクリエイティブな時間が増えたとでも言うのかな。

 これって、なんだか楽しいんだよね。

 でも反面思うことがある。

 こんな時間を過ごせたり、そういう選択ができる自分であったりするのは、会社人間とは正反対の、オンリーワンの生き方をしてきたからなんだろうと。

 19歳から11年間過ごした「わらび座」ではとても有意義だったし学ぶこともいっぱいだったけどお金は少しも貯めることができなかった。

 米沢に帰ってから17年間園長として頑張った保育園の仕事でもやはりお金は残せなかった(ばかりか借金を残した)。
 でもここでは3人のこどもたち全員と6歳までともに毎日を過ごすという超ぜいたくな時間をエンジョイできた。

 現在のマツタケの人工増殖の仕事、保育園の括弧つきの園長の仕事もやはりお金の面では余裕はないけど、フリ-エージェント的な仕事なので時間の融通は利きやすい。

 だから春のスキー授業にも指導員として出てあげられるし、もといの演劇愛好会にも出向くことができるし、要が出場するらしい、大学1部リーグのバレーの試合も行こうと思えば観に行ける。

 3人とも親がでしゃばったりそばにいることを煙たがらないでいてくれるのがとても有難いです。
 
 3人が成人して家庭をもったとき、やっぱり同じように親子が仲良しで一緒にいることが幸せと思えるような家族だった本当に素敵です。

 そんなことを心のどこかで思いながら「今」の親子の時間を共有しているのかもしれません。

「今」しかない「今」だから。

後になって時間を取り戻したいと願うことがあっても決して叶うことはないのだから。

そのように開き直って父ちゃんはこれからも

「わが道を行く」

欽ちゃんの仮装大賞に出演します!!

2006年05月06日 17時51分24秒 | 仮装大賞
 5月に入ったのでしつこく、連日トップにもってきます

欽ちゃんの仮装大賞に父と次男が出演!!

放送日は5月6日午後7時より日本テレビ系にて

演目はカーリング、出番は16番です


この出来事についての経過、収録の様子などを読みたい方は、右のカテゴリーの中の仮装大賞をクリックしてみてください。
なおその際は一番下にある文章から読んでいただいたほうが時系列的で読みやすいかと思います。