古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

登山初体験(明神山)

2004-07-15 | 旅行
 梅雨明けの13日、生れて始めての登山に挑
戦しました。以下、その折の様子、ご笑覧ください。

 小牧の友人Mさんは、登山が趣味です。前から「山登りしてみない!」と勧められ
ていましたので「郷里の明神山に登るなら一緒に行ってみたい。」と言っていたので
す。で、「13日はどう?」というメールが入り、決行を決めました。
 明神山は愛知県第2の高峰、標高1016Mで北設楽郡東栄町(南設楽郡との郡
境)に位置します。決して有名な山ではありませんが、何年か前、愛知国体の登山競
技の会場になって、登山愛好者には知られているようです。1016Mならたいした
ことないと思われるかも知れませが、愛知県は全般に土地の標高が低いから麓からの
標高差はかなり高い。840~50Mぐらいあります。
 13日朝、6時過ぎに名鉄岩倉駅前でMさんと落ち合い、東名小牧から豊川IC,
151号線を鳳来町川合の乳岩登山口に8時半、9時前から登り始めました。
初心者の私が先に登り始めましたが、Mさんはゆっくりゆっくり歩く。私は、知ら
ないもののこわい物知らず、行け行けどんどん。二人の間隔はたちまち開いてしま
う。普通の歩行では、Mさんは私以上に早足なのに・・・もしかしたら体調が悪いの
では?と思ったぐらいです。後から聞いたところ、1000mぐらいの山ならいい
が、3000m級の山に登る時は、気圧の変化に身体を調節しないといけない。だか
ら、ゆっくり登る習慣にしているのだそうです。
 いやー汗がすごい。30分で休憩した時、もうシャツは汗で重い。最低2本(50
0ml瓶)は飲料が必要と教えられていたので、紅茶、緑茶各1本、それにスポーツ
飲料350ml1缶をリュックに入れてきました(上りで1本、下りで1本飲み干し
ました)。6合目前の「胸突き八丁」と称する坂は、名前に恥じない急坂。登りきる
まで1~2度休憩を取ったが、その折の樹間をわたる風の涼しさ。
 8合目あたりであまりの汗に、シャツを替えました。その後、道が分かりにくく
なったので、先頭をMさんに代わり、頂上を目指す。頂上近くなると、鉄梯子や鎖場
(鎖を掴んで登り下りする岩場)があって、なるほど是が登山!と納得しました。
 頂上に着き、三角点にタッチしたのは12時半頃。Mさん持参のポットのお湯で頂
いたインスタント珈琲が格別おいしかった。麓から水平距離で7.1Km、垂直には
約850mでした。昼食を取る。
1時過ぎ、帰途についたが、今度は先頭の私に、Mさんがぴったり付いて来て、鎖場
では「鎖を身体の中央にして掴んで!、下りる姿勢は登る姿勢と同じが原則です」と
指導。「ゆっくり急がず下りて」と注意してくれる。急いでいるわけではないが、地
球が引っ張るもんだから、つい早足になる。
 帰りの坂には、正直言って吃驚した。こんな急坂を登ってきたの!麓には3時45
分頃着いた。
「マラソンとどっちがきつい?」とMさんは聞く。「フルだともっと疲労するけど、
ハーフよりははるかにきつかった!」裸になって、残っていたドリンク1缶を一気に
飲み干す。
 近くの「うめの湯」という温泉で汗を流しました。体重計に乗ると、57.95k
g、水を補給していても1kg減量している。殆ど水分の減少だろう。東名経由、帰
宅は7時半でした。
 翌日、起床すると、お尻から背中にかけて、身体の背面が痛い。こういう筋肉痛は
始めての経験。登山は水泳やマラソンとは、また違う筋肉を使うんですね。
 いずれにしても、生れて始めての登山挑戦、子供の頃仰ぎ見た明神山の頂上を、6
8歳で登ったことになります。

伊達公子さん

2004-07-03 | マラソン
 6月30日の中日夕刊に、スポーツライターの山崎浩子さんが、元プロテニスプ
レーヤの伊達公子さんについて寄稿していました。これが実に良い記事でした。思わ
ず嬉しくなって、中日を読んでいない方にも紹介したくなり、以下に引用する次第で
す。
【テニスプレーヤーの伊達公子がロンドンマラソンに挑戦し、無事完走したのは、耳
にしていた。が、そのドキュメントをテレビで見て、彼女のマラソンへの姿勢が生半
可ではなかったことに驚かされた。
 コーチ、トレーナー、そして練習パートナーにはシドニーオリンピック出場の市橋
有里と、その道のプロで脇を固め、綿密な計画をもとに練習を行う。管理栄養士の指
導を仰ぎながら、好きなケーキを口にせず、カロリー計算をしながら食事する。それ
も家ではそれぞれの食品のグラム数を量り、レストランでもシェフを呼んで、パスタ
は何グラム使ったのか聞くという徹底振り。もしかしたらそんじょそこらの現役プロ
アスリートよりもストイックなのではないだろうか。
 1995年WTA世界ランキングで4位に昇りつめ、96年のウィンブルドンで日本人女
性初のベスト4となった伊達は、同年絶頂時に引退した。その後、こどもたちにテニ
スの楽しさを教えるイベントを開催したり、テニス解説などで活躍。結婚もして充実
した毎日を送っている伊達が、そこまでストイックになれる要因とはいったい何だろ
う。
 自身は、引退後6年ぶりに出場した公式戦でアキレス腱を断裂し、ゲームを棄権、
不完全燃焼だったことから、そのモヤモヤしたものを払しょくしたかったと言ってい
たが、私は体に染みこんだ”体質”からきているのだと思う。
 現役時代、ストイックな毎日を過ごしている者の多くは、そんな生活から早く解放
されたいと願う。好きなものを食べ、遊びたいだけ遊べるという生活に恋い焦れてい
る。そして実際引退すると、目覚ましをセットせずに寝られるというささいなことま
で、たまらなくうれしかったりする。
 けれどそれも最初のうちだけ。想像していた生活に次第に物足りなさを感じてく
る。たとえ仕事が充実していても、毎日コツコツと積み上げて結果を出してきた現役
時代の充実感、達成感とは何かが違う。いつの間にか「もっと自分を追い込みたいと
いう欲望がわき「厳しさを乗り越えて初めて満足感が得られる」という体質が出来上
がっていて、それは引退して何年たってもなかなか変えられないのである。
 伊達も、初めは軽い気持ちで挑戦することを決めたマラソンでも、やるとなったら
「妥協はしたくない」という思いが、その体の中にも充満したことだろう。この厳し
さの後には得も言われぬ達成感があることを知っている彼女だからこそ、よりスト
イックとなっていったに違いない。
 初マラソンを3時間27分40秒という好タイムで走り抜けた伊達。彼女はこれか
らも”体質“からくる衝動を押えられず、ストイックになれるものに自ら飛び込んで
いくことだろう。】