田村誠一氏の著書の 第19話 壬申の乱は日唐戦争 の付録と題して、
「神話にすぎない日本書紀」が6ページありましたので、掲載します。
田村誠一氏の著書 http://mino-sigaku.la.coocan.jp/page600.html
日本書紀の神代の本文は四分の一しか書いてない。残りの四分の三は「一書に曰く」の
日本書紀独特の書き方である。これは他の本にはこの様にかかれているが、日本書紀の
編集者は、この説に反対で、本文が正しいのだと主張したのだ。従って日本書紀を引用
する時には本文に限られる。
「一書に曰く」は日本書紀ではなく、全く別の本である。これをあたかも日本書紀に
書かれていた様に、古代史の学者は全て誤認している。日本書紀も古事記も神話が書か
れていると万人が信じている。しかし神話が書かれていたのは、日本書紀であって、
古事記には神話は全く書かれてなかった。例えば大国主命の因幡の白兎の原文には、
白兎もワニザメも登場して来ない。これを神話化したのは後世の学者である。
古事記は文学作品ではなくて史書である。従って原文に近い読下し文を参考にされる
ことだ。これには日本古典文学大系等が好都合である。手ごろなのは角川文庫本で、
これには読下し文と意訳文の両方が載せてある。
私からの一言
如何でしたか。これも、田村誠一氏の『壬申の乱は日唐戦争』から遷しました。
古事記は、本当の歴史ではなく、神話だと云うのが、定説になっていますが、田村氏は、
日本書紀こそ、本当の歴史ではなくて、神話だと書いて居られます。
神話と云うよりは、「一書に曰く」は、一書の名前は書いてありません。田村氏が調べ
られた所に依りますと、「一書に曰く」の中に、古事記があっても不思議でないのですが、
全く無いそうです。
「一書に曰く」を多くするほど、正確と思えるように書いたのですが、多すぎます。
700年代に、こんなに本があったというのはおかしいと思わないといけないですが、多く
の歴史家は、「一書に曰く」に書いてあることも内容は正しいものとして、歴史を考えて
おられるようです。
「神話にすぎない日本書紀」が6ページありましたので、掲載します。
田村誠一氏の著書 http://mino-sigaku.la.coocan.jp/page600.html
日本書紀の神代の本文は四分の一しか書いてない。残りの四分の三は「一書に曰く」の
日本書紀独特の書き方である。これは他の本にはこの様にかかれているが、日本書紀の
編集者は、この説に反対で、本文が正しいのだと主張したのだ。従って日本書紀を引用
する時には本文に限られる。
「一書に曰く」は日本書紀ではなく、全く別の本である。これをあたかも日本書紀に
書かれていた様に、古代史の学者は全て誤認している。日本書紀も古事記も神話が書か
れていると万人が信じている。しかし神話が書かれていたのは、日本書紀であって、
古事記には神話は全く書かれてなかった。例えば大国主命の因幡の白兎の原文には、
白兎もワニザメも登場して来ない。これを神話化したのは後世の学者である。
古事記は文学作品ではなくて史書である。従って原文に近い読下し文を参考にされる
ことだ。これには日本古典文学大系等が好都合である。手ごろなのは角川文庫本で、
これには読下し文と意訳文の両方が載せてある。
私からの一言
如何でしたか。これも、田村誠一氏の『壬申の乱は日唐戦争』から遷しました。
古事記は、本当の歴史ではなく、神話だと云うのが、定説になっていますが、田村氏は、
日本書紀こそ、本当の歴史ではなくて、神話だと書いて居られます。
神話と云うよりは、「一書に曰く」は、一書の名前は書いてありません。田村氏が調べ
られた所に依りますと、「一書に曰く」の中に、古事記があっても不思議でないのですが、
全く無いそうです。
「一書に曰く」を多くするほど、正確と思えるように書いたのですが、多すぎます。
700年代に、こんなに本があったというのはおかしいと思わないといけないですが、多く
の歴史家は、「一書に曰く」に書いてあることも内容は正しいものとして、歴史を考えて
おられるようです。