前回のお話は、何一つ、証拠が有りません。
日本には、古事記や日本書紀以外には、2000年前のことを書いた資料は有りませんから、中国の魏志倭人伝や韓国の歴史書が役に立ちます。
ただ、こちらに書いてある事は、正しいということを調べてからでないと、全面的に正しいこととして利用する訳に行きません。
前々回に、次は風土記のことを書きますと書きましたが、忘れて、「古事記を読んで見ませんか その6」を書いてしまいました。
今日は、風土記のことを書いてみます。
風土記
https://kotobank.jp/word/%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98-125439
広く地誌一般をさすこともあるが,文学史では和銅6 (713) 年の官命に基づいて編纂された各国別のいわゆる「古風土記」をいう。
内容として,郡郷の名に好字をつけること,郡内の産物を具体的に記すこと,土地の沃瘠 (よくせき) ,山川原野の名の由来,
古老相伝の旧聞異事を記すことの5点が要求されている。
以下省略。
上記の文面から判断しますと、風土記は、和銅6 (713)につくられたことになります。
ということは、古事記が712年に完成しましたら、多くの人が、目にすることが出来たのだと思います。
一番驚いたのは、藤原氏の人ではないか、考えます。
こんな歴史を書かれたのでは、藤原氏の人にとっては困ったのでしょう。
古事記のどの部分が、困ったのか判りませんが、藤原氏の人は、日本書紀を書き始めました。
と、私は思っていますが、日本書紀には、誰が作ったとは書いてありません。何時から書き始めたのかも、書いてありません。
しかし、完成したのは、古事記が完成してから、八年後の720年に完成したことになっています。
すぐに、書き始めたのは、日本書紀の人だけではありませんでした。712年頃に、政府の運営に携わっていた人は、藤原氏だと思います。
風土記は、当時の朝廷が、各国に、次の様な、内容の事を調べて報告するように命令したようです。
1. 郡郷の名(好字を用いて)
2. 産物
3. 土地の肥沃の状態
4. 地名の起源
5. 伝えられている旧聞異事
現在、現存するものは、五つぐらいでしょうか。有名な所では、出雲国の風土記が残っています。
内容は、地名の起原が多いですが、どうして、地名が付けられたのかは、解らない方が多いと思われます。
669年 中臣鎌足没(56歳)、天智天皇より藤原姓を賜る。
1月、 藤原不比等、正二位となる
2月、 「遷都の詔」出される
3月、 藤原不比等右大臣となる
上記の年表より、藤原氏が、勢力を伸ばしていた時代と思われます。
確か、この時代の各天皇の皇后も、藤原氏が多かった様に記憶します。
この様に見てきますと、和銅6 (713)の風土記の編纂命令は、藤原氏の命令に従うようにする為のもので、
内容はどうでも良かった様な気がしています。
日本書紀は、編纂者は分かっていませんが、完成した時が、720年ということだけが分かっています。
中臣氏と藤原氏の歴史を調べる必要か゛あるように思われます。
日本史年表
http://www9.plala.or.jp/kinomuku/5nenpyou1.html
私のブログで『楽しい人生』が有ります
最近は、このブログも壊れてしまって、記事を書く事が出来ません。
次の二つの記事を見つけました。
①神々の生成 その1
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2004/12/1_1.html
古事記原文を記して、自分で読んで下さいと書いています。
「漢字を使って意味が通るように並べれば良いです。国文学の専門家から叱られるかもしれませんが、国語などと言い出したのは最近のことです。いろいろの文章を並べて、ある規則的なことを発見して、日本語はこのように書いたり、喋るのが正しいのだという言い方が学問です」
無茶苦茶を書いていますね。
でも、今で、このように思っています。後から、プロはどのように書いておられるかを眺めれば良いと思っています。
②神々の生成 その2
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2004/12/2_1.html
これが私の[古事記を読み方です]
日本には、古事記や日本書紀以外には、2000年前のことを書いた資料は有りませんから、中国の魏志倭人伝や韓国の歴史書が役に立ちます。
ただ、こちらに書いてある事は、正しいということを調べてからでないと、全面的に正しいこととして利用する訳に行きません。
前々回に、次は風土記のことを書きますと書きましたが、忘れて、「古事記を読んで見ませんか その6」を書いてしまいました。
今日は、風土記のことを書いてみます。
風土記
https://kotobank.jp/word/%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98-125439
広く地誌一般をさすこともあるが,文学史では和銅6 (713) 年の官命に基づいて編纂された各国別のいわゆる「古風土記」をいう。
内容として,郡郷の名に好字をつけること,郡内の産物を具体的に記すこと,土地の沃瘠 (よくせき) ,山川原野の名の由来,
古老相伝の旧聞異事を記すことの5点が要求されている。
以下省略。
上記の文面から判断しますと、風土記は、和銅6 (713)につくられたことになります。
ということは、古事記が712年に完成しましたら、多くの人が、目にすることが出来たのだと思います。
一番驚いたのは、藤原氏の人ではないか、考えます。
こんな歴史を書かれたのでは、藤原氏の人にとっては困ったのでしょう。
古事記のどの部分が、困ったのか判りませんが、藤原氏の人は、日本書紀を書き始めました。
と、私は思っていますが、日本書紀には、誰が作ったとは書いてありません。何時から書き始めたのかも、書いてありません。
しかし、完成したのは、古事記が完成してから、八年後の720年に完成したことになっています。
すぐに、書き始めたのは、日本書紀の人だけではありませんでした。712年頃に、政府の運営に携わっていた人は、藤原氏だと思います。
風土記は、当時の朝廷が、各国に、次の様な、内容の事を調べて報告するように命令したようです。
1. 郡郷の名(好字を用いて)
2. 産物
3. 土地の肥沃の状態
4. 地名の起源
5. 伝えられている旧聞異事
現在、現存するものは、五つぐらいでしょうか。有名な所では、出雲国の風土記が残っています。
内容は、地名の起原が多いですが、どうして、地名が付けられたのかは、解らない方が多いと思われます。
669年 中臣鎌足没(56歳)、天智天皇より藤原姓を賜る。
1月、 藤原不比等、正二位となる
2月、 「遷都の詔」出される
3月、 藤原不比等右大臣となる
上記の年表より、藤原氏が、勢力を伸ばしていた時代と思われます。
確か、この時代の各天皇の皇后も、藤原氏が多かった様に記憶します。
この様に見てきますと、和銅6 (713)の風土記の編纂命令は、藤原氏の命令に従うようにする為のもので、
内容はどうでも良かった様な気がしています。
日本書紀は、編纂者は分かっていませんが、完成した時が、720年ということだけが分かっています。
中臣氏と藤原氏の歴史を調べる必要か゛あるように思われます。
日本史年表
http://www9.plala.or.jp/kinomuku/5nenpyou1.html
私のブログで『楽しい人生』が有ります
最近は、このブログも壊れてしまって、記事を書く事が出来ません。
次の二つの記事を見つけました。
①神々の生成 その1
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2004/12/1_1.html
古事記原文を記して、自分で読んで下さいと書いています。
「漢字を使って意味が通るように並べれば良いです。国文学の専門家から叱られるかもしれませんが、国語などと言い出したのは最近のことです。いろいろの文章を並べて、ある規則的なことを発見して、日本語はこのように書いたり、喋るのが正しいのだという言い方が学問です」
無茶苦茶を書いていますね。
でも、今で、このように思っています。後から、プロはどのように書いておられるかを眺めれば良いと思っています。
②神々の生成 その2
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2004/12/2_1.html
これが私の[古事記を読み方です]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます