平成26年7月20日~21日に、一泊で綾部市の12の式内社を全部回る積で、行ってきました。
なぜ、行く気になったかを記しています。(前回は、その式内社のことを書きました)
以前から物部の集落が、気になっていたからです。
何故気になったかは、次の所に理由を書いて残していました。
綾部市に何時行ったかは、すっかり忘れていましたが、次の文章で残していました。
綾部市訪問
http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page496.html
綾部市は京都府にあります。中央にゆったりと由良川が流れ、西隣の福
知山市で、川は、北に向きを変えて、日本海に注いでいます。西には、変
わった名前の夜久野町、北には鬼で有名な大江町があります。
この町には物部という地名がありますので、物部氏と関係があるかどうか
知りたくて行きました。
地元の方で。立ち話をしておられる年配の方にお聞きしましたら、「関係あ
りません」、郷土資料館を訪ねましたが、特別展を開催しておられて、綾部
市のことは判りませんので、図書館への道を教えて貰っていましたら、学
術関係の方のようでしたので、物部の町のことをお尋ねしましたら、やは
り、関係ないと言われてて、がっかりして帰ってきました。高速から、見え
る京都府下 最大の私市丸山円墳に行ってきました。古墳の上で食事を
しながら、町を眺めゆっくりしてきましたが、豊かな町だと感じました。
帰宅後、調べたことなど書いてみます。
これはH17.01.01の日付で、WEBに掲載していますが、綾部市へ行ったのは、その前の年の秋の事と思います。
行った時に不愉快な思いをしました。
①地元の方で。立ち話-----この時、田んぼの中で五人の人(男性)が話をして居られました。車を止めて、あぜ道を歩いて近づき、この町の物部(ものべ)は、昔の「物部氏」と関係がありますかとお聞きしましたら、悪い雰囲気の間をおいて、「関係ない」と云われました。
ああ、尋ねてはいけないことを聞いたのだなと思いました。
②郷土資料館を訪ねればなにか判るかなと思って行きましたら、当日は、特別展をして居られて、江戸時代の綾部市の研究リポートの展示だったと思います。私市丸山円墳で発掘された遺物の展示を見たかったのですが、何もありませんでした。図書館に行って調べようと思って、図書館までの道を教えて貰っていましたら、その方は、資料館の方でした。綾部市のことをいろいろお話して戴きましたが、先ほどの「物部町」と「物部氏」の関係の質問をした途端に、来客中で忙しいので、失礼しますと云われました。
特別展示会は誰も居られませんでしたので、ゆっくり、全部拝見しました。
綾部市 http://homepage1.nifty.com/o-mino/page359.html に調べた事を掲載しています。
綾部市の地名
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page367.html
これは、色のついた地名は、その内に調べようと思った地名です。
綾部市の遺跡 (この資料は、事務所の前に置いてありましたので、購入した物を掲載していましたが、あまりにも多すぎて、全部掲載出来ていません。この時、先ほどの資料館の方が応対してくださいました。異様な雰囲気でした。この事があって有ってからは、資料館の方でも、自分の町について喋ってはいけない事があるのだと思いました)
其の後、結構、物部氏のことは、本を読んだり、コツコツと資料を集めましたが、未だに、全体を掴む事が出来ません。
この度、綾部市訪問するにあたって、もう一度、「物部」も眺める事が出来る様に、「私市」「物部」「金河内」「西坂町」へは行って来ようと思いました。
ここから出土した遺物があれば、遺跡から馬の骨が出土しなかったかどうか資料館でお聞きするつもりでした。
多くの古墳が物部氏と関係有るとすれば、馬は、騎馬民族の馬であろう。物部氏は、大陸からやって来た人達ではなかろうかと推理出来るからです。
資料館は、月曜日が御休みであることが、私市丸山円墳に登りにいって、案内看板に書いてあって、がっくりでした。
なぜ、行く気になったかを記しています。(前回は、その式内社のことを書きました)
以前から物部の集落が、気になっていたからです。
何故気になったかは、次の所に理由を書いて残していました。
綾部市に何時行ったかは、すっかり忘れていましたが、次の文章で残していました。
綾部市訪問
http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page496.html
綾部市は京都府にあります。中央にゆったりと由良川が流れ、西隣の福
知山市で、川は、北に向きを変えて、日本海に注いでいます。西には、変
わった名前の夜久野町、北には鬼で有名な大江町があります。
この町には物部という地名がありますので、物部氏と関係があるかどうか
知りたくて行きました。
地元の方で。立ち話をしておられる年配の方にお聞きしましたら、「関係あ
りません」、郷土資料館を訪ねましたが、特別展を開催しておられて、綾部
市のことは判りませんので、図書館への道を教えて貰っていましたら、学
術関係の方のようでしたので、物部の町のことをお尋ねしましたら、やは
り、関係ないと言われてて、がっかりして帰ってきました。高速から、見え
る京都府下 最大の私市丸山円墳に行ってきました。古墳の上で食事を
しながら、町を眺めゆっくりしてきましたが、豊かな町だと感じました。
帰宅後、調べたことなど書いてみます。
これはH17.01.01の日付で、WEBに掲載していますが、綾部市へ行ったのは、その前の年の秋の事と思います。
行った時に不愉快な思いをしました。
①地元の方で。立ち話-----この時、田んぼの中で五人の人(男性)が話をして居られました。車を止めて、あぜ道を歩いて近づき、この町の物部(ものべ)は、昔の「物部氏」と関係がありますかとお聞きしましたら、悪い雰囲気の間をおいて、「関係ない」と云われました。
ああ、尋ねてはいけないことを聞いたのだなと思いました。
②郷土資料館を訪ねればなにか判るかなと思って行きましたら、当日は、特別展をして居られて、江戸時代の綾部市の研究リポートの展示だったと思います。私市丸山円墳で発掘された遺物の展示を見たかったのですが、何もありませんでした。図書館に行って調べようと思って、図書館までの道を教えて貰っていましたら、その方は、資料館の方でした。綾部市のことをいろいろお話して戴きましたが、先ほどの「物部町」と「物部氏」の関係の質問をした途端に、来客中で忙しいので、失礼しますと云われました。
特別展示会は誰も居られませんでしたので、ゆっくり、全部拝見しました。
綾部市 http://homepage1.nifty.com/o-mino/page359.html に調べた事を掲載しています。
綾部市の地名
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page367.html
これは、色のついた地名は、その内に調べようと思った地名です。
綾部市の遺跡 (この資料は、事務所の前に置いてありましたので、購入した物を掲載していましたが、あまりにも多すぎて、全部掲載出来ていません。この時、先ほどの資料館の方が応対してくださいました。異様な雰囲気でした。この事があって有ってからは、資料館の方でも、自分の町について喋ってはいけない事があるのだと思いました)
其の後、結構、物部氏のことは、本を読んだり、コツコツと資料を集めましたが、未だに、全体を掴む事が出来ません。
この度、綾部市訪問するにあたって、もう一度、「物部」も眺める事が出来る様に、「私市」「物部」「金河内」「西坂町」へは行って来ようと思いました。
ここから出土した遺物があれば、遺跡から馬の骨が出土しなかったかどうか資料館でお聞きするつもりでした。
多くの古墳が物部氏と関係有るとすれば、馬は、騎馬民族の馬であろう。物部氏は、大陸からやって来た人達ではなかろうかと推理出来るからです。
資料館は、月曜日が御休みであることが、私市丸山円墳に登りにいって、案内看板に書いてあって、がっくりでした。