きのう、田中丸コレクション展にいく。
いつもながらの古唐津。いつもの古唐津。 悪いわけがない。いいに決まっている。
きのうは 広い美術館に数が少なかったせいか、置き方か、なんだかかわいそうに見えた。
所在なく、ガラスケースの中にいた。
そう、芸術とも違う、人格のようなものがある。人格のようなものを持った「もの」。
人とモノが尊重しあう、幸せな時代のものたち。 人格は人格でも、いいかんじの、、、、。
のんびりしていて、おとなしくて、小賢しくなくて、品格があって、間違えると、「あっ、まちがえ
た。」って微笑んでいるような、、、、そんなものたち。
人とものが高めあう、大事にしあう一つの理想的な関係。
大量生産のものとは だいぶ違うもの。
でも、、、この関係、今の時代には少し重い。
いつからだろう、やきものは「雑貨」とよばれる。雑につくってなくても雑貨。まあ、
心を込めて作っても「雑煮」っていうか。
「恋する雑貨」という番組もあったか。今の時代には今の時代の、物との付き合い方がある。
安くて、そこそこいいものに溢れている。
いつだって、捨てられる、豊かな?時代。
この時代に、このものたちは居場所がない。 やわらかすぎる。
やきものは、ゆめをみる。400年前の美しい時代の夢に酔う。
やきもの家は、大昔の夢に酔う。その夢から覚めるのが恐ろしくて、寝たふりをする。
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