day by day

癒さぬ傷口が 栄光への入口

「Dr.パルナサスの鏡」

2010-02-03 | エイガ。
もう「選択」はたくさんだ。



実は私、ヒース・レジャー出演作品を見たことがありません。
(見たかったけど見損ねたものもあるが)

28歳でこの世を去ったヒース・レジャーがその時演じていたのがこの『トニー』。
ロンドンの場面を取り終えた頃だったということです。
まだ彼の出演する場面を残しての死だったため、この映画は撮影が中断されそのままお蔵入りかとも危ぶまれたのですが、彼と親交のあった3人の俳優の協力によってこの映画は完成。ヒース・レジャーの「遺作」として日の目を見ることが出来ました。

「普通の」物語ならそれは難しかったでしょう。
誰が代役をやったとしても、代役は代役。ヒースの取り終えた場面を生かすためには物語そのものを変えなければならなかったかもしれません。
けれど、この「Dr.パルナサスの鏡」という物語の中では、「鏡の中は想像力の世界。その主の願望によっては姿も変わる」ということがごく自然に起こっていい。
だから、鏡の中で『トニー』はジョニー・デップの顔だったりコリン・ファレルの顔だったりジュード・ロウの顔だったりしても不思議じゃない。

ヒースの最後の仕事を無駄にしないための苦肉の策だった筈のその設定が、まるで最初から用意していた設定であるかのように馴染んで、「ヒース・レジャー遺作」という肩書きを一旦脇に置いたとしてもとても楽しめる、美しい映画でした。


「Dr.パルナサスの鏡」◆監督・脚本:テリー・ギリアム◆脚本:チャールズ・マッケオン◆出演:ヒース・レジャー/クリストファー・プラマー/リリー・コール/ジョニー・デップ/コリン・ファレル/ジュード・ロウ//トム・ウェイツ 他
《あらすじ》
鏡で人々を別世界に誘う見せものが売りの、パルナサス博士(クリストファー・プラマー)の移動式劇場はロンドンで大盛況だった。観客は博士の不思議な力で自分が思い描く、めくるめく世界を体験できるのだが、そこにはある秘密があった。トニー(ヒース・レジャー)はそのアシスタントとして観客を鏡の世界へと導く役目を担っていたが……。(シネマトゥディ


生きてく上で人間はあらゆる場面で選択に迫られる。
選択の積み重ねが人生なのだけど…。


以下ネタバレ含みます。未見の方は要注意。

もとは何世紀も前の偉い僧(?)だったパルナサス博士。

集まった僧が物語ることによって世界は存続している。
その物語が止めば、世界は終わる。

悪魔:Mr.ニックはパルナサス博士のもとに現れて賭けをもちかける。
何度も。
何度も。
ニックとの賭けに勝利してパルナサス博士が得たのは永遠の命。

でも「永遠の命」を欲した時点で、本当の勝負はニックの勝ちだったのではないか。
なぜならニックは、ひとを堕落へ堕落へと誘う。
あらゆる欲望に身を任せるようにと誘う。
永遠の命なんて、究極の傲慢な欲望。
賭けはパルナサスが勝っても、その「賞品」が彼に齎したのは永遠に続く孤独と苦しみではないか。

何世紀も時の流れを旅したパルナサスが恋をする。
彼女を手に入れたい。
そしてまたニックが現れる。
「彼女を手に入れたければ賭けをしよう」
やがて生まれる娘が16歳になったら引き渡すという商品で。

鏡の中の想像の世界に導いた人々が、ニックの誘惑を拒否して正しく美しい選択をすればパルナサスの勝ち。誘惑に負ければニックの勝ち。その数を競う。
けれどそのパルナサスの賭けは何のためかといえばパルナサス本人の欲望を実現するためなのであって、これではいずれにせよまるでニックの掌の上で遊ばれているようなもの。


記憶喪失のトニーが現れてパルナサスの鏡の中の世界をひっかきまわすことで、賭けにも予想外の要素が加わった。それでも──
パルナサスは何もかもを失う。友人も、愛する娘も。賭けの結果が少々不満げなニックも去ってしまった。残ったのは永遠の孤独。
行く先に必ず現れる「選択」。道しるべの右か左か。
「もう選択はたくさんだ」

けれど、パルナサスは見つける。
自分が去ったあと、家族を作って幸せになっている娘を。
世話の焼ける友のもとに仕方なく戻ってきた小人を。
そしてさりげなく今も通りすがりの人間に怪しい選択を求めて笑っているニックを。


エンドロールの後に響く、トニーの携帯電話の音。
あれは、トニーがもしかして生きているのかも?という余韻と同時に
映画の中でヒースに永遠の命が与えられたその合図のようにも思える。

永遠に。


これは何度か見て、その都度感じ方が変わる映画なんじゃないかという気がしました。
今回私は結局本来の主役であるはずのパルナサス博士を中心に物語を追っていたと思うので、また見る機会があったらトニーやニックを中心に見てみたら別の景色が見えるのかもしれないなと。
ただ、見る人は選びそう。
好かない人にはなんじゃこれ意味不明、と思われることうけあいな感じか。

リリー・コールはすでに人であることを放棄したようなパルナサスの娘として、とても神秘的で美しく可憐でした。
アントンがトニーと対立する存在として純朴だったりする役割だったんじゃないかと思うんだけど(だからトニーを駆逐するきっかけを持ってきたり最終的にヴァレンティナと幸せになってるんだろうし)その割にはけっこう嫉妬深かったり狡猾だったりしてあんまり好意的に見れるキャラ造形じゃなかったなぁ。
それにしても「パルナサスが何世紀も前に悪魔と賭けをして永遠の命を手に入れた」というとこはなんのいじりもなく事実として物語の中に鎮座してるのでそこはちょっとありゃ?と思ったかも。そこはアレか、たとえばハリー・ポッターは魔法使い、というくらいこの世界では当然のこととした設定だったのね、という…。

映像は現実世界の退廃的な色彩と鏡の中の想像の世界の鮮やかな色彩の対比が見事でした。
いいなーロンドン。現代に見えない時代感が好き。
パルナサスの空想館の屋台馬車みたいなのが、ロンドンの移動遊園地の中になら普通にありそうに思えてしまうあたりがなんともいえん。


しかしなんだかんだ言って、結論としてこれって「ニックが何世紀にもわたってパルナサスに構ってちゃんする話」だったんだな!……と思ったんですけどどうでしょう<どうでしょうと言われても
Comment    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 球春到来、6年目のキャンプイン | TOP | 四輪の薔薇 【5】 »
最新の画像もっと見る

post a comment