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夕陽に照らされたブリーカーボブスのホールで、パティは大勢の局員達を前にスピーチをしていた。
「……しかし、まだ危機が去ったわけではありません。これからも警戒を怠らぬよう心がけて下さい」
そこまで真面目に語った後、表情を崩して穏やかに笑う。
「それにしても皆さん、なかなか見事な戦いぶりでしたね。もしかしたら普段の事務処理よりも早くて正確だったんじゃないかしら? そんなにストレスがたまるような仕事をさせているつもりはないんだけれど」
ドッと笑いが起こり、ホールが和やかな歓声に包まれる。パティはにこやかにワイングラスを掲げて乾杯した。
第14話 運命のチェス・ゲーム
ブリーカーボブスでは簡易的な立食パーティーが開かれていた。ひとまず独立軍を退けたことだし、ブリーカーボブスが機能を完全に取り戻すまでの間、皆で一時の休息を楽しもうということになったのだ。
パティはしばらく局員の何人かと話をしていたが、壁にもたれて立っているカシミールに気づいて声をかけた。
「うちの連中も見る目がないわね。貴女みたいな美人を壁の花にしておくなんて」
「……パティ」
顔を上げ、途方に暮れたような声で呟くカシミール。その手にあるグラスの中身が減っていないことに気がつくと、パティは隣の壁に背中を預け、自身のグラスを掲げてみせた。
少し困ったように微笑みながらも、求めに応じてグラスを掲げたカシミールと二人、軽く乾杯する。
「たいしたものね、パティ。貴女に人の上に立つ才能があるとは知らなかったわ」
「仕事だからね。楽じゃないわ」
パティは会場を見渡した。
「貴女は変わらないわね、カシミール。相変わらず綺麗だわ」
「パティこそ。綺麗になったわ。見る度にどんどん綺麗になって、力をつけて。今はメルクの長官でしょう? すごいじゃない」
嫌味のない賞賛を贈るカシミール。
しかし、パティは寂しげに微笑んだ。
「……そうかしらね……」
パーティーの席にはアイズやスケア、バジル、それにルルドの姿もあった。
「ねえねえ、あたしバイオリンとーっても上手くなったんだよ。今度アイズお姉ちゃんにも聴かせてあげるね」
「それは楽しみですね、お嬢さん」
いきなり出てきたバジルが、ルルドの手を取ってキスをする。
「どうです、私と10年後にお付き合いしませんか? 勿論、今すぐにでも構いませんが」
「お、おいバジル! 何を言ってるんだ!」
スケアが慌ててルルドを抱き上げ、バジルの手を振り払う。
「うーん、どうしよっかなーっ。あたし男の長髪は好きじゃないんだけどー」
「ル、ルルド!」
「ひゃん! ごめんなさーい。冗談だよ、冗談」
「まったくもう……」
スケアはルルドを抱き締めたまま溜め息をつくと、ふと壁際にカシミールの姿を見つけてギクリと硬直した。
その一方で、
「こらバジルさん、何を企んでるの?」
「別に何も? 美少女は世界の宝だぜ」
バジルの襟首をつかんでルルドから引き離したアイズは、耳元に口を寄せて小声でささやいた。
「ルルドがアインスの娘だからでしょ? あんまり引っ掻き回さないでよね」
「……流石だね」
バジルは少しの驚きを見せた後、ニッと笑って言った。
「確かに、あの子は存在そのものが世界の歴史を大きく揺るがす力を秘めている。アインスの名は未だに大きいからね……けど、俺が彼女に聞きたかったのはそんなことじゃないんだ」
「? じゃあ何なの?」
「……いや、もう必要ないよ。よくわかった」
バジルはスケアとルルドの仲睦まじい様子を眺めながら、フッと表情を和ませた。
「スケアの奴、ちゃんと“父親”やってるじゃないか」
「これをママの所に持っていってくれないか?」
スケアは皿に幾つかの料理を載せると、ルルドに手渡して頭を撫でた。
「それから、こっちに来ないかって言ってくれ」
「うん……どうかしたの? パパとママ」
「ちょっとしたケンカだよ。私が悪いんだけどね」
「もう。しっかりしなきゃダメだよ、パパ」
ルルドは子供っぽく頬を膨らませると、すぐに笑顔になってカシミールの元に歩いていった。
「アインスは……私のこと、どう思ってたのかしら」
唐突に尋ねられ、パティは複雑な表情で答えた。
「愛してた、でしょう? 私から見ても、貴方達は仲の良い恋人同士だったし」
「でも、彼は私に何も話してはくれなかったわ。私は……」
「カシミール。もうアインスの話はやめましょう」
パティはカシミールの言葉を遮ると、努めて明るい口調で話題を変えた。
「それより、今の話を聞かせてよ。うちのスケアとはどうなってるの? もういない男のことを考えても何にもならないわ。貴女一人幸せにできなかったダメな男のことなんか、さっさと忘れたほうが身のため……」
二人のすぐ近くで食器の割れる音がした。
驚いて振り向いた先、割れた皿と散乱した料理の傍に立っていたのは、顔面を蒼白にした幼い少女。
「ルルド……」
「……ルルド……ちゃん」
戸惑い、かける言葉を見失う二人。
と、ルルドの表情が見る間に険しくなり、周囲に魔力が迸った。カシミールが慌ててバリアを展開し、パティを背中に庇う。
「ルルド、よしなさい!」
「ママ、なんで!? なんでそんな人を庇うの!?」
「やめるんだルルド! 彼女を傷つけてはいけない!」
異変に気づいたスケアが駆けつけ、ルルドを背後から抱き留める。ルルドは信じられないといった顔をすると、魔力を全開にしてスケアを弾き飛ばした。
「待ちなさい、ルルド!」
遅れてやってきたジューヌが慌てて叫ぶ。しかしルルドはそのまま瞬間移動してしまい、後にはメチャクチャになった会場と呆然とする人々が残された。
「流石は親子。フジノと反応がそっくりだ」
バジルは呟き、アイズに足を踏まれて悲鳴を上げた。
「パティ、何てことを言うのよ。あの子の前であんな話をするなんて……」
衝撃で倒れ、起き上がろうとしていたパティは、ジューヌの言葉に顔を伏せた。
「パティさん、教えて下さい」
アイズがパティの前にしゃがみ込む。
「貴女とアインス・フォン・ガーフィールドの間に、一体何があったんですか? 個人的なことなら、第三者が首を突っ込む権利はないですけど……」
「私も知りたいですね、長官」
ケイがパティに手を貸して立ち上がらせる。だが、
「今は……まだ言えないわ」
パティは呟き、ケイの手を離してパーティー会場を出て行った。
/
「…………?」
立ち止まり、ナーは周囲を見回した。
「ん?」
「どうしたんですか、ナーさん」
前を歩いていた白蘭とロバスミが振り返る。
アステルの風に流され、見知らぬ浮遊島に不時着してから丸一日。航行不能となった飛空艇を離れ、白蘭、ナー、ロバスミの3人は、深い森の中をさ迷い歩いていた。
「何だろう。周囲一帯に妙なエネルギー反応が発生したわ」
「妙? 妙って何よ、あんたの能力でも解析できないの?」
「うん、何て言うか……よくわからないパターンの波……」
「ふーん。まぁ、今のままでも充分に妙だけどね」
白蘭は興味を失ったように肩をすくめると、再び前を向いて歩き始めた。
「通信機は使えない。兄弟の認識機能も働かない。これだけの森なのに野生動物をまったく見かけない。かと言って、誰か人が住んでる様子もない。これ以上妙って言ったら……そうね、電車が通ってたりしたらそれでもいいわね。いい加減歩くのも疲れたし……わっ!?」
白蘭が何気なく言った途端、足元から何かが突き出てきた。
「な、何よこれ?」
「線路と……遮断機……かな?」
ロバスミが呟く。
「そーんなことわかってるわよっ! あたしが言いたいのは、何でこんな所に踏み切りがあるのかっていう……!」
その時、遠くの方からピーッという甲高い音とライトが近づいてきた。そして何やら地響きも……。
「危ない!」
茫然とする白蘭を抱えてロバスミが跳んだ瞬間、今さっきまで白蘭がいた空間を電車が勢いよく通過した。
「……何なのよ、あれは……」
電車を見送って呟く白蘭。
「幻……のようですね」
遮断機の外側にいたナーは、消えかけているバーの映像に手を透けさせながら言った。
「でもすごいわ、視覚的にはまるで本物と見分けられない。音響効果もリアルだったし、余程の設備がないとこんなことは……」
ナーは少し考えて呟いた。
「……まさか、これは……」
その時。
枝葉を揺らす音と共に、突然頭上から落ちてきた何かが、白蘭を勢いよく押し潰した。
「ふぎゃんっ! ……ううっ、何か世界が私を嫌ってるわーっ」
地面にぶつけた顔を上げ、嘆く白蘭。
一方、その“落ちてきたもの”は。
「いててて……あれー、何かうまく瞬間移動できないよー」
「ル、ルルドちゃん?」
呆気に取られるナーとロバスミ。
「あーっ、ナーお姉ちゃんにロバスミさん! それと……」
「……どうやら今度は本物みたいね……」
立ち上がる気力もなくし、白蘭はやれやれと溜め息をついた。
/
その頃。
ブリーカーボブスの一室で、レムは目を覚ましていた。
「これは……イマーニ?」
/
「イマーニちゃん? イマーニちゃんですよね! 良かった、無事だったんですね!」
薄暗い部屋の中。
目の前に浮かぶ少女のホログラムに向かって、トトは親しげに話しかけた。
「でも、ねえ。どうして連絡をくれなかったんですか? 私もお父様も、ずっと心配して……」
何も聞こえていないのか、少女はトトの言葉に一切反応を返さない。やがて少女はおもむろに口を開くと、虚ろな目で一方的に宣言した。
『私はこの島の守護者。そしてトト、貴女を守ります』
途端、トトの足元から椅子が出現した。アームが伸びてきて強制的にトトを座らせ、身体中をロープでぐるぐる巻きに縛りつける。
「わぁっ!? ……ふぇーん、こんな守られ方嫌ですよーっ」
一方、そんなやりとりを部屋の隅から眺める一人の人物がいた。
「ごめんねーっ、トトちゃん。でもまぁ、これも運命ってやつなのよ」
その人物は二人に気づかれることなく姿を消すと、別の空間へと移動した。この島と同じ形をした、巨大なチェス盤がある空間に。
「さぁーて、ゲームの始まりよ」
楽しそうに、高らかに。謳い上げるように宣言すると、彼女は幾つもの駒を配置し始めた。
「クラウンは当然ナイトよね。それから看護婦さんも……」
スケア、バジル、白蘭が白のナイト。ノイエ、アート、グラフ、ネイが黒のナイトとなって盤上に姿を現す。
どうやらメルク側の者は白、ハイム側の者は黒らしい。
「補佐する者たちはビショップ……と。ルークは組織の要ね」
ナー、オードリー、ジューヌ、モレロ、ヴィナスがビショップに。
ケイとオリバーがルークになる。
「あとはポーンが何人か……」
ロバスミ、カエデ、ケール博士、ホテルのメンバーなどはポーンに。
「“疾風”と“破壊”は今回は不参加……と。さぁて、問題はクィーンが多いことよねー」
グッドマンとカルルを示す駒を盤の脇に倒した後、彼女は複数のクィーンを配置していった。
「“戦姫”はここ……黒のナイトと一緒ね。“雷神”“知性”“巫女”は大きなグループの中に。“未来”はここね、小さいグループにいるわ」
フジノ、カシミール、パティ、レム、ルルドが白のクィーンとなって配置される。
「そして“死”はここ……」
アミが黒のクィーンとなって盤上に出現する。
更に、盤の中央に金色のクィーンが二つ置かれた。
「これが今回のゲームの特別ルール。ゴールの役割を担う“妖精”と“歌姫”……一体誰が彼女達の所にたどり着くのかしら?」
そして彼女は最後の駒を置いた。
「あたしとしては、この白のポーンに期待したいわね……アイズ・リゲルちゃん。さぁーて、両者とも動き始めたみたいね」
その言葉と共に、盤上の駒が独りでに動き始めた。
/
「なるほどね。それでこんな所に一人でいるんだ」
ルルドの話を聞いて、ナーは優しく言った。
「でもね、ルルドちゃん。だからってこんな風に飛び出してきちゃダメよ」
「だってさ……ママもパパもパティさんもさ……」
ルルドがブスーッとした顔で呟く。
「それに……」
「フジノさん……のこと?」
ナーに見抜かれ、ルルドは少し戸惑ったが、
「……うん」
やがて素直に頷いた。
ナーは表情を和らげ、ルルドをそっと抱き寄せた。少し身体を強張らせているルルドの背中を撫でながら、ゆっくりと、あやすように話す。
「ルルドちゃん。私ね、この間のことで学んだことがあるの。人は誰でも嫌なことがあると、できるだけそのことから離れて目を背けようとするよね。でも、それじゃあ物事の解決にはならないの。中途半端なままで隠してしまっても、いつの間にかその問題は、人の心に深く根を張ってしまう」
ナーはルルドを少し遠ざけると、その美しい紫の瞳をまっすぐに覗き込んで言った。
「ルルドちゃん、どうせやるんだったらとことんやろう? フジノさんと会って、きっちりと決着をつけようよ! 話しにくかったら、私も一緒に行ってあげるから。ね?」
「……うんっ。ありがとう、ナーお姉ちゃん!」
ルルドはナーに抱きついた。
「何だか、ナーお姉ちゃんもママみたい。あたし、ナーお姉ちゃんの娘になれば良かったかな」
「こら」
ナーはルルドの額を優しく小突いた。
「そんなこと言っちゃダメでしょ? カシミール姉さんに悪いわ。それに私、ルルドちゃんみたいなおっきな娘がいる年頃じゃないわよ?」
ナーはもう一度ルルドを抱き締めると、近くにいた白蘭に言った。
「それでいいかな、白蘭」
「……ま、ホント言うとあいつにはあんまり会いたくないんだけどね」
白蘭は頭を掻いていたが、やれやれと笑った。
「でもまぁ、逃げてるって思われるのも癪だしね。いいわよ、つき合ってあげる。ただし、今日は一旦船に戻って休むこと。空腹と睡眠不足は苛々の元、お肌にも悪いわよ?」
/
一晩明けて、翌日の早朝。
「何も長官自らが行かなくても……」
「そうはいかないわ。あの子がいなくなったのは私のせいだもの」
パティは身軽な服装に着替え、心配するケイをよそにルルド捜索の準備を進めていた。既にカシミールは単独で捜索に向かっており、スケアもカシミールを追って出ていったのでここにはいない。勿論モレロもだ。
「前にもこんなことがあったわね……」
呟き、途方に暮れるアイズ。
「親子のことは親子で何とかなるんじゃないの?」
「そうもいかないよ、オードリー。あの三人はただの親子じゃないんだ。それにレムの話では、この島の中央の山を挟んで反対側に多数の反応があるそうだ。残念ながら、この島全体を覆っている妙な力に邪魔されて具体的なことはわからないらしいが……それを調べるのも目的の内なのさ」
「……で? どうして私を外してアイズちゃんを連れていくわけ?」
「彼女以外にはルルドちゃんの説得役がいないだろう? 行方のわからないフジノと合流できたとしても、彼女と仲がいいのはアイズだけだ。それにトトちゃんのこともある」
不機嫌なオードリーを宥めるように、バジルは丁寧に説明した。
「それに、もし独立軍やハイムの連中が攻撃してきたらどうする? メルクのメンバーは民間人なんだ、白兵戦は無理だよ。そのためにジューヌにも残ってもらっているんだ」
バジルによる辛抱強い説得の末、ルルドの捜索及び島の探索に向かうのはパティとバジル、そしてアイズということになり、オードリーはしぶしぶ残ることとなった。
/
「ネイ、準備はできてる?」
ハースィードが扉を開けると、部屋の中にはネイの他に4人の男がいた。いずれもネイと似た体格の男達で、まったく同じ格好をしている。
「ああ、勿論だ……ところで本当か? ヴィナス。バジルとパティが外に出ているっていうのは」
「ええ、確かな情報よ。さっき偵察隊が帰ってきたから」
「そうか……クックックッ、バカな奴だ」
ネイはひとしきり笑うと、少し声を落として言った。
「そうだ、偵察と言えば……さっき少し周囲を調べてみたんだが、この島にはどうも不自然なところが多すぎる。もしかしたら人工物かも知れないな」
「それって、まさか……」
「そう言うことだ。……気をつけろよ」
言い残し、ネイは床を透過して消えた。同時に、残りの4人も同じようにして姿を消す。
「気をつけろ、か……ふふっ」
ハースィードは嬉しそうに扉を閉めると、量産型クラウンを連れて戦艦を出た。外ではオリバー率いる一個中隊が全員武装して待機している。
「お待たせしました、オリバー堤督。こちらの準備は完了です」
「わかりました。みんな用意はいいか!」
オリバーの声に、オーッ、と声が上がる。
パティ・ローズマリータイムとバジル・クラウン。
指揮官と最大戦力が共に不在という最悪のタイミングで、南部独立解放軍が今、ブリーカーボブス襲撃に向けて動き始めた。