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東御門と巽櫓(たつみやぐら)

2017-05-11 04:17:50 | 日記

                             駿府城二ノ丸  東御門と巽櫓 (たつみやぐら)

                                                                        お問い合わせ先

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                                                                            駿府城公園観光文化施設管理運営共同事業体

                          2017.05.08 撮影   2017.05.11  投稿

                          東御門

                          

                          

                          

                          東御門 (ひがしごもん)

                          東御門は駿府城二ノ丸の東に位置する主要な出入り口でした。この門は二ノ丸堀(中略)に架かる東御門橋と

                          高麗門、櫓門、南および西の多聞櫓で構成される枡形門です。枡形門は要所に石落し、鉄砲狭間、矢狭間等を

                          もつ堅固な守りの実戦的な門で、戦国時代の面影を残していました。

                          東御門の前が安藤帯刀(おてわき)の屋敷であったことから「帯刀前御門」、また、台所奉行であった松下浄慶

                          (じょうけい)にちなんで「浄慶御門」とも呼ばれ、主に重臣たちの出入り口として利用されました。

                          巽櫓 (たつみやぐら) ↓

                          

                          巽櫓 (たつみやぐら) ↓

                          巽櫓は駿府城二ノ丸東南角に設けられた三層二重の隅櫓で、十二支であらわした巽(辰巳)の方角に位置すること

                          から「巽櫓」と呼ばれました。駿府城には二ノ丸西南の角に「坤=(この一文字でひつじさる)」櫓もありました。 

                          櫓は戦国時代には戦闘の拠点となり、望楼、敵への攻撃、武器の保管などの役目もしていました。

                          この巽櫓は外観で見るよりかなり、大きく感じました。

                          全国の城の櫓建築でも例の少ないL(エル)字型の平面をもち、駿府城の櫓の中では最も高く、”勝れた”櫓であったよ

                          うです。

                          

                          

                          徳川家康公の坐像 (家康をもした、絵や象は、見る場所で色々違う、この坐像などは、普段見る画像より、痩せて見える。)

                          

                          家康公の甲冑

                          

                          

                     

                           二階への階段

                          

                          

                          

                          

                               記

                                 原産地

                                   静岡市梅ケ島国有林

                                 樹種及び樹齢

                                     天然桧    350年余

                                 此の天然桧は巽櫓用材とて隅木及造作材に使用致でアリマス

                                     平成元年三月吉日

                                 寄贈者

                                     静岡営林署

                                  製作協力

                                     静岡木材業協同組合

                                  

                          駿府城二ノ丸

                          抻櫓(さるひつじやぐら) 櫓内部は狭く、シアタールームが有るだけでした。

                                  

                          天下統一を果たした徳川家康公は征夷大将軍の職を二代秀忠公に譲り、慶長12年(1607)、大御所として江戸から

                          駿府に移り住みました。

                          天下普請として諸大名に命じた慶長の築城で、五層七階の天守を造営し、三重の城を造らせた駿府城を築きました。

                          坤櫓 (さるひつじ) は、駿府城二ノ丸の南西の角に位置する櫓です。

                          江戸時代は方位に干支をもちいて、南西の方角を坤(さるひつじ)と呼びました、安政元年(1854)の安政大地震で崩壊

                          したため、160年ぶりの復元となりました。

                                

                          徳川家康と駿府城

                          今から650年ほど前の室町時代に今川範国(のりくに)が駿府国の守護に任ぜられ、以後駿河国は今川氏の一つ」となります。

                          今川氏は全盛期9代義元の時代に徳川家康(幼名 松平竹千代)は人質として19歳までの12年間、駿府で生活しています。

                          後に戦国大名、そして天下人へと成長していく過程で臨済寺の住職大言雪斎などから数々の教えを受けております、家康の

                          人間形成の上でひじょうに重要な時期を駿府で過ごしています。

 


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