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松本城

2018-10-26 22:18:43 | 日記

 

                                          国宝

                                         松本城

                                   四百余年の風雪に耐えて ・・・・・

                                                                            松本城管理事務所

                                                                            〶 390-0873 長野県松本市丸の内 4-1

                                                                            ☎ 0263-32-2902

                           2018.10.26

                           

                           

                           創始

                           松本城は戦国時代の永正時代にの永正時代初めに造られた深志城が始まりです。

                           戦国時代になり世の中が荒れてくると、信濃府中といわれた松本平中心の井川に館を構えていた信濃の守護

                           小笠原氏を取り囲むように。 支を固めたために造られたのです。その後甲斐の武田信玄が小笠原長時を追い、

                           天正10年(1582)に小笠原貞慶が、本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、名を【松本城】と改めました。

                                  

                     

                     

                                                                               ↑ ここ、松本城には季節を感じさせる木々が少ない、この画像の左に見える

                                                              木々が真っ赤に染まり、唯一紅葉を思わせてくれるのだが、先の台風の影響                                           

                                                              か?(ここは、日本海の方に近いのだが)葉が枯れていた残念

                            

                            

                            

                            

                            

                            

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                            月見櫓内部より撮影

                            

                            

                           天守築城

                           豊臣秀吉は天正18年(1590)に小田原城に北条氏直を下し天下を統一すると、徳川家康に移封しました。この時

                           松本城主小笠原秀政が家康に従って下総へ移ると、秀吉は石川数正を松本城に封じました。数正・康永父子は、

                           城と城下町下町の経営に力を尽くし、康長の代には天守三棟(天守・乾小天守・渡櫓)はじめ、御殿・太鼓門・黒門・櫓・塀

                           などを造り、本丸。二ノ丸を固め、三の丸に武士を集め、また城下町の整備をすすめ、近世城郭としての松本城の基礎

                           を固めました。天守の築城年代は康長年代は康長の文禄2年かた3年(1593~4)と考えられています。

                             二十六夜神

                                    

                             ↑  二十六夜神

                             元和3年(1617)松本に入封した、戸田氏が祀ったとされています。

                             月齢26日の月を拝む信仰で、戸田氏は毎月3石3斗3合3勻(約500kg)の米を炊いて供えたと言われています。

                             関東地方に盛んだった月待信仰が持ち込まれたものと解されています。

                                     お城まつり (菊花展)

                            

                            

                            

                            

                            

                            

                            

                            

                            

                           当日の松本城では、お城まつりと言う菊花展が開催されていたが、規模も小さく、まして菊の名称がなく(だるま作り・

                           三本仕立て・六本仕立・その他)少し残念で有った、でも松本城だけよりは良かったかな?

                           10月26日の目的は、先日TVで放送していたTVの塩山駅、近くの山賊焼きが美味しいとの事だったので、山賊焼き

                           を食べに行ったのだが、殆んどの店は夕方5時よりの営業で塩山駅のすぐそばにある食堂で食べて見た、TVで放送

                           していたよりも美味しく無く、塩味にニンニクが効いた、片栗粉を付けてた鶏のから揚げだった、片道160km(あちこち

                           回ったので往復400km)を新東名、長野自動車道を走り行く程でもなかったよ、それで松本城に行って見た訳け、目

                           的とは違いガッカリだったよ。

                            


地球博物館

2018-10-10 14:52:48 | 日記

                                                     神奈川県立

                                   生命の星・地球博物館

                                                                    〶 250-0031 神奈川県小田原市入生田 499

                                                                    ☎ 0465-21-1515

                            ここ、地球博物館は、今回で3回目の入場で、前回は2017.06.16(2回目)の投稿で、暇が有る方は、

                            2017年まで遡ってみて下さい、そんな暇ないかな?

                            2018.10.07

                                   

                                   

                                  

                           チラノサウルス    下記画像は頭部 ・・・ 頭部の下の画像はテラノアウルスを反対側から撮影

                                  

                           

                           

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                           アケボノゾウ

                                   

                           ゴンフォテリュウム

                                   

                           カマラサウルス

                                   

                           コロンビアマンモス

                                   

                          

                                     

                    マンロタビラ隕石                               アンモナイトの化石

                           

                            

                         

                         

                         

                          

                               

                           

                        誕生と活動

                        1995(平成7)年3月、地球と生命・自然と人間がともに生きる事をてーま7に活動し、県民に親しまれる開かれた

                        博物館を目指して開館しました。地球規模から神奈川までの自然に関する資料の収集・保管と次世代への継承、調査

                        ・研究活動を基盤とした展示活動や学習支援の展開により、人々の心に自然に対する親しみと感動を呼び起こすことを

                        目指して活動しています。

                        当日は三連休のなかばと、重なり、園内はちびっこ達でゴタガエシテいました。

     

 


真言宗ぶどう寺 大善時

2018-10-03 06:03:09 | 日記

  

                                                  真言宗智山派  ぶどう寺(通称)

                                        柏尾山 大善寺

                                                                             〶 409-1316 山梨県甲州市勝沼町 3559

                                                                             ☎ 553-44-0027

                            2018・09・28

                            薬師堂 (本堂)        薬師堂が本堂なんてあるの。

                            

                              

                         ↑  本堂に薬師三尊を安置してえいるので【薬師堂】とも呼ばれます。

                            弘安9年3月16日(1286)の刻銘があり、元寇(弘安の役)の数年後に建立、築720以上が経過し関東周辺

                            で最も古い建物です。流麗な線を持つ檜茅葺きの屋根は落ち着きを見せ、鎌倉時代の建築の力強さがよく表れています。

                            

                          ↑  山門

                            現在の山門は、元禄17年(1704)に土屋惣三の子孫、常陸国土浦3代城主土屋定直により建立された山門が

                            焼失した後、寛政10年(1798)に土浦7第城主土屋英直により再建された。3問一問の二重門で、下山大工土橋

                            文橋蔵茂祇等により建築された。

                            

                                   ↑   楽屋同           奥に見えるのが、薬師堂(本堂)

                            

                            ↑   山門を別の角度より撮影

                                      

                             ↑   稚児堂

                                弘化3年(1846)再建立  当寺の大祭藤切り祭の稚児舞の舞台として使用するものです。縁日の日には

                                樂堂で音楽を奏で稚児堂で舞をまい、参拝者をたのしませたと言われています。

 

                             ↓   行者堂

                                    

                             ↓   鐘楼

                                    

                                 ↓   山門 

                           

                            ↓   巨峰

                            

                            ↓   マニキュアフィンガー

                                   

                                       ↓  巨峰 

                                                

 

                                                    真言宗智山派   ぶどう寺 

                                        柏尾山  大善寺                                 

                                      由来

                                      当寺の開祖は養老2年(718)。 行基菩薩が日川渓谷岩上で霊夢により感得された像、

                                      右手に菊萄をもち左手で結印した薬師如来と日光・月光菩薩の薬師三尊を刻み安置して

                                      開かれたと伝えられています。

                                      住持の堂宇は平安時代に焼失しましたが、天禄2年(971)に三枝守国が再建して以来、

                                      平清盛(たいらのきよもり)、源頼朝(みなもろよりとも)の寺領寄進や堂塔修復、北条定時

                                      による薬師堂再建立、仏師・蓮慶作の日光・月光菩薩や12神将の政策等々・・・・・。

                                      時の為政者と大衆の深い信奉のもとに歴史を重ねてきました。

                                    ※ 上記画像のぶどうは大善寺に生っているぶどうでは無く「一古園」のぶどうです、ここブドウ寺

                                       にはブドウ棚は有るもののブドウは無かったです、薬師堂内部には、お供え物として沢山のブドウ

                                       が有りました。