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移転しました(2014/1/1)

広瀬武夫、写真?

2011-01-20 | ヒストリ:広瀬武夫

図書館で借りてる本がエラい事に。
計4館から歴史11冊。歴史以外も5冊! 16冊!

ムリ!(笑)

調子に乗って借り過ぎた(笑)
他県から1冊、安保清種の本を借りています。
この方の著作、『銃後独話』だけかと思っていたんですが、よくよく見てみると『明日の海』というのもあったんですよ。
『銃後―』の方は大阪にあるのでと張り切ってネット予約しようと見てみると 修理中 という無常の文字が(笑)
前行った時は出納するの忘れてたんだよね…縁が無いなあ。
という訳で『明日の海』の方が今手元にあります。

なぜ安保?という感じですが、この方、戦艦朝日で広瀬武夫の同僚だったんですよ。
副長であった川島令次郎が赴任した際、三人ほどつるんで頑張っていた中堅士官がおりまして、それが広瀬、安保、井出謙治。
まあそういった事もあって、何か広瀬の事書いてないかなという下心です。笑。
井出さんの伝記は探してるんだけど無いんだよ…
誰か何かご存じないですか。
 
で、適当にペラペラめくってるんですが、いやー…ちょっとびっくりしまして。
安保、結構広瀬と関わりが合ったみたい。
 
広瀬は日清戦争時、運送船の監督という超下っぱの役割で出征します。
それが暫くすると扶桑に転出、更に鹵獲した鎮遠の回航委員となる。
特に回航委員に選ばれたのは嬉しかったようで、家族に送る書簡にも隠しきれない喜びが満ち溢れてます。笑。
そしてこの回航委員に安保も居たみたいなんですよ!
いや、みたい、じゃなくて、いたんです。
ものすごくびっくりしたんですが、扉にこの回航委員たちの集合写真が載っていまして…
じーーーっと見ていてあれ?と思ったんですよ。
 
 


ちょっと写りが悪くて申し訳ないんですが、分かります?右端の人。
下の写真でもちょっと分かりにくいんですが、…


 
広瀬がいる。
 
びっくりした。
 
当時は事あるごとに記念写真を撮っていたようですので、知っているものより知らないものの方が多いだろうとは思っていたんですけど。
ただネックはこの写真、説明に安保と艦長と航海長の名前しか書かれていないんですorz
せめてもう1ヶ所、違う所で同じ写真を見たい。本当に広瀬か確認したい。アイ・ウォナ・メイク・シュア・ユア・エグジスタンス!多分広瀬だと思うけど。
とにかく驚いた。


安保は広瀬の親友加藤寛治と同期、海兵18期なんですよ。
元々海兵予科生徒(親族が海軍関係者)だった。
そう考えると安保も広瀬と接触する機会は割りとあったかとも思うのですが、加藤程の交流は持たなかったのかもしれませんね。
『広瀬武夫全集』にも安保の名前は一度も出てなかったと思うし。
そういう事で私にとっても安保さんはちょっと印象が薄かったので、今更伝記なんですが(笑)

驚いた他に面白いと思ったのは、明治24年~25年の遠洋航海の話が載っていた事。
こちらは広瀬が『航南私記』を記した、18期の遠洋航海です。
 
 (戦前に出版されている)
 
大変な台風に遭遇したということで語り草になった航海らしいんですが、私は広瀬以外の話を読んだことなかったんですよ。
個人的な航海日記をつけている人はいたんだろうと思っていたんですが、そういうのを見た事もないし。
広瀬は分隊士として乗組んでいてその視点から書いていますが、安保はまだ候補生ですから、やっぱり見方も違ったみたいでそんな辺りもなかなか面白い。


で、上記の朝日艦での関わりを入れると、安保は同時期、同場所で広瀬と過ごしたのは少なくとも3度はある訳です。
兵学校時代入れると4回ですか。でもこれは少しカウントし辛いな。人数が多すぎる。
でも全然広瀬の記事ないよ!ちょっと安保!出し惜しみすんなよ!(笑)

タイムリーにも森山慶三郎との話も出ていたので、この際なのでちょっと触れても面白かも。
(そして脱線が長引いて行く…)


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