間が開きましたが、先日の続きです。
森山慶三郎の回想が続きます。
その彼女と云ふのは何んな人ですか?
なに、露国のある海軍少将の娘なんだ。
その頃、広瀬は露国海軍省の広庭で露国士官を手玉にとるやら、露国皇帝の前で露国の力士を投げるやらして勇名を轟かして居た。
それでこの海軍少将の娘は広瀬を慕つて、広瀬の行く所は何処へでも行つて、そして必ず広瀬と一緒に踊つたものだ。
広瀬はあんな男だけに情には脆く、彼女の情に絆されやうとして居た。
俺が極力反対したので、広瀬も遂々(とうとう)彼女の来るダンスホールへは行かなかつた。
はい。
ここまで来ると森山の話を信じてやる必要は全くありません(良い笑顔)
前回、森山の話には変だと思う所、ぶっちゃけ「あんた付き合いがあったんじゃなかったのか」と思う所が結構あると書きました。
皆さん大体想像もつくかと思うのですが、私の感想としては、
ちょっと待てぃ森山ー!(爆笑)
森山、広瀬の死後に出版された雑誌や書籍で読んだのだろう話をしています。
露国皇帝の前で云々、これ、広瀬の戦死直後から出回っている話なんですよ。
この話が載っている雑誌は、広瀬の伝記を出版する際の底本やら資料によく採用されています。
その為、この柔道のエピソードも色々な書籍に載っている話なんですが…
色々な状況を考えると、私はこれは完全な作り話だと思っています。
それはとにかく、恐らく森山は自分の記憶と読んだ書籍の内容がごっちゃになり、それに少し誇張が加わっているような感じがしますな。
30年近く前の話ですから、ありえない話ではないです。
まあ困るのは本当に面識があった人がこういう事を言いだすと真実に聞こえるという所かなと。
別段責めるような話でもないですが、おじいちゃんしっかりしてよとは思う(笑)
と、ここから広瀬の柔道の話に繋げる予定だったんです。
昨日書いた安保清種の本さえ読んでいなければ!(笑)
こんなに森山に触れることはもう無いかもしれませんので、本当に脱線してしまいますが許して下さいね。笑。
森山の話というより、安保の思い出話に少し出てくるだけなんですが。
というか柔道の話が書きたかったのに何故女の話書いた。orz
(※加藤は柔道の話してたっけという軽い気持ちで資料出したらあんなことになった)
※
元ネタは昨日紹介した安保清種(きよかず)の著書です。
森山の話を書きだした1話目でも名前が出ましたが、この方も佐賀出身。
森山は17期(秋山と同期)、安保は18期。ちなみに広瀬は15期です。昨日名前を出した井出謙治は16期。
大体皆同じような年齢。
広瀬も森山も攻玉社から海兵へ、安保も攻玉社を経て海軍兵学校予科に入学しているので、まあ何と言いますか。
本当にもうみんな顔見知りだったんじゃない?
というか、明治期の海軍軍人に共通して思うんですが、大多数の人が同じルートで海兵に入ってるんですよね。
攻玉社ルート。
15かそこらで上京して攻玉社に入って、17か18位で海兵に入る。そこからずっと一緒。
攻玉社だって寄宿生活ですからね。
中学生頃から、下手すると小学生高学年の頃から、冗談でなくホントにずっと一緒。
海軍なんてそこら中少年の頃から知ってる人だらけだったんじゃない?(笑)
広瀬みたいに兄弟で海軍に入っている人も珍しくないし、安保のように親子で海軍軍人になっている人も珍しくない。
加藤寛治なんて、親、自分、子供が海軍、孫も海自ですからね。えらいこっちゃ。笑
高陞号事件という有名な事件がありますが、この時の乗組員一部を見ていると
艦長東郷平八郎、航海長有馬良橘、砲術長広瀬勝比古、分隊長心得岡田啓介
ですからねえ…
広瀬勝比古は広瀬の兄、岡田啓介は広瀬と同期。
同期の兄ちゃんが同僚。というか先輩。こういう例、沢山あったと思います。
更に婚姻関係を入れると、もっと複雑になる(笑)
先日サイト更新用に作っているページにも書いていたんですが、例えば小笠原長生。
小笠原の妹は佐藤鉄太郎の妻。
佐藤の5女は岡田啓介の長男の妻。
岡田の次女は鈴木貫太郎の甥の妻。
広い意味で小笠原、佐藤、岡田、鈴木は親族になる。
しかも鈴木貫太郎の甥っこ、陸軍の立見尚文の孫になるんです。もう訳分からん(笑)
この婚姻関係や学校繋がりの話は結構面白いのでブログかサイトで扱う積りでいるのですが、今日考えて今日書く、という事がこれは全くできません。結構大変だけど、でき上ったら結構凄いデータだと思う。
まぁ海軍さんですが…
面白さを感じる反面、非常に閉鎖的というか、閉ざされた世界だという印象も受けます。
世界狭すぎる。
海軍では人のした事にミソをつけたり表立って批判しないという風があったそうです。
美点のひとつだと思うのですが、
そういう事をして和を乱すと、逃げ場がない世界での居場所を奪われるからでは?とも感じてしまう。
誰もが井上成美のようでいられたとは思えない。
…脱線が更に脱線を呼ぶorz
※
明治31年秋に大阪で陸軍特別大演習が行われた際、安保大尉(当時明石砲術長)は森山大尉(当時横須賀鎮守府参謀)と一緒に参観しに行ったそうです。
と言っても、書かれていることを読んでいると目的は陸軍の演習ではなく、それを見に行く議員先生らの接待だった訳です。
丁度議会が始まる前の演習だったようで、それならという事で神戸にいた艦隊に貴族院議員、衆議院議員らを招待していたと。
まあ当時はアレです。
既に66艦隊計画が始まってますので、それを円滑に進める為にも海軍への理解を促すのと、色々印象をよくしようとしていたのではないかと。
安保と森山が山本権兵衛に指示されて神戸で議員たちを応接するのですが、中には少数ながら横暴な人もいたようです。
その上、帰りの汽車の中でも議員風を吹かせて、一般の乗客に対して目の余る態度を取っていた者もいたらしい。
ふたりはただでさえ神戸でカッチーンと来ているのにこれで更に腹が立ち、思わず手が出そうになったそうですが、その内汽車が名古屋に着いてしまった。
当時、既に東京神戸間(当時の東海道の起・終点は大阪ではなく神戸)の急行が走っていた筈ですが、それには乗ってないですね。
時間が合わなかったのか、切符が取れなかったのか。笑
夜中に名古屋に着いて、ここから東京行きの急行に乗り換えることに。
ところが到着した汽車の席は既に殆どが埋まっていて、その上夜中であるから乗客は寝てしまっている。
「あ、空いてる」
と、そう思った1席にはすっと森山が座る。
…森山…(笑)
この人最近凄くツボに嵌る(笑) 無言で座ってそのまま寝そう。
そこで安保は仕方なく空席を探す訳です。
そうしたらば、2人掛けの席をひとりで占領して眠っている紳士を見つけた。
靴を脱いで横になっていたみたいですな。
その様子に安保も「どうしようか」とは思ったものの、ここで先程までの代議士先生らの横暴を思い出してちょっと腹が立った。
だからきっとこれも横暴だという気がして、
「この田舎代議士め」といった心持ちで寝ている紳士をゆり起した。
「一段と声を励し」「無遠慮に揺り起した」とあるので、結構ぶっきらぼうに揺すり起こしたんじゃないでしょうか。
起こされた紳士は、
「ハアー、天下の座席です、どうか」 みんなの席ですもんね、どうぞ。
意外とあっさり席を空けてくれたので、ちょっと気の毒だなとは思ったんですが、やっぱり座る。
そりゃいくら若いと言っても疲れてますよ。しかも東京まで10時間程もどうしろと。笑。
で、いざ座って落ち着いて、周りを見渡してびっくり。
自分の周辺で席を占めていたのは、
蜂須賀茂韶(侯爵、徳島藩の最期の殿様、貴族院議長、枢密院顧問など)
曽我祐準(陸軍、のち貴族院議員)
渡辺洪基(貴族院議員、衆議院議員他、色々事績があり過ぎて説明できん)
岡部長職(子爵、岸和田藩最期の殿様、東京府知事、当時の貴族院議員の中心人物)
当時の偉くて有名な人ばかり。エラい車両に乗ってしまった(笑)
「田舎議員どころか役者が違いすぎる!」
流石にそう思った。
そして席を譲らせた隣の紳士をそっと見やると、そこにいたのは
近衛篤麿
う わ あ
なんちゅうか、ご愁傷様(チーン)としか言えません。
近衛篤麿(公爵、貴族院議長、五摂家筆頭、近衛文麿の父)
※当時の身分上、国民の最高位にいると言っても過言ではない人
周囲も周囲ですし、座ったものの安保も寝るに寝れない状態だったんじゃないですか?(笑)
しかしこの時ですね、何と言うタイミングか、近衛に席を譲った人がいたんです。
高木(たかき)兼寛
え?高木さん!?
まさかこんな所で名前を見るとは!(笑)
この方も海軍さんで、海軍軍医のトップ。
海軍の脚気撲滅で有名な方で、「ビタミンの父」と呼ばれたりしています。
一般的には知られていませんが、宮崎の方、誇るべき郷土の偉人です。
このブログでも高木さんはちょこちょこ出していますけれども…
明治の陸海軍の脚気に関してはサイトに長い考証を載せていますので、よろしかったらそちらをご覧ください。
ちなみに広瀬武夫の軍人生命を助けた人でもありますな。
この高木さんが
「私は静岡で降りますので、こちらへどうぞ、閣下」
と席を立ち、自分は荷物の上に腰を下ろした。
それを見て安保は一安心、そのまま眠気に襲われていったんですが…
いやいやいや、ちょっと待て安保。
高木さんだって大先輩じゃん!先輩に席譲らせといて自分…(^^ゞ
まあ、知らぬとはいえ侯爵閣下に席まで譲らせといて、今更スイマセンは言えんわな(笑)
安保はどちらかというと温厚で苦労人の印象があっただけに、こういう話もあったのかと読んでいてちょっと笑ってしまった。
疲れたので今日はここで終わり(^^;
頑張った。

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忘れた頃に、立見大将の御名が出てきた!
こういうの見ると、本当に軍隊って、権力持ちとそれ以外って構造が、よくわかります。
井上さんは別格です(苦笑)
自分の死んだ親類も海軍に召集されましたが、そういってました。
柔道、まだまだまってます。
少なくとも”一般市民”ではないなという感想をいつも持ちます。
そうですか〜成美さんは別格ですか(笑)
実は隠れファンなんです(笑)えへへ
柔道の話はあれだけ書きましたので(笑)、必ずします。もう少しお待ちくださいね〜
井上大将(と親類は呼んでました。東条は呼び捨て(笑))お好きでしたか。
自分は親類から話を聞いて、英語の先生をやっていたという印象が強く、断片を集めても、なかなか辿り着かず…
ようやく本人に繋がったら、親類は亡くなり、昔より多少ものを知った今でこそ、話を聞いてみたかったです。
とはいえ、好きで調べていたのはもう随分前なので色々と記憶が遠いのですが(笑)
分かります。私も今でこそもっと祖父に色々な話を聞いておきたかったと思う事が多いので…
そういえば横須賀にあった成美さんの家、何年か前に整備がされて見学ができるようになっているようです。
観光客的には大変行き辛い場所でちょっと悲しかった覚えがあります…orz
行った人に聞いたら、あまり知っている人もなく、タクシーの運転手も知らなかったとか(涙)
撃墜王坂井三郎の家は、駅前の交番のお巡りさんも知っていたらしいですが…
大体想像はしていてもはやり寂しいですねえ;