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移転しました(2014/1/1)

神戸海軍操練所跡・小野浜造船所・海軍営之碑@神戸

2009-06-16 | 歴史の小旅

神戸市立博物館が建っているところは嘗て居留地であったところ。
というかJR三宮~元町間、海側は旧居留地だったところです。
今でも結構建物が残っていますがそのままブティックになっていたり、レストランになっていたり。
神戸市博の建物は旧横浜正銀の神戸支店を転用しています。
そして実は海がすぐ傍。

幕末に勝海舟が作った海軍操練所跡もすぐ傍。




右側に映っているのが神戸市博、左側の白いビルの麓に有るのが海軍操練所跡の石碑。
歩いて大体200メートル位か。とにかく近い。
 



とにかくでかい。
そして錨、よく見ると「戦艦の錨」とありました。
…何の?そこが知りたい。
軽くググってみたけどよくわかりませんでした。
それはとにかく操練所は随分広い敷地だったようですが、その跡地も現在は高速道路を通す為に埋め立ててしまったと言います。


 
 

阪神淡路大震災より少し前、こちらの記念碑は工事の為に撤去されていた時期があります。
「無くなってる!」と思い神戸市に電話で尋ねたら収蔵庫にしまってあるとか何とか…その後何年か石碑不在でありました。
また以前とは場所も変わっているような気がするのですが(道路を挟んで反対側に有った気がする)、記憶が曖昧ではっきり思い出せません。


勝改修は神戸に神戸海軍操練所と神戸海軍塾を開いたそうです。
操練所の方は幕臣を集め、海軍塾の方は勝の私塾で、諸藩士や志士が集まったと言われる。
坂本龍馬が神戸海軍操練所の塾頭になったとよく言われますが、実際には後者の方塾頭のようです。
とはいえこの辺り様々論があるようでどれが正確なのか、私には分かりません。

ただ海軍塾には龍馬初め土佐を脱藩した脱藩浪人がおり、その中の望月亀弥太や北添佶摩が池田屋事件に関与の上死亡しており、これが勝の幕府での立場を悪くして海軍操練所の閉鎖に繋がった。
当時勝は長州や脱藩浪人に同情的であったり、軍艦奉行を罷免されていたり、閉鎖の理由はそれだけは無かったと思いますが。

因みに後外務大臣を務めた陸奥宗光や、日清戦争時の連合艦隊司令長官・日露戦争時の軍令部長を務めた伊東祐亨もここで学んでいました。
伊東なんかは自分は坂本龍馬仕込みだという事が自慢の種だったそうです。笑。




訪れた際、ふと海の方を見ると…


 


帆船が。
近づいてみると日本丸(手前)と海王丸(奥)でした。長崎帆船まつり以来!
そういえば帆船来航のニュースが流れていました。


で、帆船が碇泊しているこのあたり、かつては小野浜と呼ばれていました。
明治初めごろには、小野浜造船所もあった。
戦艦大和というと太平洋戦争の時の大和を思い出しますが、こちらは2代目。
初代艦・大和はこちら神戸、小野浜造船所で作られた軍艦です。


その監督官として神戸に赴任していたのが東郷平八郎。
滞神中はここからほど近い花隈で起居しており、その時に使っていた井戸跡に記念碑「東郷井」が建っています。
ちなみに揮毫したのが財部彪、撰文が小笠原長生。
こちらは史跡レポ頁がありますので、こちらからどうぞ。⇒東郷井@神戸花隈

ですがこちらの造船所は規模がそれほど大きくなく、造られた船も故障が結構あったようで(笑)、結局は明治28年頃までに呉鎮守府に吸収され、閉鎖となった。

小野浜造船所は元々官製の造船所ではありませんでした。
キルスビーというイギリス人が明治初年から個人経営していた鉄工所がその初めで、それが明治10年頃に造船所になった。
初代大和艦の起工が明治16年、竣工が20年。
その途中でキルスビーが亡くなってしまい大混乱になったが、大和艦建造中と言う事もあって海軍が買い取ったのですね。


その消滅までの間に広瀬武夫もこの造船所を訪れています。
広瀬が訪れたのは明治22年の12月26・7日ごろ。
兵学校卒業間際の実地航海演習で、天龍艦に乗って瀬戸内海を1ヶ月少々うろうろしていた時、神戸に上陸している。
その時に神戸の湊川神社(楠正成墓)、兵庫の能福寺(平清盛墓)を詣でているのですが、更に小野浜造船所の見学にも来ています。

因みに北野にある異人館『旧ハンター邸』のハンター氏は小野浜造船所で働いていたそうです。








操練所跡からほど近い所に、海軍営之碑があります。
水上警察の隣の公園、メリケンパークの入り口のところ。
歩道橋が掛っているのですぐ分かる。







ふたつ並んでいる内、左側の石碑が海軍営之碑。
撰文は勝海舟です。
右側は陸奥宗光を称える内容。
兵庫県の初代知事は伊藤博文ですが、陸奥もまた兵庫県知事を務めていた時期があります。





篆額は徳川家達でした。





諏訪山の方にも海軍操練所関連、勝海舟関連の石碑があるのですが、機会があったらまた行ってきます。


(※このエントリーはサイト更新に合わせて大幅に改訂しました)20100112
 


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