「詩客」短歌時評

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短歌評 短歌作品と散文構造――岡井隆『現代短歌入門』を入口に 添田 馨

2016-05-02 23:30:42 | 短歌時評
 短歌と俳句そして現代詩(口語自由詩)、この三つの異なる表現形式について、これまで横断的に考察したことがなかった。ひとつには、そうする必要が差しあたって私にはなかったからだ。
 一方で、私は詩の書き手として、この国の近=現代詩、ことに戦後現代詩(この呼称にも若干抵抗があるが、いまはこの単語を使う)の在り方を、批評する行為をとおしてずっと追求してきた。しかしながら、それと並行して戦後の短歌あるいは俳句の歴史について、相互に照応させることも対向させることも、一貫してやってこなかった。
 これは果たして私の手落ちだったのだろうか?
 ただ、言い訳するのではないが、周囲を見回してみると、短歌評と俳句評そして現代詩評を、おなじ批評原理おなじフィールドで同時進行的に実践している論者は、これまでも今もほとんど確認できていない。ということは、つまり、そのような取組みはあまり行われてこなかったのだと考えていいだろう。
 実は、その理由を考えることが本論の目的ではない。しかしながら、抑えておくべき前提事項であることは間違いないことのように思えるのだ。

 私は短歌論に関してはずっとながいこと門外漢であり、はるかに遅れてその考察に手を染めることになった身であって、何かまともなことを語れるかどうか、まったく保証の限りではない。わずかに文学的な関心というより社会思想史的な関心から、連合赤軍事件の主犯のひとり坂口弘死刑囚による獄中短歌の考察を、それこそ徒手空拳でやってみたことがあるくらいだ。(注:「短歌作品と散文構造―『坂口 弘 歌稿』を読み解く」「詩客」短歌時評 2015年2月5日)
 だが、その結果、自分なりにひとつの知見を得ることもできたのだ。
 まずやってきたのは、坂口死刑囚の短歌作品を、その背景にある散文構造を抜きにして、作品単体として美的に読み解くことは不可能であり、またそれは意味がないという直感だった。それには、概ねふたつの明確な理由があった。
 ひとつは、坂口死刑囚の短歌作品のどれもが、「あさま山荘事件」や「山岳ベース事件」で、自分が人を殺めてしまったという重い事実からくる暗い抒情性を、その本質として持っていたことによる。作品創作の背後に横たわるこうした現実体験をまったく無視して、これらの作品評価を行うことは、文学の批評云々以前に、言説としてあり得ないことだった。
 理由のもうひとつは、それらが獄中作品だったことである。つまり、作者が投獄されているという背景事情が、作品成立の原理的な前提条件にもなっていて、そのことをも含み込んだ評価がなされるべきなのは、他に選びようのない必然的な道行きだったということである。
 こうした事情は、作品を成立させている不可視の散文構造が、短歌作品と一体化してすでに切り離せない位置関係にあるという認識を私にもたらした。私はこの散文構造をフォーマット(型式)と呼ぶことにしたのである。つまり、五七五七七の短歌のフォルム(形式)と、概念的に対応させる意味で、この表現を採用した経緯があった。

 現在、私の現代短歌に対する最大の関心事は、それがいかなる体勢によってこの現実世界と戦いうるのか、というドラスティックな傾きのものである。短歌・俳句あるいは現代詩を問わず、およそ詩文学なるものは、それみずからの発生根拠に立って、世界との拮抗関係によく耐えるものでなくてはならないと思うからだ。
 今般、あらためて短歌について考察するにあたり、岡井隆『現代短歌入門』(講談社学術文庫)を入口にして、そのありうべき方向性をまさぐることにした。というのも、短歌において現れている固有な問題性をまずは押さえたうえで、理論的普遍化への契機をさぐる必要があったからである。
 ところで、岡井隆の入門書を一読して驚愕したことがある。それは、私が坂口死刑囚の獄中歌に接してつよく感じた、五七五七七のフォルムの背後に沈む散文構造と、その構造が個々の短歌作品に対して否応なしに迫ってくる主題化の要請とが、すでに1961年の時点において岡井が「主題制作と連作」(初出「短歌」1961年8月・角川書店)というテーマに託すかたちで、正確に問題化していたことだ。

…わたしたちは、特殊な場合をのぞき、ほとんど必ず、数首の作品を同時にならべて発表し、同時にならべて読むのです。いかに作者が、第一首と第二首は、まったく切りはなして読んでほしいなどといったって、いやおうなしにそれらは相互に干渉しあいます。二首目は一首目の存在によって影響されざるをえないのです。つまり、数首の歌は、寄り合うことによって、一つの磁場を形成し、互いに他にその磁力を及ぼし合うわけです。
 ここから、逆にそういう磁場ができるのなら、その「場」の持つ性質を知って、それを利用することができるのではないか、という考えも、ごく自然に生まれてきます。

(「第八章 主題制作と連作」138~139頁)


 門外漢の目からすると、なぜ殊更に短歌の連作が問題にされなければならないのか、との思いを禁じ得ない。当時の歌壇においては、「連作の弊害は一首の独立性をあやうくする点にある」(同前130頁)といったドグマが支配的だった事情もあったという。つまり、連作は一首の独立性の希薄化をまねく、あるいは一首の表現価値を減じるという、それは思想だった。
 「連作」とは、この場合、私が言うところの不可視のフォーマット(型式)を指していると考えられよう。あるいはそれは、具体的に明記されていない背景的な主題のことだと言ってもいい。
 とすると、上記のドグマは、フォーマット(型式)が強化されるところでは、形式(フォルム)の弱体化、つまり短歌文学の衰弱が起こるのだと言っていることになる。
 しかし、実作レベルにおいて、そのような事態は招来されなかったというのが、率直な私の実感である。その証拠をあげられる段階にまで、現在の短歌の表現水準は間違いなく到達していると思うからである。
 私が坂口死刑囚の短歌作品において確認したのも、まさにそのような表現水準であった。つまり、〈短歌〉というフォルム(形式)と〈拘置所〉というフォーマット(型式)が協働しあって、相互的に自らの表現価値を高度化させている姿がそこにはあったのだ。

 このように考えてくると、ひたすら横へ横へと詩行が加算されていく現代詩(行分け詩)と、独立した一首がこれも横へ横へと並列されていく連作短歌とが、どこかで微妙な接点を持つのではないかとの予想が、否応なく惹起されよう。
 昨年この場所で連載した俳句論において、私はこれとよく似た問いを立てたことがある。(「俳句作品と配列―齋藤愼爾句集『永遠と一日』から」「詩客」俳句時評2015年4月30日日記)すなわち、百個の俳句作品を眼前に並べたとき、それを個々に独立した作品のたんなる群れとして読むべきなのか、あるいはそれを百行の行分け詩を読むように、何らかのまとまりとして読むべきなのか、という問いである。
 無論、これも簡単に正解がだせる問題であろうはずがない。ただ、作品享受の生理として、私自身は百の俳句のうち、琴線に触れた何句かをとりわけ強く印象づけられる結果、自分で無意識のうちに任意のフォーマット(型式)作りあげてしまい、それに、ついついその何句かを選択的に嵌め込みながら読んでしまうという傾向が生じることを指摘した。そしてその点に、百の俳句と百行の行分け詩とが、限りなく至近していく原理的余地をも残しておいたつもりである。
 それと同様のことが、果たして短歌を読む場合にも起こり得るのかどうか。この問題を考えるには、短歌と俳句の若干の性格の違いについて押さえておく必要があろう。
 あくまで直感的な言いかたになるが、俳句が〈超出〉を基本性格として持つのに対し、短歌は〈回帰〉をその基本性格として持つと私は思っている。なぜなら、短歌の場合、最後の七七が着くことで、作品としての完結性が、俳句にくらべてより強固に呼び込まれると推定したからだ。このことは、言い換えれば、ひとつの作品として見た場合に、短歌のほうが俳句よりも作品としての自律の度合いが強い、つまり一首と一首の間の裂け目が深い、ということを意味するだろう。
 岡井隆は『現代短歌入門』のおなじところで、この問題についても言及している。

 短歌は、いかに核となる作品とその随伴作品が、続いて成立することが多いといっても、やはりもともとは、一首一首、彫りあげていくほかありません。連作といっても、それが、単作の集束である点では、なんでもない群作と表面上のちがいはありません。とくに、意味内容の上で、一首の独立性(あるいは単作性と呼んだほうがいいかもしれません)を稀めていっても、リズム上の完結感は、のがれるべくもないのです。短歌連作が長歌とも、俳句の連作とも、連歌とも、現代詩とも異なっている点は、
  五、七、五、七、七、
のリズムの、とりわけ下七七の反覆性がじゃまになって、短歌連作を、切れ目のない一つながりのリズムの流れにはさせない点にあります。一首独立性と連作を背反する概念としてとらえようとする、根強い連作排撃の論は、この七七の反覆が生む重い終結感に根を置いているともいえます。

(同前156頁)


 本論の関心のもとにこの問題を改めて捉え直すなら、連作化がもっとも難しい、つまり主題化することが最も困難だとみなされる短歌は、現実世界との戦いにもっとも相応しからざる詩的表現形式だということになろう。
 だが、果たして本当にそうなのか?
 現実世界とは、この場合、散文構造として文学の内部に侵入してくる、生々しい世界の暴力性のことにほかならない。そして、短詩型文学の表現において、その受け皿となるべき対応物が、名に見えるかたちでは記述されない散文構造つまりフォーマット(型式)であった。だが、フォーマット(型式)とて不変の構造であるわけではなく、フォルム(形式)の持つ諸要因、特に五と七の組み合わせが作りだすリズムの新しい衝撃波によって、相互に鍛えられ、また変質しうる性格のものでもあるだろう。
 であるならば、この問いへの答えは、短歌創作の実践の大海のなかに、個々具体的に探っていくしかないだろう。つまり、机上での思索によってはおよそ検証できない領域に入っていかざるを得ないだろう。
 吉本隆明は、かつて、その「短歌命数論」を「定型短歌としての将来の短歌形式を、内容の面から規定するのは、日本の他の詩形の場合と同様に、散文的発想である」と結んでいる。短歌が世界と戦う文学的抵抗を、表現の原理として打ちだせるとしたら、それは散文的原理によって初めて可能になるという大いなる逆説が、実作上で果敢に実践されたその時だろう。1957年に吉本が遺したこの言葉は、恐らくそのことを今も暗に告げていると、私には聞こえるのである。
(続く)


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