2024年夏、題33回オリンピック・第17回パラリンピック競技大会がパリで開催された。朝起きるたびに伝えられる試合の様子や結果、躍動するアスリートたちの姿に目を奪われた。メダル獲得数も多く、どの活躍も輝かしいと思う一方、予想に反した惜敗には胸が痛くなった。
また、開場100周年を迎えた阪神甲子園球場では全国高等学校野球選手権大会が行われ、京都国際高校が決勝戦では史上初めての延長10回タイブレークの末に関東第一高校に2-1で勝ち、初優勝を決めた。頂点に達するのはただ一校。その裾野には甲子園のベンチで、スタンドの応援で、地方大会で、しのぎを削った約3800校13万人もの野球部員たちがいる。雨の中、傘をさして通りかかった川辺の広場で、大声を出しながら練習をしている少年たち。君たちの、いくつかの夢は甲子園。一瞬の輝きのために積まれる、遠くはてしない時間がここにある。
球うける極秘は風の柳かな 正岡子規 『子規句集』
正岡子規は大の野球好きだった。体が鍛えられる上に趣向が複雑なところが気に入って、第一高等中学校時代、東京の宿舎でも球を受ける練習に余念がなかった。子規のポジションはキャッチャーだったというが、この句の「風の柳」は、予想した風の通りに落下するフライを悠々と捕球する野手のイメージだ。キャッチャーボックスにいながら、チームメイトが遠くで球の落ちる位置に動くのを眺めている。風に靡く柳の軌跡を追って、自然のままに見事に捕球する姿を惚れ惚れと見つつ、自らの体験と重ねてこれぞ極意と納得しているのだ。喀血後も生き生きと野球に興じて晴れ晴れしささえ漂う子規のスポーツ俳句は、九人制の野球と同じく九句残されている。
恋知らぬ猫のふり也球あそび 正岡子規 『子規句集』
1987年8月1日発行『現代詩手帖8月号』で、「素晴らしいベースボール」という特集が組まれた。ユニホーム姿の詩人達のアンケートやエッセイが掲載されるなかに、平出隆が「短詩型プレイヤー子規」という論考を載せ、「ベースボールは野卑なダンディズム」と述べている。当時の社会でベースボ-ルは目新しいゲームではあるが、「しゃれとか粋とかとはむしろ反対のものとして見られていた」。それは「ベースボールという競技そのものの属性」であったが、子規の「恋知らぬ猫のふり也球あそび」には「反ダンディズムというかたちの屈折したかなり上等なダンディズムが仕掛けられている」。そして、これは「他愛ない球技のその実践の感覚に支えられている」というものである。野球とは、恋を知らない無邪気な猫のふりをしているようなもの。勝敗に至るまでの試合展開やルールの複雑さ、心理的な駆け引きなど、一筋縄ではいかないベースボールを子規は愉快がり、プレイヤーという実践者として俳句に取り入れたのであった。実物実景を写し取る子規の、実践の次元からの感覚を元に、他のスポーツも見てみよう。
ラグビーの頬傷ほてる海見ては 寺山修司 『花粉航海』
「頬傷ほてる」が句の中心にあるのは言うまでもないが、下五の「海見ては」が絶妙である。海は勇壮で懐深い。けれど10代の頬の生傷に冬の冷たい潮風が当たったらさぞ痛かろう。それでも、ラグビーで全力を出し切ったあとの、青春を象徴する傷は痛くとも鮮やかだ。試合に勝っても負けても、冬の荒海に対峙して、身体の内側深くから湧き上がる充実と自尊が若者の頬傷を熱く火照らせ、誇らしげでもある。そしてもし負けていたのならさらに、傷は痛みと屈辱そのものとして心身に刻まれ、長く青色の熱を放ち続けるのだ。
ブーツもてサッカーボール一蹴す 樋笠文
ブーツで一蹴りするサッカーボールには、どんな気持ちが託されただろう。愛情でも怒りでも茶目っ気でもいい。サッカーボールひとつ、そこに転がるまでのいくつもの物語があり、ボールをブーツで一蹴するまでのいくつもの当事者の物語が重なって、最後はたった一蹴りで決着が付く。決着は付くが全てが終わったわけではない。ボールを蹴った先にボールの受け手がいるはずなのだ。それが自分自身である時も。単純なようで単純ではない、そんな世界中で愛され競技されるサッカーの試合運びを越えて、ブーツで蹴ったボールが描く放物線は開放感に繋がっている。
ヨット駆る雲のひゞきの下にひとり 古家榧夫 『単独登攀者』
学生だった夏休み、友人たちに連れられて小さなヨットに乗ったことがある。琵琶湖のゆたゆたした湖水、船尾で舵棒を持つのが私の役目だった。操るのではなく「持つ」のである。湖は荒ぶる波もなく、オーナーの指示に従い少しずつ動かしていれば大事はなかった。雲高く風白く、湖上のおしゃべりが弾む。そのうちオーナーがセーリングを始める。「ヨット駆る」である。カナヅチだった私はライフジャケットを付け縁にしがみつきながらも、立ち上る白雲がヨットを追いながら「夏だぞ~」と呼びかけてくる気分を満喫した。気楽なものだ。真のヨット乗りであるはずのなかった私。はっと見上げると、雲を背負ったオーナーの眼差しは厳しく、琵琶湖西岸比良山系のかなた遠くに向けられていた。雲を生む太陽と風と水を全身に受け、真っ向から競い合い睦み合ったからこその末の「ひとり」。水上の「ひとり」は水浸しの淋しさに見えた。
観戦はするが競技は不得手な筆者である。中学高校は名ばかりのテニス部員で、練習も大会出場もしたが、得意なのは応援だった。作品を創っていると、テニスコートで続けるラリーを思い出す。ひとつのボールをネットのむこうの相手と打ち合う。素直に足元へ、ちょっと右へ、左へ、ラインすれすれに。これでよかったかな、ボールに聞く。ボールは正直。創作と同じで、及第などあろうはずがない。それでも打ち合う相手がいる。だから、次は決めたい。揺さぶりたい。いつまでも打ち合っていたい。観戦者であっても競技者であっても、やりきるまではまだまだ遠い。