「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句評 素晴らしきかな、スポーツ俳句 新井 啓子

2024年09月17日 | 日記

  2024年夏、題33回オリンピック・第17回パラリンピック競技大会がパリで開催された。朝起きるたびに伝えられる試合の様子や結果、躍動するアスリートたちの姿に目を奪われた。メダル獲得数も多く、どの活躍も輝かしいと思う一方、予想に反した惜敗には胸が痛くなった。
 また、開場100周年を迎えた阪神甲子園球場では全国高等学校野球選手権大会が行われ、京都国際高校が決勝戦では史上初めての延長10回タイブレークの末に関東第一高校に2-1で勝ち、初優勝を決めた。頂点に達するのはただ一校。その裾野には甲子園のベンチで、スタンドの応援で、地方大会で、しのぎを削った約3800校13万人もの野球部員たちがいる。雨の中、傘をさして通りかかった川辺の広場で、大声を出しながら練習をしている少年たち。君たちの、いくつかの夢は甲子園。一瞬の輝きのために積まれる、遠くはてしない時間がここにある。

球うける極秘は風の柳かな 正岡子規 『子規句集』

 正岡子規は大の野球好きだった。体が鍛えられる上に趣向が複雑なところが気に入って、第一高等中学校時代、東京の宿舎でも球を受ける練習に余念がなかった。子規のポジションはキャッチャーだったというが、この句の「風の柳」は、予想した風の通りに落下するフライを悠々と捕球する野手のイメージだ。キャッチャーボックスにいながら、チームメイトが遠くで球の落ちる位置に動くのを眺めている。風に靡く柳の軌跡を追って、自然のままに見事に捕球する姿を惚れ惚れと見つつ、自らの体験と重ねてこれぞ極意と納得しているのだ。喀血後も生き生きと野球に興じて晴れ晴れしささえ漂う子規のスポーツ俳句は、九人制の野球と同じく九句残されている。

恋知らぬ猫のふり也球あそび 正岡子規 『子規句集』

 1987年8月1日発行『現代詩手帖8月号』で、「素晴らしいベースボール」という特集が組まれた。ユニホーム姿の詩人達のアンケートやエッセイが掲載されるなかに、平出隆が「短詩型プレイヤー子規」という論考を載せ、「ベースボールは野卑なダンディズム」と述べている。当時の社会でベースボ-ルは目新しいゲームではあるが、「しゃれとか粋とかとはむしろ反対のものとして見られていた」。それは「ベースボールという競技そのものの属性」であったが、子規の「恋知らぬ猫のふり也球あそび」には「反ダンディズムというかたちの屈折したかなり上等なダンディズムが仕掛けられている」。そして、これは「他愛ない球技のその実践の感覚に支えられている」というものである。野球とは、恋を知らない無邪気な猫のふりをしているようなもの。勝敗に至るまでの試合展開やルールの複雑さ、心理的な駆け引きなど、一筋縄ではいかないベースボールを子規は愉快がり、プレイヤーという実践者として俳句に取り入れたのであった。実物実景を写し取る子規の、実践の次元からの感覚を元に、他のスポーツも見てみよう。

ラグビーの頬傷ほてる海見ては 寺山修司 『花粉航海』

「頬傷ほてる」が句の中心にあるのは言うまでもないが、下五の「海見ては」が絶妙である。海は勇壮で懐深い。けれど10代の頬の生傷に冬の冷たい潮風が当たったらさぞ痛かろう。それでも、ラグビーで全力を出し切ったあとの、青春を象徴する傷は痛くとも鮮やかだ。試合に勝っても負けても、冬の荒海に対峙して、身体の内側深くから湧き上がる充実と自尊が若者の頬傷を熱く火照らせ、誇らしげでもある。そしてもし負けていたのならさらに、傷は痛みと屈辱そのものとして心身に刻まれ、長く青色の熱を放ち続けるのだ。

ブーツもてサッカーボール一蹴す 樋笠文

 ブーツで一蹴りするサッカーボールには、どんな気持ちが託されただろう。愛情でも怒りでも茶目っ気でもいい。サッカーボールひとつ、そこに転がるまでのいくつもの物語があり、ボールをブーツで一蹴するまでのいくつもの当事者の物語が重なって、最後はたった一蹴りで決着が付く。決着は付くが全てが終わったわけではない。ボールを蹴った先にボールの受け手がいるはずなのだ。それが自分自身である時も。単純なようで単純ではない、そんな世界中で愛され競技されるサッカーの試合運びを越えて、ブーツで蹴ったボールが描く放物線は開放感に繋がっている。

ヨット駆る雲のひゞきの下にひとり 古家榧夫 『単独登攀者』

 学生だった夏休み、友人たちに連れられて小さなヨットに乗ったことがある。琵琶湖のゆたゆたした湖水、船尾で舵棒を持つのが私の役目だった。操るのではなく「持つ」のである。湖は荒ぶる波もなく、オーナーの指示に従い少しずつ動かしていれば大事はなかった。雲高く風白く、湖上のおしゃべりが弾む。そのうちオーナーがセーリングを始める。「ヨット駆る」である。カナヅチだった私はライフジャケットを付け縁にしがみつきながらも、立ち上る白雲がヨットを追いながら「夏だぞ~」と呼びかけてくる気分を満喫した。気楽なものだ。真のヨット乗りであるはずのなかった私。はっと見上げると、雲を背負ったオーナーの眼差しは厳しく、琵琶湖西岸比良山系のかなた遠くに向けられていた。雲を生む太陽と風と水を全身に受け、真っ向から競い合い睦み合ったからこその末の「ひとり」。水上の「ひとり」は水浸しの淋しさに見えた。

 観戦はするが競技は不得手な筆者である。中学高校は名ばかりのテニス部員で、練習も大会出場もしたが、得意なのは応援だった。作品を創っていると、テニスコートで続けるラリーを思い出す。ひとつのボールをネットのむこうの相手と打ち合う。素直に足元へ、ちょっと右へ、左へ、ラインすれすれに。これでよかったかな、ボールに聞く。ボールは正直。創作と同じで、及第などあろうはずがない。それでも打ち合う相手がいる。だから、次は決めたい。揺さぶりたい。いつまでも打ち合っていたい。観戦者であっても競技者であっても、やりきるまではまだまだ遠い。


俳句時評186回 多行俳句時評(12) 鏡の父、這這の父 斎藤 秀雄 

2024年07月29日 | 日記

 前回(「俳句時評182回 多行俳句時評(11) 閉じによる開き」)、上田玄の第二句集『月光口碑』から二作品引いて読んだ。上田玄には多行俳句集が二冊ある。もう一冊が、第三句集『暗夜口碑』。今回はこの句集から引いて読んでみたい。なお、『暗夜口碑』には多行連句ともいうべき、清水愛一氏との「連弾・水の指紋」が併録されており、これが抜群に面白いため、読者諸賢には、ぜひ手にとってお読みいただきたく思う。

撃チテシ止マム
父ヲ

父ハ

 上田玄句集『暗夜口碑』より。一行目。《撃チテシ止マム》とは、『古事記』の久米歌から引用された、第二次世界大戦中の大日本帝国のスローガン。「うつ」(攻め滅ぼす、殺す)+「し」(強意の副助詞)+「やむ」(終わる、なくなる)+「む」(意志の助動詞)で、「敵をやっつけて終わろう」の意。ようするに「敵を倒すまで戦いは終わらない」ということだ。
 上田がいうところの《「銃後想望」とでもいうべきモティーフ》(「あとがき」)を中心にした、本句集第二章「耳塚」の冒頭にあって、本句は、文字通り戦時プロパガンダ用語ではじまる。戦時プロパガンダは戦場ではなくむしろ銃後において必要とされるのだろうけれども(だから「銃後想望」なのだろう)、《撃チ》の語が、否応なしに、銃をかまえた兵士の汗と、硝煙の匂う戦場を想起させる。
 ところが、第二行の《父ヲ》に移るとき、奇妙な屈折が生じる。《撃チテシ止マム》には、二つの主語と一つの目的語が省略されている。「誰が」「誰を」撃ち、「何が」止むのか。自明であるから省略されているわけだが、「我々(自国民)が、敵国を撃ち、戦争が止む」はずである。屈折は、「敵国」つまり目的語の位置に《》がすべりこむことで生じている。心象における、戦場の敵兵士の姿が《》の姿に変貌する。
 三行目の空行ののち、第四行において《父ハ》と主語が介入することで、さらに屈折は増す。一つの円環、不気味なウロボロス、向き合った鏡像が完成する。二枚の鏡、向かい合った鏡が、互いに撃ち合い、同時に砕け散る。通俗的な「父殺し」の物語からはズレた(ひねくれた)、襞が描かれている。これを「襞」と呼ぶのは、ここに描かれた《》、二個の《》は、たんに「鏡を映す鏡」であるだけではなく、語り手にとっての投影的鏡像(imaginaire)、自己投影による棄却(abjection)であるからだ。その意味でたしかにこれも「父殺し」であるし、同時に「我殺し」でもあるのだろう。
 ひどくつまらない、というか下品な読み方もできるかもしれない。戦場に出ているのは《》である。敵軍の兵士も誰かの《》である。うんぬん。戦争とはそのように悲惨である(からやめよう)とも、戦争とははらからを守るための戦いである(から英霊を讃えよう)とも、《》のトップが天皇なのだとも、いかように警句的・箴言的メッセージを読み取ることも、可能ではある。可能ではあるけれども、やはり退屈であろう。
 余談になるが、「撃ちてし止まむ」の後半「止まむ」の、通例の現代語訳は「戦争を終えよう」となっているようだ。「む」は未然形接続の助動詞だから、「止ま」は四段活用の自動詞「止む」の未然形、となるのではないか。自動詞だから、目的語をとらない(「戦争が終わる」のであって「戦争を終える」のではない)。他動詞の「止む」は下二段活用で、もしも「戦争を終えよう」と目的語をとるかたちにするならば、「止めむ」となるのではないか。いや、記紀歌謡時代の文法・語用法にかんしてまったく素人だから、これは僕のたんなる素朴な疑問に過ぎないのだけれど(他動詞「病む」の意味の「やむ」には四段活用がある。語源が同じなのだろうか)。末尾の「む」を「意志」の意味で現代語訳するのは、主語が一人称(ここでは「我々」だろうから、一人称複数)だからだが、もし「戦争が終わる」と、「止む」を自動詞とするならば、「推量」の「む」ではなかろうか。しかし推量より意志の方が、なんだか勇ましく感じられるのかもしれない。

この春も
ものの芽湧かず
父は
 漂着

 上田玄句集『暗夜口碑』より。一行目。《》というわけだから、反復して物事が生じている。二行目《ものの芽》は仲春の植物季語。手元の歳時記には《特定の木や草の芽ではなく、木の芽も草の芽も引っくるめて、春になって芽吹き萌え出るいろいろな芽の総称》とある。今年の春も、草の芽さえ萌えることがなかった、というのだから、ここまでで、ポスト・アポカリプス的な荒廃した世界が提示されていることが分かるし、卑近な連想をするなら、80~90年代の「核戦争後の共同性」を懐かしく思い出すことも可能かもしれない。
 ここに、異物が混入する。三行目から四行目にかけての、改行・一字空け(ないし字下げ)を無視し、かつ、動詞を補って、「父は漂着する」とひとまず読んでみても、不当ではあるまい。豊かな土地を探るため、この不毛の地を出ていた《》が、どこかの島に《漂着》した――と読んでみても、矛盾は生じないものの、どこか不自然な感触が残る。そうしたストーリーをここで語る、というテクスト内の文脈が無い(見えない)からだろう。
 ここで《》は、この不毛の地に《漂着》したのではないか。俳句の慣習にしたがって、特段の断りが無い限り、語り手は語りの内部を一定の範囲から観察している、と想定することによってであるが――つまり語り手は、視座をこの不毛の地からどこか別の島へと瞬間移動させてはいない。なにより、《この春も》という書き出し、語り口は、「この不毛の地」という特殊な一地域についての、限定的語りではなく、世界についての語りであると感じさせる。この作品にとって、《ものの芽湧かず》とは、世界についての記述なのだ。
 流された蛭子のように(世界各地の神話で追放される「忌み子」は、ヘゲモニーを握ったグループが、劣位に陥ったグループの神を、象徴的に滅ぼしたことの痕跡(ないし痕跡を消した痕跡)であるだろう)、《父は》どこかで失われ、突如としてここに現れる。前掲句において《撃チ》斃され、鏡の奥へ散り消えたあの《》が、ここで蘇ったというのだろうか。いや、まだ《漂着》したことが分かっただけであり、生死不詳ではあるのだが。上田俳句において《》の出現頻度は高い。したがって、我々読者にとっては「さて、今度の《》はどの《》なのだろう」と腕組みしてみせることが、まずは礼儀であるはずだ。
 もったいぶらずに一息に個人的な(確信にも似た)妄想を告白させていただくならば(この手の妄想はおおむね不当さを逃れられないが)、この《》は、重信の《船長》なのではないか。むろん、重信句における《船長》は、重信の顔をしている。その意味で、《撃チテシ止マム》句の《》とは決定的に異なる。そこで《》は上田玄の顔をしているからだ(僕は上田氏の顔を知らないけれども)。
 もちろん上田氏が重信を象徴的父と考えていたなどというエビデンスはないし、《》と呼ぶ「不敬」を犯してみようという意図が感ぜられるというのでもない。重信句の《船長》が、口笛でも吹きながら、飄飄とどこまででも平泳ぎで泳いでゆく姿かたちをしているのに対し、ここでの《》は、うっかり足を攣りでもしたのか、這這の体で岸に打ち上げられた、無惨な姿かたちをしている。こうした無惨さ、というよりも涙ぐましさは、《ものの芽湧かず》ところの上田世界に、なんとか取り入れ、同化しようとすることの、結果ではなかろうか。むろん、完全に、ないし「正常に」同化されることはなく、他者として、異物として残り続ける。上田俳句に感ぜられるメランコリーは、こうした点に見出すことができるのである。

 


俳句時評185回 川柳時評(12) 安定か、嵐の前か 湊 圭伍

2024年07月29日 | 日記

 前回(5月)の後、川柳以外のことで意識がもっていかれる状況が続いていたので、この記事を書くのはほぼリハビリの気分。何より困るのは、前回から今回までに起こった事柄と、それ以前に起こった事柄の区別がぼんやりしていて同時代感覚をすっかり喪失しており、時評らしい時評になりそうにないところだ(と言っても、よく考えれば、これまでも時評らしい記事を書いていたかというとあやしい)。
 とりあえず、前回とりあげられなかった情報としては、まつりぺきん編『川柳EXPO 2024:投稿連作川柳アンソロジー』と月波与生編『さみしい夜の句会 第Ⅲ集』(満天の星)という二冊の川柳(中心)のアンソロジーが出版されたことがある。
 『川柳EXPO』は2023年より出版が始まって2回目、まつりぺきん(という柳名[雅号]です)がネットで呼びかけて、参加者が投稿した20句連作をまとめたもの。20句連作といってもコンセプチュアルに徹底的に連作を目指した20句から、とりあえず20句出してみましたというもの(すみません、私の作品はこっちです……)まで、連作意識には大きな幅がある。それも含めて、各人の自由度が高いのがこのアンソロジーの魅力だろう。68人の1,360句ということで読みごたえ十分である。2024版では、昨年にはなかった「特集」が最初に置かれており、川柳の「読み」がフィーチャーされている(「特集 先生!正直、川柳ってどう読めばいいのかわかりません」)。「どう読めばいいのかわかりません」って、そんなん自分の好きなように読めばええんや! とも言えるのだが、最初の記事ではおせっかい精神を出したこの私が川柳を読むときのアプローチ法をいくつか紹介しております。また、川合大祐を始めとする川柳作家が一句評を書いており、巻末には小池正博による掲載作品の評も載っている。合わせて読むと、川柳を見てカンカンガクガクできるようになること請け合いである。
 『さみしい夜の句会 第Ⅲ集』は、旧Twitter(現X)で常時ひらかれているハッシュタグによる句会、「#さみしい夜の句会」の投稿メンバーに、主催の月波与生が呼びかけて、こちらも1人20句でアンソロジーにしたもの。『第Ⅲ集』とあるように、今年で3回目の企画で、『EXPO』と比べたと基調としては、「#さみしい夜の句会」が川柳以外の俳句や短歌、自由詩に門戸を開いているので、このアンソロジーの掲載作品も川柳だけではないというところだ。参加者のエッセイも収められていて、人間的なバックグラウンドが感じられたほうが作品も安心して読めるという向きにはこちらがおススメかもしれない。
 この2つのアンソロジーは私も参加しているので、どうしても宣伝になってしまう。他の動きとして手元にある資料に移りたい。
 ネットプリント「zone川柳句会 vol. 100記念句会」は、しまもと莱浮といわさき楊子が主催している夏雲システム利用のWeb句会(この記事を読む人は当然「夏雲システム」は知っている、という理解でよろしいでしょうか)。月2回というけっこうなハイペースで行われているとはいえ、100回だから期間としてもそれなりになるだろう。新型コロナ禍において一気に増えた川柳のweb句会だが、続けていくのはなかなかに骨である。zone句会は主催に安心感がありそうと見える。
 掲載作品から引く。

百合子と民の密度を測る       雪上牡丹餅
ステッキを百回突いて花にする    石川聡
新宿がどう変わろうと他人事     樹萄らき
藩内の盆踊り派とパラパラ派     しまもと莱浮
きくらげが百枚生える口の中     森砂季
私の歩道橋から落下する       千春
点つなぐ福音館のやもりたち     尼寺透
ソフィストの吐息を追って百足逝く  成瀬悠
夏の終わりのQRコード        いぶき
乾かぬよう河野春三のインク     いわさき楊子
一〇〇とワルツを踊る二〇〇の眼   いなだ豆乃助

 全体の雰囲気としては、ネット川柳と、川柳大会などの川柳がほどよく混ざっているという感じである。
 『川柳EXPO 2024』、『さみしい夜の句会 第Ⅲ集』、「zone川柳句会 vol. 100記念句会」と読んでみて思うのは、このよく混ざった感じとして、近年にネットを舞台に川柳を始めた人たちの句がひとつの安定したところへ収まりつつあるのではないか、ということだ。ほんの2、3年前は個々の作家、さらには個々の作家のそれぞれの作品も、どっちに向かっていくかまったくの不明で、それが面白くもあり、危なっかしくもあったのだが、今は、川柳というジャンルとして、それ以前から川柳を書いているメンバーと比べても特に違和感なく読め、納得ができる。
 ここから個々の作家が突出して飛び出していくこともあるだろう。だが、より期待したいのはこのぼんやりとした、ただし、一定のレベルを言語表現として継続して生み出すようになったまとまりが、全体としてもっと新しい方向へ転がり始めることで、それが起こるとすれば、それほど先のことではないだろうなと考えている。

 どうも、中途半端に時評っぽくなってしまった気がします。ので、余計なことを付けたし。
 最近、松山の古本屋で、川俣喜猿編『雀郎の川柳学校』(葉文館出版、1997年)という本を見つけて、へー、こんな本あんねんなー、という気分で購入。「雀郎」は、六大家(第二次世界大戦戦前・戦後にかけて活躍した川柳の代表的指導者)の一人、前田雀郎。同じく六大家に数えられる川上三太郎や岸本水府のように派手な活躍はしなかったものの、評論の面ではもっとも説得力があり、現代でも通用するような視野をもった労作(例えば、『川柳探求』)を残しています。
 『雀郎の川柳学校』は弟子の喜猿が、雀郎の句文をコンパクトにまとめた書です。いちばん最後に「雀郎のことば」として、「師匠」の箴言をまとめているのですが、そこからいくつか引いてみます。

 川柳は誰にもつくれる詩であるが、誰にもつくれるような句をやめて常に一歩深くさぐるべきである。

 川柳はしばしば非詩のそしりを受けることがあるが、人間の探求が、その目的である限り、当然であって、そこにこそ寧ろこの詩のユニークな姿を思うべきである。

 他人の姿を借りて、我が感情を述べる、これは小説的手法である詩歌の中にあって、ひとり川柳が小説的、戯曲的、要素を多分に持つのはこのためであり、川柳の普遍性もまたここにある。

 川柳があらゆる人の共感を得るということは、この詩が、その作品の中に作者私、即ち個性を主張せぬからである。没個性の詩、川柳が社会性を持つ所以である。

 材料とは内容、料理法とはその表現方法、川柳における内容というものは表現を得て、初めてそこに生まれるものであって、表現を離れて存在するものでない。

 観察は不断に新しきおどろきを生む。


 言葉の選び方には今からみるとちょっとなあと思うところ(例えば、「人間」とは何ぞや?)もありますが、今に上手く翻訳できれば役に立ちそうなアイデアが並んでいると思います。


俳句時評184回 『夜景の奥』と『日々未来』 横井来季 

2024年07月02日 | 日記
 今月七月号の『俳句』(KADOKAWA)で、板倉ケンタが田中裕明賞についての論評を書いていた。そこでは、田中裕明賞が選考委員の交代にともなって賞の性格が教育的方向にピポットしているという指摘がされている。

 この論評は、あくまで賞の性質が主題にあたるため、言外に滲ませてはいるが直接的に受賞作について評価を下してはいない。ただ、私としては、賞の前に作品があるのだから作品の鑑賞なしに賞の性質を論じるのは、一段飛ばしで階段を上っているように感じた。なので、本稿で受賞句集の、主に物足りなさについて書こうと思う。

 まずは、浅川芳直『夜景の奥』(東京四季出版)である。編年体の句集である。

砂溜る破船の中や南吹く

 本句集では、もっとも良いと感じた。漠々とした雰囲気を醸し出しながら、描写されているのは、破船の中の小さな細部である。南風によって、破船の中の砂粒が震えている。

 ただ、全体として、安定してはいるが、物足りないところもあった。俳句の骨組みはあるが、それで成り立っているような印象も受ける。特に、編年体とはいえ、第一章の「春ひとつ」には、作品の改作が必要なのではないかと感じた。

〈剣道大会〉
一瞬の面に短き夏終る
約束はいつも待つ側春隣


 などの句は、私ならば収録しないように思う。編年体とは言っても、発表当時のものと一言一句同じものにする必要はなく、改変や脚色をしてもいいと思うのだが、おそらくは、そのまま発表している。編年体が句集全体の完成度にあまり貢献していないようにも思えた。むしろ完成度をあえて抑制しており、そこが物足りなさに繋がる。
 ただ、だからこそ、「受賞をきっかけに作者の成長を期待する」という評価につながっているとも、同時に思う。私としては、本句集は編年体をとることによって、完成度とバーターに作者の成長性を演出したように感じられた。

 次に、南十二国『日々未来』(ふらんす堂)。

たんぽぽに小さき虻ゐる頑張らう
蟹がゐてだれのものでもなき世界


 本句集では、世界・宇宙・地球などを詠み込み、大きな枠組みを感じさせる一方で、「たんぽぽに小さき虻ゐる頑張らう」など、一人の生活者を感じさせる句も同時に詠んでいる。この句集の作中主体は、世界という枠組みと、今存在する自分という枠組みの対比を常に意識しているのだと思う。そのため、全体的に句の世界が広い。

 こちらも編年体の句集であるが、ただ、こちらについては、序盤と終盤であまり差異が見られず、良くも悪くもずっと同じように書いているように感じた。

 新鮮な瞬間が多く描かれているが、その手法の安定性については、むしろ物足りなさがある。

息白き「おはよ」と「おはよ」ならびけり
「寝よつか」と言へば「寝よつ」と夜の秋


 たとえば、この二句を並べてみると、全く同じ手法で作られていることが分かる。そうした点で、作風は深化し、手法は変化させていくのが良いのかも知れない。

 ただ、長期間、作風を変えずに詠むというのは、それだけでも大変なことだ。自分の作風に自分で飽きる段階を通り抜け、それでも自分を貫いている点で、『日々未来』には好感を抱いた。

 最後に、本稿では『夜景の奥』と『日々未来』の物足りなさについて書いたが、一読者として全く楽しめなかったかと言えば、そうではなかったと付け加えておきたい。両句集とも、佳句は多く収録されていたと思う。田中裕明賞をとってもとらなくても、作品自体の質は変わらない(取り上げられる機会はもちろん増えるが)。そう考えると「田中裕明賞受賞」という経歴は単なる付箋であって、読者側が剥がして読めばそれでいいのだと思う。

俳句時評183回 令和の海俳句鑑賞 三倉 十月 

2024年05月30日 | 日記
 東京の西側出身である私は、これまでの人生で一度も海の近くに住んだことがない。私にとって海と言えば、子どもの頃は夏休みに親に連れて行ってもらう海水浴、長じてからは友人たちと遠出して遊びに行く場所、そして旅先でふと目にしてテンションが上がる場所。私にとっては海は、そうした特別な非日常の場所だ。

 ところが学生時代、将来どこに住みたいかという話を友人二人としていたところ、二人とも「海の近くじゃないと絶対に無理」と言うので驚いた。そんな条件があること自体が、新鮮だった。二人は海の近くの町の出身で、大学も海から近いと言えば近く、二人の下宿も海側にあった。(私はと言うと、海から遠い実家から2時間かけて通っていた)それから、「日常の中に当たり前に海がある生活」というものに、若干の憧れを抱いている。

 さて、コロナ禍以降、何度か家族で海に行った。マスクが必須の時期であっても、他者との距離が取りやすく、それ以上に海風が心地よい浜辺では、ウィルスのことなど気にしないでよく、その開放感にすっかり虜になった。その延長で、今年のゴールデンウィークは神奈川県、三浦半島の某所に貸別荘を借りて数日滞在した。この試みも実は四回目で、疑似的な海のそばの暮らしと言うものを楽しんでいる。

 ということで、今回は海の句を選んでみた。大きな海もいい。遠い海も、身近な海もいい。怖い海も、楽しい海も、記憶の中にある海もあるだろう。色々な海を行き来しつつ、鑑賞してみたい。


海水で洗ふあしゆび百日紅 森賀まり
 
 足先を海水に浸す、ただそれだけのことでも、普段海に触れない身には特別な経験である。真夏であればなおさらだ。サンダルの隙間から入った砂をさらりと洗い流す心地よさ。その足で浜辺を歩けば、また砂まみれになることはわかっているから、なかなか上がることができない。「百日紅」の色の濃さ、強さが夏の思い出に美しいコントラストを添える。

脱ぎ捨ての水着表も裏も砂 野崎海芋

 沖に出るようなマリンスポーツをしている人は別として、海で泳ぐことと砂にまみれることはほぼ同義である。去年の夏、家族で海に行って久しぶりに実感したのだが、海水浴をすると驚くほど水着の内側にも砂が入り込む。海から上がった子らの水着を濯ぎながら、砂を愛さずに、海だけを愛するのは難しいなと思う。

陸にゐる母に浅利を見せにゆく 小野あらた

 こちらは春の海の、潮干狩りの景だ。作中主体は子どもなのだろう。一緒に干潟で、潮干狩りをするわけでもなく、安全なパラソル、あるいはテントの下にいる母のところに向かっている。そこを「」と呼ぶのが面白い。まだ地面に足は付くけれど、生命あふれる干潟も立派な「海の中」だ。

ゆく夏の光閉ぢ込めシーグラス 金子敦

 浜辺で子供が喜んで拾うのがシーグラス。思い出用の小瓶には、貝殻とシーグラスが詰まっている。シーグラスには角が取れて、全面がすべすべの「曇りガラス」質感になっているものと、まだ割れた角が残りやたらと光るものがある。掲句のように、全ての光を閉じ込めてすべすべしたものを持ち帰る。このガラスはいくつの夏を通り過ぎて、すべすべのシーグラスとなったのだろうかと、思いを馳せつつ。

敷物のやうな犬ゐる海の家 岡田由季

 日陰だろうと、海風が心地よかろうと、真夏のビーチは暑いのである。海の家でぺったりと寝ている犬が、さらに溶けて、色合いや質感も少し敷物みたいになっているのが可笑しい。余談だが、猫が液体かどうかを検証したフランスの科学者の研究がある(イグ・ノーベル物理賞を受賞)。犬も場合によっては、そうなるのかもしれない。

川と海押し合ふところ春の鴨 岡田由季

 町中から続く小さな川が海に流れ入る河口は、じっと見つめて居たくなる。潮の満ち引きや、天候によって、まさに「川と海が押し合」っているのを見るのが面白い。葉山の森戸大明神隣にある、森戸川の河口もまさにそんな感じで、橋の上からついつい眺めてしまう。海水と淡水のはざまを、春の鴨が右に左に揺れている。小鴨の泳ぎの練習にはちょうどいいかもしれない。

海見えて見えなくなつて墓参 岡田由季

 少し離れた場所から見る海の句。高台にある霊園なのだろう。場所によって、海が見えたり見えなかったり。晴れた日に、遠く光る海が見えるのはきっと美しいだろう。薄暗い日にとどろく海は、少し恐ろしいかもしれない。今は静かな海を見つつ、この場所から故人が見る日々の海の移り変わりを想う。

夏鳶や段々畑の果ては海 太田うさぎ

 こちらも遠くから見える海の景。だけど、こちらの句は海を見ようと思っていたわけではないように感じる。山間の中に続く段々畑、昔ながらの景色。自然の中にある人間の営みを目で追っていくと、その果てに海があることに気づいた。夏の鳶が、海へと続く空の高いところを飛んでいく。はっと視界と同時に世界が開けるような、美しい気付きだ。

愛日の海にあそんで大人たち 岩田奎

 「愛日」とは冬の日差しのこと。冬の海で遊んでいるのは、子どもではなく大人たち。かつて、海で遊んだ楽しい思い出があるからこそ、冬であっても海を見たら無邪気になれるのかもしれない。海に入ることはできなくても、天気の良い日に浜辺に出たら、走りたくなるのはちょっとわかる。

麗らかや雲のごとくに魚死にて 阪西敦子

 こちらの句は、春の砂浜の景だと思って読んだ。ぷかぷかと白い腹を上にして、死んだ魚が浮いている。やっと春らしい気候になってきて、気持ち良く浜を散歩していたら、いきなりそんなものが目に入り、少しギョッとする。でも優しい波に上下しながら、揺れているその姿はなんだか雲みたいでもある。そう思って見ると、この「麗らか」な日の一場面として面白く感じるから不思議だ。

初桜日はぽつかりと海にあり 藤井万里

 せっかく桜が咲き始めたのに、曇りの日なのだろう。ただ遠い海の上だけが、「ぽっかりと」晴れて光が当たっている。薄暗い海の一部だけきらきらと光っているのは、まだ花の無い桜並木の一部だけ、ぺかりと咲いた花のようだ。雲はそのうち晴れるし、桜もすぐに満開になる。

海流の深み想へる夜業かな 内野義勇

 この句にあるのは、記憶にある海だ。そして、身のうちに抱える概念としての海だ。しんとした夜に一人で作業をしつつ、思考を深めて行くときに、水面が静かな海にも深いところまで潜る流れがあることを想う。夜の深さと、海流が、己の中で響き合っている。

いつせいに魚影の流る冬障子 佐々木紺

 自分の深いところにある海もあれば、異界の象徴としての海もある。障子の向こうは、本当は寒々しい冬の廊下なのに、ふと「魚影」が過る。夢か、幻影か、わからない。だけど不思議な「あちら側」が、海であることは確かだ。幼い頃、熱を出した時に見る夢のような世界観。

晩鐘や水母に水母映りをり 田中亜美

 近くの寺から聞こえてくる鐘は、目が届くすべての場所に響いている。そしてそれは、暮れ始めた海にも響く。水の中にまで、鐘の音が届くのかはわからない。いや、きっと届いてはいないだろう。暗さを増していく海の中では、鐘のような形をした「水母」が、ちらっちらっと光りあっている。海が異界であることを想う時に思い出すのが、この句である。

われも引き残されしもの大干潟 片山由美子

 最近、小学生のわが子と共に進化論の本を読んでいる。人類の祖先となる生き物は何億年も前に陸地に上がり海を去った。ずっとそう思っていた。だが、この句を読んではっとする。明確に分かれている、あちら側とこちら側。海もまた、我々が去った後にその姿を大きく変えたのだろう。その境界である「大干潟」を見ながら、あちらから取り残された不思議を想う。かつては我々を包含していた大きな海と、小さな私の対比だ。



出展
週刊俳句
セクト・ポクリット 【夏の季語】海の家

『天の川銀河発電所 現代俳句ガイドブック Born after 1968』佐藤文香編著(左右社)
『季語の科学』尾池和夫(淡交社)

句集『しみづあたたかをふくむ』森賀まり(ふらんす堂)
句集『浮上』野崎海芋(ふらんす堂)
句集『シーグラス』金子敦(ふらんす堂)
句集『中くらゐの町』岡田由季(ふらんす堂)
句集『膚』岩田奎(ふらんす堂)
句集『また明日』太田うさぎ(左右社)
句集『金魚』阪西敦子(ふらんす堂)
句集『平面と立体』佐々木紺(文學の森)