渡辺玄英「シンゴジラへの道」全4回

2016年12月から2017年3月第4土曜日の4回渡辺玄英「シンゴジラへの道」を掲載いたします。

連載エッセー シン・ゴジラへの道 第3回 ゴジラという戦後 渡辺 玄英

2017-02-14 08:25:42 | 日記
 1970年、カンヌ国際映画祭でパルムドール賞を『MASH』(ロバート・アルトマン監督)が受賞する。朝鮮戦争でのアメリカ陸軍野戦病院を舞台にしたブラックコメディだ。凄惨な戦争の現実は、狂った悪ふざけでしか中和できないことが観客に伝わってくる名作だった。当時アメリカはベトナム戦争のさ中であり、本作は朝鮮戦争に材をとったベトナム戦争反戦映画と解釈できる。カンヌでは、この後の十年間に、『タクシー・ドライバー』と『地獄の黙示録』もパルムドールを受賞するが、ベトナム戦争の狂気に染まるこの二作品と『MASH』を見るだけでも、当時のアメリカが如何にベトナム戦争の傷を深く受けていたか理解できるだろう。
 話を朝鮮戦争の時代に戻そう。北朝鮮軍は1950年6月に侵攻を開始し、8月には半島の大部分を勢力下に収める。韓国軍と米軍は釜山に追い詰められてしまい、朝鮮半島から撤退するか、釜山を死守するかの局面(釜山橋頭保の戦い)になっており、そのころには日本においても厳しい戦況が新聞等で報道されていた。
 この状況が、当時の占領下の日本に影響を及ぼさないわけがなく、1950年8月に現在の自衛隊のルーツにあたる〈警察予備隊〉が設置されている。つまり、朝鮮戦争のために占領していた米軍の大半が半島に移動し、また日本にも飛び火しかねない情勢が、警察予備隊、ひいては自衛隊を生んだのである。さらに、翌年51年にはサンフランシスコ講和条約が結ばれ、52年4月に日本は占領下から抜け出すことになる。また、朝鮮戦争による特需が、戦後日本の高度経済成長の切っ掛けになったわけであり、朝鮮戦争という出来事がなければ、敗戦後の日本の歴史は別のコースを辿っていたかもしれない。

 映画『ゴジラ』はこうした時代に誕生した。1954年11月に封切られると、一番館(封切館)だけで900万人を超える観客動員を記録する異例の大ヒットになる。説明するまでもなく、日本の怪獣映画の原型であり、2016年の『シン・ゴジラ』への道のりの始まりであった。
 この作品の切っ掛けは、1954年3月の〈第五福竜丸事件〉だった。ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験のため、近海で操業していた第五福竜丸は死の灰を浴び、乗員たちが被曝した。かれらは無線を絶ち、気取られないように日本を目指したという。もし自分たちが被曝したことをアメリカに知られると、証拠封じのために船諸共沈められることを恐れたのだった。日本に帰還したかれらはこの事実を報告し、水爆実験の巻き起こした悲劇が世界的に知られることになった。その後、乗員の一名がこの被曝により死亡している。広島長崎に続く核の犠牲者だった。
 3月の第五福竜丸事件を切っ掛けに、初代の『ゴジラ』(本多猪四郎監督、円谷英二特技監督、1954年東宝映画)が企画される。まだ占領が終わって、二年余り。同じ年の7月に自衛隊が発足したばかりのためか、映画の劇中では、軍事組織の名称が安定しておらず、防衛隊と呼ばれている。そして何より注意したいのは、大東亜戦争(太平洋戦争)の大敗北から九年しか経っていないのである。想像してもらいたい。ほとんどの日本人が悲惨な戦争の体験者なのだ。傷を負い、死線をくぐり、友人や家族を失った人たちばかり。空襲を経験し、夜空にB29爆撃機を見あげ、火に追われ、焼野原と焼死体を知っている人たち。戦後の混乱と食糧難、衣食住を確保する苦労を経験し、闇市を当たり前の風景として知っていた人たち。朝鮮戦争が始まったとき、また戦争になるのではと恐れた人たち。こうした人たちが、初代の『ゴジラ』を作ったのだった。わたしたちはその事実を忘れてはならない。それを前提にしなくては『ゴジラ』の理解は困難に違いないのだ。戦争の惨禍を経験し、やっと復興の手ごたえを人々が感じていた時期に生まれた『ゴジラ』は、間違いなく時代の落とし子なのだった。
 初代『ゴジラ』には、こうした戦争の傷跡が随所に見られる。具体的なシーンとしては、国電の車内でゴジラを話題にする男女が、長崎で原爆を逃れたのに今度は水爆の影響で現れたゴジラに怯えなくてはならないと愚痴をこぼす場面の「折角、長崎の原爆から、命びろいしてきた大切な、身体なんだもの」という台詞や、ゴジラが破壊する銀座のビル街で、おそらくは戦争未亡人の母親が娘を抱きしめながら「お父ちゃまの処へ行くのよ、ね、もうすぐもうすぐお父ちゃまの処へ行くのよ」と語る場面がある。そして、ゴジラを屠る〈オキシジェン・デストロイヤー〉の開発者、芹沢大助博士は戦争で右目を失っている。
 芹沢博士は『ゴジラ』の真の主人公といえる重要な人物だ。表層的には尾形秀人(宝田昭)と山根恵美子(河内桃子)、その父親の山根博士(志村喬)の露出が多く、とりわけ恋人同士である尾形と山根恵美子の二人を軸に物語は進んでいくが、芹沢(平田昭彦)が担ういくつもの葛藤こそがドラマに深い陰影を与えている。
 敗戦後の日本という時代背景から『ゴジラ』を読み解く場合、本作が〈戦争の傷〉をどのように描こうとしたかは重要な問題になる。芹沢は、劇中において最も心身に戦争の傷を負った人物であり、戦時中の軍事研究の罪悪感に苛まれ、科学の可能性と危険性に引き裂かれる人物であり、ゴジラという一種の神、あるいは怒れる自然、あるいは核が引き起こした惨禍を、我が身をもって鎮める役割を引き受けた存在なのだ。
 芹沢の婚約者だった山根恵美子は、いまや尾形と恋仲であり、恋愛においても芹沢は傷を負っている。映画の最後に芹沢は、恵美子と尾形という戦争禍を感じさせない新時代の恋人たちに「幸福に暮らせ」と言い残して死を選ぶ。旧時代(戦争の責任)に自分なりの決着をつけて、新時代に希望を託して滅んでいった(滅びるほかなかった)、とも解釈できる。
 前稿では、映画『キング・コング』が当時のアメリカの文化状況を反映し、白人西洋文明と科学至上主義の視点から成立した作品であると指摘した。一方、『ゴジラ』は日本の戦後状況と科学文明への懐疑から成立した時代の落とし子と言えるだろう。加えて、当然ながら日本文化の総体から深い影響を受けている。第三回の本稿では、まず『ゴジラ』と敗戦後の世相との関係から考察してみた。次回では『ゴジラ』とは何者なのかをさらに考えてみたい。
(第三回 了)

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