正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

縁に触れて悟りを得る境界「縁覚」

2005-11-19 | 十界論私考集

 縁覚とは、辟支仏・辟支迦羅の訳で、因縁覚とも独覚ともいいます。二乗の一つで、声聞縁覚(メメヨヨ)とあわせて引用されることがあります。
 仏の教導に依らずに自ら理を悟り、自利の行に努め、静寂を好み、利他である他人のことを余り考えない聖人・聖者です。自己中心的になる欠点があります。
 日蓮大聖人は縁覚界について『十法界明因果抄』に、
「第八に縁覚道とは、二有り。一には部行独覚(ぶぎょうどくかく)、仏前に在りて声聞の如く小乗の法を習ひ、小乗の戒を持し、見思を断じて永(よう)不成仏の者と成る。二には麟喩(りんゆ)独覚、無仏の世に在りて飛花落葉(ひけらくよう)を見て苦・空・無常・無我の観を作し、見思を断じて永不成仏の身と成る。戒も亦声聞の如し。此の声聞縁覚を二乗とは云ふなり。」(御書212)
と御教示です。独覚には「部行独覚」と「麟角喩(りんかくゆ)独覚」の二つがあります。部行独覚とは、前三果の声聞が第四果を得る時、教を離れてひとり勝果を得ることをいいます。麟角喩独覚とは、麟の一角のように独居して百大劫に菩提の資糧を修行して道を悟ることです。
 法華経以前の教えでは、声聞と縁覚は成仏できないと説きます。しかし、法華経では、二乗作仏を説きます。権実相対を示す上で大事な法門です。
 縁覚界の衆生は「飛花落葉」により世の中を悟ります。また「十二因縁」を観じて、断惑証理(迷いを断って法理を悟る)し悟りを得ていきます。
 無仏の世に師なくして独り悟る故に独覚といいます。天台の方では、仏世に十二因縁を観じ悟りを得る者を縁覚とし、無仏の世に飛花落葉などの外縁によって独り悟りを得る者を独覚としています。
 声聞と縁覚の衆生は世の中に、様々な姿で存在します。仏道以外では、勉学に勤しむ人も、声聞縁覚の生命です。学者や識者など世間的にも地位が高い人の命です。 
 大聖人は声聞縁覚が成仏できない根本原因について『開目抄』に、
「大集経に云はく『二種の人有り。必ず死して活(い)きず、畢竟(ひっきょう)して恩を知り恩を報ずること能(あた)はず。一には声聞、二には縁覚なり。譬へば人有りて深坑(じんこう)に墜堕(ついだ)せん、是の人自ら利し他を利すること能(あた)はざるが如く、声聞縁覚も亦復是の如し。解脱の坑(あな)に堕ちて自ら利し及以(および)他を利すること能(あた)はず』等云云。外典三千余巻の所詮に二つあり。所謂(いわゆる)孝と忠となり。忠も又孝の家よりいでたり。孝と申すは高なり。天高けれども孝よりも高からず。又孝とは厚なり。地あつけれども孝よりは厚からず。聖賢の二類は孝の家よりいでたり。何に況んや仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし。」(御書529)
と仰せであります。二乗である縁覚は、自己にとらわれるため、仏道を志す上で大切な、知恩と報恩を忘れる生命です。この知恩と報恩を忘れるところに、成仏できない根本的な原因があります。故に仏祖三宝尊に対する報恩を忘れていることになるのです。 
 世間の多くの学問に志す人は、他人を蔑(さげす)み恩を忘れている人が多く見受けられます。そこに社会悪が生まれる原因が隠されています。二乗根性といわれる成仏する上で扱いにくい命です。
 二乗は四土の方便有余土(方便土)に住み、見思惑を断じ三界の生死の苦悩を離れた人が住する国土です。未だ、根本的な迷い無明惑を断じておらず、断じ尽くしてないため有余といいます。この無明惑という迷いが、学問に秀でた人を時として悪道に導くことがあります。信心において、二乗の根性を一仏乗である仏界へと変えることが出来ます。