正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

仏教が雑乱する中で正しい仏法とは

2005-11-21 | 手引書⑤

 正しい仏法とは日蓮正宗に伝えられています。仏教に関して知識のない方は、仏教はどれでも同じであるという考えをお持ちと思います。仏教に関しては、浅はかな我見で安易に判断できないものがあります。好き嫌いで判断することは言語道断です。仏教を説く宗旨を決めるには、自分自身の人生に大きな影響をもたらします。
 「正しい仏法とは」といわれると何を根拠にし、仏法を正しく計る物差しが解らないのが世間では当たり前でしょう。その物差しがないところには、それまでに経験してきた人生の物差しや周囲の人の意見を拠り所に判断する以外にないと思います。仏様はこの事を厳しく慎むように仰せです。あくまでも仏様である釈尊が説かれた仏典である経典を拠り所とし、経典の筋道に従って判断していくことを御指南です。故に「依法不依人」ということであります。
 更に法華経『如来神力品第二十一』に、
 「如来の滅後に於て 仏の所説の経の因縁及び 次第を知って 義に随って実の如く説かん」(法華経516)
と説かれるように、仏様が仰せになる本当の意義に随って、真実を説かれた仏法を選び、それを信じなければいけません。多くの宗派は、この事を無視しております。
 世の中に氾濫する、全ての仏教各宗派は、己の宗派が一番正しいと主張しているのが現実です。そのために多くの仏教に関する宗派が雑乱しています。この原因は、仏法の筋道に依らず先人である僧侶という人師に重きをおくところから来ています。仏法に関して知識のない人には、世間に名声高き僧侶が説く教えに疑う予知もなく鵜呑みにしているのが当然でしょう。僧侶が振る舞う神秘的な光景と雰囲気に酔いしれてしまうところに問題があります。特に間違った仏法を説く邪師である僧侶に心を許しますと大変なことになります。一度、心に浸透した教えは取り除くことが困難です。この点に気を付けて正しい仏法を判断していかなければなりません。『如説修行抄』に、
 「されば国中の諸学者等、仏法をあらあらまな(学)ぶと云へども、時刻相応の道理を知らず。四節四季取り取りに替はれり。夏はあたヽかに冬はつめたく、春は花さき秋は菓成る。春種子を下して秋菓を取るべし。秋種子を下して春菓実を取らんに豈取らるべけんや。極寒の時は厚き衣は用なり、極熱の夏はなにかせん。涼風は夏の用なり、冬はなにかせん。仏法も亦是くの如し。小乗の法流布して得益あるべき時もあり、権大乗の流布して得益あるべき時もあり、実教の流布して仏果を得べき時もあり。然るに正像二千年は小乗・権大乗の流布の時なり。末法の始めの五百歳には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此の時は闘諍堅固・白法隠没の時と定めて権実雑乱の砌なり」(御書672)
と仰せのように、「正しい仏法とは」その時代々々によって修行の内容や尊崇する本尊、教えが異なります。そして教えを賜る「師匠」も変わります。世間一般の方は知る予知もありません。「正しい仏法とは」今現在末法時代において、釈尊の法華経文上の仏法ではなく「法華経の文底にある下種仏法」です。つまり末法時代の正しい師匠である日蓮大聖人が説かれる教えに随順することです。この教えに従って信心して行くところに正しい仏法があります。仏教や仏法は全て同じであるとお考えの方は直ちに改め、正しい仏法を説いている日蓮正宗に入信され、不動の幸福境界を築きましょう。
 釈尊が説かれた経典は、五千七千といわれる膨大な数にのぼります。家庭を持ち仕事を持つ方は、到底、五千七千という経典を全て読み切ることは不可能です。まして漢文体で書かれていますので不可能でしょう。そのために、その時代その時代に、正しい仏法をお説になられる正師が居られるのです。その正師について仏法を学ぶことが大事です。その正しい仏法を説かれる正師が日蓮大聖人であり、大聖人の仏法を正しく受け継がれている但お一人の方が「唯授一人の御法主上人猊下」であります。御法主上人猊下の仰せになる御指南を信じ、正しい仏法を理解していくことが大事です。
 日蓮正宗の寺院に参詣されることで「正しい仏法」を学ぶことが出来ます。