正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

仏法は多数決で判断できません

2005-11-21 | 手引書⑤

 日蓮大聖人は『聖愚問答抄』に、
 「世間・出世善き者は乏しく悪き者は多き事眼前なり。然れば何ぞ強(あなが)ちに少なきをおろかにして多きを詮とするや。土沙は多けれども米穀は希なり。木皮は充満すれども布絹は些少(きしょう)なり。汝只正理を以て前(さき)とすべし。別して人の多きを以て本とすることなかれ」(御書402)
と明確な御指南をされておられます。「汝只正理を以て前(さき)とすべし。別して人の多きを以て本とすることなかれ」という御指南が大事です。
 正しい仏法は、仏様の御意を蔑(ないがし)ろにし、人の心を中心とする多数決で決められないので、日蓮正宗には「唯授一人の御法主上人猊下」がおられるわけです。民主主義の時代に逆行していると言われるかも知れませんが、人間を根本とする民主主義と仏様を根本とする仏法は根底から違います。人間の心は縁に触れ常に変わる欠点があります。仏様が説かれる仏法は、縁に触れて変わる心の欠点を排除して説かれています。政治を見てもお分かりのように、民主主義の考えには纏まりが欠落し、不安定が露わになっております。
 仏法と世間法を混同して考えてはならないところがあります。それが先の『聖愚問答抄』の御指南です。日蓮正宗に疑問を持つ方は、世俗的な世間法に染められている部分があります。世間法を否定するものではありませんが、日蓮大聖人の教えは、今まで経験され身に付けた世間法で推し量るこが出来ません。仏法に関わらず、未経験のものは年の差に関係なく経験された人には適わず、経験された方に教えを請うことが世間的にも礼儀であります。
 「唯授一人の御法主上人猊下」とは、釈尊が説かれた仏法や宗祖日蓮大聖人の教義を全て究められた世の中で一番尊い御方です。正しい仏法に関しては「唯授一人の御法主上人猊下」の御教示下さる御言葉を拝し学ぶことです。
 その御言葉は「信」である信じる以外にありません。間違った教えについて信じれば不幸になりますが、正しい仏様が説かれる教えに確信を持って信じれば必ず幸福になります。特に創価学会等が署名運動をもって抗議してきますが、人々が判断する多数決に固執することなく、多くの土砂に埋もれた宝石を見つめる信心が大事です。その宝石が仏法であり、日蓮大聖人の教えです。そして「唯授一人の御法主上人猊下」が御内証において仏法の宝石を御所持されておられます。世間法や多数決に拘る考えは多くの土砂と同じです。
 世間法も確かに大事でありますが、仏法の上に世間法を考えなければ、世間法が具えた本来の意味を成しません。世の中は邪智が横行しています。世間法を巧みに利用して聖者を装い、裏では何を考えているか解らない人が多い世の中です。そのためにも仏法は多数決できません。唯授一人の御法主上人猊下の御指南を信じ励むことで、そこに「即身成仏」があります。
 唯授一人の御法主上人猊下がおられるのは、時の流れに左右されやすい、民主主義による世間法に染まらないよう純粋に仏法を持つためであります。つまり「不染世間法 如蓮華在水」という法華経の精神を未来永劫まで地球上に持つためです。そこに正しい仏法を多数決で判断できない謂われがあります。御法主上人猊下を誹謗中傷する宗教団体に所属されておられる方は考え直しましょう。