私達は生きていく上で、目的や目標を持っています。目標を失えば、自然と生きる気力も失われ、人生に対し様々な迷いが生まれます。仏道に関わらず、人間社会には目的や目標となる「誓願」が非常に大事です。「誓願」を心に決めることで、自分自身の成長があり、当然、信心に於ける大目的の成仏には、「誓願」を持つことが必要です。
日蓮正宗の信心では、四つの誓願である「四弘誓願」を立てます。「四弘誓願」とは、菩薩が修行を発心する時に立てる四つの大きな誓いのことです。衆生無辺誓願度・煩悩無数誓願断・法門無尽誓願知・仏道無上誓願成をいい、すべての菩薩が起こすので総願ともいいます。
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)とは、生死の苦海に沈んでいる一切衆生をすべて成仏に導こうと誓うこと。煩悩無数誓願断(ぼんのうむしゅせいがんだん)とは、すべての煩悩を断じ尽くそうと誓うこと。法門無尽誓願知(ほうもんむじんせいがんち)とは、仏の教えをすべて学び、知ろうと誓うこと。仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)とは、最上の仏道を修して悟りを成就しようと誓うこと。
「四弘誓願」の具体的な日蓮大聖人の御指南は、『御講聞書』に仰せであります。「入末法四弘誓願の事」「四弘誓願応報如理と云ふ事」「本来の四弘の事」という事が説かれています。『御講聞書』に、
「所詮四弘誓願の中には衆生無辺誓願度肝要なり。今日蓮等の類は南無妙法蓮華経を以て衆生を度する、是より外には所詮無きなり」(御書1862)
と仰せであります。これは、折伏の精神を御指南されたところです。「四弘誓願」のなかでも、特に衆生無辺誓願度が大事であるということです。
他の三つの誓願である煩悩無数誓願断・法門無尽誓願知・仏道無上誓願成は、自行に於ける自分の成仏の誓願であり、末法に於いては、「自行化他に渡る」御題目を唱えていくことが必要であるため、衆生無辺誓願度が肝要になるのであります。
三つの誓願である煩悩無数誓願断・法門無尽誓願知・仏道無上誓願成は、化他行の折伏に活用することが大事です。つまり衆生無辺誓願度に活かすことであります。そこで日蓮大聖人が『三大秘法抄』に、
「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書1594)
と仰せになるのであります。この御指南には非常に深い意味があり、人が生きていく上で経験する多くの苦悩を解決するために精進していくという基本的な姿勢の他に、地涌の菩薩としての使命がないと出来ないことを御教示になられるところです。末法に相応しい御題目の唱え方を仰せになられたところです。
「四弘誓願」は自行化他において考えていくことが大事になります。日蓮正宗の「血脈相承」である時の御法主上人の御指南に信伏随従していくところ、自然と「四弘誓願」が理解できていくのであります。
毎日の勤行唱題では、「四弘誓願」を忘れることなく地道に修行するところ、確実に成仏に向かい、広宣流布も着実に行われるのであります。