人は、生まれ育つ環境により、善くもなり、悪くもなります。それが、「善悪不二」です。性善説や性悪説でもありません。正しい仏法においては、「善悪不二」を説きます。それが、一念三千という複雑な生命活動として、日蓮大聖人の仏法で説き明かされるのです。
日蓮大聖人は『一念三千法門』に、
「凡(およ)そ此の経は悪人・女人・二乗・闡提(せんだい)を簡(えら)ばず。故に皆成仏道とも云ひ、又平等大慧(びょうどうだいえ)とも云ふ。善悪不二・邪正一如と聞く処にやがて内証成仏す。故に即身成仏と申し、一生に証得(しょうとく)するが故に一生妙覚と云ふ。義を知らざる人なれども唱ふれば唯仏と仏と悦び給ふ」(御書110)
と仰せです。「善悪不二」が説かれる故に、大聖人の仏法では、悪人も成仏できます。つまり、悪人の命にも、一分、縁に触れ善の気持ちが出ます。菩薩の気持ちに似た、人を愛する思いや、因縁により悪人とは思えない感情を見せることがあります。これが正しく「善悪不二」となります。
この善い方の縁を、御本尊様の縁に触れることで、悪人の性分が冥益を得て、善人へと少しずつ変わるのです。善人へと変わった悪人が、折伏をしていくことで、周りの環境を根底から変え、その住む場所が「常寂光土」へと「我此土安穏」な境界に変わるのです。
世間では、普通の人や、一見、真面目そうな人が、極悪非道な言動をするのは、正しく「善悪不二」であることを物語っています。善人も正しい宗教観を持ち合わせていなければ、悪縁に左右され、終いには、悪人へと豹変します。日蓮正宗の信心をするところに、悪縁を正しく処理する能力が身に付きます。この動かぬ現証は、真っ向から性善説や性悪説を根底から覆(くつがえ)す証拠になりましょう。
仏法では、文証・理証・現証という三証を重んじます。三証が完璧に存在するのが、日蓮大聖人の教えであり日蓮正宗です。日蓮正宗以外は、三証がいい加減で、一時的な幸福感を与える低い教えです。法華経を蔑ろにしている仏教各派が多いなか、悪人を成仏させることは出来ません。悪人成仏は法華経だけです。
浄土宗や浄土真宗あたりも、弥陀念仏を唱えれば、女性も悪人も成仏できると主張しますが、仏様の説かれる経典を無視し、後生に現れた念仏宗の僧侶が我意を雑えて、世の中に布教したのです。この背景を理解しなければいけません。
子供を育てる親御さんは、幼い頃、素直で愛らしい子であっても、年齢を経るにつれ、様々な友人に縁することで、人格が変えられていくことを経験される方が多いことでしょう。時の流れにより、善と悪の働きは、親御さんの視野以外、死角となって複雑な働きが行われています。この働きは世の中で、三大秘法の御本尊様だけが明らかに見て居られます。私達は、この善悪の働きを御本尊様から智慧を頂くことで、明らかな現実を見られます。つまり、親御さんは子供の気持ちが御本尊様の力によって正確に掴むことが出来るのです。その方法は、勤行唱題であり、気持ちを落ち着け、現実を冷静に見られる心の余裕と、正しい智慧を得ることが大事です。そこに、悪心を明らかに見つめ、正しく扱っていく力が身に付くのです。つまり「親徳」が身に付くということになります。
人は、生まれながらにして、善と悪の性分を兼ね備えており、置かれた環境によって、左右されやすく非常に弱いものなのです。その弱さを強くするために日蓮大聖人が有り難い教えを残されたのであります。悪を止め、善を生じていくのが信心です。