しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

最果ての銀河船団 上・下 ヴァーナー・ヴィンジ著 中原尚哉訳 創元推理文庫

2017-01-07 | 海外SF
‘12年ローカース誌オールタイムベスト46位、1999年刊、2000年のヒューゴー賞受賞作です。
wikipediaでヒューゴー賞長編部門の受賞作品を見ていたら前年の1999年は「犬は勘定に入れません」が受賞、本作の世界観の下敷きになっている(?)「遠き神々の炎」は1993年「ドゥームズデイ・ブック」とヒューゴー賞を同時受賞しています。
ヴィンジ、ウィリスと縁ありますね…というか同時代の作家なんですね。(当たり前か)

ちなみに21世紀最初2001年のヒューゴー賞長編部門受賞作はなんとハリーポッターシリーズ第4作『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』う~ん…「SF」なのか?

なお本作も絶版のためamazonで古本を購入、ブックオフで出会う方が運命を感じますが
まぁ効率的ではあります。(比較的ポピュラーな作品ですからプレミアはついていません)

なお「遠き神々の炎」もそうですがライトノベル風の表紙イラストはちょっと作品とイメージ違うような気がします、創元はヴィンジ作品はこのイラストで行くと決めている感じですが果たして???。

上巻
250年のうち35年間だけ光を放ち、それ以外は火が消える奇妙な恒星。その星系には知性を有する蜘蛛型生命が存在していた。彼らの惑星がもたらす莫大な利益を求めて、二人の人類商船団が進出する。だが軌道上で睨みあいを続けるうち戦闘の火蓋が切られ、双方とも装備の大半を失い航行不能に。彼らには、地上の種族が冬眠から目覚め、高度な文明を築くのを待つしか手段がなかった。

下巻
戦争を繰り返しつつ近代化への道を歩む蜘蛛族の世界に一人の天才科学者が現れ、今まさに原子の火を発見しようとしていた。一方、軌道上でエマージェント船団に制圧されたチェンホーたちは長い雌伏の時を過ごす。蜘蛛族世界への侵攻の時がせまるなか、宇宙の深淵で3000年を生きてきた伝説の男が、ついに反撃に立ちあがった!ヒューゴー賞、キャンベル記念賞に輝く、宇宙SF巨編。


「遠き神々の炎」では神仙による復活させられた太古人類の人格として出てきていたファム・ヌウェンが実際に活躍していた時代、光速の限界がある「低速圏」を舞台に描かれています。(我々が暮らす「いま」から未来か過去かは不明確)

この世界での「人類」は銀河中のいろんな惑星に散らばっていて、惑星によっては文明が後退しまったく原始の状態から再進歩していたりするという設定です。

ファム・ヌェン自体もそんな惑星の出身という設定ですし、ヌェンが作中チェンホー時代のいろんな惑星での商売を回想していますがいろんな方向に進歩している人類の姿はなかなか楽しめます、

そんなこんなのお話と250年間のうち35年間だけ光を放つオン・オフ星、そこで進化し生活する生物群・蜘蛛族のファーストコンタクト、対する人類側の恒星間を移動して稼ぐ商人集団チェンホー、貴族的・封建的・全体主義的(?)集団エマージェントとの対立、人間を目的化的に機械化する集中化と仕掛けはいろいろ出てきくるのですが…。

SF的な発想としては本作の7年前に刊行された「遠き神々の炎」の方がレベルが高いというか、ぶっ飛び感があると感じました。

「群体生物」とか銀河の周辺部に行くほど情報やらなにやらスピードが速くなるという発想ほどの飛躍はなかったかなぁ…。

オン・オフ星やら蜘蛛族の星の結晶化石などは太古の宇宙意志(神仙?)的なものがあるような大掛かりな謎が匂わされていましたが回収されない伏線として終わってしまっています。

蜘蛛族と人類の思考形態がかなり似通っていることもなにやら意味ありげでしたが…これまた解決されず終わります。

ただ敵味方・善玉悪玉が図式的に書かれていたので、エンターテインメント的には「遠き神々の炎」よりわかりやすく「これぞアメリカンSF」という感じで楽しく読めはしました。
光速の限界を超えない設定なので、アインシュタイン的時間のズレも効果的に使われ、SF的仕掛けとしてレトロな感もありそれはそれでかえって新鮮ではありました。

人類側では比較的資本主義的なチェンホーと全体主義的なエマージェント、蜘蛛族側では比較的立憲君主制的なアンダーヒル側の国と敵対する全体主義的な暗黒教会側の国と冷戦構造を持ち込んだ対立軸を立てています。
(まぁ冷戦後の世界も似たような対立軸と思えば人類的世界に普遍的なものなのかもしれません)

序盤のアンダーヒルが暗期を克服しようとする辺り、チェンホーとエマージェント船団が航行不能になるくらいまではテンポが速く読みやすいですが、中盤は人類の船団側も蜘蛛族側も膠着状態として描かれていてちょっとだれました。

中盤では人類側の女性 キウィ、トリクシアそれぞれのなんともやりきれない悲劇的な境遇とお坊ちゃんエズルくんの頼りなさにもやもや感がつのります…。
とくにキウィの非道さはなんともかんとも。

蜘蛛族側でも天才科学者 シャケナーのボケボケぶりにもやもやとさせられます。

終盤に入るとそのモヤモヤ感を吹き飛ばすような展開が繰り広げられます。

ヌェンの大活躍と、シャケナーの深謀遠慮、堪能できます!

二転三転はらはらどきどきですが大団円では「モヤモヤ感は」ほぼ解決するのでスカッとします。
特に人類側はご都合主義的過ぎるぐらいの能天気な解決なので「どうかなー?」と思ってしまうほどの大団円です。
特にアンの場合は...苦労した分女性に優しい展開でしょうか?

トリクシアもまぁこれはこれで幸せな結末なのか????「集中化技術」が人類にとって有効なのか?幸せなのか?については一応否定的な結論とはなっていますが、トリクシアの運命を見ているとなんとも言えなくなります。

蜘蛛族の方も人類側が勝手にシャケナー側に感情移入しているわけですが、主観的な価値判断なわけで蜘蛛族的基準に立てばシャケナー・アンダーヒルが「マッドサイエンティスト」でヴィクトリーが軍事的な独裁者というのが真実だったりもするかもしれない…。

そんな風な裏読みもできるのかもしれないなどとちらっと考えました。

過去のチェンホー内でのヌェンの権力闘争の描写などを見ていると何が正義なのか分からなくはなるところがあります。

単純なようでいろいろ「正義」について考えさせる作品なのかもしれませんね。

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