しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

山椒太夫・高瀬舟 森鴎外著 新潮文庫

2014-12-10 | 日本小説
小学生か中学生頃「祖父・小金井良精の記」を読んだ後に当時未読だった森鴎外の作品を読みたくなり本書を読んだ記憶があります。

今回も「祖父・小金井良精の記」を読んだ後、無性に本書が読みたくなり手に取りました。
(森鴎外の妹小金井喜美子が、星新一の祖母)
実家に帰れば昔読んだものがあるはずですが、地元の公民館でやっていた古本バザーのようなイベントで見つけて無料で入手。

この版は昔読んだものと表紙のデザインが変わっていないのでなんだか嬉しかった。

内容(裏表紙記載)
人買いのために引離された母と姉弟の受難を通して、犠牲の意味を問う『山椒大夫』、弟殺しの罪で島流しにされてゆく男とそれを護送する同心との会話から安楽死の問題をみつめた『高瀬舟』。滞欧生活で学んだことを振返りつつ、思想的な立場を静かに語って鴎外の世界観、人生観をうかがうのに不可欠な『妄想』、ほかに『興津弥五右衛門の遺書』『最後の一句』など全十二編を収録する。


昔読んだ時は半分以上理解できず、正直「つまらない」と思いながら無理やり読んだ記憶がありますが….。
今回も正直「おもしろくはない」というのが感想(笑)

中学時代と違い一応内容は理解できたつもりですが、どうにも面白さがわからない。
「明治、大正にはこんな話が書かれて読まれたらしい」という程度の評価の作品ならわかるのですが、漱石とならぶ「文豪」森鴎外のかなりポピュラーな作品として読むとどうにも…。
今回読んでみて「夏目漱石」の作家としての「すごさ」がよくわかりました。
漱石の作品は時代を超えて「小説」としての本質的な価値を持ち続けている気がします。

この短編集だけ読んで「文豪」森鴎外を評価するのは非常に乱暴ですが…。
鴎外は良くも悪くも「時代精神」的なものを反映している分「時代を超越できなかったのかなぁ」などと感じました。
(鴎外の神髄は当時不評だった「渋江抽斎」などの史伝にあるという説もあるようですが。)

解説にも書かれていましたが、歴史小説は別として作中の随所にフランス語やドイツ語やらを挟んでいます。
なにやら「俺は教養人なんだぞ」「俺の書くもの批判したかったらこれくらいわかれよ」という嫌味が感じられました、この辺もどうも….。
漱石にはそういう嫌味もあまりないですね。

と、かなりけなしながらも冷静に各編見てみたら歴史・時代小説はそれなりに楽しめた気はします。
(ただ山本周五郎の短編の方が上な気もしたりしましたが....。)

各編紹介・感想など
「杯」
泉で少女たちが大きな銀の杯で水を飲んでいる所へ、一人の少女が来て小さな陶器の杯で飲もうとすると、他の少女たちはその杯を馬鹿にするが…。
少女は「わたくしの杯は大きくはございません。それでもわたくしはわたくしの杯で戴きます」と。

「俺はそこらの自然主義文学者と違うんだ」ということなんでしょうか….?
決然たる異端の表明はかっこいいといえばかっこいいですが、小説としては直截すぎるような…。

「普請中」
渡辺参事官は人と会うためホテルに行く、ホテルは普請中。
そこへ待ち合わせ相手のドイツ人の女がやって来て…。

日本も「普請中」だという寓意ももっているようですが、単なる別れ話ですね。

「カズイチカ」
学校卒業後間もない花房医学士は、父親の診療所の手伝いで様々な病人を診る。
色々な病院で診ても原因不明の腹痛の婦人が運ばれて来て…。

ちょっと「ユーモラス」な作品、太宰治辺りが書きそうなイメージ(いい加減です)
小品として素直に楽しめました。

「妄想」
白髪の主人は別荘で生と死について思い、20代の頃のドイツ暮らし時の回想に結びつき…。

いろいろ悩みがあるのでしょうが「俺は色々知ってるんだぞ」と自慢しているだけのような…。

「百物語」
作者の分身的「僕」は知人に誘われ百物語に参加することになる。
その会場で豪遊で有名な飾磨屋と美しい芸者に会い自分と同じ傍観者的なものを感じ…。

飾磨屋のどこか虚ろな存在が不思議で楽しめました。

「興津弥五右衛門の遺書」
興津弥五右衛門は殿様の墓の前で切腹をすることになり、なぜそうなったかの遺書を残す。

鴎外の初めての歴史小説とのこと。
「遺書」の部分の時代感と、その子孫歴代を記していく部分とのギャップで時間と時代の変化を表しているのかなぁと思いました。
思い返してみると結構名作な気がしてきました。

「護持院原の敵討」
山本三右衛門は、城で宿直をしているところを金目当ての強盗に斬られて「敵討ちをしてほしい」との遺言を残す。
息子と三右衛門の弟は、犯人の顔を知っているという文吉を家来に従え旅に出る…。

「なるほど」という感じでしたが、面白みが今一つ理解できない作品でした。
上でも書きましたが山本周五郎風でもあるように感じました。

「山椒大夫」
筑紫に行ったきり帰らない夫に会いに行くための旅の途中に人買いに騙され母と子はばらばらに売られてしまい…。

安寿と厨子王のお話。
鴎外独自の切り口がどこにあるのか今一つ理解できませんでした。

「二人の友」
小倉で務めている〈私〉へ青年F君が訪ねて来てドイツ語を学びたいと言う。
もう1人、学問上の友達安国寺さんという僧侶がいて…。

エッセイ風なんでしょうが3人の交友関係が楽しめました。

「最後の一句」
廻船業の桂屋太郎兵衛は、罪に問われ斬罪が決まる。
それを知った太郎兵衛の子供たちは嘆願書を書きお奉行様に出そうとするが…。

子供たちの「必死」さと、奉行所役人の「役人根性」の対比の妙を楽しむ作品。
奉行と長女の会話の緊張感がよかったです。
これもよく考えると名作かもしれない。

「高瀬舟」
高瀬川で罪人を遠島まで運ぶ小舟「高瀬舟」で護送役が静かで、やけに落ち着いている罪人喜助の話を聞くが…。

これは昔読んだのをなんとなく覚えていました。
「幸せ」は人それぞれというわかりやすい話ではあるので中学生にも理解しやすかったんだろうなぁ。

最初の方にも書きましたが、どうも私には森鴎外の「偉大さ」は感じ取れませんでしたが、普通に「昔の日本の小説を読む」と思えばそれなりに面白い作品群だとは思いました。

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