ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

新選組育ての親・佐藤彦五郎資料館

2015-05-20 18:36:24 | 日記
 17日の日曜日に土方歳三資料館へ行ったのですが、若い女の子たちが長蛇の列を作っていたため(約2時間待ち)、急遽予定を変更して日野宿本陣へ。
 ここは以前にも行ったことがあるのですが、新たに新選組隊士の羽織を着ることができるようになっていました。さらにはその裏にある佐藤彦五郎資料館、偶然ですが、結構収穫ありましたね。

 佐藤彦五郎資料館   

 以前にも書きましたが、佐藤家は土方歳三の姉ノブの婚家です。佐藤彦五郎は歳三にとって義兄になるのですが、実際にはそれ以上の関係だったようです。何しろ十一歳の時から佐藤家で暮らしていたんですから、親のような存在でもあったのでしょう。歳三は京都から度々書簡を送っていますけれど、そのほとんどは佐藤家宛だったんですね。無心もしましたけれど、最後に市村鉄之助に託し、写真や毛髪・刀等の遺品を届けたのも佐藤家でした。

 また、ここに佐藤道場がなければ新選組も誕生することなく、土方歳三もただの薬売りで終わっていたかもしれません。嫁ぎ先によって女の人生が決まる時代、お姉さんは最良のところへ嫁いだともいえますね。佐藤家の方はみな歳三を愛し、ファンを大切にしてくれます(勿論生家の方も)。こういう方々あったればこそ、新選組や土方歳三の人気は拡大しているのだろうなと思いました。

 土方歳三資料館へは「和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)」(歳三の佩刀)を見たいと思って行ったのですが、佐藤彦五郎資料館にも同じ兼定の長脇差が展示してありました(歳三のものではありませんが)。さらに歳三のもう一つの佩刀「越前康継(えちぜんやすつぐ)」が展示されていたのです(撮影禁止)。こちらは松平容保(かたもり)から拝領したもので、刀身の中子(なかご)に葵の御紋が入っており、試し切りをしたことなどが刻まれています。

 他にも歳三が使った鉄扇や近藤勇から譲り受けた短銃、愛用した龍笛(りゅうてき)、歳三や沖田総司の書簡など、小さな資料館に見どころが詰まっていました。
 著名人も多く訪れていて、『壬生義士伝』の浅田次郎さんをはじめ山本耕史さん、藤原竜也さん、オダギリジョーさん、杏さん等の写真やサイン入り色紙が飾られていました。因みに越前康継は「嵐にしやがれ」というテレビ番組で杏さんが手にされたものだそうです。嵐も来たんですね(写真はありませんでしたが)。

 グッズの手拭い   左上・杏さんの色紙

 私が子供の頃、新選組は時代劇の悪役でした。「花燃ゆ」に出てくるような勤皇の志士たちが主役で、新選組は嫌われ者だったんです。かるたにも新選組は出てきましたね。「壬生の屯所は新選組」、「敵の隊長近藤勇」といった読み札があったのを覚えています。
 それが司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』、『新選組血風録』がドラマ化されると、一躍ヒーローになりました。

 私も悪女をヒロインにしてみたいと考えたのですが、やはり力不足でしょうか。司馬先生のようなわけにはいきません。
 『薬子伝』、歴女様には是非読んでいただきたいと思っています。

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 関連ブログリンク( 土方歳三の青春・日野宿本陣    土方歳三の菩提寺・高幡不動尊

年金制度のはてな

2015-05-10 18:47:09 | 日記
 以前にも「年金はすぐに貰えません」で書きましたが、年金というのは手続き上のことで首を傾げることが多いですね。
 つい先日も岐阜県恵那市で50年間親の年金を受給していた人(総額にすると5100万円)が逮捕されたということですが、その人は役所に勤めていたとのこと。一応ちゃんとした人ですよね。親の死亡届も出していたそうですが、年金機構は何故50年も年金を払い続けたのでしょうか。

 毎年生存確認のための現況届というのを出すのですが、その人は虚偽の記載をしていたんですね。「生きてるかー」という確認書に対して「生きてま~す」と書いていたわけです。これはいけないことです(罪に問われます)が、それにしても死亡届が出ているのに…。って不思議ですよね。実は死亡届を出す自治体と年金機構との情報交換ができていないらしいのです。上記の例はその盲点をついたわけですが、時効が成立しているため、最近の数年分しか該当しないのだとか。

 実際私が聞いたところでは、親が死亡しても親族が未支給年金を請求しなければ自動的に停止することはないのだそうです。しかし貰い続けていると、発覚した時点で、余分に払った分を返してくださいと請求がくる。それって変ですよね。死亡届が出ているのに停止されないって、杜撰(ずさん)な制度です。そういうたれ流し状態の無駄な部分がたくさんあって、財源が不足しているといわれましても…、ね。

 いわんや手続きにおいてをや。65歳になるお年寄りに戸籍謄本をとれだの何だの面倒な手続きをさせること自体、まずどうにかならないのかなって思いますね。サラリーマンの場合など自動的に引き落とされていたわけですから把握できている筈なのに、何故自動的に支給開始というわけにはいかないのでしょうか。マイナンバー制度が導入されると改善されるということですが、そうなるとセキュリティ面での不安も…。

 早目に手続きをしようと思っても、誕生日の前日以降からしか受付けてもらえませんし、実際に支給開始となるのは2、3ヵ月先です。その分損をしたような気になりますよね。死後に遺族が2ヵ月分くらいは貰えるのでしょうが、本人は確かに損です。支給額にしてもよくわからない計算をされるので、少ないと思っても文句をいうわけにもいきませんし、されるがままといった感じですね。もう少し人に優しく、不安のない制度であって欲しいものです。

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端午の節句

2015-05-01 18:44:40 | 日記
 もうすぐゴールデンウイーク。もともとは5月3日の憲法記念日と5月5日の子供の日だけだったものが、いつの間にかみどりの日が間に入り、振替休日ができて大型連休になってしまったようですね。私が子供の頃、3月3日は女の子の節句、5月5日は男の子の節句といわれたのですが、何故男の子の節句だけが休日になるのだろうと不思議でした。その頃の疑問はまだ解決していませんが、五節句の中で休日になるのは端午の節句だけなので、仕方ないのかも。

 雛祭りは『源氏物語』に雛遊びとしてでてきますけれど、3月3日と決まってはいなかったようで、この日に宮中で行われるのは曲水の宴でした。雛遊びが3月3日に定着するのは室町末期から江戸初期にかけてだろうといわれています。

 それに比べて5月5日の端午の節句は古くから定着しており、菖蒲の節句ともいわれて宮中でも大々的な節会(せちえ)が行われました。菖蒲の根は万根を癒やし、邪気を避ける効能があるといわれたので、宮中だけでなく民間においても屋根に葺いたりしたようです。またこれを酒に入れて飲んだり、沐浴する湯に入れたりしましたが、今でも菖蒲湯の風習は残っていますよね。

 菖蒲? (数年前撮影したもの)

 この日宮中では天皇が武徳殿(ぶとくでん)にお出ましになって節会が行われ、菖蒲草が献上されました。また群臣にも薬玉(くすだま)を賜ったようです。薬玉というのは五色の糸に菖蒲、艾(よもぎ)などを貫いたもので、長寿を祈る呪(まじな)いとして用いられました。宮中ではこれを天皇のご寝所である夜の御殿の東の柱にかけたといわれています。また節物として粽(ちまき)や柏餅を食べる習慣もあったようですが、花園天皇以後、節会の方は廃絶してしまったようです。

 しかし民間、特に武家では菖蒲の音が勝負に通じるので一層盛んになりました。冑(かぶと)人形や旗・刀剣などを飾るようになり、幟(のぼり)に家紋を入れたり武者絵や鍾馗(しょうき)像を描いたりもしましたが、やがて鯉のぼりを立てることに代わっていったようです。
 我が家にも立派な?五月人形があるのですが、ここ数十年押入れに眠ったままです。次に日の目を見るのはいつになることやら。

 因みに菖蒲・あやめ・かきつばたの見分け方ですが、菖蒲は花弁の真ん中に黄色い線が入っているもの、あやめはは花弁の真ん中が網目模様になっているもの、かきつばたは花弁の真ん中に白い線が一本あるものだそうです。といっても、やはりよくわかりませんね。

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