枚岡神社だより

河内国一之宮
枚岡神社の最新情報をお知らせしていきます

秋分

2015年09月23日 | 日記

                                 柏槇(びゃくしん)
本日、9月23日秋分の日、午前10時より秋分祭並び秋季皇霊祭遙拝式を執り行いました。

氏子崇敬者の御祖先の現世における御功績を偲びつつ、その御霊が安らかでありますようお祈りを申し上げると共に、枚岡の大神様の恩頼(みたまのふゆ)を忝み奉りて感謝の真心を捧げ、恙なく祭典をご奉仕申し上げました。


上の写真、柏槇(びゃくしん)の樹は枚岡神社の御神木でした。社伝では、
神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと:神武天皇)が御東征の砌、神津嶽に一大磐境を設けて枚岡神社の御祭神である、天児屋根命
(アメノコヤネノミコト)、比売御神(ヒメミカミ)を御祀りされた際に、御手植えをされた樹と伝えられています。
現在の社地に社殿を建立し御遷座されたのが、白雉元年(西暦650年)9月16日とされ、その際、あまりにも巨木であり移植はできない為、枝を切って挿し木をしたものと伝えられています。然しながら、昭和36年9月16日上陸の第二室戸台風の影響を受け、損傷著しく危険であると判断され、残念ながら
昭和43年に地上3mを残し伐採されました。

柏(かしわ)とは、「変わらない」との意味があるそうです。大陸の昔の文化で、柏舟(かしわぶね)とは、遺体(なきがら)を浮かべて流す舟であったそうです。槇(まき)は、神話の中で棺桶(かんおけ)の用材に使えばいいと記されています。この事からいろいろ想像できますことは、国土平定の志は変わることなく、国土平定を誓った同志を弔い慰め奉り、志を成し遂げる事を誓って柏槇の木が植えられたのではないかということです。想像です。。。

枚岡神社では、創祀より2678年の間、平国(くにむけ)が祈り続けられています。その中にあって、本日の秋分祭はとても大切な神事のひとつであるということができます。



数日前の日の入時。


数日前の日の出時。


ノカンゾウの花。




シュウカイドウの花。

夏から秋への移ろいを楽しめる季節です。
神様御先祖様に感謝いたしましょう。


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明日、神津嶽本宮例祭

2015年09月15日 | 日記


明日、9月16日(水)午前10時より神津嶽本宮例祭を斎行いたします。
日本の国土平定(平國:くにむけ)が祈られた聖地「神津嶽」での大切な御祭です。2678年前、「神津嶽」にて平國が祈られ、平國が成し遂げられ、日本國の始まりへとつながりました。そこから御祖先の絶え間ない祭祀の継続伝承により、今日まで祈りが捧げ続けられていることを称え尊び偲びつつ、今後も、後世へと伝えていかなければならない大切な御祭をご斎行申し上げます。皆様どうぞご参列ください。








神津嶽周辺にハギが小規模ですが群生しています。ハギにミツバチが採蜜に沢山きてました。


キノコもにょっこり。


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宮司よりひとこと

2015年09月01日 | 宮司よりひとこと


                     鳥居とだ太鼓

 神社の入り口には必ず鳥居が立っています。神居ます聖なる世界と、俗界との結界の役目をしています。鳥居をくぐる時には、軽く会釈をするのが礼儀です。入り口にあるのが一の鳥居、参道を進むにつれて二の鳥居、三の鳥居となり、鳥居をくぐるごとに、奥深い神聖な神様に近づいて行くのです。なぜ「とりい」と名づけられたのでしょうか。

 揚子江流域は8000年の文明を有し、照葉樹林文化をベースに稲作文化が栄え、やがて海を渡って日本にたどり着くのです。その流域の西南部は今も稲作が盛んで、山間地域に暮らしている苗族(ミャオ族)のには、家々に蘆笙柱(ろしょうばしら)が空高く立っていて、最先端には真東を向いて太陽を呼び出す鶏または鳳凰がのっています。そして雨をもたらす水神である水牛の角が柱の中ほどに、同じく龍が柱に巻きついています。水は農耕に欠かせず、その人々の願いを、鳥が天の神様に伝えてくれる、と言う信仰がこのような形で今も残っているのです。

 このような文化が、1400年前にわが国に伝えられた雅楽の一対のダ太鼓(大太鼓)にも窺えます。その鼓面には水を現す巴が描かれ、一方の火焔には龍が、いま一方には鳳凰がかたどられ、両者のてっぺんには、日輪と月輪がついています。人々が音楽や舞踊を通じて、農耕に欠かせない水を願ったのです。このように大陸の文化がわが国に入り、ダ太鼓や鳥居という形に変化したのでしょう。

 因みに神様との垂直の交信に用いられたのがハシラ(柱)、水平方向がハシ(橋)、命を戴く食物の摂取にはハシ(箸)と言うように、ハシという言葉には、見えない神秘とつながっているのです。
                       枚岡神社 宮司 中 東  弘


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