旅する冒険ランナーのブログ

今度は北アメリカ大陸単独横断RUNだ~っ

豚のいた教室

2011-07-29 00:06:15 | Weblog
 3年前に見逃してしまった映画がテレビでやっていた。新任教師が命の教育をしようと、小学校6年生26人と「豚を育てて食べよう」と学校で飼う。当然飼っているうちにかわいくなって殺せなくなる。でも卒業するまでに自分たちで結論を出さねばならない。そこで誰かに飼ってもらう、か、食肉センターに送るか、で子どもたちが激論する。
 実話をもとに作られた映画。正しい答えはないし大人も答えられない。最後には食肉センター送る、という結論を全員が涙ながらに納得し、豚のPちゃんは業者にひきとられていく。アニメなんか見せてないので、この映画を学校で上映すればいいのに、と思う。
 イルカ、なら、鯨、なら、どうなのか? 実際に自分で捕らえて殺して食べれば、完全に自己完結する。釣ってきた魚を自分で料理して食べれば、矛盾がなく実に爽快だ。でも動物ならどうなのか? どこで線を引くのか? 
 サバイバル登山家の服部さんが鹿を銃で撃って食べるドキュメントをテレビで流したら、苦情の電話が殺到して、その番組は二度と放映できなくなったらしい。苦情を言ってきた人たちはどんな苦情を言ってきたのだろう。
 アラスカで世界最大のカレイ、ハリバット釣りをした。船宿には巨大なカレイの前で「どうだ?」とポーズをとった写真がたくさん並んでいた。巨大なカレイは下手したら自分よりも長生きしている。それを趣味で殺しているのだが、そのことに違和感も痛みもあまり感じない。でもそれはちゃんと食べつくすという結果があってのことで、自分じゃなくても誰かが食べてくれるなら一応納得はいく。
 ところがこれが動物だと生理的嫌悪感が先に出てしまう。船宿の中にフィッシング&ハンティングの店があって、そこにしとめたヤギの頭を並べて「どうだ!」と得意顔のおじさんの写真がはってあるのだが、これはやはり厳しい。
 理屈としては魚もヤギも同じなのに。
 海外では市場に生きたイキモノが売られている。食材が生きている方がもちろん新鮮だ。鶏を買って、その場でしめてもらったこともある。血が飛び散るとやはり「うっ」とくるが、でもそれはそれで割り切れる。
 ウガンダでキャンプ場にヤギを連れてきた黒人たちがいた。紐につながれたヤギは犬のように普通に歩いてきた。あまりにも普通なのでペットかな、と思っていたら、いきなり背の高い黒人に押し倒されたノドにナイフを突き立てられた。しかもナイフの切れが悪いので一発で死なず、ヤギは悲鳴をあげ、もだえた。しめるというより殺された、といった感じだった。ヤギはその場で解体されて足やら内臓やらの血まみれのパーツに。この段階ではまだ嫌悪感がある。ところが網の上で焼かれるといい匂いがしてきて、一緒に食べようと誘われて食べると旨い焼肉でしかない。
 大型獣の命が消える瞬間は、リアルに今命が消えたんだと分かる。では僕はどの段階で、ヤギを肉と認識したのだろう。
 できるものなら自分で食べるものを自分で捕まえたい。それが一番卑怯じゃない。

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2 コメント

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いのち (coco)
2011-09-22 02:09:06
何度も考えさせられるテーマ…色々考えがあるのにコメントし難い感覚です。

痛覚が無い、のが魚と聞いたのがつい最近(ホントですか?)でも生きながら捌くと痛がってる様で辛いトキは大型動物などに対する同じキモチで食します。
…そんな自分ですが、逼迫状況下に因り死んだら食べて、そして生きて。といわれたらカニバリズム宜しく冷酷に同種でも食べることが出来そうですよ~はは。
全部を今頃 (coco)
2012-02-04 23:18:02
観ました。
までは無かったから 少し拍子抜けましたが 対象の年齢を考えたらあたりまえでしたね。
子ども達の激論が、ナカナカ心に残りました。
捨て猫に段ボールハウス作っては神社の人に潰されたエピソード、思い出しました。

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