近代文明の弊[自分を見つめ]

無知で幸せな私が考える世の中

謝罪と原因究明

2017-11-18 08:25:18 | 日記
企業などは不正や事故の謝罪をなぜ役人にするのか。国民に対して謝罪するのか。無関係な国民は謝罪されても困る。
不利益を被(こうむ)った人々に謝罪するべきではないのか。その状況を報道してほしい。
役人は謝罪を受け入れるのでなく、なぜ不正を見抜けなかったのか。なぜ事故を未然に防げなかったのかを反省すべきだろう。「原因の究明と再発防止策を報告するように指導した」と報道されるが、役人は具体的に何をしていたのだろうか? 監督するということは報告を待つことなのだろうか? 役人は企業と対峙(たいじ)してほしい。

役人はいろんなことを調査していることになっている。相手企業に日時・場所を指定して調査する。これでちゃんと調査できるのだろうか? 性善説での対応だろう。抜き打ち検査しないと実体は把握できない。企業と官庁が緩やかな癒着[=もたれあい]しているからだろう。

「水清ければ魚棲まず」 ことを荒立てないのが日本の文化だと誇って良いのだろうか。

角界に対し疑念が広がっている。
はっきり説明しない日本の文化が根底にあるのではないだろうか。そして素人探偵団が独自には何も調査しないで憶測を発表し、それが尤(もっと)もらしく流布(るふ)していく。事実が何か分からなくなる。
そして警察が介入したら警察の方針が決定するまですべての関係者が口を噤(つぐ)んでしまう。
それが日本の伝統的な問題解決法なんだろうね。

本当の原因を究明すればいろんなところで血が出てくる。膿(うみ)を出し切って初めて、再発が防止できるのではないだろうか。
モリ・カケでも不明瞭な説明内容のままでは再発は免(まぬが)れないだろう。

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