近代文明の弊[自分を見つめ]

無知で幸せな私が考える世の中

老いを考える

2015-12-14 22:45:44 | 日記
人の命が大切だといって意識の無い90歳の老人に人工呼吸器をつけて延命する意味はあるのでしょうか。百歳を超えた老人が施設生活を拒み80歳前後の子供に世話を頼むのは、わがままと言ってはいけないのでしょうか。
どうやって老い、どうやって安らかに逝くのかの話は今まで禁忌(タブー)でした。年寄りに「あなたは何歳までいきるの?」などとは今でも訊けません。

現在の年金の問題、少子化の問題の根本原因は老人の長寿です。政府役人の計算ミスですが、いまさら言っても何の解決にもなりません。
これからは老人の長寿の害を直視していかなければならないでしょう。人間はいつまでも生き続けることはできません。広い意味の子孫のことを考えて、生きる道を探しましょう。

子供たちには未来があります。老人にはそれはあまりありません。
資源は限りがあります。現今みんながそれを奪い合って生きています。誰もに潤沢に資源を需給できればよいのかもしれませんが、それは無理です。誰かがその恩恵を受ければ、誰かは我慢しなくてはいけません。できれば老人が我慢して、若者が享受したほうがよいのではないでしょうか。老人対策その費用があれば幼児・児童をどれくらい健全に育てることができるのでしょうか。

そのためには老人教育が必要でしょう。目上を教育することは難しい。

意見発信の心得

2015-12-01 20:16:54 | 日記
 自分の心の声を言葉にするとヘイトスピーチになることがある。無意識のうちに相手の感情を傷つけてしまう。自分で発信する言葉・文章は注意しないといけない。変な言葉を使って大問題になる。でも事前に誰も教えてくれない。そんなのアタリマエ。
 自分の使った言葉に対して、受ける攻撃を全て自分で受け止める覚悟で発信するのです。安易に発信してはだめ。よく考えて、今までの知識を全て込めて発信するのです。自分の発言に「責任」を持てばいいのです。世の中やってみなけりゃ分からない。それが勉強なのでしょう。
 ただ発信前には10回ぐらいは読み直した方がよい。ミスは恥ずかしい。
 差別用語といわれる言葉は使ってはいけないの? 使っていいですよ。差別用語? ひょとして蔑視・侮蔑用語のことですか。最近オブラートに包んだ表現が多い。それは理解の妨げ。言葉は区別、差別するために存在している。他のものとの差を示すためにそれぞれ名前を付け言葉を作り出している。差別してない言葉など存在しない。
 昔は普通に使われていた言葉が変な自主規制を受けている。どういう時どういう風に使うと相手を蔑視する表現になるの。単に「びっこ」、「めっかち」、「ぶらく」、「支那」という単語は差別ではないはず。「ぶらく」は集落の意味ではないですよ。
 文脈で蔑視になるのかどうかが決まるはず。だけど文脈の判断は難しい。いいか悪いか意見が分かれる。統一見解はない。判定する人がいない。その都度、問題にするしかない。各個人がその文脈に責任をもって表現しろということのようだ。言い換え用語は蔑視にならないの? 実体は何も変わらない。マスメディアは自主規制する。批判を受ければ担当者の命取り。
 例えば「盲」が差別用語といわれ「目が不自由な人」とすべてを言い換えることになるでしょう。文章のニュアンスが変わってしまう。その時代を生きて、文章で表現していた人たちが、勝手な解釈で表現を変更されたら、執筆者は何と思うでしょうか? 子孫の人々はなんと我々過去の人を敬(うやま)はなくなったのでしょう。言葉は生き物です。その時代の状況・情勢を映しています。

 日本語変換IMEでは「しな」を「支那」に変換してくれない。
「ぶらく」は政府・日本が一生懸命に隠蔽しているので意味が中々分からない。

 自分の言葉で周りを見ながら発信しましょう。