A19 Manger, P. R. (2006).
An examination of cetacean brain structure with a novel hypothesis correlating thermogenesis to the evolution of a big brain.
Biological Reviews of the Cambridge Philosophical Society, 81, 293-338. [link]
熱発生を大きな脳の進化に相互に関連させる新奇の仮説でクジラ目の脳構造を検証する
このレヴューは、行動や進化に関連するクジラ目〔鯨類〕の脳構造の側面を調べている。おもに考慮するものとして、クジラ目の脳‐身体のアロメトリ、大脳皮質の構造、海馬形成、クジラ目の脳の発声に関連する分化〔特殊化〕、および睡眠現象を含んでいる。これらのデータは、よく力説されるクジラ目の高度な知的能力のための神経基盤がないことを実証するものとして理解される。これにもかかわらず、クジラ目は、たしかに体積測定上は大きな脳をもっている。クジラ目で大きさが大きくなるように脳が進化してきたことについての新奇の仮説を提唱する。異常に数の多いグリア細胞〔神経膠細胞〕と半球ごとの睡眠現象との組みあわせが、クジラ目の脳を効率的な熱発生器官にしていると示され、このことは水中への熱損失を中和するのに必要とされる。水温が、クジラ目において脳の大きさと身体の大きさとの比率を変化させたり、実際の脳の大きさを増大させたりしたおもな選択圧であると実証される。クジラ目の進化史上のある時点で、水温がクジラ目の脳進化において重要な選択圧になったと考えられる。これは、ムカシクジラ亜目で生じた――すなわち、現代のクジラ目への動物相の変遷だった。クジラ目の脳の大きさ、構造、比率は、現生クジラ目で水温によって形づくられつづけている。クジラ目の脳の構造、機能、および比率が変化したことは、水中で経験する熱損失の割合に耐えられる子孫を産まねばならない必要性と結びつけられて、クジラ目の脳の大きさが大きく進化したことにたいする説明を与えている。これらの観察は、クジラ目において脳の大きさと知性とが相関しているというひろく抱かれた信念に代案を与える。
キーワード:知性(intelligence)、アロメトリ(allometry)、脳の大きさ(brain size)、新皮質(cerebral cortex)、グリア(glia)、海洋哺乳類(marine mammals)。
Yahoo!ニュースにもなっていたロイター通信の「インタヴュー:科学者はイルカが馬鹿であると言う」([link]。日本語[link])という記事がある。この記事でインタヴューを受けたヴィトヴァテルスラント大学(南アフリカ共和国)のパウル・R・マンゲル(ポール・R・マンガー)によるレヴューを紹介する。そもそもこの著者がインタヴューを受けた理由は、このレヴューを発表したからである。
といっても、長いので、導入と結論くらいしか読んでいません。
ここでいうクジラ目は、クジラ、イルカ、シャチなど全般にわたっています。
脳そのものだけでなく行動について触れているが、微妙な書き方をしている。まるで「イルカは馬鹿」という方向にもっていきたいかのように思えてしまう書き方(これは、著者マンゲルにたいして悪意のある見方になってしまうのだろうか)。例を挙げると、「クジラ目の発声が意味論的な意味をもっていることは、一般的に信じられている。しかし、この想定は、もっと厳密で非擬人的なアプローチによって、つまり動物が何を言おうとしているかを調べるかわりに動物が発声で何を達成するのかを調べることによって、挑まれうる」(p. 318)と書かれている。しかし、イルカの署名ホイッスルのような信号に「意味論的な意味」を見出すという安易な想定は、本当に行動学者のなかで広がっていたのだろうか。その点、すこし疑問である。たとえば、次のピーター・L・チャックによるレヴューの章では、マンゲルの論文より豊かな例をとりあげながらも、意味論的な解釈には慎重であると思う。
箇条書きになっている結論の要約。
(1) クジラ目の知的能力とされているものに神経学的な相関はないこと、および現生クジラ目の脳の進化は水温の観点から説明されうることが、実証されている。
(2) EQ(脳化指数)〔脳-身体の比〕は、小さいクジラ目では大きくなり、大きいクジラ目では小さくなる。同一種では数値は安定している。
(3) グリア細胞が、神経細胞に比べて多く(つまり神経細胞や皮質領域が少なく)、〔高次認知と関連する〕前頭前野が明確でなく、さらに海馬が小さいなど、神経解剖学的な特徴は、新皮質の処理能力の高さを支持しない。
(4) クジラ目の発声の操作は、脳幹でなされている。新皮質で操作されているヒトの言語と異なる。クジラ目の〔ヒト状の〕言語能力や文化能力に反する示唆を与える。
(5) 脳半球ごとの睡眠は、水中での熱損失を抑える。脳そのものは、比較的多いグリア細胞の代謝によって抑えている。
(6) クジラ目の脳の大きさの進化の過程には、約3200万年前にひとつの区切りがあった。これは、地球的な水温の低下の時期と一致した。
(7) 小さいイルカ目の相対的に脳が大きいことの基礎となる要因として以前に提案されたものは、すべてのデータを説明できない。それを知性と関連づける理論は無根拠の想定に頼っている。発声は種に典型的な7つの鳴き声である。音響システムが特殊化していても、特殊化の程度は通常の脳の大きさの哺乳類と類似している。霊長目とクジラ目との行動的な収斂の根拠となる想定は、信頼できないものと示されている。
(8) データは、水温が選択圧であると示した。クジラ目の移行の区切りでは、脳の大きさの増大と水温の低下とが同時に起きた。脳構造や睡眠現象は、脳が熱発生器官であろうと示す。さまざまな現生クジラ目について、EQと生息域の水温範囲とが有意に関係しているとわかった。クジラ目の脳の実際の大きさは、3つの制約の組みあわせによると示された。3つの制約とは、真獣下綱の哺乳類のアロメトリ的出生体重、海洋哺乳類の低体温症を回避するのに必要な最小出生体重、成クジラ目のEQと水温とのアロメトリ的関係である。
(9) ほかの海洋哺乳類の証拠により、クジラ目についてのこの熱発生仮説は信頼でき、現生および絶滅クジラ目において脳の大きさ、脳の解剖的特徴、行動、睡眠現象を説明する検証可能な代案の仮説である。
(10) それは、これらの特徴を〔種に〕特有かつ重要な環境選択圧と結びつけた最初の仮説である。
結局通読していないので言い切ってしまうことはできないが、上のチャックのレヴューからすると、たとえば音声についても単純に種に典型的な音声ですませられないところがあるようだ。いずれにしても、このレヴューの内容から、すぐインタヴューにある「イルカは馬鹿」とまではならないと思われるが、やはり全文を読み通してはいないので、断言しかねます。
またこのレビューを読む機会があれば、次の点に焦点を当てて読みたい。
● マンゲルのとりあげたクジラ目の行動研究が網羅的なものなのか。
● 神経解剖学的特徴など著者の挙げた根拠から、クジラ目がそれほど知性が高くないという著者の主張までの論理的な流れについて、もうちょっと詳しく読みこむ。
ところで、ロイター通信の記事の日本語版だが、タイトルが「イルカよりネズミや金魚の方がまだ賢い=南アの研究者」なのに、マンゲルがイルカとネズミ、金魚を比較している箇所が訳出されていない。英語版によると、
2006-09-09
最後のほうを追加。
An examination of cetacean brain structure with a novel hypothesis correlating thermogenesis to the evolution of a big brain.
Biological Reviews of the Cambridge Philosophical Society, 81, 293-338. [link]
熱発生を大きな脳の進化に相互に関連させる新奇の仮説でクジラ目の脳構造を検証する
このレヴューは、行動や進化に関連するクジラ目〔鯨類〕の脳構造の側面を調べている。おもに考慮するものとして、クジラ目の脳‐身体のアロメトリ、大脳皮質の構造、海馬形成、クジラ目の脳の発声に関連する分化〔特殊化〕、および睡眠現象を含んでいる。これらのデータは、よく力説されるクジラ目の高度な知的能力のための神経基盤がないことを実証するものとして理解される。これにもかかわらず、クジラ目は、たしかに体積測定上は大きな脳をもっている。クジラ目で大きさが大きくなるように脳が進化してきたことについての新奇の仮説を提唱する。異常に数の多いグリア細胞〔神経膠細胞〕と半球ごとの睡眠現象との組みあわせが、クジラ目の脳を効率的な熱発生器官にしていると示され、このことは水中への熱損失を中和するのに必要とされる。水温が、クジラ目において脳の大きさと身体の大きさとの比率を変化させたり、実際の脳の大きさを増大させたりしたおもな選択圧であると実証される。クジラ目の進化史上のある時点で、水温がクジラ目の脳進化において重要な選択圧になったと考えられる。これは、ムカシクジラ亜目で生じた――すなわち、現代のクジラ目への動物相の変遷だった。クジラ目の脳の大きさ、構造、比率は、現生クジラ目で水温によって形づくられつづけている。クジラ目の脳の構造、機能、および比率が変化したことは、水中で経験する熱損失の割合に耐えられる子孫を産まねばならない必要性と結びつけられて、クジラ目の脳の大きさが大きく進化したことにたいする説明を与えている。これらの観察は、クジラ目において脳の大きさと知性とが相関しているというひろく抱かれた信念に代案を与える。
キーワード:知性(intelligence)、アロメトリ(allometry)、脳の大きさ(brain size)、新皮質(cerebral cortex)、グリア(glia)、海洋哺乳類(marine mammals)。
Yahoo!ニュースにもなっていたロイター通信の「インタヴュー:科学者はイルカが馬鹿であると言う」([link]。日本語[link])という記事がある。この記事でインタヴューを受けたヴィトヴァテルスラント大学(南アフリカ共和国)のパウル・R・マンゲル(ポール・R・マンガー)によるレヴューを紹介する。そもそもこの著者がインタヴューを受けた理由は、このレヴューを発表したからである。
といっても、長いので、導入と結論くらいしか読んでいません。
ここでいうクジラ目は、クジラ、イルカ、シャチなど全般にわたっています。
脳そのものだけでなく行動について触れているが、微妙な書き方をしている。まるで「イルカは馬鹿」という方向にもっていきたいかのように思えてしまう書き方(これは、著者マンゲルにたいして悪意のある見方になってしまうのだろうか)。例を挙げると、「クジラ目の発声が意味論的な意味をもっていることは、一般的に信じられている。しかし、この想定は、もっと厳密で非擬人的なアプローチによって、つまり動物が何を言おうとしているかを調べるかわりに動物が発声で何を達成するのかを調べることによって、挑まれうる」(p. 318)と書かれている。しかし、イルカの署名ホイッスルのような信号に「意味論的な意味」を見出すという安易な想定は、本当に行動学者のなかで広がっていたのだろうか。その点、すこし疑問である。たとえば、次のピーター・L・チャックによるレヴューの章では、マンゲルの論文より豊かな例をとりあげながらも、意味論的な解釈には慎重であると思う。
箇条書きになっている結論の要約。
(1) クジラ目の知的能力とされているものに神経学的な相関はないこと、および現生クジラ目の脳の進化は水温の観点から説明されうることが、実証されている。
(2) EQ(脳化指数)〔脳-身体の比〕は、小さいクジラ目では大きくなり、大きいクジラ目では小さくなる。同一種では数値は安定している。
(3) グリア細胞が、神経細胞に比べて多く(つまり神経細胞や皮質領域が少なく)、〔高次認知と関連する〕前頭前野が明確でなく、さらに海馬が小さいなど、神経解剖学的な特徴は、新皮質の処理能力の高さを支持しない。
(4) クジラ目の発声の操作は、脳幹でなされている。新皮質で操作されているヒトの言語と異なる。クジラ目の〔ヒト状の〕言語能力や文化能力に反する示唆を与える。
(5) 脳半球ごとの睡眠は、水中での熱損失を抑える。脳そのものは、比較的多いグリア細胞の代謝によって抑えている。
(6) クジラ目の脳の大きさの進化の過程には、約3200万年前にひとつの区切りがあった。これは、地球的な水温の低下の時期と一致した。
(7) 小さいイルカ目の相対的に脳が大きいことの基礎となる要因として以前に提案されたものは、すべてのデータを説明できない。それを知性と関連づける理論は無根拠の想定に頼っている。発声は種に典型的な7つの鳴き声である。音響システムが特殊化していても、特殊化の程度は通常の脳の大きさの哺乳類と類似している。霊長目とクジラ目との行動的な収斂の根拠となる想定は、信頼できないものと示されている。
(8) データは、水温が選択圧であると示した。クジラ目の移行の区切りでは、脳の大きさの増大と水温の低下とが同時に起きた。脳構造や睡眠現象は、脳が熱発生器官であろうと示す。さまざまな現生クジラ目について、EQと生息域の水温範囲とが有意に関係しているとわかった。クジラ目の脳の実際の大きさは、3つの制約の組みあわせによると示された。3つの制約とは、真獣下綱の哺乳類のアロメトリ的出生体重、海洋哺乳類の低体温症を回避するのに必要な最小出生体重、成クジラ目のEQと水温とのアロメトリ的関係である。
(9) ほかの海洋哺乳類の証拠により、クジラ目についてのこの熱発生仮説は信頼でき、現生および絶滅クジラ目において脳の大きさ、脳の解剖的特徴、行動、睡眠現象を説明する検証可能な代案の仮説である。
(10) それは、これらの特徴を〔種に〕特有かつ重要な環境選択圧と結びつけた最初の仮説である。
結局通読していないので言い切ってしまうことはできないが、上のチャックのレヴューからすると、たとえば音声についても単純に種に典型的な音声ですませられないところがあるようだ。いずれにしても、このレヴューの内容から、すぐインタヴューにある「イルカは馬鹿」とまではならないと思われるが、やはり全文を読み通してはいないので、断言しかねます。
またこのレビューを読む機会があれば、次の点に焦点を当てて読みたい。
● マンゲルのとりあげたクジラ目の行動研究が網羅的なものなのか。
● 神経解剖学的特徴など著者の挙げた根拠から、クジラ目がそれほど知性が高くないという著者の主張までの論理的な流れについて、もうちょっと詳しく読みこむ。
ところで、ロイター通信の記事の日本語版だが、タイトルが「イルカよりネズミや金魚の方がまだ賢い=南アの研究者」なのに、マンゲルがイルカとネズミ、金魚を比較している箇所が訳出されていない。英語版によると、
マンゲルは、観察研究で見られた行動が、イルカを馬鹿だとする自分の偶像破壊的な考えを支持していると述べた。
「実験用のラットやアレチネズミでもいいが、動物を箱に入れてみると、その動物が最初にやりたがるのは、そこからよじ登って出ようとすることだ。キンギョの鉢に蓋を置き忘れると、そのキンギョはやがて、住まう環境を広げようとして跳びだすだろう」と彼は述べた。
「しかし、イルカはそうしようとしないだろう。海洋公園にはプール間を仕切ってイルカたちを分けへだてる隔離壁が設置されているが、それは水面から1ないし2フィートしかない」と彼は述べた。
なぜ跳びこえないのか。マンゲルが述べるには、その〔跳びこえようという〕考えが彼らの洗練されていない心に及ばないからである。
とのことである。私としては、隣の水槽にいる個体はいまの水槽にいる仲間より別段仲がよいわけでもないのだから、わざわざ隣に跳び移ろうとする動機がないと思う。また、いくら逃げるという行動をとるからといって、水のないところに跳びだすキンギョを逃げないイルカより知的であるとすることも、不可解だと思う。まだ続く。
「実験用のラットやアレチネズミでもいいが、動物を箱に入れてみると、その動物が最初にやりたがるのは、そこからよじ登って出ようとすることだ。キンギョの鉢に蓋を置き忘れると、そのキンギョはやがて、住まう環境を広げようとして跳びだすだろう」と彼は述べた。
「しかし、イルカはそうしようとしないだろう。海洋公園にはプール間を仕切ってイルカたちを分けへだてる隔離壁が設置されているが、それは水面から1ないし2フィートしかない」と彼は述べた。
なぜ跳びこえないのか。マンゲルが述べるには、その〔跳びこえようという〕考えが彼らの洗練されていない心に及ばないからである。
彼らは海洋公園で跳んで輪をくぐるが、それは彼らが食物報酬にたいして条件づけられてきたからにすぎない――このことは、合理的な思索者というよりはひたむきな捕食者の脳を備えていることを示唆するだろう。
「イルカは現に、16の刺激反応事象を連鎖させられるが、これはよい調教師がいることを示すが、知的動物がいることを示しはしない。刺激-反応という条件づけは、低水準の知的行動であると考えられている」とマンゲルは述べた。
オペラント条件づけでいう反応連鎖にすぎないと主張している。16の反応連鎖そのものは条件づけで成立しているとしても、実際のイルカショーの訓練には、条件づけ以上のものが含まれていそうだと思うが、どうだろうか。イルカの調教師の方の話で、1個体が覚えるとほかの個体の覚えが早いといったことを聞いたことがある(うろ覚えなのでちがっているかもしれない)。最後は、
「イルカは現に、16の刺激反応事象を連鎖させられるが、これはよい調教師がいることを示すが、知的動物がいることを示しはしない。刺激-反応という条件づけは、低水準の知的行動であると考えられている」とマンゲルは述べた。
マンゲルはまた、イルカが網に捕らえられて殺されるのを防ぐため、消費者圧のもとであらゆることをしかねないマグロ産業にも触れた。
「もし彼らが本当に知的であるなら、魚網は水中から出ないのだから、それを跳びこえさえすればよいだろうに」と彼は述べた。
と締められている。Wikipediaのネズミイルカの項(英語版の翻訳のようだ)によれば、反響定位で魚網を検出できるが、その能力は実際に魚網を避けるのに利用されていないそうだ。「もし彼らが本当に知的であるなら、魚網は水中から出ないのだから、それを跳びこえさえすればよいだろうに」と彼は述べた。
2006-09-09
最後のほうを追加。