ダイエー上場廃止・ブランド消滅が意味するもの
感無量という方も多いでしょう。
2014.12.25 07:00 THE PAGE より
大手スーパー「ダイエー」が明日26日をもって上場廃止となります。同社の親会社である「イオン」は9月にダイエーの完全子会社化を発表しています。来年春までに、ダイエーはイオンの完全子会社になる予定となっており、「ダイエー」のブランド名も消滅します。
イオンによるダイエーの吸収とブランドの廃止は、昭和のスーパー全盛時代を知る人にとっては、感慨深い出来事だといわれています。それはイオンとダイエーの両社は、かつて「流通革命」の旗手と呼ばれた会社だったからです。
戦後の余韻がまだ残る1950年代後半、ダイエーは神戸の小さなドラッグ・ストアからスタートしました。創業者の故中内功氏は、太平洋戦争に徴兵され、九死に一生を得て帰還したのですが、多くの戦友が餓死する中、アメリカ軍の兵士がアイスクリーム食べ放題だったことを知り、衝撃を受けます。物質的に豊かになることが人の幸せにつながるという中内氏の信念には、この戦争体験が大きく影響しているといわれています。
「価格破壊」を旗印に、生活者の視点で安い商品を大量に提供するというビジネス・モデルは、高度経済成長時代にうまくマッチし、同社は急成長を遂げます。アメリカでは、ウォルマートのような、安値販売をウリにする超巨大スーパーが次々に誕生しており、商品の価格決定権はメーカーから小売店にシフトしていました。これを流通革命と呼ぶのですが、ダイエーは日本でもこれを実現しようと、現在のイオンなどとタッグを組み、メーカー側と激しい争いを演じました。現在では商品が定価よりも安く販売されていることは当たり前ですし、メーカー側が定価を設定しないケースもありますが、それは、イオンやダイエーといった大型小売店の台頭によって実現したものです。
日本では政府の規制があり、大規模な店舗を自由にオープンすることができません。このためダイエーは規模ではなく、店舗数でカバーしようと、数多くの同業スーパーを買収していきます。しかし、無理な拡大路線は、その後、あちこちで綻びを見せ始めます。店舗数が多く、1店舗あたりの収益が低いため、低成長時代に入ると、同社の業績は急激に悪化してしまったのです。2001年には創業者の中内氏が退任し、2004年には産業再生機構の支援を受けることになってしまいます。
その後、イオンが資本参加して現在に至っているわけですが、イオンの傘下に入った後も、ダイエーの業績はあまり良くありません。既存店の売上げ不振が続き、2期連続の営業赤字となってしまったことで、イオンはダイエーの完全子会社化を決定しました。
国内市場は、人口減少で規模の縮小が進んでおり、イオンは今後、大規模な店舗の集約を行わないと、従来の利益率を維持することが難しくなっています。このため複数ブランドによる独立した運営をやめ、全社的なオペレーションを強化する方針と考えられます。
ダイエーの消滅は、まさに日本が高度成長の時代から人口減少の時代に転換したことの象徴といえるでしょう。
(The Capital Tribune Japan)
感無量という方も多いでしょう。
2014.12.25 07:00 THE PAGE より
大手スーパー「ダイエー」が明日26日をもって上場廃止となります。同社の親会社である「イオン」は9月にダイエーの完全子会社化を発表しています。来年春までに、ダイエーはイオンの完全子会社になる予定となっており、「ダイエー」のブランド名も消滅します。
イオンによるダイエーの吸収とブランドの廃止は、昭和のスーパー全盛時代を知る人にとっては、感慨深い出来事だといわれています。それはイオンとダイエーの両社は、かつて「流通革命」の旗手と呼ばれた会社だったからです。
戦後の余韻がまだ残る1950年代後半、ダイエーは神戸の小さなドラッグ・ストアからスタートしました。創業者の故中内功氏は、太平洋戦争に徴兵され、九死に一生を得て帰還したのですが、多くの戦友が餓死する中、アメリカ軍の兵士がアイスクリーム食べ放題だったことを知り、衝撃を受けます。物質的に豊かになることが人の幸せにつながるという中内氏の信念には、この戦争体験が大きく影響しているといわれています。
「価格破壊」を旗印に、生活者の視点で安い商品を大量に提供するというビジネス・モデルは、高度経済成長時代にうまくマッチし、同社は急成長を遂げます。アメリカでは、ウォルマートのような、安値販売をウリにする超巨大スーパーが次々に誕生しており、商品の価格決定権はメーカーから小売店にシフトしていました。これを流通革命と呼ぶのですが、ダイエーは日本でもこれを実現しようと、現在のイオンなどとタッグを組み、メーカー側と激しい争いを演じました。現在では商品が定価よりも安く販売されていることは当たり前ですし、メーカー側が定価を設定しないケースもありますが、それは、イオンやダイエーといった大型小売店の台頭によって実現したものです。
日本では政府の規制があり、大規模な店舗を自由にオープンすることができません。このためダイエーは規模ではなく、店舗数でカバーしようと、数多くの同業スーパーを買収していきます。しかし、無理な拡大路線は、その後、あちこちで綻びを見せ始めます。店舗数が多く、1店舗あたりの収益が低いため、低成長時代に入ると、同社の業績は急激に悪化してしまったのです。2001年には創業者の中内氏が退任し、2004年には産業再生機構の支援を受けることになってしまいます。
その後、イオンが資本参加して現在に至っているわけですが、イオンの傘下に入った後も、ダイエーの業績はあまり良くありません。既存店の売上げ不振が続き、2期連続の営業赤字となってしまったことで、イオンはダイエーの完全子会社化を決定しました。
国内市場は、人口減少で規模の縮小が進んでおり、イオンは今後、大規模な店舗の集約を行わないと、従来の利益率を維持することが難しくなっています。このため複数ブランドによる独立した運営をやめ、全社的なオペレーションを強化する方針と考えられます。
ダイエーの消滅は、まさに日本が高度成長の時代から人口減少の時代に転換したことの象徴といえるでしょう。
(The Capital Tribune Japan)