雪月花 季節を感じて

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秋は琳派

2007年10月17日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 秋冷の候 散歩道に白椿をミニチュアにしたようなお茶の花を見つけました。ちいさな花弁は雪片のよう‥と思っていましたら、北海道から初雪のたよりがとどきました。耳をすませば冬の足音が聞こえそうです。


 みなさまも思い思いの芸術の秋をお楽しみのことと思います。東京近郊の美術館や博物館におきましても興味深い企画展が目白押しで、できるだけ絞って鑑賞するようこころがけているわたしも、つい迷ってしまいます。それでも、秋のはじまりは「琳派」と決めて、毎年これだけは守りつづけています。秋はどこかでかならず琳派展が開催されます。今年は、吉天さんからご案内いただいた「社団法人日本伝統染色工芸保存協会創立三十周年記念特別展 琳派百図展」(10月20日(土)、於:時事通信ホール)を皮切りに、出光美術館の「乾山の芸術と光琳」をめぐるのが楽しみです。わたしの琳派好きは相変わらずです ^^ゞ

 「琳派百図展」と聞いて、久しぶりに古い本を書棚からひっぱり出しました。1974年春に刊行された『別冊太陽 琳派百図』(平凡社)です。(右上の画像) これは、いまは亡き田中一光氏(たなかいっこう、1930-2002年、琳派に影響を受けた日本を代表するアートディレクター、グラフィックデザイナー)が構成したたいへん貴重な─わたしにとっては奇跡のような、およそ二百年前に酒井抱一が琳派顕彰のために編んだ『光琳百図』の現代版ともいえるような─ 一冊なのです。水尾比呂志氏(美術史家、民芸運動家)と田中一光氏の対談記録を読み返しますと、あらためて「琳派デザイン」が日本の美術・芸術の根幹をなしていると実感します。
 いま「琳派デザイン」といいましたように、琳派は(すくなくとも光琳、乾山の時代までは)一流のアートディレクター兼デザイナーだとわたしは思っています。絵師の絵ではない。同じく江戸期に活躍した狩野派、土佐派、雪舟や長谷川等伯などは、時代の要請に応えた絵を遺しましたが、それ以上のものにはなりえなかった。それに対し、宗達、光悦、光琳、乾山は、当時もっとも経済力をもっていた町衆の芸術で、庶民の暮らしのすみずみまで浸透したデザインだったということは、もっと意識されていいとつねづね思っているのですが、そのことをこの本の中で田中一光氏が指摘されていて感激した覚えがあります。琳派は、その独特の技法で“生活文化”を完成し、その源流は時を越えて現代までつづいています。

 たとえば、上の画像の「光琳○○」という図案の数々は、みなさまもきっとどこかで目にしたことがあるでしょう。(わたしには、即消しゴムはんこにしたくなる図案ばかりなのですけど ^^) 田中氏の言を借りれば、「まんじゅうに、ちょっと光琳紋を入れるだけで一応かっこうがつく」という、まさに融通むげなデザイン。なるほど、おまんじゅうに永徳や雪舟の絵の焼印を入れても、ちっとも美味しそうには見えないかも(笑) 「円形、ふくらみ、ユーモア、リラックス、トリミング‥」が琳派デザインの重要なキーワードですけれども、これは京のみやびそのものであり、さらに江戸の粋をも包含しているといっても、過言ではないでしょう。
 拙記事「伝統工芸との距離」にも書きましたように、これからの工芸は生活文化となりえるか、現代の暮らしにどこまで入りこめるかが重要と考えます。


 いつでしたか、京都は上賀茂の社家町界隈を歩いていて、ふと立ち寄った公開中の社家で、宗達の「風神雷神図」を織りこんだ帯を見せていただいたことがありました。その技術もさることながら、宗達の筆の勢いをみごとにとらえていて、光琳や抱一の「風神雷神図」よりもずっと宗達の絵に迫っているのではとさえ思われた逸品でした。西陣の帯とのことでしたけれども、西陣にこれだけの腕をもつ職人さんがいる、ということに心底驚いたことでした。きっと、この職人さんも今回の「琳派百図展」に出品しているにちがいない‥と期待はふくらみます。

 10月20日の一日のみの開催となる「琳派百図展」。みなさまも、ぜひこの機会に琳派のインターナショナル・デザインに触れてみませんか。

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