瀬戸市民言論広場

明るい未来社会をみんなで考えるために瀬戸市民言論広場を開設しました。

隔靴掻痒

2017年02月16日 | お知らせ
新年度を迎えるにあたり、市民は確定申告、こどもたちは入学試験、そして行政は当初予算の季節です。

2月10日中日新聞なごや東版に瀬戸市予算案が、同版14日には組織改正案、奨学金返還一部補助が掲載されました。(記事詳細は中日新聞をご覧ください)

当初予算案を審議する3月定例会は2月21日から始まります。
当初予算案は所管事務別に予算決算分科会で審議しますが、事前に行政からのレクチャー(当初予算勉強会)が行われます。

2月15日総務生活分科会、事務担当課は
秘書室・行政課、防災本部・防災課、経営戦略室・人事室、環境課・クリーンセンター、市民課・支所、生活安全課・税務課、財政課・行委事務局・会計課・議会事務局

2月16日厚生文教分科会、事務担当課は
社会福祉課、高齢者福祉課、こども家庭課・のぞみ学園、健康課、国保年金課、学校教育課・図書館

2月17日都市活力分科会、事務担当課は
せとまちPT・アグリ・産業課、まるっと課・交流学び課、文化課・地域活動支援室、都市計画課・建設課、維持管理課、下水道課・浄化センター、水道課・浄水場

平成29年度は第6次総合計画の初年度であり、執行後決算は初めて統一公会計制度で行われます。




予算案のうち民生費などの義務的経費は、人件費と公債費の減少により数字上は若干回復しつつあります。
平成25年度は県下37都市で31位でしたが26年度は18位でした。
しかし当ブログ「視点・観点・論点 第17回」でお伝えしたように、高齢者医療等の扶助費はこの10年で倍増しています。

第6次総合計画は「住みたいまち 誇れるまち 新しいせと」という将来像を謳っています。
いまさらイヤミをいうつもりはありませんが、「住みたくないまち、誇れないまち 新しくないまち」でよいとする市民はいないはず。
政策色が見えない、どこの自治体でも誰にでも言えるスローガンです。
伊藤市政は「活力ある地域経済、安心して子育てできるまち、市民が自立し支え合うまち」とする予算編成だと説明しています。
くどくなりますが、「活力ない地域経済、安心できない子育て」がよいとする市民はいないはずでしょう。
これも政策色が見えない、どこの自治体でも誰にでも言えることばかりです。

3つ目の「市民が自立し支え合うまち」という定義や言わむとする意図を理解できないでいます。
市民の自立とおっしゃるのは、現状は自立できておらずもたれ合っているという認識なのでしょうか。
市民の自立とはどういう状態、態勢を定義しているのかお尋ねしたい。
「市民が自立し支え合う」ことをアウトカムとする予算はどの事務事業にいくら盛り込まれたのでしょうか。
行政は自立できていない市民に施しをする機関だという認識なのでしょうか。
みなさんはいかがお考えでしょう。



私たちは急速に変化する社会で生きています。
AIの発達によって近い将来、職業、職種は劇的に変るであろうと予測されています。
多くの専門職は人のちからを必要としなくなり、機械化されていく時代が来るといわれています。
年明けに新たなAI研究拠点として理化学研究所「革新知能総合研究センター」が東京日本橋にオープンしました。
シンギュラリティーの到来を予測した10年前の著書は今も売れ続けています。

地元の産業界も大なり小なり時代の激流に晒されるでしょう。
財源確保をアウトカムとする政策を真剣に議論する時代です。

観光でいくら稼げると試算しているのでしょう。
「ツクリテ」は文化事業なのですか、産業政策なのですか。
アウトカムが不明確なため市民には政策意図がわかりません。
平成24年版「瀬戸市地場産業振興ビジョン」にある「せともの祭り」に代表される陶磁器の廉売イメージの払拭と、ブランディングを目指す瀬戸焼展示会と整合性をとっての予算でしょうか。(この問題は行政だけで解決できると考えていません)

2月14日文部科学省は2020年度から実施予定の新学習指導要領案を発表しました。
幼稚園から中学校までの学習指導です。
国の政策は当ブログで扱うカテゴリーではありませんので、幼いうちからの英語教育は別のステージで議論します。

ところで瀬戸市の小中教育のあり方の議論を聞くと「高等教育を見据えた視点」がほとんどありません。
なぜでしょうか。劇的に社会変化が起きるといわれているのに。
社会で生きていけるようにするのが子育て教育ではないのでしょうか。

偏差値至上の価値感しかない大人は、学校も職場も「入ることだけ」を目標に定めます。
グローバル社会では名門校の卒業証書が実効力を発揮するのではありません。
グローバル社会を渡っていけるような子どもは、広く深い人間ネットワークを構築できる能力が高いのです。
保護者が知る由もないような世界的ネットワークです。
世界的に名門といわれる学校は知識や教養ではなく、人間ネットワークを構築できる環境が強みなのです。
東京大学等旧帝国大のプレゼンスが高いといわれたのは、同級同窓のネットワークが強みだったからです。

保護者が手引きしなくても、ひとりで羽ばたいていく子どもでなければグローバル社会を飛んでいくのはムリでしょう。
単一的な大人の価値感はときに子どもを不幸にします。

瀬戸市は地域の特性を活かし(過疎の限界集落地ではないでしょう)地元産業界と教育関係者、行政の3者でローカルで生きる進路を選択できる環境作りを議論するべきです。
義務教育終了後はグローバル(G)ローカル(L)、GかLかの進路選択が出来ようになる子ども教育を論点としてはどうですか。
都会に出ればどの子も何とかなるような時代ではありません。
現在でも日本人は唱歌「ふるさと」歌詞にある、志をたてていつの日にか故郷に錦を・・という明治以来の立身出世観が残照としてあるのでしょうか。
人的にも不動産的にも資産を持たない地方出身者が大都会に住んで苦労するのはある意味当然のことと言えます。
自身に関わってくる諸問題を金銭的に解決するほかないからです。

若者流失の減少、地元定住の促進という観点からも高等教育を見据えた議論が望まれます。

筆者は新聞報道にあった奨学金返済の一部補助は「スジ悪」の政策だと考えています。
憲法第22条に抵触しかねない案です。
担当は産業課となっていますが発案は産業課ではないようです。この点は明記しておきます。



行政組織の改編案ですが、ご存知のとおり昨年12月定例会で上程後に撤回するという実に40年ぶりの不首尾を伊藤市政はやってしまいました。
新聞報道によると2018年4月に予定されているようですが、この改編を行わなければならない合理的理由は何でしょうか。
「政策推進監」という役職が議会で問題視されたので撤回されたのなら、それはあまりに短絡的です。
伊藤市政は第6次総合計画を遂行するのに現行組織のどこに問題があり、新組織のどこに合理性があるのかを市民に対して説明する責任があります。
このような重要議案は「部下に任せる」のではなく、首長自らの声で説明をしていただきたい。

新組織の開始が2018年4月なら首長任期は残すところ一年です。
残す任期が1年で新組織に着手するというのはいかがなものでしょうか。
どうしても新組織が必要というのなら、ご自分で市民の代表である議会を説得し納得してもらえるようにしていただきたい。
筆者は再選を目指されるのなら、公約として市民に信を問うのがスジだと考えていますが。

筆者は予算が掛かる組織改編などしなくても、重要政策ごとに関連する企画担当者たちでプロジェクトチームを結成しチームを取り仕切るリーダーとして部長級を任命すればいいと考えています。
庁議である既存の政策会議や企画会議の特別編成とすればいいのです。
重要課題を解決するためには、どのような事務分掌の組織にしたところでひとつの部署でできるはずもなく、横断的複数の該当所管がチームを組まなければ解決できないと考えます。

人事問題なので当ブログは論じませんが、新組織議案の撤回後に行政管理部長が退職願を提出。3月定例会からは加藤慎也氏が管理部長に、経営戦略部長は空席で副市長が補佐します。
3月定例会本会議の理事者席をご覧下さい。

当ブログ「視点・観点・論点 第15回」で予算は政策を描いたキャンバスであると書きました。
市長就任後、一年後倒しにして、聞くこと第一をモットーに作成された伊藤市政の予算キャンバスはどのように描かれているのでしょうか。
市民のみなさんもご注目ください。
モットーやスローガンはさほど重要なことではありません。

政策事業は予算付けしたアウトカムを市民に説明していただかねば「ともにまちづくり」はムリです。



それにつけても財源確保の政策に民間人を探す予算案が見当たらないのは不思議ですね。
行政ですべて解決できるとでも・・・・。

「誇りに思うは地元のひと、魅力に感じるは余所のひと」なのにネ・・・。

自分で自分が売れると思っているのでしょうか・・・。

まるで「寅さん」ですね。
見上げたもんだよ屋根やのふんどし、たいしたもんだよ蛙の・・・失礼しました。

今回も読了いただきありがとうございました。








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