今回は当ブログ初の雑話です。悪しからず。
手酌しながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
喜びの深きとき憂い愈深く、楽しみの大いなる程苦しみも大きい。
これを切り放そうとすると身が持たぬ。
片付けようとすれば世が立たぬ。
金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。
恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。
閣僚の肩は数百万人の足を支えている。
背中には重い天下がおぶさっている。
閣僚とまでは言わずとも、まちの役人の肩は市民の足を支えている。
背中には重い街の未来がおぶさっている。
市井の輩にはなじみはないが、役人として職に就くとき宣誓するそうだ。
法に、宣誓書に署名してからでなければその職務を行ってはならない。とある。
「私は主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し、かつ、擁護することを誓います。
私は、地方自治の本旨を体するとともに公務を民主的かつ能率的に運営すべき責務を深く自覚し、全体の奉仕者として誠実かつ公正に職務を執行することを誓います。」(消防職員は別)
まちを良くしたいという矜持もあると信じたい。
とは言うものの、役人もひとの子。
いつでもどこでもやる気十分の滅私奉公とはいかない。
民間は営利が目的。
だから皆がやる気を無くせばオマンマにありつけない。
役人はやる気満々も、やる気喪失も、オマンマに直結しない。
上司が決めてだ。
役所の組織は功利主義だけで動かせない。
納得いかない上司には逆らわないが、従うフリが彼らの知恵だ。
税金の無駄遣いだけでない。
役人の士気低下が納税者には一番の損失となるのだ。
役所や議会が開く集会にはできるだけ参加するようにしているが、ろくに下調べもせず、考えもせず、まるで居酒屋での酒席のように思うに任せる「マイクハナサ~ズ」のオヤジやおばさんに出くわす。(若者はしない、というか、いない)
役所や議会が開く集会は「公」の場だ。
参加するのは気軽で結構だろうが、発言するならそれなりの調べと言葉の品を持ってもらいたい。
役人や議員に暴言浴びせご本人は溜飲を下げてご満悦なのだろうが、聞かされている者の身になってほしいし、これっぽっちも議論の足しにならないのだ。
問われるのは議論力。話し合う力だ。
民主制度であるかぎり、この力を養わねば良くはならない。
なぜだかこのところ夫の機嫌がいい。
念願のマイホームが都心の職場から近くて、家族と過ごす時間が長いからだろうか。
休日には子どもたちといっしょに出かけ、森林公園を散歩するのが日課になっている。
そして家に帰ったと思えば、やはり子どもたちといっしょに、庭でガーデニングを楽しんでいる。
顔を泥だらけにしながら、仲良く笑いあう。
そうだ、この街に来てからというもの・・・
名鉄瀬戸線で見つけた「家族ができたら、」という車内広告(天体観測編もある)。
お隣さんも懸命なのだ。
歴史と地場産業だけで届くのか。
伝わらなければ発していないのと同じである。
都市経営は役人だけでは収められない。
若もの、よそもの、の話を聞くことだ。
この手の話なら一献交えながらでもよかろうに。
次回は通常ブログにもどり、12月定例会続報をお伝えします。
手酌しながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
喜びの深きとき憂い愈深く、楽しみの大いなる程苦しみも大きい。
これを切り放そうとすると身が持たぬ。
片付けようとすれば世が立たぬ。
金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。
恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。
閣僚の肩は数百万人の足を支えている。
背中には重い天下がおぶさっている。
閣僚とまでは言わずとも、まちの役人の肩は市民の足を支えている。
背中には重い街の未来がおぶさっている。
市井の輩にはなじみはないが、役人として職に就くとき宣誓するそうだ。
法に、宣誓書に署名してからでなければその職務を行ってはならない。とある。
「私は主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し、かつ、擁護することを誓います。
私は、地方自治の本旨を体するとともに公務を民主的かつ能率的に運営すべき責務を深く自覚し、全体の奉仕者として誠実かつ公正に職務を執行することを誓います。」(消防職員は別)
まちを良くしたいという矜持もあると信じたい。
とは言うものの、役人もひとの子。
いつでもどこでもやる気十分の滅私奉公とはいかない。
民間は営利が目的。
だから皆がやる気を無くせばオマンマにありつけない。
役人はやる気満々も、やる気喪失も、オマンマに直結しない。
上司が決めてだ。
役所の組織は功利主義だけで動かせない。
納得いかない上司には逆らわないが、従うフリが彼らの知恵だ。
税金の無駄遣いだけでない。
役人の士気低下が納税者には一番の損失となるのだ。
役所や議会が開く集会にはできるだけ参加するようにしているが、ろくに下調べもせず、考えもせず、まるで居酒屋での酒席のように思うに任せる「マイクハナサ~ズ」のオヤジやおばさんに出くわす。(若者はしない、というか、いない)
役所や議会が開く集会は「公」の場だ。
参加するのは気軽で結構だろうが、発言するならそれなりの調べと言葉の品を持ってもらいたい。
役人や議員に暴言浴びせご本人は溜飲を下げてご満悦なのだろうが、聞かされている者の身になってほしいし、これっぽっちも議論の足しにならないのだ。
問われるのは議論力。話し合う力だ。
民主制度であるかぎり、この力を養わねば良くはならない。
なぜだかこのところ夫の機嫌がいい。
念願のマイホームが都心の職場から近くて、家族と過ごす時間が長いからだろうか。
休日には子どもたちといっしょに出かけ、森林公園を散歩するのが日課になっている。
そして家に帰ったと思えば、やはり子どもたちといっしょに、庭でガーデニングを楽しんでいる。
顔を泥だらけにしながら、仲良く笑いあう。
そうだ、この街に来てからというもの・・・
名鉄瀬戸線で見つけた「家族ができたら、」という車内広告(天体観測編もある)。
お隣さんも懸命なのだ。
歴史と地場産業だけで届くのか。
伝わらなければ発していないのと同じである。
都市経営は役人だけでは収められない。
若もの、よそもの、の話を聞くことだ。
この手の話なら一献交えながらでもよかろうに。
次回は通常ブログにもどり、12月定例会続報をお伝えします。