瀬戸市民言論広場

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審査と評価を考える

2017年09月18日 | お知らせ
9月定例会 予算決算分科会・委員会の傍聴報告
 ~市議会議員諸氏へ~

平成26年9月定例会まで瀬戸市議会は決算特別委員会で決算審査を行っていたが、平成27年9月定例会から常任委員会と連動させて予算決算分科会で行うように改革された。
今年はこの制度になって3年目である。
3年ともにすべての分科会、委員会を傍聴してきたがその報告としてあらためて議会による決算審査とは、そして事業評価とは何かを提示し、今後の議会課題を論じてみたい。

地方自治体の予算は自治法第211条で「議会の議決を経なければならない」とされているが、決算は同法233条で「議会の認定に付さなければならない」としている。
つまり予算は議会の議決を経なければ執行できないが、決算はあくまでも認定であり仮に議会が認定しなくても、翌年の予算策定が妨げられることはない。

ではなぜ決算の認定を議会に諮っているのだろうか。
それは「財政民主主義」の考えによるからである。

財政民主主義とは国民(住民)が予算を通じて、財政を民主主義的にコントロールすることである。

いくつかある「予算原則」をみていく。

完全性の原則=すべての収支と支出は漏れなく予算に計上されなければならない。
 歳入歳出ともすべてこれを予算に編入しなければならない(財政法第14条)とある。

総計予算主義の原則=収入と支出の差額のみを計上することを禁止する。
 収入を得るのに要する経費を収入から控除し、支出に伴って生じる収入を支出から控除して純収支を歳入歳出予算に計上する方式、これを「純計主義」というが、自治体予算はこの純計主義を禁止している。利潤を追求する民間企業では認められている。

明瞭性の原則=予算の内容が国民に明瞭に理解される形式でなければならない。
 予算は所管部門を明確にした上で、目的別に「款」と「項」に分類(この二つは議決科目)、さらに「目」と「節」に分類(この二つは執行科目)する形式を採っている。

事前性の原則=予算は会計年度が始まるまでに編成を終え、議会によって承認されなければならない。

拘束性の原則=(会計年度の独立)それぞれの会計年度の支出は、その会計年度の収入によって賄われる。
 (超過支出禁止)予算計上額を上回って支出してはならない。予算外支出も認められない。
 (流用の禁止)財源を予算に計上された費目から、他の費目に差し替えて支出してはならない。

公開性の原則=予算や財政に関する情報は、議会や国民に公開されなければならない。

これらが財政民主主義の主な基本原則である。

予算審議だけではなく決算審査を通じて次の予算策定に結び付けていく。そのために横断的な視点から財政をコントロールするという役割を「議会」は担っているのである。

当ブログ「行政統制を考える」でも書いたように、収支は適法であるかを審査するのは監査委員である。
それでは分科会で行う決算審査とは。
審査するということは合理的客観性で評価することでもあろう。
それでは評価するとは。

執行科目の使い道を理事者に尋ねて「議員の質疑」としていることが多々ある。
これらの効率性や有効性の有無を客観的に指摘することは容易い作業ではない。
行政事業の「ムダ」を指摘するには、当該事業を執行しなくても、あるいはより少ない予算であっても社会的課題の解決、緩和ができうることを合理的客観性を持って証明しなければならない。
「と思う」は主観的意見に過ぎない。
よって審査、評価とはならないのである。
行政事業の「ムダ」とは予算削減や事業継続取止めの余地があるのかを議論(証明)する事と言える。

事業の評価にはいくつかの手法がある。

たとえば「費用便益分析」は事業の実施によって発生する社会的便益や社会的費用を貨幣価値に置き換えて計測し、事業を実施した場合
と実施しなかった場合、あるいは複数の代替案の間で比較を行う手法である。
「費用対効果分析」は必ずしも貨幣価値に置き換えずに様々な単位(件数、人数、期間等)で計測し、複数の代替案の間で威嚇を行う手法。

「コスト・パフォーマンス評価」は投入した費用に見合った効果(便益)が社会に創出されているかを確認する。その施策を拡大すべきか縮小すべきか、継続すべきか中止すべきかなどの意思決定につなげることを目的とする。その際用いられる手法が費用便益や費用対効果分析である。

政策を評価するにはプログラム評価手法を用いるのが有用だといわれる。
プログラム(program)とは社会問題の解決、緩和あるいは状況を改善するために取り組む「作戦」のことと理解していいだろう。
つまり政策とはこの作戦のこと。
プログラム評価は、高質な作戦を策定し効果的に遂行するかがポイントである。そのための前提として作戦構造が着実に把握、記述される必要がある。この作戦の目的と手段を体系的に描いたものが「ロジック・モデル」である。
「ロジック」とは因果関係や論理に関する理論的な説明。
「モデル」とは物事を説明するための枠組み。

プログラム評価はPDCAマネジメント・サイクルに対応させることができよう。
PLANは社会的ニーズの評価と施策の原因と結果の連鎖を明らかにする「セオリー評価」を検証する。
DOはプロセスを評価する。効率よく実施できているか否か。
CheckとActionはインパクト評価、コスト・パフォーマンス評価を行う。

議会議員は決算審査において何をどの手法でどのように評価しようとしているのだろうか。

今分科会で「アウトプット」「アウトカム」という言葉が多々発せられた。

議論の良質を保つためには「言葉の定義付け」「概念の共有」は欠かせない作業である。

「アウトプット」はプログラムの実施によって、受益者や参加者(住民)に対して直接的に提供されるサービス、財、生産物のことで、ロジック・モデルにおける「アウトカム」(中間アウトカム)を実現するための直接的な活動成果である。

「アウトカム」はアウトプットからもたらされる変化や便益をいう。プログラムには複数の連続的アウトカムを有しており、中期的、長期的(最終的)に整理される場合が多い。ロジック・モデルにおいては目指すべき社会の状態(変化)を示す「長期的アウトカム」、それを実現するに貢献するプログラムの成果、目的などを示す「中期的アウトカム」がある。

当ブログ「行政統制を考える」に書いたが、行政、政策、事業の「評価」において合理的客観性の担保は容易ではない。
そこで指標をつかって「事実上は測定」している。

事業の最終目的を利潤とする民間企業ならばKGI(Key Goal Indicator)を設定するが、何をもって(どのような状態をもって)最終目的とするのかを定められない行政サービスではKPI(Key Performance Indicator)を指標として「測定」する。

「アウトカム」と「成果指標」とは全く別の概念である。

政策事業、特に産業政策事務事業のアウトプットには「民間の役割」が欠かせない実効手段(パーツ)である。
具体的な民間の役割が未定のままで「アウトカム」を提示できるはずがないのである。
産業政策の長期的アウトプットは「新たな歳入の確保」だとするなら、事業の主人公が行政職員、地方公務員であるはずはなく、主役(プレーヤー)は民間、市民であり、どこより豊富な情報や資料を有する行政執行部はマネージメントが職責であろう。

産業政策の推進を行政職員だけに要求しても「アウトカム」を設定できるはずがない。
行政職員だけでは産業政策「ロジック」の「モデル」は描けないのである。

このことを真剣に議論していかなければ、いつまで経っても本市の産業政策におけるKPIは「にぎわい」であったり、「セミナー参加数」のままである。

現場監督に「穴掘り」を強要してはいけない。
しかしながら議会は行政職員に対し、「もっと掘りなさい」と言っているに等しい。
「まちづくり」「まちおこし」というのなら、議員もプレーヤーを探すことをしなければいけない。

新規事業にしろ、起業促進にしろ、行政当局がマネージメントしても民間、市民というプレイヤーが登場しないときは一度白紙に戻すくらいの議論と覚悟が必要であろう。


新たな公会計制度の導入により、自治体はより一層「財務分析力」の充実が求められ予算編成や政策形成に影響を与える。
議会議員の「決算審査力」も当然ながら要求される職責である。

当ブログで個々の議員についての評論は避ける。
本市はYouTubeで議会を視聴できる。
議員の評価は各自市民に委ねられている。

再度記すが、議論の良質を保つには「言葉の定義」「概念の共有」は不可欠である。
定義、概念がバラバラでは議論にならない。(しているつもりの人は多いが・・)

「提言書」とは提案、発議の内容が合理的客観性で担保されていなければ、主観的意見、主張と何ら変わらない。
合理的客観性とは実態統計、他の自治体との比較、法理などがあろう。
議会内で「提言書の定義」を議論すべきだ。
提出はそれからでも遅くないだろう。

行政には「協同」「協働」「共同」の定義をしていただきたい。
都合のよい解釈で使用するのはいかがなものか。
機会をみて当ブログで論じたい。

今回はこれで筆を置く。
読了いただきありがとうございます。





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