瀬戸市民言論広場

明るい未来社会をみんなで考えるために瀬戸市民言論広場を開設しました。

追分町残照

2017年06月11日 | お知らせ
ブログは誰でも閲覧できる。
人気のブログなら百万人以上見るそうだ。

筆者のブログは愛知県瀬戸市の行政、議会に絞って書いているが多いときには一晩で閲覧者は200人を越える。
新規投稿しない日でも4,50人は閲覧している。

時間の許す限り議会を傍聴したり行政職員や議員と話すようにしているが、筆者はそれを「取材」だと思っている。
おかげさまで幹部職員や議員はかなり踏み込んだ話をしてくれるのだが、それだけに執筆投稿するときは筆者なりに神経を使う。
聞いた話だからといってそのまま文章にはしない。
その内容は事実なのか、客観性はどうか、自分の主観ではないのか、情報提供者保護は大丈夫か、そして何より投稿による影響を考える。

筆者なりの主義がある。
首長行政のことは書くが職員個人に関わることは書かない。
議長議会のことは書くが議員個人に関わることは書かない。
そう決めている。

信頼を失えば話してもらえなくなる。
新聞やTVで発表するマス・メディアの記者ではないが、誰でも読めるブログというツールを使っているのだから「私心の与太話を書いた」などという言い訳は許されないのだ。

投稿している内容は知りえ
た話の1割にも満たないだろう。




先日ある市民団体の役員研修に招かれた。
地方自治行政と市民の関わりや「協働のまちづくり」についてを喋らせてもらった。
首長が行政を執行する、議会議員が活動をする。
これは広い意味で「公権力の行使」である。
その権限を担保しているのは「直接選挙による市民からの負託」だ。
つまり選挙投票という政治参画による市民の意思による。

では行政職員はどうなのか。
職員たちは採用試験(特別職は議会議決)を経て地方公務員法の下、法令や例規、要綱要領に従って遂行している。
職員が法を基準に仕事をするのは当然のことだ。

先般、首長インタビューが記事となった。
そこで首長は、
『トップが指示してすぐに下が動く民間と違って、行政は準備に時間がかかる。職員の意見を聞き、合意形成ができないとなかなか前に進めない。市民感覚を知るためにも、陳情を聞いたり地域に顔を出して市民の話を聞いたりしている。職員は法を基準に動くが、自分は市民感情を基準に動きたい。』と話している。

こんな危うい話をするのかとわが目を疑ったほどだ。
トップが指示すれば直ちに動く組織にお勤めだったのか否かは存じ上げないが、自治体という組織が法を基準にせず動けばどうなるのか。
組織最高責任者が市民の感情を基準で動くと新聞で語っている。
瀬戸弁でいう「ゲナゲナ話」や言葉尻を捉えた揚げ足とりではない。

「市民目線を忘れずに・・」と語る政治家なら何人かお会いしたこともあるが、市民の話を聞いて市民の感情を基準に動くと言った政治家と会った経験はない。
××ファーストを掲げる政治家も登場しているが、それでも法を基準にしか動かせないのが政治行政である。

部下の仕事ぶりを弁明と受け取られかねない発言はいかがなものか。
昨年12月定例会で実に40年ぶりという「議案撤回請求」事件のときも部下に責があるかのような釈明をされた。
合同審査会で一言も発言されることなく。

利潤を追求する企業とは違い、行政の目的は地方自治体の本旨を求めていくことである。
公務員の勤務評価の数値化は難しいと言われている。

企業ならば社員の勤惰は即経営や給与に関わってくるが、事務職公務員の勤惰はそうではない。
それだけにトップとの信頼関係は職員のモチベーションに直結する。
心の内のことなので筆者には現状の客観性を計る術もないが、自らの言動が与えてしまう職員のモチベーションや職場の「空気」という影響力にもっと慎重になられてはいかがか。

仮にモチベーションが低下傾向にあるのなら、責任者としてあってはならないことであり、市民納税者に損害を与えているのも同じであろう。
現状、職員は淡々と粛々と仕事を遂行していると思っている。
あくまでも筆者の主観ではあるが。

政策実現を執拗なまでに追求し達成しようとするのが政治家であろう。
思いついたかのような「アイディア」なら政策とは言えない。
トップに求められているのは執拗に追求してでも成し遂げたい「政策」である。

地方自治行政は「アイディア自慢」を競うところではない。
時のひととはいえど義務教育就学中の少年に広報を頼むなどとは。
まして、庁内合意もないままメディアに対し「アイディア自慢」を話されるのは厳に慎まれたほうがよろしかろう、と諫言申し上げ本稿を閉じる。










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