労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

再度、マルクス主義同志会の“象徴天皇制批判”について

2009-12-24 01:15:59 | Weblog
 左翼の中で、天皇の“特例会見”をめぐる問題について、象徴天皇制の廃止まで言及したのは、われわれとマルクス主義同志会だけだった。

 しかし、われわれとマルクス主義同志会の見解はかなり異なっている。

 つまり、われわれが一貫して主張しているのは、象徴天皇制が、象徴という地位にとどまらないで、“皇室外交”等の一定の政治的内実を持ちはじめようとしていることに対して、それは国民主権を侵害するものであり認められない。天皇が国民の総意で定めた象徴という地位にとどまることができなければ、天皇制といえども廃止されざるをえないであろうということである。

 これにたいしてマルクス主義同志会は、一貫して天皇の“政治的利用”という観点から問題に接近している。

 つまり世の中には、石原慎太郎とか、小沢一郎とか、日本の軍部といった悪党がおり、そういった連中が天皇を政治的に利用するからよくないのであって、政治利用されるしかない象徴天皇は廃止されるべきであるというのである。

 しかし、こういう議論は基本的に天皇制を擁護しているのではないか?

 実際、マルクス主義同志会は、「天皇は『神』の代役とみなされてきたし、今も、憲法の規定を見ても分かるように事実上“神格化”され、そうみなされている」とまでいい、小沢一郎氏を「(神である)天皇の『心』までも忖度(そんたく=他人の心を推し量ること)したことは傲慢と驕り以外の何ものでもない」というのであるから、誰がどう見てもマルクス主義同志会は、石原慎太郎とか、小沢一郎とか、日本の軍部といった悪党が天皇の神性を汚すからよくないと怒っているようにしか聞こえない。

 もちろんマルクス主義同志会はそういうことをいったあとで、他人の心を推し量ること一般が相手に対して失礼なことだと言いかえているが、舌の根も乾かないうちに、「天皇が自分の意思を表明しない──できない──ことを知っての発言であり、小沢という人間の卑しさを教えている」といっている。これは小沢一郎氏の「心」を忖度(そんたく)した発言ではないのだろうか?そしてマルクス主義同志会の議論のほとんどがこういう論争相手の忖度(そんたく)で埋めつくされているのではないか?

 そもそもが、マルクス主義同志会が、つねに論争相手に投げつける「卑しい」、「卑劣だ」という言葉自体が、論争相手の忖度を前提としているのだから、自分たちは「他人の心を推し量ること一般」に反対していると言っても、その信頼性は著しく欠けるであろう。

 それに、「天皇が自分の意思を表明しない──できない──」というのは、この場合、正しくないし、そうではないからこそ、われわれは、ことは極めて重大であると、いっているのである。

 平成天皇が羽毛田宮内庁長官の口を通して、自分の意思を表明した、しかもその内容が内閣の方針とは違ったものだったからこそ、われわれはことをこれ以上大きくしないために、脳みそが溶けかかって正常な判断力を喪失している羽毛田のバカたれの罷免を要求しているのである。


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