思い出の釣り・これからの釣り

欧州の釣り、竹竿、その他、その時々の徒然の思いを綴るつもりです

ロシア極東の思い出

2011-05-21 03:29:58 | 欧州釣行記/Fishing Trips in Europe
チュニジア、エジプトの革命が「Facebook革命」と一部報道で言われ、さも、Facebookというツールが革命の原動力である、という様なoverstatementがされておりますが、つい先日、私にもFacebookで思わぬ便りがありました。

今を去ること20年以上前、横浜から船に乗り、ナホトカに到着、そこから鉄道でハバロフスクへ行き、そこからシベリア鉄道で欧州へ行くという事を3回もしていた頃の事、知り合ったハバロフスクの家族の所に4回程ホームステイした事がありました。

ご夫婦と学校に上がる前の娘さん2人の家族。夏、秋、厳寒の冬と異なるシーズンにお世話になりましたが、お父さん・お母さんも釣りをするというので、その度毎一緒に釣りに行きました。


ハバロフスクから車で片道3~4時間くらいでしょうか、ムヒェンという林業の村があります。お父さんの両親は、もともと第二次大戦中独ソに分割占領されたポーランドに住んでいたウクライナ人で、スターリンにより沿海州へ追放され、ムヒェンに定住した人達。そのムヒェンの村に住むご両親のところに泊まりに行きました。

因みに、「共産主義とは電化である」とレーニンが語った事から(何となく、大震災後の日本を暗示するような言葉ですね:オール電化でなくて良かった)、ご両親の家には電気は来てましたが、水道・ガスはありません。水は家の中の井戸からポンプで汲み、火は薪で起こします。トイレはポットン便所で、溜まったものは肥料にします。お風呂は、大きな金鍋にお湯を沸かし、そのお湯を金鍋にぶっ掛けて湯気を作るサウナです。夏のサウナは格別で、涼を取りにサウナ小屋の前に座ると、遠くから村人の合唱が聞こえる。本当のロシアの農村でした。

今は知りませんが、当時ソ連時代とソ連崩壊の直後は、国内にもパスポートコントロールがあり、外国人は特定の都市しか訪問する事が出来ませんでした。その国内の関所を詳しくは述べませんが、ともあれ通過してその村を訪問したのも懐かしい思い出です。


ムヒェンの川で毛鉤釣り。多分、この川で毛鉤釣りをしたのは、歴史上私が初めてだったと思います。


秋には、アムール川での釣り。これは露語でシューカ、英語でパイクです。この写真を撮った後、漁業コルホーズでイクラのてんこ盛りとウォトカの歓待を受け、フラフラになった事を覚えております。

当時、ケターと呼ばれる鮭を秋のアムール川で皆で捕らえ、氷点下のバルコニーに山積みにし、冬の間の朝食と夕食は毎日黒パンにバターを塗りそこにイクラを載せたものを食べてました。昼はボルシチに鮭でした。
尚、写真のパイクは小骨もろともすり身にして団子を作り、それを確か揚げて食べました。結構美味しかったと思います。
ソ連が崩壊した直後、真冬のハバロフスクでは、電気、ガス、スチーム暖房が途絶えがちで、零下40度以下の気候下、着れるものを着込んで寝たり、皆で温まりあったりしたものでした。


冬は、凍結したアムール川で穴釣り。この写真を撮った時は零下30度くらい。槍のようなもので厚さ60~70cmもある氷に穴を開ける作業で体は温まります。シューバという厚手のフェルト地のコートで裏地に羊の毛をあてがったものを着込んで寒さを凌ぎます。


穴はしょっちゅうザルで掻いていないと直ぐ凍ってしまいます。糸は氷が着きカリカリです。

冒頭のFacebookですが、その娘さんの一人から私に連絡があったものです。もう27歳でサンクトペテルブルクに住んでいるとか。子供の時の面影は顔に残ってますが、立派になったものだと感慨深いものがありました。露語は暫く使っていないのでさび付いてますが、何とか露語で返事を出しました。
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養沢釣行(5月14日)

2011-05-20 14:50:23 | 釣行記/Fishing Trips
今年の釣り始めはまたも養沢。5時36分の小田急線に乗って約2時間後には養沢到着です。
受け取った番号は19番。もうこんなに人が来てるのは、連休明けでまだ余韻が残っているからでしょうか。或いはモンカゲロウ狙いの人がいるから?


あせらず身支度を整え、上流に向かって歩きます。歩くこと15分程度でしょうか、平和橋の上流のフラットな流れには人が居ないので入ります。竿はWF Hardy 8'6''。


こういうフラットな流れはドライでは難しいし、浮きを付けたニンフでも中々難しいもの。こういう時はウェットです。Greenwells Gloryのウェットを結び、クロスに流し、スウィングさせると、鱒の関心がフライに引き付けられます。
地元のおじさんが2人も凝視する中、2投目で最初の一匹の虹鱒を上げます。


その後は入れ食いで、1時間で30匹も掛けました。バラシがあったので上げたのは20匹ですが、ヤマメも含め、大変なものです。あまり掛かるのですっかり釣る気が失せてしまう程でした。


このヤマメの前に、これの倍くらいある大きなヤマメがGreenwell's Gloryを着水と同時にばっさり食い、それを上げたのですが、iPhoneで写真を撮ろうとした途端跳ねて逃げられました。


クロスの釣りに飽きたので、今度はアップストリームウェットで上流を狙います。これが非常に難しい。全くアタリが取れないのです。ここでは、逆に1時間以上粘って3匹という貧果。釣りも人生も、良い事ばかりではなさそうです。


お昼前ですが、もう早めのお昼を取りに下って木の子屋へお邪魔します。おそばに天麩羅そして、電車釣行の特権、ビールです。


ビールでもう疲れが出たので、竿をちょこちょこ出して帰ります。と、60cmはありそうな虹鱒を発見しました。




こんなのがかかっても、この道具立てでは上げられないと思いながらも、ウェット、ドライ、ニンフと試します。でも、全く興味を見せてくれません。その内、悠々と泳いで行ってしまいました。




15時5分のバスで武蔵五日市に戻ります。それから2時間後には帰宅出来ました。手は日焼けで真っ赤になり、今は茶色になりました。
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Hardy Marston Double-Handed 10'4'' E20764 (1930年製)

2011-05-06 05:52:50 | Hardy Palakona
新年になってから、欧州出張、アフリカ出張と続き、特にアフリカ出張の際起こった今回の地震のため、春になったというのに全く釣りに行く気分になれない日々が続きましたが、5月の暖かさにようやく釣りに出かけようかという気分になってきた今日この頃です。しかし、ハーディーのトラウトフィッシャーバックに入れたままの毛鉤箱を見ると、釣りに行くにはかなり毛鉤を巻貯めなければなりません。数ヶ月毛鉤を巻いておらず、準備が出来るまでどれだけ時間がかかるものか、先が思いやられます。

という事で、またまた、竿の紹介でお茶を濁したく思います。




このMarston Double-Handedは、No.2 (ICI、IDIくらい)のシルクラインが適当な、普通の固さの竿でありながら、ダブルハンドという変わった竿です。グリップは14.5cmと非常に短く、握ると遊び(tolerance)は全くありません。そこに、ダブルハンドというより、エクステンションが付いたというのが正確な描写でしょう。更に、スピアが付いている事もこの竿がダブルハンド竿というよりも、変り種のシングルハンド+エクステンション鱒竿と定義付ける有力な証拠の様に思えます。
アクションは胴調子。1920年代くらいのハーディー竿の特徴というか、リングの数が少なく、この竿は10'4''の長さがありながら、リングの総数はトップも含めて8つだけです。
私はこの竿を基本的にシングルハンドで使っております。両手で持たなければならない理由が全く無いからです。




ジョイントはStud Lock、スパイクも付いております。段巻きはHoughtonの様に密に巻かれ豪華な印象です。


リングは1920年代までの竿によく見られるフルオープンブリッジ。メノウ入りトップとの組み合わせではプラスチックラインではなく、シルクラインを使うべき竿です。


スピアが仕込まれた竿尻。




Reel Holderは、Universal Reel Holderというもので、固定されたホルダーとスライド可変式のホルダーの組み合わせでリールシートの長短を自在に合わせる事が可能です。




3 3/8の1912年チェックPerfectと一緒に。


Marston RodのInscription。

ここ数年はとんと出番が無いこの竿ですが、20世紀から21世紀の変わり目の時期、大河川での釣り、湖の釣りと、頻繁に供を申し付けられたものです。




Orava川は、ポーランドとの国境に近いスロバキアの銘川です。この川はグレーリングの名所で、ある時期かなり通いました。Oravsky Podzamokの村では、中世の城が川を扼した風景が圧巻。




両方ともグレーリングです。お供はMarston Double-Handed。タモはSharpe'sのテレスコピック。これまた長年の相棒。


これは懐かしのEtrachsee。5月の初旬はまだ湖に氷が浮いている頃ですが、6月からは爽やかな釣が楽しめます。ボートからの釣にはこのMarstonの10'4''の長さと胴調子が丁度似合います。


アルプスイワナがLoch Styleの3本毛鉤のチームに襲い掛かります。


もう20年以上着ているBarbourのOiled Coatを脱いでのんびりとシルクラインを浮かべます。


釣果はまあまあのサイズの虹鱒君。

ああ、次回は釣行記を書きたいものです。
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