皆さん、こんにちは。川崎です。
今回ご紹介するのは、レバノン南部にあるティール遺跡です。
かつて、海の民として地中海世界を席巻したフェニキア人が築いた港町で、紫の染料やレバノン杉等を交易のためにこの町から船で運んだと言われています。
------------------------------------------------------------------------------------------------------
1984年に登録された世界遺産(文化遺産)。レバノン南部、小さな漁村スールのある場所にかつて栄えていたフェニキア人の都市である。スールの町には、かつてのティールの都市遺跡が残っている。ティールの町が建設されたのは、紀元前2750年である。かつては陸地と小島に分かれ、陸地に町(旧ティール)があり、小島に町が移されたのは(新ティール)、紀元前6世紀である。新バビロニア王国の攻撃を受けて、人々は陸地から小島に移り住んだ。この都市国家の最盛期、ヒラム王はイスラエル統一王国のソロモン王と条約を締結し、レバノンスギなどをエルサレムの神殿建設のために輸出し、イスラエルから小麦と大量の油を輸入したといわれる。アレクサンドロス大王に対して唯一抵抗したフェニキアの都市で、紀元前332年、ティルスを包囲したアレクサンドロス大王が島との間、約800mの突堤を築いた後、激しく抵抗するティールを陥落させたエピソードはよく知られている。その後、ティールはローマ帝国やビザンチン帝国の支配を、12世紀には十字軍の支配を受けたのち、13世紀にマムルーク朝の攻撃で徐々に衰退した。この都市には凱旋門、公共浴場、劇場、水道橋、墓などの遺構が残っている。 [出典:講談社]
------------------------------------------------------------------------------------------------------
現在残されているのはローマ時代の遺構で、さらに下を掘り進めると、フェニキア時代の遺跡が発掘されるかもしれません。
遺跡は陸側と海側の2か所に分かれており、陸側には、納骨堂(コロンバリオ)、共同墓地、凱旋門、古代ローマ世界最大規模の競馬場などが残されています。
また、海側には、浴槽跡、大理石の列柱等を見ることができます。
世界遺産に登録されていますが、あまり観光客の多い場所とは言えません(場所が場所だけに…)。ただし、歴史的には非常に重要な場所であるため、情勢等が落ち着いたら訪れていただきたい場所の一つです!
陸側の遺跡↓
海側の遺跡↓