白秋ながや文庫

日々の徒然。

独り言ぶつぶつでした。

2018年07月25日 | 日記

「赤子叱るな昨日の私、年寄笑うな明日の私」とか思いますが、多事争論で「人を殺してなにが悪いんですか?」発言に「切れる若者」とか「命の重さ」への認識の問題提起があったように記憶していますが(記憶誤認の場合はご容赦の程を)
先日些細なバス停での傍観者の大人たちを逆手に取った卑怯な若者の攻撃論そして昭和、平成を生き抜いている人生の先輩たちが被害者の立場になった場合に遭遇した時、いかにふるまえるか?…講釈垂れの武勇伝ではなく、私の場合は、おそらく猛暑で正義感ぶった、親父物申すになってたんでしょう。運が良かったのです。…
さて、今日、読んだ記事で…「ボクは核兵器はなくならないと思う」と言った高校生がいました。「不可能と思えることを可能にする方法を考えるのが、若者のなすべきこと」と答えました。若い人とのこういう集まり、とても重要だと思います。という記事です(A・Kさん記事より引用)実に爽快な記事です。

仮に若者の定義をここで10代~20代としていい言葉だと思いました。
~少年法~新成人~法改定論議あるでしょうが中世時代の子供~大人ではなく、若者時代を宗教・民族・文化の垣根という前に忌み嫌われる行為行動思考を選択しないで若者時代ができれば微笑ましくあってほしいと願います。
では~ほほえましさとはなんだ?とか諸先輩・知識人から突っ込まれそうですが、心の健康とか寬さ…又いろいろ持論反論おもちでしょうが…
…御容赦の程を。独り言ぶつぶつでした。


独り言~先週のこと~バス停での話

2018年07月19日 | 日記
 阿佐ヶ谷駅行き帰り1日2回ありました。行きは年配のご婦人にお先にどうぞ。

…で帰りはバス待ちで僕は20人ぐらいの前から5番目でバスが遅れていて暑い中に人生のせんぱいばかりでした。

そこへ若いバカップルが乗車前列(車道より)よりに後ろに並ぶばあちゃんの横に列を作って二人立った。

(前列に割り込むように)炎天下にさらに10人後列ができているのにだ。

最悪はそのバカップルの後ろに並んだバカOLまで列できはじめたのでバスが到着する前にバカップルにいってやった。

「おい、お前どん、順番のあるとぞ!わかっとっとか!」すると男が「わかっています。ここが屋根がついてて涼しいのでここにいるんです…」

僕は「なんば、よっとか!体の具合の悪かつか?」バカップル「いいえ」「そんなら、割り込まんな1番後ろに並びなさい!」最後尾を指さし、(そのやり

取りの時点で割込み列に並んだOLの姿は消えており、最初から順番で並んでいたばあちゃんたちに「先に並んでいたからどうぞどうぞ。」と手招きしたら

喜んでバスに乗ってくれました。ただ、リュックはしょつとるか?目つきはチェック、間合いもとってからの注意でしたけど。僕も還暦ですからほどほどと

はおもいますが、運が良かっただけの先週のはなしでした。

みなさま。おはようございます。

2018年07月14日 | 日記
 
「今日もようございましたあ」じゃなく「今日もかなしいですねえ」が挨拶に聞こえてきそうな今日このごろです。
生老病死、僕も背負っていますが閉塞的な時こそ三毒におかされずに出来れば歌でも歌いながら歩いて生きたいものです。人生を!我に歴史あり、人に歴史あり、彼も人なり、我も人なり。人見るもよし、人見ざるもよし、我咲くなり。

TBSでで新ドラマガはじまった、「チアダン」これは期待できる青春ドラマだろうと思います。

2018年07月14日 | 日記

初回、拝観しました。まれのチアダン編パラレルワールドかなあと、ワクワクしながら見ていました。

最近、涙する感動がないなあと思っていましたが、前回ブラックペアンで泣いた。

「風林火山」メンバーで泣き、今回は「まれ」の主役起用で初回から熱い心の汗がポロリと流れました。

青春ドラマはやはり夢と希望の青春のワクワク感、これを気合入れて若者のコミュニケーションの形、そしてはちきれる青春の鮮やかな光の部分、そしてたまによぎる影。閉塞的な時代でも心の自由までは力では統制できない。

若者には夢と希望を大人には憧憬の咀嚼をそして愛、希望、夢を素直な気持ちで声に出して言えたら素敵だと僕は思います。そんなワクワクする青春ドラマを期待しています


おはようございます。今日も奇跡の朝がきます。みなさまもよか1日を祈っています!

2018年07月03日 | 日記

めでたい事、うれしい知らせ、楽しい気持ち、…喜びに満ちた笑顔は素敵な素晴らしい心地よいものだ!

…だから、人が人種、宗教、文化の違い…多少の違いがあっても人に対して、または自分や家族にとって忌み嫌う行為や思考や行動はやはり、自覚や良心の呵責や悪意あることと認識できたときは、事態をなるべく早く反省し、踏みとどまる勇気が必要だと思います。事遅しでも、謝罪や反省の自覚は真摯な気持ちと態度で丁寧に謝ることこそが人類の英知、知恵、理性であると思います。

人生は平坦なじんせいなどはあり得ないものだと思うが、だからこそ、楽しみががあり、喜びもあり、そこに幸福感が生まれうる。

悲しみ、怒り、嘆きも残念なことに遭遇するかもしれない。いやあるだろう。人生だからね。太陽の日差しが強いとのどは乾くし、日陰にすずみたくなる。…また、その逆に、冬の寒い日には日向ぼっこできる場所であたたまりたくなる、暖を取りたいものだ火のもとで。…人生、生きていれば、光があれば影もある。でも大きく深呼吸しながら、陽気に歌でも歌いながら、歩いていければ楽しみながら、誰かに愛されながら誰かを愛する喜びを、生きる、生かされている今に感謝しながら生きていく。…独り言です。