にっき。

なまけもののグダグダ日記。

より、自分自身であること。

2011-03-24 01:12:56 | 考えごと
日常を送ることの出来る自分たちに出来る大切なこと。
そのひとつが、
「"それ"に振り回されすぎずにちゃんと『自分自身』で在り、そのうえで"それ"と対峙すること」
なんじゃないかと思う。

今日のおとなの小論文教室。を読み、これまで漠然と思っていたことがこの言葉になった。

あまりにも大きなことが目の前にあると、ついついそれを意識してしまう。
それに影響されてしまう。
影響されること自体を否定しているんじゃあなく、仕方のないときや、むしろ積極的に影響されたほうが良い時だってあると思うけれども、
「ずっとそのままでいいのか?」と聞かれたら、それはやっぱり「NO」だと思う。

"それ"をどうにかする、ということだけ考えたら、"こちら"の状態はあまり関係ないのかもしれないが、いつまでもそのままじゃあ、この世界を彩る、代えのきかない『個』がおざなりになってしまうと思うのだ。


出来るだけのことをする。
自分自身は見失わない。
立ち位置は譲らず、それに対峙する。
その両方を、成立させる。

そんなことが言えるのは現場の状況を知らないからだ、と怒られるかもしれない。
だけれども、現場の状況を知らないからこそ言える、出来る、必要なこともあると考える。

いまこの自分の置かれた環境で許された、出来得ること。
それを、やっていこうと思う。

今、僕たちにできる事。

2011-03-14 23:54:28 | 考えごと
あまりにも大きい出来事。
運が良いことに、自分は無事にここに居る。

まだどのくらいの被害があるのか、どれだけの人たちが辛い思いをし続けているのか、そしてこれからどうなるのか、どうしていったら良いのかもわからないけれども、
少しでも、辛い、哀しい想いが減るように、これ以上増えることのないように、状況が進んでいって欲しい。

どう対峙したら良いかわからない状況に、立場を超え、国を超え、支援、協力の行動が広がっている。
その気持ちが、ものすごく嬉しくて、泣きそうになった。

取り返すことの出来ないたくさんのことが起きてしまっているけれど、「助けたい」という気持ちでたくさんの、たくさんの人の想いがひとつになっていること。
いまと、これからを生きて行くうえで、掛け替えのない可能性が生まれていると思う。

誰も経験したことのない状況。
すべてうまく行けば一番良いけれど、それがいちばん嬉しいけれど、そうもいかない可能性も考えなければいけないと思っている。
だけれども、せめて、保身とか言い訳とかじゃあなく、各人がそれぞれの立場で、出来ることを、出来るだけ、精一杯に尽くすこと。
自分自身に何が出来るか。それを考え、実行したいと思う。

怖いが、しかし。

2011-03-02 02:37:08 | 考えごと
自分は基本、怖がりだ。
それはきっと、これからも変わらない。

ただもう一方ではそんなんじゃ全然満足出来ない自分も確かに居て、「怖さ」を克服(というよりも、やむにやまれず腹を括ったら、と言ったほうが正しいか。)したあとに、こっちの自分はやっと本領を発揮する。

だからだろうか。

自分は、相手に、安心して欲しいと想う。
誰、というわけではない。
「自分」という存在、その痕跡に触れたすべての人たちに、少しも怖がる必要のない、心から安心出来る場所を、時間を、出来ることなら与えたいと想う。

出来た人間じゃあないので、いつでもそうは出来ないけれども。

まだ見ぬ「わくわくすること」は、もっと「その人らしいこと」は、そんな安心出来る場所から生まれるんじゃあないかと思っている。

自分が安心するため、自分が満足するため、まずは「相手」に安心して欲しいと想う。

すごく、おもしろい。

2010-09-14 23:52:13 | 雑談
イトイさんとこのtwitterをたまたま見て、こ んなスペシャルなコンテンツがあったことを知る。
当然熟読し、「経営の目線になればなるほど、シンプルにものを考えられるようになる」なんて、このあいだの「エコよりもタダ」並みの名言では!なんて思い ながら読んでいたら...

!!

社長が訊く」 なんて、すごく宝物みたいなシリーズがあるじゃあないですか!

...おもしろい。
これ、すごくいい。

岩田さんも、任天堂も、とりまく皆さんも。
今までゲームに対して「ゲーム」以上の意識はしたことなかったけど、
はじめてそれを率いている人だとか、作っている人だとか、組織だとか、
裏側の生身のことが、実感を持っておもしろがれるようになってた。

こんなコンテンツが存在していることそのものが、羨ましいと同時に、元気付けられる。

青写真。

2009-10-25 01:16:02 | 考えごと
地元長岡で、オープンソースのGISを核とした仕事をする。
今の自分のなかにある、青写真。

いつの間にかもういい歳になってしまっているけれど、いつかは長岡に帰りたいと思っている。
長男で家を継がなければいけないだろうということもあるし、なによりもまず圧倒的に『Home』という感覚が強い。
言うほどには長岡を愛しているわけではないかもしれないけれど、何処よりもやっぱり、地に足がついている感覚を与えてくれる。
うまく実感が出来ない自分にとっては、貴重な存在だ。
そんな特別な場所で、自分は生きたいと思う。

そしてこの場所で、誰もが活用できる存在としてGISを広めたい。
そのためにはやっぱり、オープンソースのGISが重要になってくるのだと思う。
正直なところ、いまのGISの位置づけはまだまだ一部の人にしか使われていない、もしくはお金がかかりすぎてなかなか手の出せない存在だと思う。
それじゃあ、あまりにももったいない。
個人レベルで、自由にGISというツールが活用できるようになったなら、多分今はまだ見えていない可能性が見えてくるんじゃないかと思っている。

先日新潟で開催されたのGIS学会でFOSS4Gのセッションを聞いた。
実際に使用されている事例を聞き、またこの世界で活躍している人たちをこの目で見て、すごく面白かったし、刺激を受けた。
自分が『あるべきもの』と考えているものがそこに存在し続けるために、自分も行動を起こさなければならない。

具体的なプランは何もないながらも、自分が会社を興すという可能性をイメージするため、今年の夏に創業塾というものに参加してきた。
今日はそこで一緒だった方が創業されたということで、創立祝いに行ってきた。
久しぶりに創業塾で一緒だったメンバーが集まっていたのだけれど、やっぱりここでも刺激を受けた。
創業した人、既に創業している人、これから創業するために準備をしている人、業種も年齢もバラバラだけれど、みんないい顔してた。
自分からは何も与えることが出来ていなかったのに、いろんな貴重な話を聞かせてもらった。
みんな、いい人たちばかりだ。


技術も、知識も、自覚も、何もかも足りない、なまけものな自分だけれど、そんな自分なりに、なにか、やっていこうと思う。
でも自分じゃカバー出来ないことが、きっとたくさん出てくるのだと思う。
だからやっぱり、仲間が欲しい。

もし偶然にもこんな自分の記事を読んでもらって、何か感じることがあったのなら、反応してもらえるとすごく嬉しく思う。

望まない結果が予想されたとしても、今日を一生懸命生きない理由にはならない。

2009-04-09 01:47:34 | 考えごと
無謀なほどの年度末行進もどうにかひとまず小康状態(だと良いなぁ)。
ふと思い立ち、久しぶりに手持ちのiPod touchに書き込んでいたメモをパラパラと流し読んでみた。

自分で書いただけあって、今読み返してみてもなかなかに心にHITしてくる。
そのなかのひとつに、こんな一文があった。

『望まない結果が予想されたとしても、今日を一生懸命生きない理由にはならない。』

書き込んだ日付は11月21日の午前0時過ぎ。
このとき自分は何を想っていたのだろう。
そのときの記憶は既に無いけれど、この一文については現在でもまったく同じく想う。


「何かをやらない理由」ばかりが溢れる世界のなかで、
せめて生きることに一生懸命でありたいと、
なまけものな自分だけれども、真ん中あたりで想っている。

構造は、それ自身機能を有す。

2008-12-18 04:01:28 | 考えごと
このところ、おもしろいなぁと思っていること。
「構造」は、それ自体で機能を有しているのではないかということ。


何か具体的なモノが機能を有しているということは、わかりやすい。
例えばテレビというモノは、映像を表示するという機能を有しているし、
ハサミというモノは、対象を切断するという機能を有している。
もともと必要な「機能」があって、それを実現するための実体としてモノが用意されているから、
そこで実現されている機能は、モノがあるかないかに依存することとなる。

モノがあれば出来るし、モノがなければ出来ない。
シンプルでわかりやすい。


では「構造」はどうだろう。
構造はモノとモノとの関連性で、そこに実体があるわけではない。
モノの順序や、配置関係等々。
モノの存在に依存するという点は同じだけれど構造は関連性なので、モノが複数必要であることや、個々のモノそれぞれが単体で担っている機能を最終的に期待しているわけではないというところが違ってくるように思う。

実体を生み出すわけではないけれど、その関連性如何で機能を生み出すことが出来る。
よく聞く言葉で言い換えれば、「1」+「1」が10にも20にもなる、というようにも言えるかもしれない。
同じ作業でも手順を考えるだけで全然効率やリスクが変わってきたりだとか、
このメンバーだったからこそ今までに考えもしなかった新しい発想が生まれたりだとか。


個々のモノが等身大でそこに居るだけなのに、
並び方をちょっと考えただけで、全く別の顔を見せる。
きっとそこに魅力を感じ、また期待もしているのだと思う。

個々がそれぞれを精一杯活きれば良い。
無理をして個をはみ出さずとも、エキサイティングな状況は作ることが出来る。

自分はその在り方を肯定したいのかもしれない。

「僕の方こそありがとう」

2008-12-11 03:04:27 | 引用
自分はひねくれものなので、大体メジャーなものに対しては
「自分が選ばなくても、他のたくさんの人たちが選んでくれるし」なんて勝手に思って、きちんと評価しないようなところがある。

そんなだから、Mr.Childrenについても長い間きちんと聴くことをしないで生きてきた。

それがふとしたきっかけで、Mr.Childrenを好きな同僚からHOMEというアルバムを借り、多分はじめてまともに聴く機会を得た。
そしたら、間口が広いのにちゃんと芯があるというか、自分の考え続けていることに対して何かしらそっと触れてくれるというか、素直に「良いなぁ」って思って。


今回発売された「SUPERMARKET FANTASY」というアルバムを、初めて自分で買ってみた。
初回限定版はDVDも付いてきて、何曲かについてPVも収録されている。
以前うっかりどこかの展示会場で見かけて泣きそうになった、「彩り」のPVにどことなく似た雰囲気を持つ「GIFT」のPVを見てまた泣きそうになり、
何だか、無性に、世界はただそれだけでもう、既に素晴らしい、なんて思ったり。


自分を生かしてくれている、すべてのものに。
僕の方こそ、ありがとう。


「今 君に贈るよ 気に入るかなぁ? 受け取ってよ
 君とだから探せたよ 僕の方こそありがとう」

 - Mr.Children SUPERMARKET FANTASY 「GIFT」より -



SUPERMARKET FANTASY [初回限定盤:CD DVD]

Mr.Children

TOY\'S FACTORY Inc.(VAP)

このアイテムの詳細を見る

自宅充実化計画。

2008-12-05 04:00:19 | 雑談
自分は仕事柄PCやプログラムやWEBなどに埋もれた生活を送っている。
生業にしてはや数年。ようやく少しは周りが見渡せるようになってきたような気がする。

だがしかし。

年月を経るにつれて、職場から一人、また一人と仲間が減っていく。
もともと人数の少ない会社、いまはもう既に(開発者的な人間としては)ほぼひとりぼっちになってしまった。
毎日夜遅くまで業務に追われるなか、技術的な相談が出来る相手もなく、ひたすらにGoogle先生と仲良くなる毎日。
やっぱりちょっと寂しい。

いま自分がここにいる理由は、(変な意味ではなく)この世界がおもしろいことになったらいいのに、と思っているから。
おもしろいことになるために必要なものが、ここにあるような気がしているから。

今までの延長ではもう期待が出来ないからこそ、
どうにか時間をやりくりして、自分から何かしら生み出せる環境を整えていこうと思う。

ということで、この間QNAPのTS-109ⅡなるNASを衝動買いしてみた。
どうやら台湾のメーカーらしい。

まぁ、とりあえず自宅サーバでも立ててみようかと。
じゃあ静かなマシンがいいなぁと。
電気代も少ないほうがいいなぁと。
最近はNASなのにLinuxとしても使えるものがあるとな?
それはLinuxの勉強にもいーんじゃないの?
なんてこと考えながら、一番良さそうだったので、ついついポチっと。

いや、でもこれ結構楽しいオモチャかも。
その気になれば何でも出来るし、スペックも価格も頑張りすぎていないし、なにより静かだし。
さっきようやく自宅LANの一員になったけれど、何だかもう既に馴染んでいる感じだ。

しばらくは、いろいろいじってみようと思う。
飽きっぽい自分の悪い癖が出る前に。
これから何か、おもしろいことになっていけたら、嬉しいなぁ。

いー感じに、追い詰められろ。

2008-11-14 02:17:43 | 考えごと
会社からの帰り道。
今日もまたすっかり高く上った月を見上げながら、ふと想う。

いまの自分には、いー感じに追い詰められることが必要なのではないか?

今までの延長線ではない、軸の飛躍が欲しいと、いつも思う。
でも飛躍することは難しくて、ただ何かを一生懸命頑張れば良いというものでも無いような気がする。
出来ることを、出来るだけ精一杯やるということは大切だと思うし、自分の主成分のひとつだとも思っている。
ただ、欲張りな自分はそれだけでは満足せず、頭をぶん殴られるほどの衝撃に出合いたいとも思っている。

いつも追いつけない日常のなか、そのときの自分に出来ることを、出来るだけ精一杯やってきたつもりだし、これからもそれは変わりようがない。
きっと、下地は出来ている。
この「今までの延長線」という軸に加えて、いい加減もうそろそろ、別次元の軸を追加したい。


窮鼠猫を噛むという。
追い詰められてはじめて「立ち向かう」という選択肢があらわれる。

破壊力は裏付けられたプレッシャから生まれる。

いー感じに、追い詰められろ。
そして自分で想像もできなかった軸を見出したい。