にっき。

なまけもののグダグダ日記。

魂の対話。

2013-12-12 02:33:58 | 考えごと
相変わらず『private exhibition』を聴いている。

いまちょっと思っていることは、
芸術は、魂の対話なんじゃないか、ということ。

自分は楽器をやらないし、当然ピアノも弾けはしないんだけれども、
このアルバムを聴いていると、何て言うんだろう、
歌声と演奏はもちろんだけれども、その他にこれを取り囲むかたちで
ことばになる前の気持ち、制作するに至った思考や感情、
そんな領域の、うまくことばで表しきれないあれやこれやが、
いつの間にかすごく身近で感じられて、実感出来る。

ピアノと歌声だけのシンプルな構成ということもあるのだと思うけれども、
呼吸、息遣いや、どんな手の運びで演奏をしているのかとか、
本当にそう思っているんだろうなとか、そのメロディーを弾きたいんだ
ろうなとか、気持ちよく弾いているんだろうなとか、
まるで自分が歌い、演奏しているかのように、感じる。
ピアノの音色だけでこんなに気持ちを感じられたのは初めてのような
気がする。

意思を込めて表現されたものを作品と呼び、作品を創作することを
芸術と呼ぶならば。
ことばになる前の気持ち、感情、その人そのものである存在を魂と
呼ぶならば。
魂は魂と出会い、言葉以前の言語で交流する。

なんて書いていてふと『芸術』を検索してみたら、Wikipediaに
「芸術(げいじゅつ)とは、表現者あるいは表現物と、
 鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・
 感覚的な変動を得ようとする活動。」
と書いてあった。
うん。言いたかったのはこんなようなこと。
既に書いてあったね。
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川村結花 『private exhibition』

2013-12-07 00:55:16 | 雑談
川村結花さんのニューアルバム『private exhibition』が、今日、届いた。

シンプルなジャケットに、真白なCD。
ネットで購入したので、サイン入りのポストカードも付いてきた。


トレーラー、視聴、ロングインタビューと、観て、聴いて、読んで、
期待はしていたけれども、
本当に、想像以上に、素晴らしかった。


10年以上も昔、自分は世の中を知らず、器用さも持ち合わせておらず、
自分自身を押し潰すことでしか、そこに居られる術を知らず、
その果てに、もうどうしようもなくなったことがあった。

そんな時に彼女の「Every Breath You Take」という歌を聴き、どうしようもなく、涙が出てきた。

音楽を聴いて、あんなに素直になれたこと、きちんと泣けたこと、
初めてだったように思う。


それからもずっと彼女の創る歌は好きで、聴き続けていて。
でもやっぱり自分の中での特別な歌は、
自分じゃどうしようもできなくなってしまった核の部分に触れてくれる歌は
Every Breath You Takeが一番で。

それが今日、変わったかもしれない。


どの曲が、じゃない。
このアルバム全部が、あれからずっと引きずっている自分の中の核の部分、
半分諦めかけていた自分じゃどうにもできない部分に
触れて、かき混ぜて、認めて、許して、傍にいて、
そして背中を押してくれる。

ロングインタビューではマッパダカって表現していたけれど、本当にそう。
そしてそれが、「自分だけじゃなかったんだ」という安心感と親近感を与えてくれて、
そしてさらに、その先に希望を感じさせてくれる。

何故だろう、ピアノと歌声だけだからなのかな。
曲を聴いたあと、対話していたような気持ちになる。
それもずっと奥のほう、上辺じゃなくて本音でがっつりと対話したような。

ずっと「川村結花」を聴いてきたはずなのに、まだまだ全然、聴けてなかった。
1曲目の「歌なんて」で綴られたことばを借りれば、
- 何を聴いて わたしは 生きて来たんだろう -
それほどに、このアルバムはちょっと、特別だ。
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初志、貫徹。

2013-12-03 01:33:53 | こころ
覚悟していたはずなのに。
結果、その道しか選べないのだとしても、それでも構わない。
自らそれを選び、進んで行こうと、想っていたはずなのに。

いまは、多分、そう出来ていない。

内面的にも、対外的にも、いまの状態は、一番良くないのだと思う。
技術や知識、上手さやずるさ、色々な面で技を身に付け、
仮に運よく一見そうは見えないよう振る舞えていたとしても、
自分自身、根っこのところでは、誤魔化せない。

既に無くなった一本の糸を、それでも有ると思い込ませ繋いできた糸を、
いまはもう、認識することが出来なくなっている。


それがどんなに理不尽で、生き辛い状況であろうと、
自分自身が「そうで在る」ことを認め、その場所から他者、社会と繋がろう、
そのために他人の2倍、3倍と努力が必要なのだとしても、
それをも含めて自分なのだと、
またそれこそが自分の個性、その場所だからこそ見える風景があるのだと、
意味、意義が在るのだと、信じ、受け入れ、向かい、歩いて行こう。

ずっと考え続けた末に辿り着いたことだったはずなのに。


外界からの刺激を必要以上に受け取ってしまう。
実感しすぎる。かと思えば、実感がなくなる。
実感がなくなるから、記憶も曖昧になる。
好きになったものから順に、拒絶し、遠ざけていく。
自分が嬉しがることを、喜ぶことを、望むことを、許さない。
自分は生きるものだと、思っていない。
生きるイメージが、湧かない。

だとしても。

だからこそ到達出来ることが、必ず、在るはず。

正直、いまは生きたいとはあまり思わないが、
悲しむ人が居るとわかるから、死ぬことは選ばない。
ならば、そのとき出来ることを、精一杯やるしかない。

得られなくても、与えたい。
理解されなくても、理解したい。
自分がどう、というのは、どっちかというと、どうでもいい。
自分を大切に想ってくれている人が安心するくらいに生きていければ
それでいい。
それよりも、自分自身の存在が、自分以外の誰かが前進するための、
何気ない、かけがえのないきっかけになってくれたら、
それこそがとても嬉しい。

初志貫徹。
淡い期待は、頭の隅っこに置いておけばいい。
いまこの場所に居ることには意味がある。
いま出来ることを、精一杯やること。
自分の道を、信じて進み続けること。
その行き着く先に、きっと、大切なものが在る。
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なんと贅沢な。

2013-11-28 01:05:07 | 雑談
好きなアーティストの新譜が発売されることは嬉しいことで。
数年ぶりのリリースとなると、それはもう、更に。
それが2人続けてとなると、こんなに贅沢なことはない。


昔から好きなアーティストの新譜が、この12月に続けてリリースされる。


まずは12/4、川村結花「private exhibition」がリリースされる。
視聴はこちらで。

彼女の歌は、日常の風景を、感情を、丁寧に紡いで、それでいていつのまにかじんわりと心に沁みこんでいて、自分の核に触れてくれるような、そんな印象を持っている。
初めて買ったアルバムの帯に書かれていた「あったか、さみしい」ということばが、とてもしっくりくる。

自分はSMAPの「夜空ノムコウ」の作曲者として知り、それからずっと聴き続けているのだけれど、最近だとFUNKY MONKEY BABYSの「あとひとつ」の作曲者というとわかりやすいのかな。

8年ぶりの新作とのことで、紹介文によると『自身の基盤である「歌とピアノだけの世界」で綴る、全身全霊11曲の個展。』とのこと。
シンプルな構成、ど直球の楽曲になっていそうで、とてもとても、楽しみだ。


そして12/14、小谷美紗子「us」がリリースされる。
こちらはフォトブック特別限定盤が先行リリースされ、通常版が1/22にリリースとのこと。
視聴はこちらで。

彼女の歌は、素直すぎるが故の、痛みすら伴うえぐるような表現。そしてどちらかというとダークな側面が見え隠れする。鋭い直球。そんな印象を持っている。
近年は玉田豊夢、山口寛雄とのトリオで活動をしていて、ピアノ、ドラム、ベース、そしてボーカルのシンプルな構成が、聴くほどに心地いい。

こちらは3年ぶりの新作ということで、紹介文には『“闇”から“光”にアングルを変えて紡いだ、小谷美紗子の最新作。』のことばが。
前作「ことの は」では、「青さ」や「手紙」など、うっかり一緒に口ずさみながら聴いていたら、ことばにつまるくらいに泣いてしまった。
疑う余地のないその鋭さはそのままに、正面から対峙して光の方を見据えて向かう。
その姿を感じられる楽曲に、期待せずにはいられない。


なんと贅沢なときだろう。
2人の生み出した楽曲を、真正面から、受け取りたい。
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「いつだって、世界は素晴らしい。」

2013-09-05 03:43:50 | 引用
2012年11月23日、初めて行ったeastern youthのライブ。
吉野さんはそう言って、「素晴らしい世界」の演奏が始まった。

良いことも、悪いことも、嬉しいことも、悲しいことも、
辛いことも、苦しいことも、楽しいことも、しんどいことも、
全部、全部、ひっくるめて、
ただ、ただ、世界は、素晴らしい。
いつもじゃあないけど、自分でも本当にそう思える時が、確かにある。

死にたいとまでは思わない。ただ、生きたいとも思っていない。
生きることをやめることが出来るのなら楽なんだろうと想像する。
ただ、想ってくれている人達が居る。
その人達が居てくれるから、生きることはやめない。
そして願わくば、自ら「生きたい」と思い、生きられるようになりたい。
その、強さが欲しい。
これもいつもじゃあないけど、でも、よく、思う。

そんなことを考えている自分でも、
もしかしたらそんなことを考えている自分だからこそ、
ただ、ただ、世界は素晴らしい、
そう本当に思える時があるのかな。


ライブの後、その日の手帳にこんなことを書いていた。

 自分はやっぱり、「生きることに不器用な人たち」が好きなんだと思う。
 「うまく」生きることが出来なくても、
 腐らず、馬鹿みたいに見えたとしても、
 一生懸命にまっすぐ生きている、生きて行こうとしている人たち。
 一見格好悪く見えるその姿こそ、すごく格好よく見える。


自分の足跡が、誰かの助けになれば良い。
自分はまた、足掻いて歩いて行く。
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クリスマスの贈り物。

2012-12-26 00:52:03 | 雑談
昨日、今日と、立て続けに嬉しい荷物が届く。
スコップ団のおたがいサマー&SCHOPラグランTシャツと、団酒2&宮寒梅。

注文したものが届いた。
ただそれだけかもしれないけれど、ちょうどこの時期に2つとも届いたこと、クリスマスの贈り物ということで、ありがたく受け取ろう。

さて。

Tシャツは日々着倒すとしても、この団酒2&宮寒梅。
ほぼ条件反射で買ったは良いが、晩酌をしない自分にとってはちょいと量が多いなり。

今年の大晦日、いつもの居酒屋で皆で飲もう。
スコップ団のこと、2万発の花火のこと、宮寒梅のこと。
話して、飲んで、それでもきっと飲みきれないと思うから、
もし良いのであればそのまま店に置いてもらって、
来てくれたお客さんに「このあいだお客さんがこんなお酒を置いていってねぇ」なんて話をしながら振舞ってもらったら、
そして来てくれたお客さんに美味しいお酒と一緒に少しでも想いを馳せてもらえたら、
そんな飲み方をしたら、喜んでもらえるかな。

皆のこころに、春が訪れますように。
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感情と理性、そして意思。

2012-07-25 06:58:37 | こころ
たとえ感情を失ってしまったとしても。
事柄を認識し、思考で追って理屈で理解することは出来る。

よく「感情」と「理性」とが対で語られることが多いため見落としていたけれど、感情が苦手になってしまった人にも、「意思」を育むことは、許されているのかもしれない。

主体は自分でなくていい。
積極的でなくてもいい。
どんな世界であることを望むのか。
どんな世界でないことをを望むのか。
主観での望みは感情を誘起して拒絶反応を示すとしても、その事柄を判断して「どちらがいいか」は判断できる。

その判断は「意思」になる。
一度自分の意思を感じたならば、尊重し、行動として確定させる。

すべては影響し合い存在している。

どんな小さな判断も「意思」として具現化したなら、いつか巡って、心から「よかった」と思える状況になれるような気がする。
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「人助けに理由はいらねぇ。」

2012-07-25 00:55:50 | 引用
現在"スタンバイ"中の「スコップ団」の合言葉。
こんなに本気で「カッコいい」って思えた人達は、はじめてかもしれない。

自分がちゃんとスコップ団を知ったのは活動休止が発表されてもう少しで"スタンバイ"になる頃なんだけれども、それでも大切なものをたくさんもらった。

例により知るきっかけとなったのはほぼ日の「僕たちの花火の連絡、見えますか。」っていう記事なんだけれども、何よりもう団長の平さんが、どう形容したら良いのかしっくりくる言葉が見つからないけど、すごく、良くて。

それからは、考えるよりももう、半ば衝動的に何か協力したくて。
Tシャツ買わせてもらったり、花火の募金をさせてもらったり(これは勝手に自分自身「ちゃんと生きるよ」って宣言も兼ねさせてもらって)、花火の会場となった泉ケ岳スキー場修復のスコッピングに参加させてもらったり、タバコは吸わないけどスタンバイを忘れないようにZIPPO買わせてもらったり。
日本ジグザグ旅行中にも新潟に来るってわかってついついお見送りに行ったときにも、唐突な来客に親切に対応してもらって。

そんな平さんの旅の目的がこの約束だと知って、もう本当に、何も言葉が見つからなくて。

はじまりは悲しみだとしても、自分はスコップ団に、平さんに出会えて感謝している。
目の前に困っている人が居たなら助けられるくらいに、頼りになる自分で在れるように生きて行きたいと思う。
そしてもちろん、無いのが一番だけど、有事の際のためにスタンバイしていたいと思う。


【教わらなくても知ってること】
  困ってたら、助けにいく。
  泣いてたら、側にいる。
  人助けに理由はいらねぇ。

   - スコップ団 -
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コンプレックスは、貴重な魅力の可能性。

2012-07-22 18:37:35 | 考えごと
自分は、その事柄について、どれだけの時間、回数、分量をかけて、向き合い、覚悟して、捉え、考え続けてきたのか、
そのプロセス自体にまず、敬意を払いたい。

そのうえで、現在どんな姿勢で在るのか。
そしてこれからどんな姿勢で在りたいのか。
そこを見つめ、尊重したい。

人はみんな、多かれ少なかれ、1つや2つのコンプレックス、自分自身どうしてもそれを意識し考えざるを得ない事柄を持っているんじゃないかと思う。
身体的なこと、精神的なこと、経験的なこと。
自分自身の年齢や、取り巻く環境、その時々で変わっていったり無くなっていくものもあれば、やっぱり変わらずにいつもそこに在ったり。

すべて同じ経験をしてきた人なんて居ない。
だから簡単に他人を『わかる』なんて言えないのかもしれない。
だけど、コンプレックスを抱え続けてきた人=向き合い、考え続けてきた人は、確実にそのことについての(少なくとも自分自身のなかでの)理解度は深い。

考えて、考えて、考えて、「(それがあるから)だから自分は駄目なんだ」と結論付けてしまいがいちだけれども。
考えて、考えて、考えて、考えた結果、「(そのことを事実として受け入れたうえで)じゃあ、これかどうするか?」と思考を持っていくことが出来たなら、
コンプレックスを抱えてきた分、考え続けてきた分、逆に2倍も3倍も、そのコンプレックスとは別の次元で、人間としての魅力を獲得出来ていると思う。

向き合い、捉え、たまには少し逃げつつも、それでもやっぱり考え続け、そして、じゃあ、これからどうするか?を考える。

何度でも、何度でも。

そう在りたいし、そう在ってもらいたい。
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いままでは、これからのためにある。

2012-07-18 03:22:13 | 考えごと
改めて思い返してみると、自分はあまり「生きたい」とは思っていない。
もう少し正確に表現するなら、「自分自身が生き続けている状態を想像するという発想自体がない」ということになるだろうか。

(最近少し落ちてはいたものの)「生きたくない」とか、「死にたい」というようなニュアンスとはまた違い、そこまでの能動的な思考でもないというか。

物事は、時間とともに変化して行き、人の心や性格、性質もまた状況により変わっていくのだと思う。
自分自身も例外ではなく、多分いろんなところで変化が認められるのだろう。

どこが変化したのかなんて、変わった後の自分が知る由もないけれど、現在の自分としてはおそらく、自分自身の持つ言語化能力が追いつかないくらいの、言葉にはならない何かしらのほうを、より多く受け取る性質があるように感じる。

そんななかで最近想うのは、

自分自身、あまり「生きたい」とは思わない。
ただ、自分自身「先に進みたい」と思うし、自分以外に対しても「先に進んでほしい」とは思っている。
そのために必要なのであれば、それは「生きよう」と思う。

ということ。

そしてもうひとつは、「いままでは、これからのためにある」ということ。

これは事実でもあり、願望でもあるのだけれど、
過去に起きた出来事や、考えたこと、感じたこと、行動したこと、後悔したこと、
例えられないくらいの歓びや、受け入れられないほどの哀しみだって、
それらが存在したその上に、「これから」が創られる。
良い悪いではなく、時の流れに従わざるを得ない自分たちは、どうしてもそういうことになる。

であるならば。

「これから」を創るにあたり、「いままで」をとことん利用して行きたいね。
いろんな「いままで」が唯一無二の「いま」を形作った。
その「いま」と、「これから」を創る材料として「いままで」を評価し直し、利用(再利用とも言えるのかな?)して、「これから」を先に進める。

その「先」がどこなのか、きっとそれは自分で決める必要があって、それはまだ自分には具体的に見えてきてはいないけど、ぼんやりとした感覚だけはある。
どんな種類の「いままで」だって全部糧にして、1mmだっていい、何か、先に進めたい。
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