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749) 私的岩手通史の旅 第28回

2010年07月06日 | 私的岩手通史の旅
 ここ数日、朝方に地震が続いています。昨日は午前4時半頃、今朝は午前7時頃に我が家は揺れました。宮城県沖地震もそろそろ・・・と言われていますし、そのうちドカンと来ないか心配でもあります。


第28回 東北38年戦争 15(奥州市水沢区 羽黒山)

 先回、朝廷軍のエミシ征討の作戦がエミシ軍に見抜かれていたと申しましたが、そのエミシ軍の首長阿弖流為や母礼らが潜んでいたのが、奥州市水沢区にある羽黒山だとされています。

 羽黒山は東北新幹線水沢江刺駅のすぐ東側にある小さな山で、阿弖流為達との戦いを記した「続日本紀」では「東山」と記されています。2001(平成13)年9月に市民らによる発掘作業が行われ、様々な発掘物がありましたが、残念ながら「断定」には至りませんでした。


(羽黒山をバックにした水沢江刺駅 -奥州市水沢区羽田町駅前 2010/07/04-)

 朝廷軍は衣川の高台から胆沢平野のエミシを遠望していたのに対し、エミシ軍はこの東山(羽黒山)にひそみ、朝廷軍の動向を探っていたと想像されています。山頂には衣川に陣を張った政府軍野営地の方向を示す標識が建っています。ここから数万人の朝廷軍が北上川の両岸を進む様はどのように見えたのでしょう。そして阿弖流為達はどう感じたのでしょう?


(山頂から衣川を遠望 -奥州市水沢区御山下 2010/02/13-)

 両岸に分かれて北上し続けた朝廷軍のうち、左岸を進む4000人は北上川と東山以東の山々に挟まれた狭い土地を進んでいきましたが、右岸側を進む政府軍との合流地点だった巣伏村に至った時、前方より800余人のエミシ軍が急襲しました。

 このエミシ軍によって前方が混乱に陥った後、更に東山から400余人のエミシ軍が現われ朝廷軍の退路を断ってしまいました。朝廷軍は更に混乱していくのです。

 羽黒山と朝廷軍、エミシ軍の位置関係はこんな感じです。



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