風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

1255)私的岩手通史の旅 第114回(奥州合戦 第7幕)

2012年03月10日 | 私的岩手通史の旅
 昨日の前菜の答えです。一は2の前なので「にのまえ」さんあるいは「よこいち」さん、九は「一文字のく」なので「いちじく」さん、十は漢数字で唯一「つ」が付かないので「つなし」さん、だそうです。日本には29万もの苗字があるそうですから、奥が深いですね。

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第114回 奥州合戦-第7幕-(栃木県那須町 境の明神)

 私的岩手通史の旅、奥州合戦の続きです。岩手県が舞台となった事だけを取り上げればいいのでしょうが、歴史を「点」ではなく少しでも「線」として見たいという個人的な好みで、再び岩手県を離れます。

 1189(文治5)年4月、藤原泰衡は源義経を討ち、その首は6月に鎌倉に届けられました。しかしこれで奥州藤原氏と源頼朝の関係が修復することはなく、7月、頼朝は自ら征討軍を率いて鎌倉を発ちました。

 征討軍は日本海経由の北陸道軍・中央を進む大手軍・太平洋沿い経由の東海道軍の3軍分かれて北上、頼朝の率いた大手軍は7月29日に現在の栃木・福島県境に至りました。県境で頼朝軍を待っていたのは約1ヶ月前にもご覧いただいた「境の明神(玉津島神社)」です。


(初夏の玉津島神社 -那須町大畑 2004/05/25-)

 坂上田村麻呂が勧請したこの神社の前を、頼朝の祖先であり安倍氏を滅ぼした頼義や義家、頼朝を助けようと鎌倉へ向かった義経も通ったのでしょう。もしかしたら京へ連行された阿弖流為(アテルイ)や母礼(モレ)も通ったかもしれません。まさに「歴史の道」です。

(初夏の栃木・福島県境 -那須町大畑 2004/05/25-)

 この1.5車線幅の細道を何百・何千という大手軍が越えて行ったのですね。武具の鳴る音が静かな山間に響き渡ったのでしょう。

2011/03/10の一品・・・903)私的岩手通史の旅 第75回(前九年合戦 第20幕)
2010/03/10の一品・・・668)岩手散歩 県道1号冬景色(雫石町 山伏峠)
2009/03/10の一品・・・465)盛岡散歩 小野松観音
2008/03/10の一品・・・203)栃木散歩 西方町(水神社)

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