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984) 私的岩手通史の旅 第81回(後三年合戦 第2幕)

2011年06月12日 | 私的岩手通史の旅
 先日、北東北の事業場の方が会議のために来京しましたが、駅や店舗の照明が間引かれて薄暗かったことに驚いていました。我々はすっかり慣れてしまった感がありますが、関東圏以外からの方には新鮮だったのでしょう。慣れたせいか分かりませんが「今までが明る過ぎたのでは?」と思うのは私だけでしょうか?


第81回 後三年合戦 第2幕(奥州市衣川区 並木屋敷跡)

 「私的岩手通史の旅」、今回から後三年合戦の史跡を巡っていきます。1962(康平5)年9月の厨川の戦いで安倍軍は国府軍に破れ滅亡し、前九年合戦が終わりました。源頼義率いる国府軍に加勢した清原軍の清原武則(きよはらたけのり)は俘囚初の鎮守府将軍となり、それまでの領地だった出羽(秋田)に加えて安倍氏が支配していた陸奥一帯の支配権を得、陸奥地方には一応の平穏な時代を迎えました。

 その権力は武則から長男武貞(たけさだ)に引き継がれ、更に武貞の嫡男真衡(さねひら)へと続いていきましたが、奥州市衣川区には清原氏三代の政庁もしくは居館とされる「並木屋敷」跡があります。


(小松柵に近い並木屋敷 -奥州市衣川区 2010/07/04-)

 並木屋敷跡は奥州市衣川区と平泉町の境に近く、蛇行する衣川の近くにあります。前九年合戦までは安倍氏の政庁が置かれていた場所であるともされています。

 鎮守府将軍の権力を継いだ清原真衡の権勢は「国中に肩をならぶるものなし」と言われるほどでした。この時真衡の周囲には、安部方についた藤原経清(つねきよ)の母と共に清原氏の一員となった清衡(きよひら)、清衡の母と真衡の父武貞(たけさだ)との間に生まれた家衡(いえひら)とおり、少々複雑な義理の3兄弟でしたが、権力は真衡に集中しており、清衡や家衡の影は薄かったようです。

 真衡に権力が集中していく中、小説「炎立つ」の家衡は不満を募らせていきますが、清衡はじっとしています。敵将の実子だったゆえ、軽はずみな行動をすればすぐ討たれるという警戒があったのかもしれません。


2010/06/12の一品・・・735)盛岡散歩 チャグチャグ馬コ2010
2009/06/12の一品・・・517)盛岡散歩 米内川3(上米内)
2008/06/12の一品・・・285)盛岡散歩 北上川9橋(明治橋)


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