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1039)私的岩手通史の旅 第88回(後三年合戦 第9幕)

2011年08月07日 | 私的岩手通史の旅
 先週後半、奉公の都合で勤務時間が1時間繰り上がりました。終業時間は16時30分、周囲は一生懸命仕事をしている中でひとり先に帰るのは少し心苦しいですが、ひとり先に稼ぎ始めていることになっているからいいでしょう。実働は変わらないのに一寸得した気分になるのは、人間がおめでたいからでしょうか?


第88回 後三年合戦-第9幕-(後三年合戦絵詞)
 
 源義家・清原清衡軍による2度目の金沢柵攻めに対し、清原家衡・武衡軍は前回以上の防備を固めておりなかなか落ちませんでした。季節が秋から冬に向かう中、義家・清衡軍は後三年合戦の発端となった吉彦秀武の進言により力による攻めから兵糧攻めに方針を変えました。

 長引く籠城と兵糧攻めに家衡・武衡軍は苦しみましたが、この局面を打開するため家清の乳母子の千任(ちとう)が金沢柵のやぐらから義家を罵倒しました。

 この様子は「後三年合戦絵詞(えことば)」に描かれています。「後三年合戦絵詞」は1347(正平2)年に比叡山東塔南谷(ひえいざんとうとうみなみだに)の僧侶が作らせた絵巻で、全6巻のうち後半(金沢柵の攻防以降)を描いた3巻が現存しています。

 以前ご覧いただいた「平安の風わたる公園」には、この絵巻の一部がレリーフになって飾られており、前回ご覧いただいた「雁行の群れ」と共に、千任が罵倒する場面も描かれています。


(後三年合戦絵詞「千任、義家を罵倒」-2010/07/13 平安の風わたる公園-)

 千任が義家を罵倒したのは、兵糧攻めという状況を打開するために義家を怒らせ、戦闘に持ち込もうという魂胆だったのですが、義家は挑発に乗らず兵糧攻めに徹しました。その結果、家衡・武衡軍はますます追い詰められていくことになります。


(罵倒する千任(左)と耐える義家(右))

 宮脇俊三氏はこの絵巻について「後三年合戦絵巻ほど残酷は場面を描いた絵巻はないだろう。(中略)その残酷さに気分が悪くなったが(中略)、その主たる舞台は、この金沢柵であった。(by平安鎌倉史紀行)」と書いています。確かにさらし首や逃げてきた婦女子を殺害する場面が描かれており、子供には見せたくない場面が多いです。もっとも今のメディアに流れる残酷シーンの方がリアル過ぎるとも思いますが。



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