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775) 私的岩手通史の旅 第47回

2010年08月21日 | 私的岩手通史の旅
 先日職場の方と「以前は駅に『伝言板』という物があったね。いつの間に無くなったのだろう?」という話になりました。使った事は一度もありませんが、平成初期には漫画「シティーハンター」の真似をしてか「XYZ・・・」と書いてあるのをよく見かけたものです。携帯電話の普及と共に撤去されてしまったのでしょう。今は「駅についたら電話して」と待ち合わせる時代ですからね。


 第47回 東北38年戦争 34(紫波町 陣ヶ岡)

 前回に続き、阿弖流為・母禮斬首後のエミシの抵抗と坂上田村麻呂による征討を辿ります。前回ご覧いただいた「達谷窟」はこの2年5ヶ月で4回訪れていますが、今回ご覧いただく「陣ヶ岡(蜂神社)」は当店での登場は2度目ながら訪れた回数は「達谷窟」より多く、5回訪れています。

 胆沢城の北約30キロに位置する紫波町にある「陣ヶ岡」は803(延暦22)年、坂上田村麻呂がエミシ征討のために宿営地とした地と伝えられています。征討されたエミシがどの辺りに勢力を持っていた誰なのかは分かりません。

 東北38年戦争の記録は朝廷側に断片的にあるだけで、エミシ側には「書」として残っていないようです。そういうものが残っていれば、古代東北の歴史はもっと厚いものになっていたことでしょう。


(陣ヶ岡遠望 -紫波町陣ヶ岡 2009/10/01-)

 陣ヶ岡は水田の中にある小さな森ですが、正面からの参道を進むと「蜂神社」が建っており、その脇に「坂上田村麻呂蝦夷征討宿営の跡」という標柱が建っています。その脇には前九年合戦での「源頼義・義家厨川柵進路の本陣跡」、平泉藤原氏滅亡時の「源頼朝本陣跡」という標柱も建っています。訪れた日は何れも他の訪問者はおらず静かな「陣」でしたが、それぞれが陣を張った時は戦を前に殺気立った雰囲気だったことでしょう。


(宿営地跡を示す標柱 -紫波町陣ヶ岡 2008/06/29-)


 2009年8月21日の一品・・・550)盛岡散歩 たらりら -2番-
 2008年8月21日の一品・・・339)盛岡散歩 雫石川8橋(西大橋)
 2007年8月21日の一品・・・007)中華航空事故で知ったこと

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