小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

社説読み比べ――消費税増税問題になぜ朝日新聞と産経新聞は沈黙するのか。

2013-09-06 04:56:35 | Weblog

 安倍首相は今月中に結論を出すらしい。もちろん14年4月から予定されている消費税率3%のアップを予定通り行うか、それとも先送りするかについての結論のことである。
 政府は消費税増税の是非について広く有識者から意見を聞くための会議(集中点検会合)を設置して、いろいろな立場からの意見を集約するため60人という、この種の有識者会議としては異例とも言える人たちから意見を聴取した。
 日本はこれまで2度にわたって消費税を課税・増税してきた。最初に消費税を導入したのは1988年の竹下内閣時であった。その時の消費税率は3%で、導入理由は「他の先進国に比べ日本の累進課税率(所得税プラス住民税)は高額所得者に対して苛酷なまでに厳しすぎるため課税率を低減化したい。そのために生じる税収不足を消費税で幅広く徴収して補いたい」ということだった。
 戦後の日本は基本的に占領下において導入されたシャウプ税制の考え方を踏襲してきた。シャウプ税制の大きな特徴は、複雑だった日本の税制をできるだけ簡素化し、かつ荒廃した戦後経済を回復するため所得の格差をできる限り縮小することで、高額所得者の税負担を重くする一方、低所得者の税負担を軽減化して内需が拡大するような税制にすることで経済の復興を図ることにあった。このシャウプ税制の基本的理念を、消費税増税を論じる場合、いま一度考慮する必要があるのではないだろうか。
 戦後の日本経済の世界史的奇跡とまで言われた復興をもたらした要素はどこにあったのか。専門家と称する経済学者たちは朝鮮特需(朝鮮戦争による特需)や池田内閣の所得倍増計画を上げる方が多い。あるいは吉田内閣の経済政策である傾斜生産方式(当時の日本の二大基幹産業であった鉄鋼業と石炭産業に重点的に財政出動し、この二大基幹産業を軸に周辺の産業への波及効果を期待した政策)を重視する経済学者もいる。そういう経済学者はかなり見識のある方と私は評価している。 
 ただ、私が知る限り、戦後経済復興にとって最大の効果を発揮したのはシャウプ税制にあったと考えている経済学者はいない。もちろん経済政策としての傾斜生産方式や、偶然の幸運としか言いようがない朝鮮特需を私は無視しているわけではない。まず吉田内閣の傾斜生産方式で日本の基幹産業が立ち直っていなかったら、日本は朝鮮特需にありつけなかったであろうし、日本の奇跡的な経済復興も不可能だったかもしれない。だが、朝鮮特需で復興への足掛かりをつかんだ日本が、それを足場に着実に回復への道を歩めたのはシャウプ税制によって所得格差が「世界一少ない国」と言われるほどに縮まったことによって、低所得層の購買力と購買意欲が爆発的に拡大して内需が一気に増大したことが、高度経済成長の連鎖を生んだというのが戦後経済史を語る場合の基本的視点に据える必要があると考えている。
 では池田内閣の所得倍増政策はなんだったのかということになる。私に言わせれば、「アジビラ的スローガン」以上でも以下でもない。池田首相は所得を倍増させるための具体的政策は何も実行していないからである。「所得倍増」をスローガンにした人が「貧乏人は麦を食え」とか「中小企業の一つや二つ潰れても」などと言えるわけがないはずだからである。池田首相は、官公庁が高速道路などの公共事業の予算を要求する際に需要を過大に見積もり、結果的に大幅の赤字事業を増大させたのと同様の手口で、過去のGNP(※当時の国民総生産の呼称。いまはこの概念はなくなり国民総所得としてGNIという呼称が使われるようになっているが、一般的には国の経済力を示すGDP=国内総生産を経済指標として使うのが通例になっている)の増加傾向から導き出した経済予測を「所得倍増計画」と向こう受けするスローガンに仕立て上げただけである。そんな計画が予測道理に実現したためしはない。実際池田内閣の「所得倍増計画」は見事に失敗した。
 経済学者の100%が「池田内閣の所得倍増計画は大成功だった」と考えているが、そういう思考力の持ち主が大学の経済学教授になっているのだから、嘆かわしいとしか言いようがない。
 実際にはGNPは池田首相の予測を超えて「計画」の半分の期間で倍になった。私に言わせればイギリスのブックメーカーの賭け率が事前予想の倍になったという程度の話に過ぎないのだ。
 現になぜ池田内閣の予測が外れたのかの経済学的検証した学者は私が知る限り一人もいない。もしいたとしたら、「所得倍増計画」は計画と言えるようなものではなく、単なる予想でしかなかったことが分かったはずだからである。その予想が、たまたまいい方に外れたというだけの話で、だから池田内閣の所得倍増計画の検証作業はだれもしていない。否、検証しなければ、という単純な発想すら日本の経済学者は持っていないようだ。再び言うが、嘆かわしいの一言に尽きる。
 いずれにせよ、日本が壊滅的な打撃を受けながら、戦後急速に経済復興できた大きな要因の一つに「世界一所得格差が少ない国」と言われ「社会主義経済のモデル」とまで評された、高額所得者にとってはきわめて過酷な累進課税制度があったことは疑いを容れない。それに戦後の国際経済がドルを基軸通貨とした固定相場制によって、日本が経済復興を遂げていながら終戦直後に決められた1ドル=360円という、日本の輸出産業にとって最高に恵まれた状況が長く続き、その恩恵を輸出産業がモロに受けてきたことが日本人の所得を増大させ、内需が倍々ゲームさながらに拡大していったことも大きな要因の一つである。
 もちろん、そのほかにもたとえば航空機の開発・生産がGHQによって禁止され、航空機の開発に携わっていた技術者たちがいっせいに自動車開発に移ったことをはじめ、戦前戦中の軍需産業の技術者が民需商品の開発研究に転向したことも民需商品の性能・品質でいち早く世界のトップレベルに到達できたこと、GHQが「個別的自衛権までは否定しない」と言っていながらマッカーサー総司令官の意向を事実上受け入れて日本の軍事力を完全に解体し、結果的には国家の財政出動を民需産業に100%振り向けることができ、GHQの占領政策の誤りに気付いた米政府がその後日本に再軍備を何度か要請しても吉田首相が頑として首を縦に振らず、経済再建に総力を傾注したことなど、細かく検証していけば日本が奇跡的な経済復興を成し遂げることが可能になった複合的要因が明らかになっていくが、その検証作業は私の視点で専門家の経済学者のどなたがやっていただければいい。
 いずれにしても消費税問題を考える場合、近視眼的視点で考えるのではなく、少子高齢化に歯止めがかけられない状況の中で、私たちの子孫に付けを回さず私たちの世代で解決への基礎だけは固めて置く義務が、私たち世代にはある、という視点から、改めて野田総理が政治生命をかけた「税と社会保障の一体改革」をどう実現していくのかという視点を軸に考えなければならない。
 だからといって、私は消費税増税の3党合意を何が何でも守れと言っているのではない。日本という国の形を私たちの子孫に安心して受け継いでもらえるよう、消費税増税だけでなく社会保障を支えるための税体系の全般的見直し、TPP交渉を成功させるために何を犠牲にして何を国益として守っていくかの政策、憲法改正問題など山積する課題を複眼的視点から見据えながら消費税問題も考えるべきだと言いたいだけなのだ。
 現段階(このブログを書いている今日は9月1日。したがって投稿するまでに追記していくと思う)では、社説で消費税問題を取り上げているのは読売新聞(8月31日)と毎日新聞(9月1日)だけである。
 まず読売新聞だが、主張の是非はともかく書き方にはかなり好感が持てるようになってきた。かつての「何様だと思っているのか」と言いたくなるような傲慢さがかなり影をひそめてきた。その分、読んでいて不快感が増幅するようなことはなくなってきた。
 さて同紙の主張だが、要するに「来春の増税は見送り、15年10月に一気に10%の増税すべきだ」と提案している。実は私も2段階引き上げには疑問を持っていた。零細小売業者はその都度レジのプログラム変更などの経費負担が増えるだけだし、消費者が2段階引き上げを認めるかどうかの不安をぬぐいきれないからである。おそらく大手小売り御者は消費税込みで最初から5%分値上げして2回目の増税分は織り込み済みにする可能性が高いと思う。そういう意味では読売新聞の、2段階引き上げではなく一気に5%増税案には私も賛成するが、問題はどういうタイミングで増税するかである。
 そもそも消費税増税の2段階引き上げは民主党政権下での3党合意で決定したことだ。したがって、その案を撤回して14年4月の増税を見送り15年10月に5%増税に変更するなら、まず民主党の同意が必要である。民主党がその案を簡単に呑むかと考えると、容易なことでは説得するのは難しい。私が民主党の立場なら、政権をとったら約束を簡単に反故にするような政府に今後一切協力できない、と反発する。そうなると、TPP交渉をはじめ山積している課題が何一つ国会での審議が進まないということになりかねない。読売新聞の論説委員はそこまでは頭が回らなかったようだ。
 今回の消費税増税に限らず、重要法案をスムーズに成立させるには、最大野党に対する十分な根回しと、野党のメンツも立てる道も用意しておく必要がある。ところが民主党では先の参院選の最大の戦犯であるはずの輿石氏が事実上の最高権力者としての地位を維持しただけでなく、連合勢力の影響力がかえって増大する(議員総数ではなく、議員総数に占める連合系議員の比例)という結果を招いただけである。与野党の対立はむしろ激化すると考えた方がいいだろう。
 そうした状況下で、消費税増税を先送りするのであれば不足する財源確保については、ある程度民主の要求(どんな要求を出してくるか、まったくわからないが)を相当部分丸呑みする覚悟が必要になる。
 それはともかく、読売新聞が主張する来春の増税を先送りすべきだとする根拠が理解できない。そもそも読売新聞は3党合意に賛成していた。3党合意はデフレ不況の真っ最中で、増税できるような状況ではなかった。失業率も過去最高を更新し続けており、それでも私たち世代が作ってきた(もちろんその最大責任は政府と官公庁にあるが)巨額の財政赤字を、少子高齢化に歯止めをかけられない状況下で子孫に付け回すべきではないという苦渋の選択だったはずだ。もちろん消費税だけで財政赤字を穴埋めできず、国家公務員の給与削減、地方港公務員にも給与削減の要請をする、公共工事の大幅削減などそれなりに財政赤字を埋める手だても講じてきた。
 安倍内閣のデフレ脱却のための経済政策「アベノミクス」は3本の矢からなる。第1の矢は大胆な金融緩和による円安誘導だが、一時的には効果を発揮して円安・株高になったが、今はシリア情勢の不安定化などで原油価格が高騰、円高・株安に転じている。読売新聞はこう主張する。
「日本経済の最重要課題は、デフレからの脱却である。消費税率引き上げで、ようやく上向いてきた景気を腰折れさせてしまえば元も子もない」と。
 だが、経済は日本一国だけの事情でどうなるこうなるというものではない。不安定要素はいつでもある。確かにアベノミクスサイクルが定着したとは言えないが、「税と社会保障の一体改革」も待ったなしの状況にある。15年10月まで増税を先送りすれば、状況がよくなるという保証はまったくない。現に2010年12月に生じたジャスミン革命によってチュニジアで民主化革命が成功したのを契機に、民主化運動がアラブ全土に広がり(いわゆる「アラブの春」)、エジプト、リビア、イエメンと次々に政権が打倒されたが、一連の民主化の流れによりアラブ諸国の経済活動は一時的に大混乱に陥り、エジプトではクーデターによって軍部が政権を握って現政権派と大統領派の衝突が繰り返され、シリアでは政府と民主化勢力の衝突で、国連が禁じた化学兵器を政府側が使用したと米オバマ大統領が激怒して武力介入の構えを見せている。そうした状況を見据えたとき、果たして15年10月まで待てば日本経済のデフレ脱却が確実になり、消費税の5%大幅増税が可能になるという根拠を読売新聞は持っているのか。かえって不安定要素が増大している可能性を考えたことはないのか。
 どのみち不安定要素は常にある、という前提で考えれば与野党間の協力体制が崩壊するリスクを冒してまで増税を先送りする方が、政局の安定を欠き不安定要素がかえって増大し、アベノミクスの前進にブレーキがかかる可能性のほうが高くなるのではないか、と私は考える。どのみち読売新聞の論説委員室全員が総力を挙げても私一人の頭脳には勝てないことがこれまでに証明されており、もう少し論理的思考力に磨きをかけてから独自の主張をするならした方がいい。
 それより私が昨年末に投稿したブログ『今年最後のブログ――新政権への期待と課題』をベースに、消費税にとどまらず税体系の抜本的見直しに着手することを政府に提言された方がよほど説得力がある。
 それに15年10月に消費税を10%に引き上げる際の条件として「軽減税率を導入し、コメ、みそなどの食料品や、民主主義を支える公共財である新聞を対象とし、5%の税率を維持すべきだ」という主張は、エゴ丸出しとしか言いようがない。食料品への軽減税率適用はヨーロッパ方式をまねろと言っているにすぎないが、ヨーロッパが消費税(付加価値税)を導入した時代と現代は課税方法の技術進歩がまるで違う。
 たとえば別の例で証明するが、NTTは躍起になって従来のメタル回線からひかり回線への転換を進めようとしている。日本列島を縦断するひかり幹線を設置したのはNTTが民営化される30年以上前だが、当時の計画は通信量がますます増大すると考えられていた時代のことで、少子高齢化で通信量が減少することや携帯電話の普及で有線通信より無線通信のほうが需要が拡大することは想定外だった。が、日本列島縦断のひかり幹線が完成したあとNTTが始めたのは企業や家庭へのひかり回線の普及だった。インターネット時代の到来をチャンスと考えたのである。
 確かにパソコンに搭載されていたメモリの容量がキロ時代のことで(初期のXPまで)、今は4メガ、8メガが標準になっている。メモリの容量がそこまで増大すると、従来のメタル回線でもひかりと変わらない速さでインターネットができる。私は12メガのADSLを利用しているが、動画もきわめてスムーズで、コマ落としのような状態にならない。自分たちの世界のことしか視野に入れずに事業方針を決めるとそういう失敗を犯すことになる。
 私がひかりを例に出したのは、食料品をいまのIT技術を活用すれば、高級品と普及品に税率格差をつけることは赤子の手をねじる以上に簡単なことだということだ。たとえば牛肉でいえば4等級以上は消費税10&、3等級以下は税率5%にするなどといった課税格差をつけることはいとも簡単なことである。ヨーロッパが食料品を一律に低減税率にしたり非課税にしたりした時代は、高級品と普及品に課税格差をつける方法がなかったからだけに過ぎない。頭の悪い人がヨーロッパ方式を導入したほうがいいと考えるとNTTと同じ失敗をする。
 さらに自家撞着も甚だしいのは「民主主義を支える公共財である新聞」も5%に抑えろという主張だ。読売新聞に限ったことではないが、新聞は自ら民主主義を実行しているのか。新聞はすべて読者の投稿欄を設けているが、自らの主張に対する読者の批判的投稿を掲載したことが一度でもあるか。ヨイショの投稿しか掲載しないではないか。反対や批判の意見は一切封殺する、それが「民主主義を支える公共財」と胸を張って言えるのか。
 そういう批判をすると間違いなく返ってくる反論は、「読売新聞の主張に反対なら、ほかの新聞をとれ。どの新聞を購読するかの自由は読者側にある」と。では聞くが、読売新聞の社員は共産党のように一枚岩なのか。主筆の考えに批判的な社員はクビなのか。社内に発言の自由はないのか。もしそうでないなら、なぜ読者の意見に紙面を平等に割かないのか。言うこととやっていることがさかさまなことを「自家撞着」という。言葉の使い方を知らない自称ジャーナリストに教えておく。
 また本当に国家財政の悪化を真剣に憂うなら、読売新聞は特別消費税20%にして読者負担は据え置く、その代わり社員の給与は大幅カットし、企業年金も廃止する――そう宣言したら、読売新聞の購読率は一気に跳ね上がる。
 そもそも、若い人たちの活字離れに少子高齢化が進行して新聞の購読者は激減している。読売新聞も朝日新聞もペーパーの減少を補うため、最近は電子版に力を入れているが、コストがほとんどかからない電子版を高額にするのはなぜか。新聞購読者にはデジタル版を低額にしているが、新聞を購読するとネット配信のコストが安くなるとでも言うのか。そういうやり方で自分たちと販売店の生き残りを図ろうとしている自分勝手な金儲け主義の新聞がなぜ公共財なのか。今年の猛暑で何人のお年寄りが熱中症で亡くなられたか。高齢者が購入するエアコンの消費税は非課税にすべきだと主張するなら、おそらく反対するのは読売新聞以外にないだろう。「新聞は別格だ」という思い上がりは、キャリア官僚以上だ。ふざけるのもいい加減にしろ。
 つい、怒りが爆発したが、そういう思い上がりの精神が、読売新聞だけでなく日本の新聞の独りよがりを生んでいることだけは間違いない。そもそも戦中の報道姿勢についてしおらしく反省しているかのごとき主張をどの新聞もしているが、そもそも日本国民を軍国主義思想一色に染め上げてきたのは日清・日露戦争時の新聞報道ではなかったか。そのことをすっかり忘れたかのような顔をして、先の大戦で軍部に屈したかのような「反省」面をしても、国民は騙されない。先の大戦の最大の戦犯は軍部ではなく、日本中を軍国主義一色に染め上げてきた新聞社だ。そのことを忘れるな。
 新聞を特別扱いにするなどとんでもない話だが、消費税増税の最適な時期は神様に聞いても多分わからないだろう。1989年4月の竹下内閣時の初導入(3%)も、97年4月の橋本内閣時の増税(5%)の時も国民の反発は大きく、解散に追い込まれている。その当時に比べれば、現在は国民が消費税に対する拒否反応は世論調査によれば激減している。少子高齢化に歯止めがかからない状況の中で、社会保障を招来にわたって確実なものにしていくためには多少の負担増はやむを得ないと理解している国民のほうが多い。そのことも含めて増税時期は決めるべきだろう。
 確かに直近の状況を見れば、シリア情勢もあって原油が高騰し、円安とのダブルパンチで原材料の大半を輸入に頼っている加工食料品は大幅に値上がりしている。皮肉なことにこうして日本経済はデフレから脱却してインフレに入りつつあるが、その結果消費者の購買力は当然減少する。「脱デフレ」を読売新聞は錦の御旗のように掲げているが、経済活動はそんなに単純ではない。インフレ=景気上昇、という単純な図式で考えていると、とんでもない間違いを犯すことになる。むしろ国民の理解が得られているときが増税の最大の好機だ。かえって増税時期を早めた方がいいかもしれない。そういう可能性も視野に入れて増税時期を早く決めるべきだろうと思う。
 次に9月1日の毎日新聞の社説である。毎日新聞は読売新聞と違って増税時期についての主張はしていない。ただ、増税についてはヨーロッパ型の制度設計を主張しており、読売新聞と共通する点もある。
 両紙に共通しているのはヨーロッパを例にとり、新聞の軽減税率を要求していることだ。毎日新聞は新聞に加えて書籍、雑誌も軽減対象に加えている。毎日新聞によればイギリスが73年に付加価値税を導入したときからこれらにはゼロ税率を適用しており「知識には課税しない」という考え方が根付いているという。日本新聞協会も新聞への消費税増税に反対の声明を出しており、他紙が社説で読売新聞や毎日新聞と同様の主張をするかどうかはまだわからないが、立場としては横一線とみられるので、果たして新聞だけを特別扱いにすべきか否かについて検証しておこう。
 まず新聞業界は今大変な苦境に追い込まれていることを事実として考察する必要がある。一般市民への情報提供の手段は江戸時代の「かわら版」を嚆矢とするとされている。個別の配達ではなく、いわば有料号外のような形で人通りの多い街角で販売されていた。現在のような配達制度が始まったのは明治に入ってからである。当時は一般市民が情報を入手する手段は新聞しかなく、江戸時代から識字率が世界でも抜きんでていた日本では爆発的な新聞ブームが巻き起こった。当時は新聞の輸送手段が限られており(輸送手段は鉄道だけだった)、地方紙が全国各地で生まれていった。地方紙が今でも細々とではあるが生き残れているのは、各地方独自の文化や伝統を継承してきたことと、通信社(共同通信や時事通信。世界主要国の通信社が世界中に発信しているニュースは共同通信や時事通信が再配信している)があらゆる分野の情報を配信しているからである。
 スポーツ紙を除くと、全国紙5紙の中で独自の販売戦略をとっていたのは日本経済新聞だった。他の4紙が戸別配達に力点を置いて購読者の拡大を図ってきたのに対し、日本経済新聞はスタンド販売に力点を置いてきた(最近は戸別購読者の獲得に力を入れているが)。私が30~40代のころ、電車で新聞を広げる人たちの大半は日本経済新聞かスポーツ紙だった(朝の通勤時間帯。午後は夕刊フジや日刊ゲンダイのようなスキャンダル紙が多くなったが)。新聞を読まない人たちは文庫本かウォークマンでカラオケのための曲を繰り返し聞くのが通勤電車内の風景だった。
 通勤電車内の風景が一変したのは1980年代後半からである。漫画ブームが一種の社会現象になり、いい年をした大人が顔を赤らめることもなく『少年ジャンプ』や『サンデー』『マガジン』をむさぼるように読む(?)風景が当たり前のようにみられるようになった。今さら愚痴を言っても始まらないが、私を失業者に追い込んだのは彼らだった。
 漫画ブームが生じた背景には、ファミコンが生み出したテレビゲーム文化の浸透にあった。当時は携帯ゲーム機はまだ生まれていず(コンピュータ技術がまだ発展途上にあり、携帯ゲーム機の開発は不可能だった)、家庭でテレビゲームで育った子供たちが社会人になってゲームの代用品として漫画に飛びつき、それが燎原の火のごとく中年層にまで拡大したのだった。かくして多くの子供たちが将来の漫画家を目指すような時期が生じたが、それも一瞬の花火的なものでしかなかった。いま、私を失業させた漫画家たちが失業者になっている。
 漫画ブームは桜の花のようにパッと開いてパッと散ったが、漫画ブームを終焉させたのは携帯電話にiモードが搭載されたことによる。それまでの携帯電話は会話が目的で開発されたが、iモードが登場することにより携帯電話でインターネットやメールを楽しむ時代が到来したのである。と同時に携帯電話の開発競争の力点が小型軽量化から高画質化に移っていった。
 当時の日本のインターネットは定額制ではなく、電話料金と同じ通信時間料金体系だった。NTTが独占していたためでもある。そのことに疑問を挟んだジャーナリストは多分私が最初だったと思う。私が半ば失業状態になっていた1997年9月に光文社から上梓した『ウィンテル神話の嘘』のあとがきで私はこう主張した。

 パソコン通信を過去のものにしてしまったのは、第五世代のインターネットである。インターネットに接続してほしい情報を手に入れたり、ホームページを開いて自分の情報を不特定多数に提供できるようになった。このマーケットの出現は、今までの世代を通してパソコンに最も劇的なインパクトを与えた。だが、ここで大問題が生じた。いまの電話料金体系だと、日本は完全にインターネット時代の波に乗り遅れてしまうからだ。
 いまの電話料金体系は、市内と市外の体系に大きく分かれ、市内は3分間10円である(公衆電話は1分間10円だ)。つまりインターネットを使えば使うほど通信コストが膨大なものにつくのである。 
 アメリカは違う。マンハッタンとイリノイ州を除く大半の地域はフラットレート方式を採用している。基本料金は州や都市によって多少のバラツキはあるが、平均して月15ドル前後(日本円換算で約1700円)。この基本料金を払えば、市内電話は何回かけようと何時間かけようと、原則として通話料はタダだ。
 電話だけだった時代は、交換機が十分に対応できたが、パソコン通信やインターネットは何時間も電話回線を占領してしまうため(※当時はパケット方式がまだ発明されていなかったためパソコン通信は現在のメールとは違う)、とくに大都市にある電話局の交換機がいまパンク寸前になっている。そのため地域電話会社は何とかして基本料金プラス回線使用料をとろうとしているが、アメリカ市民のほうは既得権利だと反発し、妥協点が見つかっていない。
※アメリカは日本の旧電電公社が民営化された時、東日本と西日本に地域分割され(NTT)、さらにフリーダイヤルやナビダイヤルを全国規模で担当するNTTコミュニケーションズに3分割されたが(ドコモはNTTの子会社)、アメリカもそれに先立ち旧電電公社のように1社独占体制だったATTが遠距離通信を担当する新ATTと地域担当の小規模電話会社に分割されていたが、地域電話会社はその地域の独占状態になったが、独占事業も料金を自由に変えることができない。アメリカの自由競争主義は、独占権を付与された企業には消費者の同意がなければ勝手に料金を変えることができない。日本のマスコミはそうしたアメリカの自由競争社会における独占事業体に対する厳しい規制をかけていることを正確に報道していない。巨大な広告主に対する弱腰な日本のマスコミがなぜ「公共財」と自負できるのか。
 このフラットレート方式はアメリカのみの特殊な料金体系で、ヨーロッパは日本と同様、基本料金プラス通話料だが、大半の国の通話料は1回いくらで、時間は無制限である(※日本も私が学生だった頃は市内料金は1回単位で時間単位での課金制にはしていなかった)。
 実はNTTはこうした米欧の市内料金体系を調べていながら、社内に緘口令(かんこうれい)を敷いている。日本の利用者がそうした米欧の実態を知ったら、NTTに対する不満が爆発するのは必至だからだ。
 マスコミもだらしがない。大手のマスコミは海外主要国に支局を置いているし、少なくとも常駐特派員を世界中に派遣していて、海外の電話料金体系を知っていながら、NTTトグルになって隠している。情けない話だ。
 そこで私は提案する。
 パソコンを持っていない家庭の通話料金は今のままでいいが(かといって世界一高い電話料金を容認するつもりはないが)、パソコンを持っていてパソコン通信やインターネットを利用する人とは特別契約を結び、1通話30~50円で時間無制限にせよ、と。そうしなければ、インターネットの時代に日本は完全に取り残されてしまう。
 NTTや郵政省の中に、この程度のことが理解できる人がいることを期待したい。

 この本を上梓したのはインターネットが爆発的にブーム化するウィンドウズ98が発売される前年の97年9月、つまりインターネット時代の黎明期を開いたウィンドウズ95の時代だった。私がパソコンを初めて使いだしたのはウィンドウズ98が発売された以降だから、威張るわけではないが私の先見性が証明された一つの事例として明記しておく。なお韓国はまだ当時は発展途上の状態だったが、いち早くインターネットの重要性を察知して通信料金体系を大幅に変えた。そのため所得が低くパソコンを自前で買えない若い世代が低料金でインターネットを使い放題にしたネットカフェに殺到し、アメリカに次ぐ世界2位のインターネット大国にのし上がったことが、現在の韓国の先端工業製品が世界を席巻しつつあることの遠因になったと言えなくもない。
 いずれにせよ日本の新聞社が消費税増税で特別扱いを要求するなら、マスコミが果たすべき社会的使命を果たす体制を整えてからにしていただきたい。新聞がそれなりの社会的使命を果たすようになれば、若い人たちの新聞離れにもストップがかかるだろうし、日本の民主主義の成熟にも大きく貢献できるようになる。

 以上の文は9月1日に一気に書いたが、翌2日に日本経済新聞が社説を発表した。朝日新聞と産経新聞はまだだ。
 日本経済新聞の主張はさすがにいい線をいっている。経済問題に関する同紙の見識は朝日新聞と産経新聞は社説を書く際、大いに参考にしてほしい。日本経済新聞社には無断で全文を転記させていただく。ブログの読者にぜひ読んでいただきたいと思うからだ。日本経済新聞社説のタイトルは『消費増税の判断が遅れる影響は大きい』で、タイトルそのものは可もなし不可もなしといった感じだ。

 消費税増税の影響を検証する政府の集中点検会合が終わった。5%の税率を2014年4月に8%、15年10月に10%まで引き上げるかどうかの判断材料となる。
 安倍晋三首相は10月上旬までに引き上げ時期と幅を決めるが、予定が曖昧なままでは個人や企業も準備ができない。成長戦略や予算編成が遅れるのを避けるためにも、早く増税を固めるべきだ。
 6日間の会合では、各界の代表者60人に増税の是非を聞いた。景気対策などの条件付きも含めれば、予定通りの増税を支持する識者が大勢を占め、増税自体に反対する識者は少数にとどまった。
 増税そのものの必要性は認めるが、景気などへの配慮から時期や幅の修正を求める識者も目立った。①8%と10%に引き上げる時期をともに1年延期する②まず1%か2%、その後は毎年1%ずつ引き上げる③15年10月に一気に5%から10%に引き上げる――といった案が代表例だ。
 消費税増税は財政再建の重要な一歩だが、日本経済にある程度の負荷がかかるのは避けられない。「アベノミクスでせっかくつかんだデフレ脱却の芽をつぶしたくない」という声はあるだろう。
 しかし引き上げの時期や幅を修正すれば、財政収支の改善が当初の想定よりも遅れる公算が大きい。秋の臨時国会で新たな法律を成立させるのに手間取り、成長戦略の具体化を妨げたり、市場を動揺させるのが心配だ。
 小刻みの引き上げならば価格改定の手間がかかり、価格転化もしづらくなるとの懸念も出ている。こうしたリスクやコストの大きさを軽視することはできない。
 4~6月期の実質国内総生産(GDP)は前期比年率2.6%増と高めの成長率を維持し、7月の生産や雇用なども堅調だった。安倍政権は効果的な成長戦略の具体化にこそエネルギーを注ぐべきだろう。
 決断するのは早いほどいい。個人や企業は予定通りの増税を前提に、住宅や自動車などの購入・販売計画を立て始めている。無用な混乱を避ける配慮が必要だ。
 14年度の予算編成にも支障が出かねない。財務省が8月末に締め切った概算要求の総額は過去最大の99.2兆円となった。増税とその使途を確定させたうえで、水膨れした歳出に切り込まないと、財政再建の一歩を踏み出せない。

 消費税増税についての日本経済新聞の主張に文句は付けようがない。あえて付け加えるとしたら、少子高齢化に歯止めがかからない状況下で、消費税だけで財政再建や社会保障の水準維持を実現することははっきり言って困難だ。まして食料品など低所得者に打撃が大きい生活必需品を減税にすれば(※私がそのことに反対しているわけではない)、また近い将来消費税のさらなる増税を行わなくてはならなくなる。基本的に問題なのは、新聞社の論説委員たちが、まだIT技術が影も形もなかった時代に、やむを得ず作ったヨーロッパの付加価値税方式を金科玉条のごとくあがめていることだ。彼らの思考力の貧困さがよーく分かるではないか。
 現在だったら、IT技術を駆使すれば、同じ食料品でも富裕層しか買えない高級品と、低所得者が買う安い食料品を簡単に区別して税率格差をつけることができる。そういう中学生でもわかる方法をなぜ提案できないのか。そんな程度の思考力で、よくもまぁ「新聞は民主主義を支える公共財だ」などと胸が張れるのか。聞いて呆れるとはそういうことを言う。恥を知れ。
 食料品だけではない。衣食住のすべてに税率格差をつけるべきだ。そして富裕層にしか手が出せない高級品には30%くらいの高率消費税を課し、低所得者が買うような商品はすべて低率にすべきだ。一見画一的な消費税率(現行はそうだ)は公平のように見えるが、結果的には所得格差ではなく生活格差を拡大しているのだ。言っておくが、「生活格差」という言葉も考え方も私のオリジナルなものだ。別に商標登録などしないから自由に使用してくれてもいいが、私が作った言葉を捻じ曲げて使うようなことはしないでほしい。そういうことを勝手にする論説委員や佐高信とやら名乗っているエセ評論家がいるからね。

 とここまでは9月2日に書いたが、その後も朝日新聞と産経新聞は社説での主張はまだしていない(6日現在)。両紙は安倍首相が決断を下すまで主張を避けるようだ。現在掲載中のブログの閲覧者数も減少傾向に入ってきたし、私のほうも朝日新聞や産経新聞がいつ出すかわからない社説をいつまでも待つわけにいかない。で、今日このブログを投稿することにする。私の主張に読者がどう思われるかは、読者自身の消費税増税に向かい合う姿勢が問われる。
 

     
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