小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

安倍さん、日米同盟深化が唯一の安全保障策というなら、いっそのことアメリカに自衛隊基地を作ったら…

2017-11-24 06:40:51 | Weblog
 「印象操作選挙」――先の総選挙を、そう命名することにした。なぜか。
 安倍総理は臨時国会の冒頭解散について「国難突破解散」と命名した。もともとは、安倍総理は解散の大義を「消費税増税分の一部を教育支援に充てることについて、国民に信を問う」とするつもりだった。14年11月の解散のとき、「消費税増税の延期について国民に信を問う」ことを大義にしたからと言うが、それは真っ赤なウソである。
 確かに安倍総理はそのつもりではあった。民主党政権最後の総理であった野田氏が、自民党総裁の安倍氏、公明党代表の山口氏との間で約束した3党合意では15年10月に消費税を10%に引き上げることになっていた。が、景気回復が思うように進まず、消費税の増税時期を延期せざるを得ないと判断した安倍総理は、消費税増税延期を解散の大義にすれば民主党は「3党合意の違反だ」と反対するだろう、しかし国民は増税延期を主張する自民党を支持してくれるだろうと読んだのだ。
 が、民主党は消費税増税延期に異を唱えなかった。かといって海外歴訪中に安倍総理の指示によって永田町で吹き荒れていた「解散風」に今更ストップをかけることはできず、安倍総理はいとも簡単に解散の大義を「アベノミクスの継続を国民に問う」と変更して解散・総選挙に踏み切った。つまり14年の総選挙の争点は「消費税増税延期の是非」ではなかった。そのことをすっかり忘れているとしたら、安倍総理は健忘症か、あるいは認知症の可能性がある。
 アベノミクスの継続について国民に信を問う、と言われても有権者は戸惑うばかりだ。だから私はこの時の選挙を「選択肢のない選挙」と命名し、憲政史上最低の投票率を記録するだろうとブログで予測した。
 14年の選挙のときも私は『総選挙を考える』シリーズを7回にわたって書いたが、その1回目のタイトルは『解散の大義はアベノミクスの継続のためか?』であった。7回のシリーズのうちタイトルにアベノミクスを入れたのが4回ある。一方、タイトルに「消費税」を付けたのは1回もない。さらに念を押すと、シリーズの最終回の冒頭部分で私はこう書いている。

 当初は消費税増税時期延期を選挙の争点にしたかった安倍総理としては、解散の大義を「消費税増税について国民に信を問う」と、小泉首相が行った「郵政解散」のような選挙に持ち込みたかったのだが、国民も野党もメディアも、安倍総理の思惑に乗ってこなかった。

 ここまで念を押せば、安倍総理が健忘症か認知症か、あるいは大ウソつきかのいずれかだということが明白だろう。
 それはともかく、前回の解散の大義を巡って混乱したことをすっかり忘れていた安倍総理は、「消費税増税分の使途」は選挙の争点にならないことがわかって急きょ「国難突破解散」と、大義を変更した。国難は二つあり、少子高齢化と北朝鮮対策だという。少子化問題については前回のブログで書いたので、北朝鮮問題について書く。
 どうもよくわからないのは、トランプ大統領の北朝鮮対策である。アジア歴訪の後、「金正恩委員長と友達になりたい」と言って、米朝関係が雪解けに進むのかと期待したが、その舌の根も乾かないうちに北朝鮮を再び「テロ支援国家」に指定して、北朝鮮の反発を招いた。単なる気まぐれなのか、それとも安倍総理と同様、健忘症または認知症なのか。
 少なくともトランプ大統領が「友達になりたい」と発言して以降、北朝鮮はトランプ大統領が態度を一変させるような「挑発」行動は何もしていない。
 もっと訳が分からないのは、安倍総理が直ちにトランプ大統領の「テロ支援国家」指定を無条件に支持し、100%アメリカと常に行動を共にするとまで宣言したことだ。ということは、もし米朝間で軍事衝突が生じた場合、集団的自衛権行使容認の「新3要件」に該当しない場合でも、日本の自衛隊は米朝衝突に参戦するということなのか。
 北朝鮮がグアム周辺の海にミサイルを発射する計画があることを発表した時、小野寺防衛相は「グアムの米軍基地が攻撃されたら日本の抑止力が低下する。集団的自衛権行使の可能性がある」と発言した。この発言をメディアも野党もあまり問題視しなかったが、そこまで「新3要件」の解釈を拡大するなら、いっそのことグアムに自衛隊基地を置いて米軍を守ったらどうか。
 グアムに駐留している米軍はただの飾り物ではない。日本の米軍基地も日本防衛のためだけではない。有事の際にはグアムや日本の米軍は戦場に赴く。日本の抑止力は当然だが、低下する。
 実際、そういう事態が生じたことが過去にある。朝鮮戦争のときやベトナム戦争のとき、日本に駐留していた米軍は戦場に向かい、日本の防衛力は著しく低下したことがある。当時はまだ冷戦下で、旧ソ連を盟主とする東側と、アメリカを盟主とする西側が常に一触即発の状態にあった。とりわけ朝鮮戦争時には日本を占領していた米軍がすべて戦場に向かって、日本は空っぽになっていた。その事態が、そもそも自衛隊創設の契機になったという事実もある。
 安倍総理が、とことん運命をアメリカと共にするというなら、もう一度日本をアメリカに占領してもらったらどうか。もし日本国民が容認するならば、の話だが…。
 次の総理候補と目されている石破氏も、「いざというとき、アメリカが日本のために血を流してくれるという保証はない」と、日米同盟の危うさを危惧している。
 が、もっと問題なのは日米同盟の深化が日本の抑止力の強化につながっているのか、という根本的な問題についての検証がなおざりにされていることだ。
 安倍総理は国会の所信表明演説で「いま、我が国を取り巻く安全保障環境は、戦後、最も厳しいといっても過言ではありません」と述べた。本当は朝鮮戦争やベトナム戦争のときのほうが厳しかったのだが、ま、認知症総理の所信表明だから、と黙認するわけにはいかない。
 北朝鮮問題の「危機」をそうやって煽り立てて、安倍自民党は総選挙で大勝した。「印象操作」に見事に成功した。だから麻生副総理は「自民党の大勝は北朝鮮のおかげ」と、つい本音を漏らしたのだ。
北朝鮮は核・ミサイル開発について一貫して「アメリカの核の脅威に対抗するため」と明言している。石破氏が「非核3原則(核は持たず・作らず・持ち込ませず)のうち『持ち込ませず』は考えたほうがいい」と主張したのも、北朝鮮の核・ミサイルに対抗するため米軍基地に核を配備することを考えようという意味だ。いちおう日本の核ではないから「持たず・作らず」は維持できる。
 北朝鮮が日本を敵視するかのような発言を繰り返しているのは、日本がアメリカの手先になってアメリカと一緒に軍事的圧力をかけるなら、という前提での警告だ。日本が北朝鮮の核・ミサイルを脅威として自衛のために核配備をするというなら、北朝鮮がアメリカの核を脅威と感じて自衛のために核・ミサイル開発に狂奔することを非難できるのか。
 まして、日本が国際社会に向かって「日本の核武装は北朝鮮の脅威に対抗するためで、他意はない」と弁解しても、中国や韓国、アジアの諸国が善意で解釈してくれるとは限らない。いまはとりあえず北朝鮮の核に対抗するためだとしても、いったん核を持てば、それは日本のすべての周辺国にとって脅威になる。北朝鮮と同様、日本が国際社会で孤立化することは目に見えている。
 北朝鮮の核・ミサイルに国際社会が反発しているのは、「いまは対米を口実にしているが、その核がいつ他国への軍事的圧力として機能するかわからない」という不安感からだ。同様に、日本の軍事力強化は、いまは「北朝鮮に対する自衛力の強化」という口実で行われても、いったん強化された軍事力は日本の周辺国にとっては大いなる脅威に転化する。そのくらいの理屈は中学生でもわかろうというものだ。
 日米同盟は、冷戦下においては確かに日本の安全保障にとって大きな役割を果たしてきた。が、冷戦時代が終わり、日本の周辺国で日本を侵略しようなどという野望を持っている国は一つもない。安倍自民党が主張するように、日米同盟の深化が日本の安全保障や抑止力の強化になるというなら、なぜ安倍総理は所信表明演説で「いま、我が国を取り巻く安全保障環境は、戦後、最も厳しいといっても過言ではありません」などという必要があるのか。
 日米同盟の深化によって日本の安全保障と抑止力が高まるのであれば、日本は軍事力を強化する必要などまったくないはずだ。
 もし、「日本がアメリカのために血を流す必要がないのに、アメリカがなぜ日本のために血を流す必要があるのか」という日米安保条約に対する反発の声がアメリカ国内に多いことは私も承知している。
 だったら、日本もアメリカのために血を流す覚悟があることを示せばいい。グアムだけでなくアメリカ本土のワシントンDCやニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコなどの主要都市周辺に自衛隊基地を設置して、日本もアメリカのために血を流す用意があることをアメリカ人に示せばいい。その代り、もちろん地位協定は結ばせてもらう。
 念のため、アメリカに駐留する自衛隊が「戦争に巻き込まれる危険性」は限りなくゼロである。アメリカを攻撃しようなどという国はあり得ないからだ。北朝鮮にしても、自ら暴発することは考えられない。アメリカは北朝鮮を暴発させようと挑発の限りを尽くしているが、北朝鮮は極めて冷静である。
 はっきり言ってアメリカが北朝鮮に対する敵視政策をやめれば、北朝鮮も核・ミサイル開発に血道を上げることをやめる。日本にとって北朝鮮との関係で拉致問題はのど元に刺さったとげで、そのとげは簡単には抜くことはできないだろうが、アメリカに北朝鮮に対する挑発行動をやめさせ、北朝鮮の体制維持のためには中国のように経済発展で国際社会に貢献することだ、と説得することはできる。そのために資本・技術の支援を日本は惜しまないという意思を北朝鮮に伝えれば、北朝鮮の態度も急速に軟化に向かう。軍事力の強化に使う金があるなら、北朝鮮の経済発展のために使うほうが、日本の安全保障にとってもよほど効果があるのではないだろうか。
 少なくとも、北朝鮮の脅威を煽り立てた「印象操作」選挙で圧勝した安倍・自民党は、日米同盟の深化にのめり込むことで、かえって安全保障上の大きなリスクを抱え込むことになったことだけは間違いないだろう。
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幼児教育の無償化は何のためか? 哲学なき政策の行方を問う。

2017-11-17 07:33:36 | Weblog
 先の総選挙で安倍総理は解散の大義について、当初は2年も先の消費税増税分の使途について「国の借金返済を先延ばしにして、幼児を含む若年層の社会保障の充実に充てる」ことで国民の信を問うつもりだった。
 解散の大義とは、選挙の争点を意味する。が、野党はこの「争点」に乗らず、メディアも「大義なき解散」と批判した。結局、安倍総理は「国難突破解散」と位置づけ、「国難とは少子化と北朝鮮対策」とした。のちに安倍総理は少子化を「少子高齢化」と変更したが、少子化はともかくとして、高齢化が国難とはどういう意味か。安倍総理の口からも政府の要職にある政治家の口からも一向に「高齢化対策」が明らかにされていない。高齢者に偏っていた社会福祉政策を全世代型にするということなので、年金だけが頼りの高齢者の医療負担割合を現役世代と同様3割に引き上げ、高額の医療費がかかる高度医療を高齢者には自主的に辞退してもらって、長寿化に歯止めをかけるということなのか。言っておくが、長寿化は平均寿命が延びていることを意味し、高齢化は平均年齢が上昇していることを意味する言葉だ。政治家もメディアもこの二つのカテゴリーをごっちゃにしている。
 私は前にブログで「ゴルフができる高齢者は経済的にも恵まれている人たちだ。そういう人たちのゴルフ場利用税を無料にしている今の制度を改めて有料化するとともに、自助努力で健康を維持するためのジムやフィットネスクラブの利用者に一定の支援をしたらどうか」と提案したことがあるが、そうすれば結果的に高齢者の医療費も削減できると思う。
 高齢者対策は置いておくとして、いま政府が取り組んでいる少子化対策は「幼児教育の無償化」のようだ。それにしては、政府が考えている「幼児教育の無償化」は本当に少子化対策になるのだろうか。
 政府は当初、無償化の対象を認可保育園に通う幼児に限定する予定だった。が、保護者(幼児の父母)が猛反発。あわてて認可外の保育施設も原則、無償化の対象にすることにしたという。
保護者が反発したのは当然だ。「そもそも認可保育園に通えること自体、恵まれたケース。認可園に入れなくて困っている家庭が多いのに、恵まれている人たちをさらに手厚く支援するというのは考え方が逆立ちしているのではないか」というのが保護者たちの声だ。
そういう保護者の反発が出るような、恵まれた人たちをさらに優遇するようなことを考えること自体、政治家や官僚が考える政策に哲学がないからだ。
そもそも、何のために幼児教育の無償化を行うのか。少子化に歯止めを打つために、子供を産み、育てやすい環境を整備するのが目的だったのではないか。

政治の世界ではしばしば「目的」と「手段」がごちゃごちゃになる。たとえば2020年に開催される東京オリンピック。
いまでも都民だけでなく日本国民の多くは「なぜ今膨大な金を使って東京でオリンピックなのか?」という疑問を抱いている。1964年の東京オリンピックは戦後復興のシンボルとしての意味もあったし、新幹線や高速道路網など交通インフラ整備のきっかけにもなった。そうした大義名分が、今回の東京オリンピックには何もなかった。メディアの中には批判的な考えもあったようだが、声を大にして批判を口にすることははばかられた。そういう雰囲気に社会全体がなってしまったからだ。
オリンピックの東京開催が決まってから、妙な位置づけが行われた。「復興オリンピック」ということになったのだ。
その可笑しさをだれも指摘しない。「復興」とは言うまでもなく東北大震災による大災害の回復を指す。東北大震災が生じたのは2011年3月11日だ。
一方石原慎太郎都知事が東京オリンピックの招致を目指して都議会で招致活動を行うことを決定したのは2006年3月だ。まさか大震災の5年も前に、東北で大震災が生じることを予測してオリンピックの招致構想を立てたわけではあるまい。その矛盾が明らかになったのがボート競技会場問題。日本唯一の国際ボート競技場として公認されている宮城県の長沼ボート場が開催地として名乗りを上げた。が、「選手村が設置される東京から350kmも離れている」という理由で選ばれなかった。もし長沼ボート場が選ばれていれば、唯一の被災地での競技になったのにだ。
オリンピック村から遠い、という理由の可笑しさも指摘する人もいなかった。宮城県は被災者のための仮設住宅を選手村にするとしてモデルルームすら作っていた。が、JOCに言わせれば選手村は選手たちの国際交流の場であり、地方に選手村を作っても国際交流が出来ない」ということだ。が、オリンピック選手の国際交流は同じ競技仲間に限られている。選手同士の国際恋愛も競技が違えば成立しない。宮城県にボート選手だけの選手村を作っても、何の不都合も生じない。そういう指摘をメディアもしなかった。
要するに「復興オリンピック」と命名すれば、膨大な無駄遣いが問題化されることはないだろうという、それだけの理由しか考えられない。名前だけは「復興」だが、東京オリンピックを東北大震災の復興に結び付けるものは、少なくとも現在は何もない。
いったい、東京にオリンピックを招致する目的はなんだったのか。旗を振った石原氏は、招致目的については何も語っていないようだ。私は招致目的について考えられるあらゆるキーワードを駆使してネット検索したが、結局わからなかった。わかったのは「オリンピック招致ありき」という経緯だけだった。どなたかご存知の方があれば教えていただきたい。
本来、目的があって、その目的を達成するための手段が講じられる。が、しばしば本来の目的がどこかに置き去られて、いつの間にか手段が自己目的化することがある。
最初の目的を「第1目的」とすれば、第1目的を実現するための手段は「第1手段」となる。が、「手段の自己目的化」によって「第1手段」がいつの間にか「第2目的」にすり替えられる。そして「第2目的」を実現するための手段であるはずの「第2手段」が、また自己目的化して「第3目的」になる。このサイクルは際限なく続く。

幼児教育の無償化問題に戻す。国の謝金返済(財政再建)という2年後に予定されている消費税増税の「第1目的」を反故にしても、幼児教育の無償化を行うのはなぜか。安倍総理が解散の大義とした「少子化対策」であるならば、その目的を達成するための手段として「幼児教育の無償化」方法も考えるべきだろう。
だとすれば、そもそも保護者の反発を受ける前に、認可保育園に通園する幼児だけを無償化の対象にするという発想がなぜ出てくるのか。
そもそも「幼児教育無償化」がなぜ必要なのか、という「哲学」がないから、保護者の反発を受けて今度はばらまき政策に出ることにした。認可外保育園はもとより、企業が自前で設置した保育所やベビーシッターなども対象にするという。
無償化の範囲を拡大することに反対するわけではないが、どういうケースを優遇の対象にするかを考えるほうがもっと優先事項ではないか。たとえば保護者の所得によって優遇に差をつけるとか、第2子、第3子…と幼児が多い家庭の認可保育園への優先入園枠を設けるとか、「第1目的」を常に基本に据えていれば保護者の反発を受けるようなことはなかったはずだ。

今国会の文科委員会では加計学園問題で与野党が紛糾している。野党もしっかりしてもらいたいことは、本来の目的はなんだったのかという基本線を問うこと重視してもらいたいということだ。
加計学園問題はさまざまなことがごっちゃになっているため、何が本質なのかが国民に見えにくくなっている。野党側は安倍総理の「お友達優遇」をあぶりだしたいのだろうが、どの問題をどう追及していけば本丸を攻めることが出来るのかをよく考えてほしい。この問題は改めて来週のブログで書く。
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与党が質問時間を5:5にしろというなら、そうすればいい。ただし野党に十分な質問時間を与えたうえでだ。

2017-11-14 08:46:08 | Weblog
 11月1日に召集された特別国会が、すでに2週間になろうというのにばかばかしい問題で与野党の折り合いがつかず、時間ばかりを浪費している。
 もともと特別国会は、与党の当初予定では首相指名や正副議長の選出など最小限にとどめ、11月8日までの日程を考えていた。が、憲法の規定に基づく野党要求の臨時国会を開催せず、短期間の特別国会でモリカケ疑惑にふたをしてしまおうという自民党の姿勢に野党が猛反発、特別国会の会期が12月9日までの39日間に延ばされることになった。
 その結果、来年1月まで行うつもりがなかった総理の所信表明演説や代表質問、予算委員会でのモリカケ疑惑の審議が行われることに、いったんはなった。が、安倍総理としてはモリカケ疑惑の審議はできるだけ避けたい。避けられないものなら、せめて審議時間を極力短くして野党の追及を逃れたい。
 そこで、政権中枢のだれが思いついたかはわからないが(そういう姑息なアイデアを出しそうなのは前副総裁のような気がするが…)、自民党の石崎議員ら3人の3回生議員が同党の森山国対委員長に「質問時間を議席数に比例配分してほしい」と申し入れたという。が、それは建前で、自民党の萩生田幹事長代行によると、質問時間の見直しを支持したのは安倍総理自身だという(朝日新聞)。「選挙でこれだけの民意をいただいた。我々(自民党)の発言内容にも国民が注目しているので、機会をきちんと確保していこう」と首相官邸で話したという。
 野党は、モリカケ疑惑について言いたいことだけ言って聞く耳を持たないなどとは言っていない。総理をはじめ、関係者全員に十分説明をしてもらいたいと言っている。たとえば野党議員の5分間の質問に対して、総理自身が選挙後に誓ったように「丁寧に」1時間でも2時間でも国民が納得できるまで説明をしてもらいたい、と野党は主張している。
 安倍総理は野党議員の質問に対して「何度も同じことを聞かないでほしい」とうんざりした顔を見せるケースが多いが、質問にちゃんと答えないから同じ質問を繰り返さざるを得ないことになる。質疑応答がしばしば堂々巡りになるのは、その結果であり、質問時間の配分の問題ではない。

 質問時間の配分は民主党政権当時に自民党の要求によって「与党2:野党8」になり(それまでは「与党4:野党6」)、以降この配分が慣例化してきた。
 民主主義の最大の欠陥は、これまで何十回も繰り返してきたように「多数決原理」にある。「少数意見にも十分耳を傾けよ」というのは、その欠陥を補う唯一の方法だからだ。しかし、採決においては少数意見が採用されることはあり得ない。だからこそ開かれた政治は、国民が少数意見を聞く機会を多くして、次の選挙に民意が反映できるようにすることなのだ。実際、国会図書館の調査によれば、欧米主要国の大半は野党に質問の機会を多く与えているという。
 選挙後、小泉議員がぶら下がりの番記者に「政府が与党にまったく図ることなく、勝手に事を決めている。何のための党か」と苦情を述べたことがある。この発言について菅官房長官は「政府と与党は一体だ」と小泉発言を否定した。
 小泉議員が言うように政府と与党がかい離しているのなら、与党議員にも政府に対する手厳しい質問をする機会を大いに与えるべきだろう。が、菅官房長官が言うように政府と与党が一体なら、与党議員は何を質問するのか。質問時間が余って般若心経を唱え出した自民党議員がいたが、若い議員は般若心経など知らないだろうから、委員会室にカラオケボックスでも持ち込もうというのか。
 政府・自民党が「与党議員の質問時間を増やせ」と野党に迫る理由は何か。与党議員の質問時間を増やせば、その分、野党議員の質問時間を削らざるを得ない。では、なぜ削りたいのか。
 今国会で唐突に飛び出したことを踏まえると、やはりモリカケ疑惑で野党に追及質問の時間をできるだけ少なくしたい、という思いが透けて見える。
 かつて竹下元総理(故人)は民主政治の原点として「政府は法案作成過程で与党と十分審議を重ねている。少数意見に耳を傾けるという意味においても、質問時間を野党に多く配分するというのが自民党の伝統だ」と胸を張った。選挙で圧勝した自民・安倍総裁は「謙虚に、丁寧に」と口が酸っぱくなるほど語った。なるほど野党の質問時間を削り、与党の質問(与党議員に質問することなんかあるんかい?)を増やすことが「謙虚で丁寧な」姿勢なのか。
 野党も、こういうくだらない問題で時間を浪費しないほうがいい。要は時間配分の問題ではなく、野党がモリカケ疑惑を解明するために十分な時間を獲得できればいい。だから野党は必要な時間を要求したらいい。その時間が100時間必要なら100時間質問させろ。与党議員にも100時間質問させていいから、と。それで万事めでたしめでたしだ…。
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メガバンクの大幅な人員削減と店舗網の縮小計画は自らまいた種か? それともアベノミクスの…?

2017-11-10 06:54:45 | Weblog
 「銀行がつぶれるかもしれない」……そんな見方が金融界に広まっているらしい。「らしい」と書いたのは、金融業界に詳しい知人からの伝聞で、いちおう私も先週末メガバンクの支店長に確認したところ「そのようですね」との返事があったからだ。
 もし銀行がつぶれるとしたら、バブル崩壊やリーマンショック後の金融業界大混乱時代の再来になる。バブル崩壊は1991年に「突然」始まった。それから27年になるから、若い人には「なんのこっちゃ」という感じがするかもしれない。しかしバブルを招来したのも、バブルを強制崩壊させたのも、政府と日銀の金融政策に根本的な原因があった。
日本のバブル崩壊と違ってリーマンショックは一般の日本人の国民生活には直接の影響がなかったので、なぜ日本の金融業界に激震が走ったのか、やはり日本の金融事情に詳しくない方には理解できなかったかもしれない。
 いま日本経済は「いざなぎ景気」を超え、2番目の長さの好景気を続けている(ことになっている)。では1番目はいつだったか。おそらく大半の人たちの記憶にないだろうが、比較的最近なのである。2002年2月から2008年2月までの6年1か月の長期にわたる「好景気」がそれで、「実感なき好景気」と言われている。一部には「ITバブル」とも称された。IT業界が景気の波を引っ張ったからだ。が、その「好景気」にピリオドを撃ったのがリーマンショック。2大8年、アメリカで低所得者向けに長期の住宅ローンを組んで、その担保の不動産を有価証券化して世界中の金融機関にばらまいたのがリーマンブラザーズという証券会社。バブル期に日本で雨後の竹の子のように生まれた抵当証券の仕組みをパクったのがリーマンブラザーズだったが、日本の抵当証券会社がバブル崩壊によって全滅した事実からは、何も学ばなかったようだ。
 そのリーマンブラザーズが発行した「抵当証券」に、バブル崩壊で散々懲りたはずの日本の銀行が、その高金利に目がくらんで大量に購入してリーマンブラザーズの破産で大損害を被ったのが、いわゆるリーマンショックだ。なぜ日本の銀行は同じミスを二度もしたのか。そして今また大きなミスを犯してバブル崩壊、リーマンショックに次ぐ3度目の金融危機に直面しようとしている。日本企業に共通した体質とも言えるし、政府・日銀による金融政策の付けが回ってきたとも言えないことはない。今回のブログはそのことを検証する。

 日銀金融政策研究会はバブル崩壊の10年後の2000年12月に、ようやく日銀金融政策の誤りについての報告書を発表した。日銀総裁は当時「たすき掛け人事」と言われ、日銀プロパーと大蔵官僚が交互に総裁の椅子に座る慣習になっていた。バブル経済を招いたときの日銀総裁は大蔵事務次官だった澄田智(さとし)氏で、澄田氏の後を継いだのは日銀プロパーで澄田総裁時代は副総裁に就いた三重野康(やすし)氏だった。
 日銀金融政策研究所の報告書によれば、バブル経済の特徴は ①資産価格の急激な上昇(※通称「資産バブル」) ②経済活動の過熱 ③マネー・信用の膨張 の三つという。そのこと自体に誤りがあるわけではないが、日銀は日本人や日本企業のビヘイビア原理をまったく無視した金融政策を行ってきたことへの反省は、残念ながら報告書には見られない。
 実はバブル経済を招来するきっかけになったのは、1985年9月のG5でのプラザ合意である。当時アメリカは財政赤字と経常収支赤字の「双子の赤字」に苦しんでおり、その原因はドル高にあるとして、ニューヨークのプラザホテルに英・仏・西独・日の蔵相、中央銀行総裁を招集しドル高是正を要求、米を含めて主要5か国による為替操作(各国中央銀行によるドル売り・自国通貨買いの協調介入のこと)を要請した。アメリカの目的は貿易赤字の解消にあり、その標的は日本と西ドイツだった。イギリスとフランスは、両国のメンツを重んじて招集したに過ぎない。なおG5は「group of 5」の略。当時は先進5か国の蔵相・中央銀行総裁の会議だったが、その後先進各国首脳が集まるサミットに変わった。
 このプラザ合意後の日本企業のビヘイビアはどうだったのか。私は1992年11月に上梓した『中心蔵と西部劇――日米経済摩擦を解決するカギ』(祥伝社 ノンブック)でこう検証した。
 「このプラザ合意を契機に、怒涛のように円高が進み出す。
 その後の2年間で、円の価値は1ドル=240円から120円へと、一気に倍に跳ね上がったのだ。
 その過程で、日本の輸出産業界から悲鳴が聞こえだした。「1ドル=200円がギリギリの採算ラインだ」「180円を超えたら輸出は不可能になる」と。(中略)
 円高になれば、当然その分だけ海外での価格競争力は低下する。たとえば1ドル=240円時代にアメリカで100ドルで売っていた日本製品は、1ドル=120円になると(※アメリカでの販売価格は)200ドルになるはずである。そうなればドル安(=円高)効果によって米産業界の競争力は大きく回復するはずであった。
 だが、そうはならなかった。日本製品のアメリカでの販売価格があまり上昇しなかったからだ。自動車でせいぜい15~20%、電気製品に至ってはプラザ合意以前より安くなったものさえあった。もともとアメリカに競争相手がほとんどいない高級カメラや時計でさえ、値上げ率はせいぜい3割がいいところであった。
 その結果、妙なことが生じた。自動車も電気製品もカメラも時計も、日本で買うよりアメリカで買ったほうが安い、という“逆内外価格差”が生じたのだ。(中略)(※こうした事態に)マスコミがようやく騒ぎ出したのは、プラザ合意から3年以上たってからである」
 それでもプラザ合意による円高は日本産業界に相当なダメージを与えた。商社は売れなくなった商品は扱い量を減らせばいいが、自動車や電気製品など高度工業製品のメーカーは巨額な費用を投じた生産設備の稼働率を維持することが最優先になる。そのためには生産量を維持しなければならず、もしアメリカへの輸出価格を為替相場にスライドさせていたら輸出量が激減し、メーカーは大量の在庫を抱えてしまう結果になる。そのため輸出は採算を度外視して生産量の維持を図ったのである。このメーカーの体質ともいえる生産設備の稼働率に対するこだわりは、実はアベノミクスによる金融緩和と円安誘導のときにも表れ、アベノミクスの足を引っ張り、結果的にアベノミクスを失敗させた最大の要因にもなったので(後で検証する)、記憶にとどめておいてほしい。
 さて私は1988年夏の終わり頃(バブル景気の真っ最中)、松下電器産業(現パナソニック)の谷井昭雄社長にインタビューしてメーカーの姿勢を追及したことがある(記事はその後廃刊になった月刊誌『宝石』=光文社=の10月号に掲載)。インタビュー記事としては8ページに及ぶ異例の扱いだったが、このインタビュー記事は産業界にかなりのショックを与え、1年後から始まった日米構造協議にもかなりの影響を与えたようだ。あまりに長文なので私の発言部分は要約する(ただし、谷井氏の発言だけは原文のまま)。
「小林 プラザ合意以降円はほぼ倍になった。本来日本の輸出製品のアメリカでの販売価格も倍にならなければおかしいが、自動車や電気製品はせいぜい10~15%の価格上昇にとどまっている。メーカーは合理化努力によって輸出価格を極力抑えていると主張しているが、もしそうであれば日本での生産コストは半分近くに下がっていることになる。にもかかわらず日本の消費者はメーカーの合理化努力の恩恵にあずかっていない。かえって高くなっているものさえある。
谷井 いま、おっしゃった中で、もちろん同感なところもあります。ただ、国によって価格差があるという点ですが、一時的には確かにあります。しかし、これは異常な為替の結果だと思うんですよ。日本で作っている製品が、船で運んでいった国で安く、むしろ日本では高いじゃないかと、恩恵を受けていないじゃないかと。一部、現象的にはそういうことは否定できませんけどね。急速な為替のしからしめた結果というのは、非常に大きいと思うんですね。
もちろん、そのままで許されるわけじゃありませんし、また決して我々は専売公社ではありませんから、自ら決めた価格が堂々と通るわけじゃない。いわゆる価格というものは、決してメーカー単独で決められるものじゃなく、リーゾナブルな、社会に受け入れられる相場というものがあるわけですからね。先ほど小林さんがおっしゃったことも事実。そういうものと企業努力とをどのように合わせていくかというのが…。だけど、そういうアンバランスが一部出たといいうことの、いちばん最大の要因というのは、急速な為替の変化であるわけです」
この時点では私自身もジャーナリストとしてまだまだ未熟であったことを認めざるを得ない。私の日本メーカーに対する批判の視点は「アメリカへの輸出は為替相場を反映しないダンピングではないか」という視点と、「本当に合理化努力によって輸出価格を抑えることが出来たのなら、なぜ日本の消費者は合理化の恩恵を受けられないのか」という、いわば倫理的な指摘にとどまっていた。私が日本企業のビヘイビア原理に理解が及んだのは、アベノミクスに悪乗りして輸出メーカーが輸出量を増やさず空前の為替差益を計上したことによってである。金融機関もまた黒田・日銀総裁のマイナス金利政策のせいとはいえ、収益を確保するためバブル期を超える不動産融資に奔ったり、サラ金まがいの「カードローン」競争に奔走したりして、今日に危機的状況を招いた。
そのことはさておき、プラザ合意後の輸出メーカーは生産設備を遊ばせておくわけにはいかず、生産量の維持を図るためにダンピング輸出をしていたのだった。谷井氏をはじめ輸出メーカーのトップが、アメリカからの「ダンピング輸出ではないか」との厳しい批判に、「全くその通りです。生産設備を遊ばせておくわけにはいかないもので…」とまさか本音をしゃべるわけにもいかず、「合理化努力によって輸出価格の引き上げを最小限に抑えることが出来たのだ」というレトリックで批判をかわそうとしたのが真相だった。
しかしこの時期の円高はじわじわ日本経済を圧迫する。それまでの高度経済成長時代は終焉し、円高によるデフレ現象が生じ始めた。1984年12月から日銀総裁になっていた澄田氏は再度、日本経済を活性化するため金融緩和方針を打ち出す。
この時期、だれが流したのか不明だが「東京はアジアの金融センターになる」「海外から企業がどっと進出してくるが、オフイスが圧倒的に不足する」といった流言飛語が飛び交い、都心の地上げが始まった。「都心の住民が郊外に引っ越してくる」といったうわさに転化し、「工業製品は増産できるが、土地は増やすことが出来ない」という「土地神話」が蔓延していった。
こうして資産バブルのスタートが始まり、澄田日銀の金融緩和政策と相まって資産インフレは株、ゴルフ会員権、絵画、骨董類へと広がっていく。これがバブル景気の実態だった。とにかく日本全体の土地時価総額がアメリカ全土の時価総額を超えた、などというばかげた話までまことしやかにささやかれたくらいだから、日本人全員が亀の背中に乗って竜宮城に行ってしまったのかという錯覚が生じてもおかしくないほどの状態だった。
さすがに大蔵省銀行局がこの異常事態を何とか収束させねば、と乗り出した。90年3月、いわゆる「総量規制」を銀行に行政指導、さらに日銀も89年12月から澄田氏の後任総裁に就任していた三重野氏が金融政策を180度転換したのである。もともと三重野氏は日銀プロパーとして大蔵省出身の澄田総裁時代の副総裁として澄田氏の金融緩和策に抵抗した人物だった。
実は大蔵事務次官は通常、主計局長のポストとされていた。大蔵省(現財務省)の主流は予算編成を担当していることから、霞が関でも主計局は「床の間を背にする」局として君臨してきた。澄田氏は銀行局長から事務次官に上り詰めたキャリア官僚であり、異例の人事と騒がれたほどである。ただし、その後の省庁再編により銀行局は財務省から切り離されて金融監督庁となっている。
霞が関はそれぞれ担当する業界を育成することが目的、と勝手に解釈している官僚が多く(そのため利害関係が濃厚な業界団体や企業への天下りが横行してきた)、本来の目的であるフェアな事業を指導するという感覚を失った官僚が大きな顔をする状態になっている。
実際、先輩が天下った業界団体や企業の要請に背きづらいという側面も、日本的人間関係の中では否定できない。天下りを禁止することにしたのも、そうした霞が関と業界のもたれあいをなくそうというのが狙いだったが、その裏をかいて天下りを温存してきたのが文科省であり、加計学園問題で前川前事務次官と対立した加戸前愛媛知事は「きれいごと」を言える人ではない。そもそも現職官僚時代、出世コースのトップを走っていながらリクルートから接待漬けされていたことから退任、日本芸術文化振興協会理事長、日本音楽著作権協会理事長など文科省官僚の天下り先としてはトップクラスの恩恵を受けてきた人だ。関係先企業や団体とズブズブだった人が、今頃きれいごとを言っても説得力に欠ける。総選挙の結果が出るまで先延ばしをしてきた加計学園の認可も、自民圧勝の結果を受けて予想通り認可された。これだけ社会問題になった加計学園に優秀な学生が集まるとは、到底思えないが…。
ちょっと横道にそれたが、澄田氏も大蔵省時代、銀行局長として金融機関とズブズブの関係にあっただろうことは想像に難くなく、よく言えば金融機関を育成するというスタンスで金融緩和策をとってきた。が、すでに日本の産業界は高度成長時代と様変わりしていた。銀行が融資をしたい優良企業は間接金融(国民が預金した金を金融機関から借りること)から、証券市場からの直接金融(増資や社債発行)にスタンスを変えていたのである。日本の銀行の融資は担保主義であり、また融資先の経営にも口をはさむことが多いため、優良企業のトップは間接金融を避けるようになっていたのである。当時の銀行が「土地神話」にしがみついて有り余った金を不動産関係に融資してきたのは、そういう背景があったからであり、資産バブルを招いた最大の責任者は金融機関と澄田総裁にあった。
その澄田総裁の金融政策に異を唱えてきたのが三重野副総裁であったが、三重野氏は総裁になって金融緩和から金融引き締めにかじを転換した。それも大蔵省銀行局の総量規制と一緒に金融引き締めを行ったため、バブル退治だけでなく日本経済そのものを大混乱に陥れてしまった。金融引き締めは必ずしも大間違いだったとは言い切れないが(今では間違いだったという評価が定着しているが)、日本経済全体の状況を見ながらバブル退治の軟着陸を図るべきだったのだが、三重野氏は胴体着陸と言ってもいいほどの強硬な金融引き締めに執着した。今の日銀黒田総裁と同じである(政策的には引き締めと緩和という真逆の方針ではあるが…)。
ちょっと乱暴なたとえになるかもしれないが、金融政策は競馬馬の手綱捌きと同じでなければならない。馬の状況を見ながら手綱を引いたり緩めたりしながら、最終的にゴールまで最善の走りをさせるのが騎手の使命であり、日銀総裁の仕事も同じである。
が、三重野氏も黒田氏も自分の金融政策の効果がなかなか出ないとき、金融政策が間違っていたのではないか、ということに思いが至らない。「これでもか、これでもか」と同じ金融政策をさらに強化してしまう。権力者が陥りやすい誤りであるが、政策転換をすると責任問題になるのではないか、という強迫観念に捕らわれているのではないだろうか。
このブログもだいぶ長くなったので、そろそろまとめに入る。
黒田総裁はアベノミクスの要請もあって、史上例をみないほどの金融緩和策を続けている。しかも「禁じ手」とされるマイナス金利は、せいぜい2,3か月状況を見てストップするべきだった。マイナス金利というのは銀行が日銀に金を預ける時に手数料をとるということだが、黒田総裁の目的は金融機関が市場に金を出回らせることにあった。
確かに銀行は融資を拡大し始めた。ただ金融機関が融資をしたい優良企業は、すでに述べたようにとっくに間接金融から手を引いていた。そのため金融機関が融資を拡大していったのは、バブル経済をけん引した不動産関係であった。そして、あろうことか「カードローン」と称するサラ金まがいの消費者金融の分野である。
そもそも金融緩和の目的は、①デフレ脱却と②円安による輸出産業の国際競争力の回復にあった。その目的を実現するため、黒田総裁は物価上昇率2%達成を指標にした。が、いくら金融緩和策を続けても物価上昇率は2%に及びもしない。なぜなのか、という疑問をそろそろ持ってもいいはずだ。いや、いまさら遅きに失している。しかし、日光の猿軍団と違って、黒田氏の辞書には「反省」という言葉がないようだ。
そもそもデフレ脱却のために、なぜ金融緩和が必要なのか。デフレかインフレかは国内の総需要量と総供給量の関係で左右される。総需要量が上回れば物価は上昇する(インフレ)。逆に総供給量が上回れば物価は下落する(デフレ)。しかし、その上回る程度が適切な範囲内であれば、振り子の原理が働いて自然に物価は安定に向かう。
もう少しわかりやすく書けば、需要が供給を適度に上回れば、物価はある程度上昇するが、その結果需要が減少することによって物価上昇に歯止めがかかる。需要が過度に供給を上回ってしまうとハイパーインフレになって、需要が一気に減少してインフレ不況になる。その関係が逆になれば(供給が過度に需要を上回る場合)、デフレ不況になる。当たり前の話だ。
安倍総理は黒田日銀に「デフレ不況脱却」のための金融政策を要求したが、日本経済はデフレ不況と言えるほど総供給量が総需要量を過度に上回っていたのだろうか。もしそうだったら企業倒産が相次ぎ、失業者が増大して金融恐慌が生じかねない事態になっていたはずだ。
確かに中小企業の倒産件数だけ見れば、バブル景気崩壊以降の「失われた20年」の間に増大した。が、それは日本の輸出産業の海外移転(いわゆる産業空洞化)によって下請中小企業の仕事が減少した結果や、海外からの安い輸入品によって国内産品が競争に敗れたケースが大半だ。「デフレ不況」と言えるほど物価が極端に下落し続けたわけではない。
現に、黒田日銀が掲げ続けている物価上昇率2%には程遠い状況が続いているが、この間景気指数はバブル期やいざなぎ景気を超えた長期上昇を記録している。人件費も上昇し、人手不足による倒産(黒字倒産)も散見するようになっている。また業種によっては人件費高騰による価格の引き上げを行う企業も続出する一方、需要の増大を期待して価格を引き下げる企業もある。
黒田日銀の金融政策はケインズ理論に基づいていると言われるが、ケインズ理論は大不況のときの景気浮揚策として財政出動による公共工事の増大を主張したもので、金融緩和によるインフレ策など主張していない。たまたま過去、景気上昇期にはインフレが進むという経験則を「神話」のごとく神棚に祭ったのが黒田バズーカ砲に過ぎない。
確かに景気が上昇するということは総需要が増大する結果を生むから一時的に物価は上昇する。景気上昇が長く続けば総需要が増大し続けるから物価上昇が長期にわたって続くことは容易に想像がつくが、時に需要の伸びを読み誤るとたちまち供給が需要を上回って物価が一気に下落することもしばしば生じる。そもそも日銀が金融緩和を行い、金融機関が企業に過剰な融資を行えば、供給量が増大して需要を上回ってしまい、かえってデフレ状態になるはずだ。そのくらいのことは中学生では無理にしても、高校生くらいの理解力があれば、十分理解できるだろう。
実はそういう状況が、いま不動産業界に生じつつある。日銀のマイナス金利政策によって金融機関が不動産業界に過剰な融資を続けた結果、金融機関の不動産関連への融資総額はバブル期を上回る状態になり、都心や交通至便な大都市近郊の土地価格が急上昇している。8月26日付朝日新聞の記事によれば、こういう状態のようだ。
「投資家からお金を集めて不動産を買い、賃料収益などを分配する上場不動産投資信託で、最近取得された物件の物価水準が、相続税などの基準になる路線価の平均2.6倍となっていることがわかった。目安とされる1.5倍程度より高く、一部では10倍超の物件もあった。日本銀行の金融緩和であふれたお金が不動産市場に流入し、東京の2017年分の最高路線価はバブル期を超えている。取引価格も高めになっており、『新バブル』の懸念も出ている」
実は、そういう状態はすでに2年近く前から指摘されていたようだ。アパートや賃貸マンションが急増し、供給過多によって賃料相場が下落局面に入っているというのだ。金融緩和が、かえってデフレを招来するという現実が不動産業界で生じている。もしこの不動産バブルがはじけたら、不動産関係に融資を拡大してきた金融機関はたちまち窮地に陥る。すでにメガバンクなどの都銀は不動産関係への融資を手控えつつあるが、体力が弱い地銀や信金などのトップは今ひやひやしているという。
さらにメガバンクはもう一つ頭痛の種を抱えている。「カードローン」なる消費者金融の拡大だ。バブル期のカードローンはいちおう不動産(持ち家など)を担保に取っていたが、いまのカードローンは無担保の消費者金融だ。ローン金利は融資先の信用度によってかなりの幅はあるが、一流企業の正規社員でも、いまの時代、先のことは分からない。低金利の住宅ローンと異なり、メガバンクにとっては「禁じ手」のハイリスク・ハイリターンの商品だ。ローン破産者が続出するような事態が生じたら、メガバンクと言えど無傷ではいられない。
不動産融資とカードローン。金融機関は黒田バズーカ砲のマイナス金利政策によって、とんでもない爆弾を抱えることになった。
金融緩和は、劇薬だ。景気を刺激する側面は否定できないが、いまの日本の産業界の状態をみると副作用のほうが大きいと言わざるを得ない。
金融緩和はお金の供給を増やすことを意味する。日本のお金は円である。
円の供給を増やせば円の価値が下落するだろう。つまり円安になるだろう。円安になれば日本の輸出産業の国際競争力が回復するだろう。競争力が回復すれば、輸出が増大して、輸出製品のメーカーは製品の増産を図るために設備投資をするだろう。失業率も改善するだろう。賃金も上がるだろう。賃金が上がれば、消費が増えるだろう。消費が増大すればメーカーはさらに製品を増産するために設備投資をするだろう。……。
はっきり言ってすべて「絵に描いた餅」、机上の計算に過ぎない。アベノミクス・サイクルは「…だろう」を前提にした計画でしかない。
実際、円安によって輸出産業界は国際競争力は強まったが、設備投資をして人を採用して…という安倍・黒田タッグのもくろみ通りになっただろうか。自動車や電機など輸出産業界は設備投資に動かなかった。しかし、円安のメリットだけはちゃっかり腹いっぱいため込んだ(いわゆる「為替差益」)。
設備投資はリスクが大きい。自動車は若者のクルマ離れもあって国内市場はすでに縮小状態に入っている。電気製品も新しい需要を喚起するような物は、もう当分出てこないだろう。一時期スマホブームで活気を呈したが、富士通がスマホから撤退するなど頭打ちに入った。
安倍さんがいくら笛を吹いても、メーカーは踊らなかった。すでに書いたようにプラザ合意による円高局面での輸出メーカーのビヘイビア原理を思い起こせば、ハイリスク・ハイリターンの設備投資には踏み切らないことを理解すべきだった。社員の首を切ったり工場を閉鎖することが簡単な海外と違い、日本では会社がつぶれない限り簡単に工場を閉鎖したり、社員の首を切ったりはできない。円安誘導で国際競争力を強めてやっても、生産を増やさずに輸出価格を据え置いて為替差益だけちゃっかりため込む輸出メーカーの体質は、すでに証明済みだったはずだ。そのことがわかった時点で、黒田日銀は金融緩和をストップすべきだった。そうしなかったのは、金融政策の失敗を自ら認めたことになるからか。ま、そんなとこだろうな。(了)

実は、この記事は解散風が吹き出す前に書いたものです。解散風が急に吹き出し、選挙をずっと追いかけてきたため、この記事をお蔵入りさせてきました。が、最近メガバンクがこぞって大幅な人員整理と店舗網の縮小計画を発表しました。金融機関がそこまで追い詰められていることの証左です。そのため、いったんお蔵入りさせてきたこの記事を急きょ投稿することにしました。投稿に際し、好景気の長期化と加計学園の認可についてだけ付け加えました。


 
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総選挙で圧勝した自民党の勝因と、早くも表面化したおごり体質

2017-11-05 11:01:47 | Weblog
 選挙中、ほぼ1日おきに長文のブログを更新してきたため、私も疲労困憊の極に達し、しばらくお休みをいただいた。これからは通常のペース(週1~2回)に戻したい。今月1日から始まった特別国会ではモリカケ疑惑や憲法「改正」問題が浮上するだろうが、おりにつれブログで問題提起していきたい。
 総選挙の結果についてメディアはもっぱら野党の敗因(野党が分裂して自公政権に対する「受け皿」がなくなったこと)の分析に集中してきたが、今回は自民圧勝の勝因についてみてみたい。

 麻生副総理が「(自民党が)選挙で大勝したのは、北朝鮮のおかげ」と、つい本音を漏らしたことで、自民党内でちょっとした衝撃が走ったことがある。菅官房長官をはじめ、政権中枢は即座に「北朝鮮の挑発にしっかり対応できるのは自公だけという国民の判断を意味した発言だろう」と、火消しに奔った。
 私は10月7日から始めた連載ブログ『総選挙を考える』シリーズの4回目(14日投稿)でこう書いた。

「選挙落ちた。前原・小池、二人とも死ね」…そんなうめき声が希望の党に移った旧民進党立候補者から噴出するのは、あと1週間後だ。私が危惧した最悪のシナリオが進行している。
 希望の党が苦戦している原因は、ほとんどのメディアや政治評論家たちが解説しているような、小池氏が希望の党への「合流」の条件とした安保法制容認と憲法改正という踏み絵を踏まない旧民進党議員を「排除する」という発言ではない。確かに「排除」という言葉はきついが、それが原因ではない。
 最大の理由は、やはり私がこれまで何度もブログで指摘してきたように、それまで安保法制に体を張って抵抗してきた人たちが、選挙のために手のひらを返すように信念をかなぐり捨てたことへの、痛烈なしっぺ返しである。私は『総選挙を考える』シリーズの1回目(7日投稿)でこう書いた。
「踏み絵を踏んで希望の党の公認を得た人たちは、地元の選挙区で有権者に自身の変節・転向についてどう説明するのか。国民をこれほどバカにした政治行動を、私はかつて見たことも聞いたこともない。彼らの政治行動の結果は、22日、有権者によって容赦ない審判を下されるだろう」(中略)
 私はこれまで今回の解散劇を安倍総理の「自己都合解散」と命名してきた。が、今日から「たなぼた解散」と改名する。私のブログの読者はこの改名の意味はすぐお分かりと思うが、いちおう簡単に理由を説明しておく。
 安倍内閣の支持率はモリカケ疑惑や稲田防衛相の国会答弁問題で5~7月にかけて急落し、自民党内の反安倍勢力が公然とアベノミクス批判や安倍改憲論批判を始め、「安倍一強体制」の崩壊は時間の問題と思われていた。8月初めには内閣改造効果によっていったん支持率下落に歯止めがかかったかに見えたが、野党が要求していた閉会中審査が8月中に数回開催されたものの、肝心の安倍総理が外遊中で不在だったりと、政府は逃げ回っていた。当然9月の支持率調査では再び下落に転じて「安倍一強」にとどめが刺されると、私は内心思っていた。が、9月の世論調査で内閣支持率が一気にV字回復した。北朝鮮が8月29日、襟裳岬上空をかすめるミサイルを発射し、政府がJアラートを東北地方にまで流す大騒ぎをした挙句、これ幸いとばかりに「北朝鮮の脅威」をがなり立てた。
この事態をメディアが冷静に受け止めていれば問題は生じなかったが、NHKをはじめ安倍批判を強めていたメディアまで先を争うように「北朝鮮に対する圧力と制裁の強化」を主張した。まさに戦時中を想起させるほどで、こうした場合、政権への求心力が高まるのは歴史的必然でもある。9月の世論調査で内閣支持率が「たなぼた」的にV字回復したのはそのためで、安倍総理はこの千載一遇のチャンスに飛びつき、再び「安倍一強」を復活させるべく解散に踏み切ったというわけだ。
私はこの時メディアの報道姿勢を猛烈に批判した。私は一度も「北朝鮮の挑発」とブログで書いたことはない。私は一貫して米朝の「挑発ごっこ」と書いてきた。だいたい弱者のほうから強者に対して「挑発」を仕掛けるという自殺行為を行うことは、本来ありえない。TBSの『時事放談』で丹羽宇一郎氏が日本の対米開戦をたとえに「窮鼠、猫を噛む」危険性を指摘したことがあったが、これも私の主張のパクリではないかと思っている。
安倍総理が解散に踏み切るという事態になってメディアも報道姿勢を転換しだした。その結果、10月の世論調査では再び内閣支持率が急落し、私はブログで安倍総理は「(解散を)早まったと思っているかもしれない」と書いた。が、すでに述べたように、希望の党への民進党議員の「合流」で国民の政治不信が極限に達し、固い支持層に支えられている自民党の一人勝ちの選挙戦序盤となったのである。それゆえ私は今回の解散劇を、安倍総理にとって「たなぼた解散」になったと解釈することにしたというわけだ。

 麻生副総理の発言は「失言」でもなければ「説明不足」だったわけでもない。自民大勝の理由を本音で一部しゃべっただけだ。「一部」と書いたのは、あえて麻生氏が言わなかったことがあるからだ。どうせなら、政府が煽り立てた北朝鮮危機を、一緒になって盛り上げてくれたメディアへの感謝の気持ちも述べるべきだったと思う。
 実は9月中旬以降、私がずっと疑問に思ってきたことがあった。9月中旬というのはメディアの世論調査結果を見て永田町で解散風が吹き始めた時期である。それまでは頻繁にアメリカでのトランプ大統領の支持率動向を伝えていたメディアが、ばったり伝えなくなったことだ。
 が、ようやく最近ネットでCNNのトランプ大統領支持率調査の結果を知った。10月31日の調査だが、過去最低の37%を記録したという。ということは何を意味するか。トランプ大統領がツィッターで必死に北朝鮮に対する敵意丸出しの発言を繰り返しても、肝心のメディアが無視してきたことを意味する。むしろ「もう北朝鮮との『挑発ごっこ』はいい加減にしてくれ」と主張しているのではないか。メディアだけでなく、国民自身もそう感じているのではないだろうか。その結果がトランプ大統領の支持率調査に表れていると思う。

 選挙で圧勝した安倍政権はいったん口先で「謙虚に」「丁寧に」を繰り返していたが、その舌の根も乾かないうちに早くもおごりが出てきた。
 予算委員会などの国会審議で、議員の質問時間を獲得議席数で比例配分することを野党に要求し始めたのである。自民党の若手議員から「国会での質問をさせてほしい」という要請があったからだという。
野党は猛烈に反発したが、安倍総理が勝手に自分の判断でいろいろなことを決めだしたことに対して、小泉議員(自民党の筆頭副幹事長)が「党に何の相談もせずに総理が勝手に決めるのであれば、自民党は必要ない」と噛みついたのである。
 一方、小泉発言問題を問われた菅官房長官は「政府・与党は一体であり、与党を無視して政府が勝手に決めることはない」と弁明した。
 議員立法を除くと、基本的に法案提出権は政府にある。政府が与党議員の声を無視して法案を勝手に作り、国会に提出するといったことはちょっと考えにくい。小泉議員の怒りが事実に基づくものであれば、政府は与党議員の声を聞かずに法案を作っているということになり、与党議意にもしっかり質問時間を配分する必要があるだろう。
 が、菅官房長官の言い分が正しければ、政府・与党は一体なのだから、与党議員が質問する必要はないことになる。実際NHKの国会中継を見ていても、与党議員の質問は質問の体をなしていないことが大半である。質問時間が余って般若心経を唱え出す議員もいたくらいだ。
 予算委員会をはじめとする国会の法案審議は、自民党の若手議意の「顔見世興行」の場ではない。若手であっても、しっかりした意見があり、「たとえ与党議員であっても質すべきことはきちんと質す」という姿勢の人に質問の機会を与えるか否かは党内事情の問題である。あらかじめ質問時間の配分を決めておくというなら、基本的に政府提出の法案に対しては野党に7~8割の時間を配分するのは当然であり、民主主義の最低限のルールのはずだ。
 法案の作成過程で、若手議員にも十分意見を聞く機会を与党である自民党が作っておけば、法案内容に若手議員の声も十分反映されるであろう。それが党内民主主義のルールであり、党内民主主義のルールさえ機能していない与党が、党の欠陥を国会審議の場で補うなどという発想はおごり以外の何物でもないと言わざるを得ない。


 
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