小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

イギリス連合王国は本当にEUから離脱できるか? どちらにしても取り返しのつかない結果を生む。

2016-06-29 02:07:15 | Weblog
「イギリス連合王国」――聞きなれない言葉だ。英国のホントウの国名がイギリス連合王国だということを知っていた人は、日本人の中でどれだけいただろう。私自身が、今度のイギリスEU離脱の騒ぎを巡ってのメディアの報道で初めて知った言葉だ。イギリスEU離脱問題で、日本のマスメディアがこの件の報道で「隠しに隠してきた」背景も初めて知った(マスメディアは悪意があって隠してきたわけではないと思うが、国民投票の結果が出るまでイギリス国民の中で国家が分裂しかねないような争点が生じていたことについて何も報道しなかった)。
 イギリスはヨーロッパの中で唯一大陸から海を隔てて存在している国だ。アラブ諸国の中でイスラム原理主義者集団のISが勢力を拡大して、イラクやシリアなどで武力支配地域を拡大し始めた結果、ISの迫害から逃れるために反IS難民が自分たちを保護してくれると思ってEU諸国に避難を始めた。ドイツは難民を最大限受け入れると表明し、難民はドイツを目指し始めた。が、ドイツも無制限に難民を受け入れるわけにはいかない。EU諸国に難民の受け入れを要請するようになった。ドイツへの入国が困難になった難民は移住地を求めてEU諸国に救いの手を求めた。EUだけでなくアメリカやカナダ、オーストラリアにも移住先を求めた。西側諸国はかなり寛容だった。受け入れ人数を制限しながらも、可能な限り難民を受け入れる表明をした。冷たかったのは日本だけで、世界で最も厳しい難民規制を行い、事実上難民の受け入れをほとんど拒否してきた。
「テロを防ぐため」というのが日本の難民規制の理由だったが、日本を標的にするイスラム原理主義者のテロ集団が大挙日本に移住しようとしているとは到底思えない。
 だが、イギリスはイスラム原理主義者が難民に紛れて入国することを恐れた、ということになっていた。そうした観測がイギリスのEU離脱の最大の要因だった、と日本中のあらゆるメディアが報じていた。確かにEUは国力に応じて難民を受け入れることを加盟国に要請していた。が、イギリスは大陸から海を隔てて乖離していた。難民の流入で国内に大混乱が生じていたという報道も一切なかった。
 正直私はなぜEU離脱が国民投票で決めることになったのか、まったく分からなかった。日本のマス・メディアがイギリスの国内事情を正確に伝えていなかったからだ。
 2年前スコットランドが「イギリス連合王国」から分離離脱するための住民投票を行ったときの理由も、私にはチンプンカンプンだった。スコットランドがイギリス連合王国と対立している理由を日本のマス・メディアがまったく報道しなかったからだ。

 今回の国民投票の結果を見て、ようやく日本のマス・メディアもイギリス連合王国のなかの民族対立が根深くあったことを初めて知った。フランスなどが多民族国家であることはとっくに知っていたが、イギリスが多民族国家であることはこの事件で初めて知った。ただフランスにはアラブ系やアフリカ系民族が多数移民していることはオリンピックなどでのフランス選手の活躍を見ていればすぐに分かるのだが。イギリスの場合は東欧からの移民が多く、東欧系の民族は白色人種だから見た目には一見わからない。だからイギリス国内では白色人種同士の民族対立が深刻な状態にあったことは、日本のマス・メディアを見ている限りまったく分からない。
 国民投票の結果が分かってから、日本のマス。メディアも実は国内の対立は純粋のイギリス系民族と東欧からの移民との対立によって格差社会が拡大し、イギリス系民族が「東欧からの移民によって自分たちの仕事が奪われているという不満を抱いていた」という事実を私は初めて知った。東欧からの移民は低賃金で(それでも母国での労働賃金に比べれば4倍くらい所得が増えたという)仕事をする。純粋のイギリス民族は彼らに仕事を奪われ、相対的に対賃金に甘んじることになったようだ。
 が、こうした賃金格差も地域による。世界の金融センターのひとつであるシティがあるロンドン(イギリスの首都)は純粋イギリス系民族が幅を利かせている地域社会である。数学能力に秀でているインド人などは差別を受けていないし、ロンドン市民は圧倒的にEU存続派だ。一国の首都が、国から独立してEUにとどまるという意思を表明したのはそうした事情がある。一国の首都が国から分離独立するなどという話は私にとって寡聞かもしれないが、驚天動地の出来事だ。
 私が6月25日に投稿したブログで、EU主要国が結束してイギリスに対して極めて厳しい制裁を加えるだろうと書いた予測は現実化しつつある。英キャメロン首相は辞任時期を3か月後に伸ばして、EUからの離脱は新首相のもとで行うと主張しているが、EU首脳国の独・仏・伊は認めない方針だ。「離脱するなら、時間を書かずに直ちにやれ」と一歩も引かない。裏交渉も一切拒否すると、妥協は一切しないことまで表明した。イギリスに甘い顔をするとEUからの離脱派が一気に増えかねないからだ。言うならイギリスはEUから最後通告を突きつけられた状態にある。
 すでにブログで述べたように、イギリスがEUから離脱した場合、イギリスはどうなるか。
 まずスコットランドが再びイギリス連合王国からの分離独立を巡って再び住民投票を行うだろう。2年前の住民投票では最終場面でもうろく女王がしゃしゃり出て何とか分離独立を阻止したが、今回のEUからの離脱問題でも最終場面でエリザベス女王が大衆紙「SAN」の1面トップでEU離脱を訴え、それがイギリス世論を大きく動かしたことにイギリス国民は激しく反発している。今度はエリザベス女王の「魔法の杖」も効果を発揮できないだろう。いや無理やり「魔法の杖」を使おうとすると、国民のイギリス王室に対する親愛の情は失われかねない。
 さらに北アイルランドもイギリス連合王国から分離独立する可能性が濃厚だ。とくにイギリスと対立してアイルランドとは同一民族であり、アイルランドはEU加盟国だ。北アイルランドとアイルランドが住民投票で合併新国家を設立してEU残留で足並みを揃え、しかもイギリスの首都ロンドンまでもがイギリスから分離独立するという住民投票を成立させれば、かつての大英帝国の国威は見る影もなくなる。
 反離脱派が手を組めば、イギリスが生き延びる方法は中国やロシアと手を組んでEUと対立する道を選ばざるを得ない。すでに中国はイギリスのEU離脱後を前提に秋波を贈っ
ている。そして中国はロシアとの関係も緊密にしようとしている。中国が仲立ちして英・露・中の経済協力関係を築く最高のチャンスと、いま考えている。
 いまのところ沈黙を守っている米政府だが、そうした状況になるとこれまで「世界最強の同盟国」と自他ともに認めあってきた両国間に致命的な亀裂が生じるのは必至だ。
 イギリスに限らず、いかなる国の政策もメリットだけあってデメリットはない、などということはありえない。イギリス国民の過半数はEUから離脱するメリットだけ考えて、その副作用として生じるデメリットを考えなかったのだろうか。
 
 結局、私はすったもんだの挙句イギリスはサイド国民投票をやり直してEU残留を決めることになるだろうと考えている。が、その結果、イギリスのEUにおける発言力は激減するだろう。国策を誤ると、そのしっぺ返しは計り知れないほど大きいことをイギリス国民は知ることになる。
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イギリスを破滅への道に導いた責任者はだれか。キャメロン首相か? 違う。

2016-06-25 10:54:01 | Weblog
 世界中の大半の人にとっては思いもよらぬ結果だったろう。言うまでもなく英国のEUからの離脱である。
 英国では国民投票の1週間ほど前から、メディアの世論調査で残留派と離脱派がシーソーのように競い合っていた。が、最終的にはイギリス国民は理性的な判断をするだろうと、世界の大半の人たちは思っていた。それだけに、離脱派の勝利はリーマン・ショック以上の衝撃を世界中にもたらした。日本をはじめ米国など西側諸国の株式市場だけでなく、中国など場合によっては離脱を歓迎してもおかしくない国の株式市場も大暴落した。
 衝撃は英国海外だけにとどまらなかった。つい2年前にイギリスから離脱・独立を問う住民投票を行ったスコットランドでは、早くもふたたびイギリスから分離独立してEU残留のスコットランド国を設立する運動が再燃している。
 これまで分離独立運動が表面化していなかった北アイルランドでも、EUに加盟しているアイルランドとの統一を視野に入れたイギリスからの分離独立運動が始まろうとしている。
 なぜそんな事態になったのか。国民投票直前に御年90になるもうろく女王が、突然「EUに残留するメリットが分からない」と、EU離脱を訴えたためだ。
 日本では天皇をはじめ皇室の方々が、たとえば安保法制について自分の考えを主張することはありえない。が、イギリスでは女王陛下が国論を左右することがあるようだ。そう言えば2年前のスコットランド分離独立の住民投票の際も女王陛下がしゃしゃり出て住民投票に大きな影響を与えた。イギリスは民主主義の国ではなく「女王陛下の国」であることが今回の国民投票で鮮明になった。
 しかし、いずれにせよこの国民投票の結果責任を負うべきはキャメロン首相ではなく、エリザベス女王であることは疑う余地がない。
 いま最大の懸念とされているのはイギリスのEUからの離脱にとどまらず、他のEU諸国への波及である。すでにデンマークなどでは早くもEUからの離脱運動が始まろうとしているようだ。
 こうした事態にEUはどう立ち向かうべきか。EUを解散してしまうのか。EUを解散すれば、当然NATOの集団安全保障体制も崩壊する。そういう選択肢はEUは取れない。ではどうするか。イギリスをヨーロッパから村八分にすることによって、EUから離脱を考えている他のEU諸国の離脱派を抑え込むか。
 現実的な方法としては、後者しかないだろう。経済・軍事同盟からイギリスを排除してしまうことだ。とくにスコットランドや北アイルランドがイギリス連合王国から離脱するとなれば、そうした対イギリス政策は計り知れない効果を発揮する。
 そうした状況になれば、女王陛下は最強の同盟国・アメリカに頼るしかなくなる。が、そうした事態になったとき、果たしてアメリカが「女王陛下の友人」を維持するか。
 アメリカにとっても苦難の選択を世議されることになるが、スコットランドやアイスランドが離脱したイギリスを選ぶか、ドイツやフランス、イタリアなどヨーロッパの大半を占めるEUを選ぶか、答えは考えるまでもないだろう。
 かつて世界を席巻し大英帝国は、とうとう破滅への道を踏み出してしまった。言うまでもなく、その道を選択したのはエリザベス女王である。
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「民主主義とは何かがいま問われている⑯」 イギリスの国民投票の意味

2016-06-20 01:10:32 | Weblog
 イギリスで6月23日、EUに残留すべきか離脱すべきかの国民投票が実施される。結果はどうであろうとイギリス国民が決めることなので、日本やアメリカなど他国が干渉すべきことではない。
 問題なのは、この国民投票で「民主主義とは何か」が問われていることに、日本の政治家があまりにも無関心だということだ。イギリスではつい昨年もスコットランドがイギリスから分離独立を巡ってスコットランドでの住民投票が行われた。結果は分離独立派が負けたが、その結果を分離独立派も「住民の意思」として受け入れた。
 今回のEU残留or離脱についても国民投票のいかんにかかわらずイギリス政府は受け入れる。「主権在民」とは、そういうことだ。
 日本でも「国民投票法」が成立した。が、日本の国民投票法は憲法改正の際の国民投票のやり方を決めただけだ。つまり日本国民は憲法改正の場合しか自らの意思を国政に反映できないということだ。
 先の衆院選において、安倍内閣は消費税増税時期を1年半延期することについて国民の意思を問う予定だった。というのは、民主党政権が崩壊する直前、最後の民主党総理となった野田総理が衆院解散を条件に自公両党と「社会保障維持のために消費税の10%増税」を約束したため、安倍総理は消費税増税を2段階にして、いったん8%増税、1年半後に10%増税する方針に変えた。安倍総理は、その時民主党が3党合意の違反だと反発すると考えていた。で、消費税増税問題を争点に出来ると考えて、まったく意味のない衆院解散に打って出た。が、民主党が「3党合意を守って消費税を約束通り10%に増税すべきだ」とは主張しなかった。安倍総理にとっては思いもよらぬ民主党の対応だった。
 結局安倍総理は衆院解散の名分が立たず、「アベノミクスの継続について国民の信を問う」という争点にならない争点をでっち上げて強引に衆院を解散した。私はこの選挙で「憲政史上最低の投票率になるだろう」とブログで予測したが、実際戦後最低の投票率になった。
 アベノミクスの破たんは、その後の日本経済の経緯を見てみれば誰も否定できない。アベノミクスの破たんについては近いうちにブログで書くつもりだが、破たんの原因は安倍総理の経済政策だけに負わせるつもりもない。中国をはじめ新興国の経済成長が停滞していることは、安倍内閣が誕生した時点では予想できなかったのかもしれないからだ。ただ予想できなかった事態が生じたとしても、効果的な対策を打たなかったことは責任を免れないだろう。
 ちょっと横道に外れたが、先の総選挙において安倍総理が選挙の争点にしたのは「アベノミクスの継続について国民の信を問う」という一点だった。安保法制については選挙でひと言も言わなかった。
「アベノミクスの継続について国民の信を問う」ことを選挙の争点にしながら、国民世論を二分するような安保法制についてはいっさい争点にせず、圧倒的な支持を受けたことを理由に選挙の争点からあえて外した安保法制を数の力で成立させてしまった。これが「主権在民」の民主主義の本来の在り方なのだろうか。
 今回のイギリスの国論を二分する騒ぎを見ていて、やはり国の在り方は国会議員が決めるべきではなく、国民が決めるべきだと思った。もちろん些細なことは国会の多数決で決めればいいが、日本の安全保障や他国との同盟関係はどうあるべきか、日本は国際社会の中で今後どういう役割を果たすべきかといった、国民の生活や安全について根本的な変化を生じるようなことはイギリスのように国民投票で決めるべきではないかと思う。それが私たちが責任を持って作っていくべき「民主主義社会」ではないだろうか。
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舛添氏の辞職は刑事告発を逃れるためだったのか?

2016-06-17 06:39:13 | Weblog
 舛添氏(21日までは都知事職のはずだが)は、今日(17日)の定例記者会見をキャンセルしたようだ。
 定例記者会見をするまでもなく、舛添氏の正月家族旅行、美術品の購入、別荘への公用車利用は明らかに「公私混同」ではなく、都税の横領である。横領は言うまでもなく刑法罪だ。共産党は百条委員会で舛添氏の横領罪を告発するつもりだったのかどうかは私には分からない。舛添氏は横領罪で告発されることを恐れて、「もう辞職することを明らかにしたのだから定例記者会見で事細かに公私混同を明らかにする必要はない」と考えたのかもしれない。
 マスコミは昨日(16日)一斉に「真実は闇に葬られた」と報道したが、真実は闇に葬られてはいない。真実は舛添氏の「横領罪」の検証であり、都議会は法的機関ではないから、舛添氏が「公私混同」の実態を明らかにしないのであれば、都議会は舛添氏を「横領罪」で刑事告発すべきだろう。
 自公両党が「舛添氏が辞職すれば、それ以上追及すべきではない」と考えたのは政治力学上やむを得ないと思う。が、参院選や都知事選で有権者がそうした政治力学を容認するかどうかは、有権者の見識にかかっている。そうした幕引きを日本の有権者が容認するようであれば、私は日本人として恥ずかしいと思うだけだ。
 問題は民進党が自公と同様、舛添氏の辞職で幕引きを容認したことだ。ということは民進党の議員たちも後ろめたいことをしていたからと想像せざるを得ない。政治とカネの問題は、何かあれば常に問題になる。カネがなければ選挙に勝てない、当選すれば次の選挙のために金あさりに奔走する…それが日本の政治風土だと言われれば、私は何をか言わんやだ。
 報道によれば、舛添氏に最後の「引導」を渡したのは安倍総理だそうだ。「今潔く身を引けば再起の可能性はある」とアメをちらつかせたらしい。そんな甘い話に乗るほどのバカでも舛添氏はあるまい。が、総理からそこまで言われたらいちおうアメをしゃぶったことにして辞職を決意したというのが真相だろう。安倍総理がどんなアメを提供したとしても、舛添氏の政治家あるいは国際政治学者としての社会復帰はありえない。
 ただメディアに表面化しない形での、たとえば政府の諮問機関の委員などの身分は提供される可能性はある。メディアは徹底的に、安倍総理が舛添氏にどんなアメを提供するかを取材し続けるべきだ。
 私は、ここまで汚れた舛添氏は、田舎に転居して畑仕事でもしながら日本の自然をどうやって維持していくか、身を持って経験したほうがいいと思っているが…。


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舛添都知事の引き際はこれでいいのか。政治とカネの問題はうやむやのままではないか。

2016-06-16 04:21:49 | Weblog
 とうとう舛添都知事が自ら辞職を申し出て、都議会で承認された。舛添氏は、かつて言っていたボーナスの政治資金の「寄付」に相当しない方法で寄付するという約束も、これで反故になった。
 あまつさえ退職金2200万円も貰えるという。果たして舛添氏が、この退職金を厚顔無視で受領するのか。
 だから私はリオ・オリンピックが終わり東京オリンピックへの継承を終えるまで舛添都知事への不信任案は決議するべきではないと主張した。ただし、その条件として、舛添氏が「それまでの間、給与はすべて返上する」と申し出ていたから、私は給与だけでなく公用車の原則禁止・飛行機はエコノミークラス、ホテルはビジネスホテルのシングルを条件とすべきだと主張した。知事が公務で車を使用する場合は、タクシーを使用し、かつその条件として都庁の総務部門にタクシー使用の「目的・行先・経路」を申請して許可を得るべきだとも前回のブログで書いた。物品の購入についても都庁の担当部門に申請して許可を得るべきだとも書いた。
 舛添氏が都知事として「リオ・オリンピックで東京の恥をさらさない」ことを条件として主張するなら、せめてリオでのホテル滞在はスィートではなくてもダブルクラスが限界だろう。
 都議会はなぜそういう条件を付けずに、あっさりと舛添氏の辞任を認めてしまったのか。共産党だけはあくまで百条委員会の開催にこだわったが、他の与野党は舛添氏が辞任すれば「それで幕引き」にしてしまった。結局、舛添氏はボーナスの「寄付」どころか2200円の「退職金」もまんまと横領できることになった。
 舛添氏は「子供のことを考えたら、疑惑が表面化した時点ですぐにでも辞職したかった」としらじらしく述べた。そういうことを言うなら疑惑が表面化した時点で、「すぐにでも辞職したいが、いま辞職したら東京がリオ・オリンピックで恥さらしになるから、リオ・オリンピックが終わるまで待ってくれ。オリンピックが終われば、すべて明らかにして自ら責任をとる」と言っていれば、事態はここまで混乱しなかったはずだ。辞職を決断した後で、そんな言い訳がましいことを言っても誰も信用もしないし、同情もしない。自分の子供がこの事件でいじめられたら、その責任は自らが負うべきだ。何も自殺しろとまでは言っていない。少なくとも都知事問題で子供がいじめられないような田舎にでも住処を変えて、どうせ自分の政治家や学者としての社会的生命は絶たれたのだから、せめて自然の環境の中で子供に「人間として生き方」を自らの反省を込めて教えていくべきではないか。
 特に、今回の問題は今後の政治家の生き様が問われる大きなケースになった。舛添氏の前の都知事だった猪瀬直樹氏は徳洲会から「もし都知事選で落選したら今後の生活の不安があった。そのため5000万円を借りた」と言い訳した。こ
の言い訳も考えてみればおかしい。もし猪瀬氏が落選していたら、徳洲会が猪瀬氏に貸したネは返ってこないことを意味する。ということは徳洲会が猪瀬氏に5000万円を貸した(借用書は本物のようだ)のは、猪瀬氏が都知事に当選していたら何らかの見返りが期待できる約束があったと考えるのが自然である。たとえ猪瀬氏が書いた借用書が本物であったとしても、担保も提供していなければ、いつどうやって返すかの約束事も借用書には一切記載されていない。こんな借用書で5000万円も貸してくれる相手があるなら、私が猪瀬氏から5000万円を何の保証もないタダの紙切れに署名と印鑑だけの借用書でお借りしたい。
 舛添氏の問題に戻る。彼は「カネのかからない政治をやる」と約束して都知事選に臨んだ。「運転手つきの公用車などいらない」とも明言していた。はっきり言えば舛添氏は「横領犯」である。私は共産党の支持者ではないが、この件について百条委員会で舛添氏の責任を絶対に問うべきだと思う。舛添氏は、どうせ政治家としても国際政治学者としても社会復帰は不可能だから、せめて子供を連れて田舎に移り自然と向き合う生き方をするに際して、そのくらいの社会貢献はすべきだろう。

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舛添都知事への不信任案はいま出すべきではない。

2016-06-14 13:37:04 | Weblog
 このブログは14日0:30に書きあげ、直ちに緊急投稿しようとしたのだが、gooが14日0:00~12:00までメンテナンス中のため投稿することが出来なかった(14:00までメンテナンスが延長)。14日の朝刊ではほぼ全紙、私がその前の深夜に書いた通りを報道しており、ジャーナリストとしてはこんなに悔しい思いをしたことは滅多にない。はっきり言って私がブログを書いた時点で自民党が舛添氏に対してどうするかという報道はまったくなかった。ただテレビで東京都議会総務委員会の集中審議を見ていて、自民党が舛添氏を見捨てたことが分かっただけだ。テレビの解説者は自民党の抵抗で舛添氏の不信任動議は採決できないだろうと解説していたが、それは集中審議での冒頭の自民党都議の舛添追及がやや生ぬるかったためで、審議の全体の流れを見誤ったためにすぎない。すでに舛添氏は審議直前までに自民党本部から引導を渡されており、自民党都議は多少舛添氏にちょっとだけ義理を果たしたというにすぎなかった。でなければ、テレビ解説者が集中審議での舛添氏の態度の豹変を読み誤ることはなかったはずだ。アホは政治家だけではない、ということをあからさまにしただけだった。

 6月13日、とうとう舛添要一東京都知事が事実上のギブアップを都議会集中審議で明言した。集中審議での厳しい質問攻めにあい、舛添氏は「もし不信任動議が出され、可決された場合には自分には二つの選択肢しかない。自ら辞任するか、都議会を解散するかの二者択一だ。どの選択肢を選ぶにしてもリオ・オリンピックへの影響や東京オリンピックへの影響は避けられない。その影響を避けるために、不信任動議の提出にはしばらくの猶予をいただきたい。その間、自分の給与は全額返納する。何とか不信任動議の提出には猶予をいただきたい」
 10日ほど前だったと思うが朝日新聞が「舛添氏、1年間、給与の50%カットの都条例を提案したい」と、当時の舛添氏の知事続投作戦をスクープした。私はその記事を読んで「そんな程度のジェスチャーで都民が納得するわけがない」と思ったが、やはり朝日新聞のスクープ記事が都民や都議の猛反発を呼んだようだ。
 私自身は、朝日新聞の記事を読んで「舛添はまだ分かっていないな」と思った。オリンピックに関連してリオ・オリンピックが終わるまで都政の混乱を招かないため期限(リオ・オリンピックの終了と東京へのバトンタッチに一応めどが就いた時期)を辞任の時期と明言し、それまでの間は海外主張の自粛(やむを得ない場合はエコノミークラスの搭乗料金…ファーストクラスやビジネスクラスに登場する場合はエコノミー料金との差額は自腹で払う)、ホテルはスィートルームどころかビジネスホテルのシングルにするなど)の方針を明言すべきだったと思っていた。
 朝日新聞が記事にした時点でそのくらいの厳しい反省を示していたら、舛添氏もここまで追い詰められていなかったと思う。が、「覆水は盆に返らず」で、とうとう自公からも完全に見捨てられたのが13日の都議会答弁で明らかになった。
 自民執行部は最後まで舛添氏に対して何とか辞職を避けたいと思っていたようだ。が、自民も一枚岩ではない。自民内部からもすでに舛添氏をかばい続けたら参院選で大打撃を受けるという主張もあった。
 いま自民はひそかに「安倍下ろし」の動きが進んでいる。たとえば消費税増税時期の2年半延長についても麻生副総理や谷垣幹事長が「公約違反だから衆院を解散して国民の信を改めて問え」と「安倍下ろし」の旗を振り上げた。が、反安倍派が期待していた石破氏や野田氏がその旗に乗らなかった。石破茂氏や野田聖子氏の動きによっては自民内部も大混乱に陥っていた可能性もあったはずだ。石破氏や野田氏はおそらくポスト・安倍の椅子を巡って安倍総理にべったりする道を選んだのだろう。結果、麻生氏や谷垣氏も「安倍下ろし」の旗を引っ込めざるを得なかった。政界とは、そういう力学が働く世界でしかない。
 
 そのことはさておき、自民がなぜ舛添氏を見捨てることにしたのか。
 公明がどうしても舛添庇いに同調しなかったからだ。13日の都議会では、質問の先陣を切った自民都議の舛添批判は決して歯切れのいいものではなかった。が、公明都議が手厳しい舛添批判を展開し、辞職を強く迫ったためである。
 すでに共産は舛添氏に対して不信任動議を出すことを明らかにしていた。旧民主や旧維新も、共産に先を越されたという思いはあったにしても、共産の不信任動議に反対はできない。そうなると公明は自民にすり寄って不信任動議に反対するわけにはいかなくなる。都民の公明に対する反発が爆発しかねないからだ。そのくらい都民の舛添氏に対する反発が激しかったのだ。
 都議会が都知事の不信任決議を行うためには、議会に3分の2以上の出席があり、かつ出席議員の4分の3以上の賛成がなければ成立しない。自民は都議の3分の1以上の議席を有しており、自民都議が議会に出席しなければ共産は不信任動議を出せない。だから自民は舛添氏の不信任動議を闇に葬ることは理論上可能なのだ。が、そうなると自公の連立に亀裂が生じる。公明が不信任に舵を切った時点で、自民も公明に迎合せざるを得なくなったというわけだ。
 11日の定例記者会見で、満面に笑みを浮かべてまで強気の姿勢に転じていた舛添氏が、土・日を挟んだ13日に姿勢を急転換して「給料を全額返上するから今少し猶予をいただけないだろうか」と都の集中審議で懇願したのはそういう事情があった。
 
 私は、舛添事件の落としどころは、それでやむを得ないと思う。ただし冒頭で述べたように海外主張などではエコノミークラス、ホテルはビジネスホテルのシングルという条件付きでだ。ついでに公用車の使用は原則禁止、公用で車で出かける際はあらかじめ都庁の総務部門に「目的・行き先・経路」の「タクシー使用願い」を申請して、タクシーの領収書だけでなく運転手の「タクシー使用願い」の確認サイン(もしくは印鑑)を貰い、それを総務部門に提出して料金を貰うようにすべきだ。もちろん舛添氏がたとえ本当に都政のためであっても、都民の税金を使う場合はあらかじめ「どういう目的で、どういうものが買いたい」ということを総務など関連部門に申請して、当該部門の許可が出なければ1円たりとも都の金を使えないようにすべきだ。その屈辱に舛添氏が耐えられるか。「命がけで」とまで言った舛添氏の本性がそのときに明白になる。

 いま舛添氏が辞職して都知事選を行えば参院選と重なるだけでなく、都知事選そのものに公費が50億円もかかるという。また東京オリンピックにも支障が生じる可能性がある。せっかく舛添氏がタダ働きをすることを都議会で明言したのだから、無事リオ・オリンピックを終え、東京オリンピックへの筋道をつけるまで、お飾りとして舛添氏の都知事職を据え置くのが都のためにも都民のためにも最善の方法ではないだろうか。
 最後に、舛添氏が明言したリオ・オリンピックへの取り組みを見て「自分が都知事としてふさわしくないということであれば、その時点で不信任動議を出していただきたい」との表明について、私は「女々しい」とは思わない。とにかく舛添氏はその間給与はすべて返上するとはっきり言っているのだから、「その言や良し」で受け入れてもいいのではないかと思う。
 問題はその後だ。誠心誠意、舛添氏が自腹を切って都政にまい進したうえで、それで自ら「都知事として責任を全うできた」と潔く辞職すれば、舛添氏の名誉はかすかに維持できると思う。政治家としての信頼もかなり回復するだろう。
 が、リオ・オリンピック後も都知事の地位にしがみつこうというのであれば、オリンピック後も都知事としての給与は任期満了まで全額返上することが、その場合の最低条件になる。もちろん舛添氏も仙人ではないから雲や霞を食べて生活できるわけではない。彼の生きざまを見てカンパをする都民も出るだろう。「自分の政治活動は、支持者のカンパで支えてもらう。都からは1円の給料も貰うつもりはない」と表明すれば、かっこいいと思う都民もいるかもしれない。舛添氏がそういう姿勢を見せれば、いま舛添氏に対する信頼感を失っている都民の多くも舛添氏を見直すかもしれない。
 舛添氏がそういう潔いスタンスを国民の目に見える形で示せば、日本の政治も大きく変わる可能性も生じる。国会議員に立候補する人も、「議員報酬は一切受け取らない。自分の政治活動は支持者の支援で賄う」。そういう議員が続出すれば日本の政治も大きく変わる。アメリカのオバマ大統領のように5ドル、10ドルといった個人献金を集め、黒人というマイノリティのハンデを克服して大統領の地位に昇り詰めることも可能になる。日本の政治にも、いつかそういう時代が来ることを期待して今回のブログを終える。

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アメリカが日本に異なるタイプの原爆を投下した本当の理由――唯一の論理的結論

2016-06-01 16:16:32 | Weblog
 少し体調が戻ってきたので、久しぶりにブログを再開することにした。この間、書きたいことが山ほどあったが、書き出したらすぐに体調がおかしくなり書くのをやめてしまったブログがたくさんあった。
 いま政界は消費税増税延期問題でもちきりだが、この問題も少なくとも参院選までには書きたいと思っている。とりあえず、サミットが終わったあと米オバマ大統領が現役大統領としては初めて広島を訪れ「核なき世界」への誓いを改めて世界に発信してくれたことには感謝したいので、その問題を再開ブログの第1弾として書くことにする。

 米オバマ大統領が広島を訪れてくれたことは多くの日本人と同様私もうれしかった。慰霊碑に献花してくれただけでなく、被害者とハグして核廃絶の決意を新たにしてくれたことには私もテレビを見ていて涙がこぼれた。
 ただ米国内では現職大統領が広島を訪れることに今でも厳しい世論の反発があったようだ。その理由は様々なメディアがすでに明らかにしているように①太平洋戦争で米軍の対日上陸作戦が行われた場合、多数の米軍兵士の犠牲が出る恐れがあり、それは防ぐため。②早期に戦争を終結させるため。――その二つがアメリカの原爆投下の唯一の理由付けだった。この二つ以外の「原爆投下の正当性」を理由付けしようとする口実はいまだ聞いたことがない。

 はっきり言ってこの理由付けはまったくウソである。
 まず壮絶な沖縄戦では日本人だけではなく米軍兵士も大きな犠牲を出した。が、アメリカは沖縄戦以降日本への上陸作戦はまったく行っていない。沖縄を制圧して以降日本本土への攻撃はすべて空爆だった。日本の軍事拠点だけでなく東京をはじめ大阪・横浜・名古屋などの大都市をはじめ日本全土のあらゆる地域にB29で爆弾や焼夷弾を投下し、日本を焼け野原にした。
 もっとも日本軍も日本全土のほとんどがアメリカの空爆作戦で壊滅状態になりながら、日本の婦女子にまで「竹槍で戦え」と煽りバカげた抵抗を続けようとした。本来大本営をはじめ戦争責任者の責任は日本国民が問うべきで、戦争協力者は軍人だけでなく大本営を支持するプロパガンダを連日流したメディアの責任者も含め、日本の法廷で死刑判決を下すべきだったと思っている。
 そのことはともかく、沖縄戦以降米軍は米軍兵士の犠牲を恐れ、また沖縄を制圧したことで日本本土への空爆作戦が可能になった。だから沖縄戦以降米軍兵士はほとんど犠牲者を出していない。つまり空爆だけで日本を降伏させることが戦略的には十分可能な状態にあった。
 だが、「米軍兵士の犠牲をこれ以上出さないため」というレトリックは当時のアメリカではそれなりに説得力があった。まず真珠湾攻撃である。野村・来栖両駐米大使の怠慢もあったが、両大使ともこの時点で日本が対米宣戦布告をして真珠湾を奇襲するとは毛頭考えていなかった。
 いわゆるハルノートを日本参謀本部はアメリカによる事実上の対日宣戦布告と判断したようだ。だが日本政府は完全に読み間違えた。ハルノートは日本軍の中国侵略・東南アジア侵略に歯止めをかけるための『最後通告』にすぎなかった。つまり「話し合いによる最後のチャンス」を提案したのがハルノートだった。これを事実上の宣戦布告と誤解した大本営参謀本部は万死に値すると言ってもいい。
 当時アメリカでは厭戦気分が横溢していた。アメリカは日本と戦争をしたくなかった。が、欧州戦線ではイギリスの説得とフランスがドイツに占領されたこともあってやむを得ず欧州戦線に参加した。しかし世界の巨大国家アメリカにとっても欧州戦線と対日宣戦に占領を二分することは極めるリスキーな選択だった。とりあえず日本との戦争を避けるため日本にハルノートを突きつけ、日本との和平を実現しようとしたのがアメリカの真意だったと考えられる。
 41年4月、日本はソ連と日ソ中立条約を締結していた。日本軍はアメリカとの初戦で有利を占めれば、ソ連が仲介斡旋をしてくれると考えていた。が、厭戦気分が横溢していたアメリカがイギリスの要請とフランスがドイツに占領されたこと、さらにドイツがソ連と不可侵条約を一方的に破棄してソ連侵攻作戦を開始した。
 当時ソ連革命に端を発した共産勢力は、一気に東欧・東南アジアへの共産勢力の拡大を図ろうとしていた。当初ドイツ軍は破竹の進撃を続け、後退に次ぐ後退を続けていたソ連軍だが、1941年11月、冬将軍の到来=スターリングラードの大反撃(日本で言えば神風によって元寇が大敗北したようなケース)によって戦況は一気に転換する。ここに至ってアメリカもようやく欧州戦線に参加し、44年6月ノルマンディ作戦に加わり、ヒトラー・ドイツを壊滅に追い込む。ただこのノルマンディ作戦で米軍は多大な犠牲を被った。そのこともあって、「もう戦争は嫌だ」という厭戦気分がアメリカに横溢していたのである。
 少し振り返るが、日独伊の3国枢軸同盟が成立したのは40年9月である。その1年後にドイツはソ連軍に大敗し、次々に戦線を後退している。そういう中で翌41年4月、日本はソ連と中立条約を締結していた。戦争戦略という観点から考えれば、誰が考えても日本はソ連に北東アジアへの権益を譲り、その代わり東南アジアの権益をソ連に認めさせる方が国益にかなっている。が、日本はノルマンディ作戦以降も、いざというときにはソ連が仲介をしてくれるだろうという甘い考えで無謀なアメリカとの戦争に突き進んでいった。
 一方欧州戦争で大きな痛手を負ったアメリカでは、日本との戦争は何とか回避したいという厭戦気分が横溢していた。が、それは国民レベルの感情で米政府はアジアでの覇権を日本から奪いたかった。
 一方アメリカは大きなジレンマを抱えていた。欧州戦線は連合軍の勝利に終わったが、実はソ連が連合軍に入っていた。アメリカがもっと早く欧州戦線に参加してドイツ軍と対峙していれば、おそらくドイツ軍はソ連侵攻を避けたであろうし、ソ連がスターリングラードの反撃に続いてドイツが占領していた東欧諸国を支配下に置く事は出来なかったに違いない。実はソ連による東欧支配が、広島・長崎への原爆投下の歴史的背景にあった。
 すでに述べたように、米軍兵士の犠牲は沖縄戦で終わっていた。その後沖縄戦での経験と、沖縄戦での勝利によって米軍は日本本土に対する空爆拠点を確保し、日本本土上陸作戦はまったく考えていなかった。だから「上陸作戦による米軍兵士の犠牲を防ぐため」というのはまったくのウソである。
 B29による日本全土への空爆によって日本を壊滅させることは時間の問題だった。では、なぜ広島・長崎に原爆を投下してまで戦争を早期終結させなければならなかったのか。

 理由は二つあった。
 一つはソ連が日ソ中立条約を破って日本との戦争を始めることを恐れたこと。欧州戦線でソ連はドイツを破ると一気呵成に東欧に攻め込み、たちまち東欧諸国を支配下におさめてしまった。そのソ連軍の勢いをアメリカは食い止めることが出来なかった。その教訓が最大の理由だ。
 そのころすでに中国や北朝鮮では共産勢力が急速に勢力を伸ばしていた。日本を1日も早く無条件降伏させないと、ソ連軍が日本に侵攻して日本が共産化しかねない――米トルーマン大統領はそのことを一番恐れた。これが日本に原爆を投下した最大の理由である。
 次に、これはアメリカに限ったことではないが、軍事技術に限らず技術開発はいくつもの別々のプロジェクト・チームが行っている。たとえば日本でも有名な話だが、ホンダはエンジンの冷却方式として水冷式と空冷式の二つの開発チームを同時に走らせていた。テレビのディスプレイも液晶方式かプラズマ方式かでメーカーは開発チームを別個に走らせていた。
 同様にアメリカは原爆もウラン分裂型かプルトニューム分裂型か、開発チームを二つ作っていた。そしてたまたま、二つのチームがほぼ同時期に実用化に成功していた。そして最初に広島に投下したのは比較的成功の確率が高いと考えられていたウラン分裂型だった。ウラン分裂型は広島で成功したのだから、長崎で投下したプルトニューム分裂型は、絶対に成功させなければならないとは考えていなかった。つまり二つの異なるタイプの原爆を広島と長崎に投下したのは、はっきり言って史上空前の人体実験のためだったのだ。
 そもそも「早期に戦争を終結させるため」というのがトルーマン大統領の本音だったら、広島に原爆を投下した直後、日本政府に対し「即座に無条件降伏しなければ、今度は東京に原爆を投下するぞ」と脅かせば、その時点ですべては終わっていた。
 戦争というものはそういうもので、アメリカがベトナム戦争で使用したナパーム弾や枯葉剤も、それらの兵器がどの程度の破壊力・影響力を持つかの人体実験が目的だった。日本も先の大戦時に石井部隊が様々な生物化学兵器の人体実験を行っていたことはよく知られている。

 先の大戦で、アメリカが広島と長崎に異なるタイプの原爆を投下した理由は、「米軍兵士の犠牲をこれ以上出さない」ためでもなければ「戦争の早期終結」のためでもなかった。「日本がソ連に占領されることを恐れた」ことと「新兵器の威力の人体実験を行う」ためであった。論理的にはこれ以外の結論は見いだせない。核を世界から廃絶するためには、唯一の被害国である日本がそのことを世界に向かって訴えなければならない。
 
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北朝鮮の「水爆」実験成功は、本当に日本にとっての脅威か?

2016-01-07 08:30:49 | Weblog
 北朝鮮がまた暴挙(?)に出た。「初の水爆実験に成功した」と正式に発表したのだ。しかも唯一の友好国のはずである中国にすら事前通報もしなかったという。中国政府も、北朝鮮の「駄々っ子」を超えたやんちゃぶりに、さすがに怒りを露骨にぶつけた。
 もっとも、北朝鮮が6日に強行したとする「水爆実験」には世界各国から早くも疑問の声が噴出している。例えば韓国の軍関係者によると、今回の爆発規模は6~7キロトンとみられ、水爆実験の規模には達していないと見ているようだ。また日本の航空自衛隊が収集した空中の核浮遊物の分析も、ここ数年の平均的数値を超えておらず、「水爆実験」は確認できていないようだ。ただ、北朝鮮の核浮遊物が日本近海に飛来するのは今日(7日)か明日とみられ、昨日の分析だけで「水爆実験ではなかった」と結論付けるのは無理のようだ。
 今回の北朝鮮の発表が世界に衝撃を与えたのは、この実験がまったく予測できなかったことにある。中国に事前通報しなかったのは、つい最近訪中した北朝鮮のモランボン歌謡団の公演が中止になり中北関係が冷え切っていることを改めて証明したとも言えるが、仮に北朝鮮が水爆実験に成功したという発表が事実だったとしても、国際社会からの猛反発は当然予測できたはずで、世界が北朝鮮の思惑通りに動くとでも思っているとしたら、もう狂気の沙汰としか言いようがない。
 ただ日本政府の反応には「待ってました」と言わんばかりの思惑が感じられる。安倍総理は直ちに「日本にとって重大な脅威だ」とポピュリズムそのものの発言をした。本当にそうか。北朝鮮が日本を仮想敵国視して水爆を開発したかのような印象を日本国民に与えかねないからだ。というより、北朝鮮の脅威をがなり立てることによって、日本の軍事力強化をさらに推し進めようという意図が見え隠れしているようにさえ思える。
 水爆か、あるいは原爆の改良型かはいま少し科学的分析を待つ必要があるが、爆発の規模からして何らかの核実験が行われた可能性は高いとみていいようだ。だが、北朝鮮の核開発の目的は明らかに日本を敵対視してのものではない。「日本にとって重大な脅威」というなら、北朝鮮の核が日本を標的にする可能性より、すでに「日本も標的」と公言しているIS(「イスラム国」)のほうがはるかに「日本にとって重大な脅威」のはずだ。世界中が躍起になってISやその同調者のテロ活動を封じ込めようとしているときに、日本はただ非難声明を出すだけで何らの行動を起こそうともしていない。結局安倍内閣の安保法制は世界の平和に貢献することが目的ではなく、日本だけ戦争に巻き込まれなければいいという手前勝手なナショナリズムの本質が明らかになっただけだ。安保法制を「戦争法案」と位置付けている野党が多いが、実は違う。安保法制の本質は「日本一国平和主義法案」なのだ。そんな国が国連安保理の常任理事国になろうな
どと考えること自体が、おこがましいとは思わないか。
 いずれにせよ北朝鮮の新型核爆弾は日本を標的にしたものではない。日本を標的にするのであれば、韓国や中国以上に反日感情を煽りたてるようなプロパガンダを金政権の総力を挙げて北朝鮮国内で行っていなければ意味がない。
 はっきり言って水爆であるか新型原爆であるかはともかく、北朝鮮にとっての最大の脅威であるアメリカの敵視政策に対抗するというのが核にこだわる最大の理由だ。世界最大の軍事力を誇るアメリカに攻撃されたら、北朝鮮のようなちっぽけな国は、通常兵器ではひとたまりもない。「やられたら、やり返す」ことを核保有によって示す必要性を北朝鮮は心底思っている。
 日本がこの事態に対してなすべきことは、アメリカに対して北朝鮮を「ならず者国家」「テロ支援国家」とあからさまな敵視政策をとってきたことをやめるべきだと忠告することが第一。さらに中国に対しては、「万一北朝鮮がアメリカから理不尽な攻撃を受けた場合、中国が核の傘で北朝鮮を守ってやるからアジアに緊張を深めるしか意味のない核開発などやめろ」と金政権を説得するよう働きかけることが第二。
 とりわけ中国は、アメリカが東南海アジアへの軍事干渉を強めていることに対して、「アジアの平和はアジアが守る」とアメリカ排除の姿勢を公言しているくらいだから、アジア最大の軍事力を誇る中国が身を持って北朝鮮の挑発をストップさせる責任があるはずだ。北朝鮮に対して最大の影響力を持っている中国が、そんなことすらできないようではアジアの平和を中国に任せるわけにはとうていいかない。
 GDP世界3位でもあり、核こそ有していないが世界有数の軍事大国にもなっている日本が、「日本さえ平和であればいい」というポピュリズムにしがみついている間は、世界の目は「アメリカの属国」という位置付けのままである。
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電撃的な日韓合意が意味することについて考えてみた。

2015-12-29 11:23:15 | Weblog
 電撃的な合意だった。28日にソウルで行われた日韓外相会談での「慰安婦問題についての最終的かつ不可逆的解決」に至った合意のことである。合意内容は、日本政府が軍の関与や政府の責任を認め、元慰安婦の支援のために韓国政府が設立する財団に日本政府が10億円の基金を拠出することで、韓国政府は今後日本に慰安婦問題についての賠償を含む一切の要求をしないことを約した。ただ、現在建て替え中の日本大使館(ソウル)前に建てられている「少女像」の撤去については、韓国政府に撤去を行う直接的権限はなく、韓国側としては「関連団体との協議を行うなど、適切に解決されるよう努力する」という政府の意思の表明にとどまった。
 外相会談での合意を受けて、同日6時半ごろ(と思われる)安倍総理が朴大統領と電話で喜びを伝えあったという。また翌29日未明(日本時間)、米国務長官のケリー氏が、両国間の合意について「今回の合意がアメリカの重要な同盟国同士の和解を促進し、関係改善に資すると確信した」と歓迎の意を表した。
 日本海を隔てて最も近い隣国でありながら、「最も遠い隣国」と言われ続けてきた日韓両国間ののど元に突き刺さっていた最大のとげが、今回の合意によって完全に抜けたとすれば、私に限らず多くの日本人は喜ばしいことと感じているのではないかと思う。
 ただ、韓国では日本の法的責任をさらに問うべきだとする市民団体もあり、日本でも自民党内の一部に「弱腰外交」といった声もあるようだ。
 ただメディアの報道に限って言えば、韓国の一部にある「日本の法的責任」論の「法的根拠」についての説明が一切ない。戦時下における人権侵害行為を禁じた国際条約としては、捕虜や傷病者に対する待遇の在り方を定めたジュネーブ条約があるが、慰安婦がその対象になるのかと考えれば疑問である。韓国の一部市民団体が主張しているだけにとどまるのであれば、それは日本がまともに対応すべきことではないのだが、この合意を「不十分」と考える韓国民の世論が高まると、朴政権としても無視はできまい。そこで問題になるのは、「最終的かつ不可逆的解決」という文言だ。
 最終的というなら、それだけで十分だ。なぜ「不可逆的」というサイエンス用語を付け加えたのか。その解明に取り組んだメディアは一つもない。
 もともと日本は1965年の日韓請求権協定で、先の大戦時での韓国に対する賠償問題は「完全かつ最終的に解決済み」という立場をとっており、法的責任はないとしてきた。一方韓国は慰安婦問題など「反人道的な不法行為」については請求権協定では解決しておらず、日本の法的責任が残っているとの主張を続けてきた。
 確かに日韓請求権協定は、すでに民主化されていた日本の岸総理と、軍事政権だった朴大統領の時代に結ばれた協定であり、その当時アメリカがこの請求権協定締結にどの程度関与していたかは不明だが、韓国側には「力で押し切られた」といった不満が残っていたようだ。またこの請求権協定の中に慰安婦問題や日本企業が行った徴用工問題も含まれていたのか否かの検証も十分なされているとは言い難い。また竹島(韓国名・独島)の領有権問題も火種としてくすぶっている。こうした問題について日韓両国が一つずつ誠意を持って解決に臨むしかないだろう。
 が、とりあえず慰安婦問題については政府間の合意であり、表現は「最終的に解決した」だけでよかったと思う。なぜ「かつ不可逆的」という政治的には意味不明な言葉を入れたのか。日本のメディアによれば「二度と蒸し返さない」という念押しをしたかのような説明がされているが、サイエンス用語である「不可逆」とは「元に戻らない」という意味であり、「覆水盆に返らず」という格言に相当する言葉である。「蒸し返さない」という意味にはどう考えても解釈できない。「馬から落ちて落馬した」という言葉もあるが、そこまで念を押さないと韓国政府は信用できないということなのだろうか。もしそうであるなら、韓国人は「かつ不可逆的」という言葉を入れられた(?)ことに対して不快感を示してもいいような気がする。

 韓国人(朝鮮半島全体を含めて朝鮮人といってもいいかもしれない)は、長い歴史のなかで日本による併合時代を除いて、弱小国ながらいちおう独立を守ってきた。そういう意味では日本と似た歴史を持っている。
 ただ周囲を海という天然の要塞に囲まれて、外国にとっては侵略が難しかった日本に比べ(一度だけモンゴル族による侵略の危機=元寇=に瀕したことはあったが)、大陸と地続きの朝鮮半島は外国からの侵略の危機につねに瀕していた。独立を維持するためにたびたび変わった中国の覇者につねに寄り添い、いわば属国としての地位に甘んじながら民族としての誇りをかすかに保ってきた。
 日本が併合したときも、歴史的事実としては日本が朝鮮を侵略した結果ではない。それまで頼ってきた中国(当時は清王朝)が事実上崩壊し、北方(ロシア帝国)からの脅威にさらされて日本に保護を頼った経緯もある。日本は欧米列強のような植民地主義をとらず、同じ日本人として遇するという方法で朝鮮半島を併合した(台湾も同様)。
 それは世界からなかなか理解されないが、日本人特有の美意識(価値観といってもいいだろう)である「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」という、おおげさに言えば博愛精神が背景にあったのかもしれない。だから朝鮮を併合したのち、日本は朝鮮の教育制度を日本本土並みに充実し(朝鮮や台湾に帝国大学まで設立した)、さらにその後の韓国や台湾の産業発展の基礎となった交通や通信のインフラ整備にも力を尽くした。
 だが、それは日本からすれば「美徳行為」だったのかもしれないが、別の価
値観や文化を育ててきた朝鮮や台湾にとっては「余計なお世話」だったのではないか。この「余計なお世話」が大好きな国がいま世界に君臨している。言うまでもなくアメリカだ。自国のルールが世界で最も優れていると考え(そういう誇りを持つこと自体はすべての国にとって大切で、戦後日本人は日本人としてのアイデンティティを失ってしまったが…)、世界中に押し付けようとしてきた(その大成功例が日本だったということは皮肉だが)。かつてヨーロッパ中から大反発を食った「グローバル化」がそれであり、ようやく大筋合意に至ったTPPも、アメリカのごり押しによって一時はまとまらないだろうと絶望視されたほどだ。それを何とか利害調整を果たして大筋合意にたどり付けたのは、日本政府の粘り強いアメリカや加盟各国への説得工作によるものだった。

 日本は先の大戦での敗北の結果、日本の歴史で初めて独立国としての地位を失った。「食べることにさえ事欠いた」状態の日本人が日本人としてのアイデンティティを一時的に失ったとしても、それはそれでやむを得なかったと思うが、経済回復を成し遂げ世界の一流国に伍するようになってもアイデンティティを失ったまま、という日本人の感覚からすると、自分たちが生き残る選択としてやむを得なかったとはいえ日本に併合された時代の屈辱感をいまだに持ち続けている韓国の人たちへの対応は、アイデンティティを失った日本人の感覚をベースにすべきではないだろう。
「最終的」だけならいざ知らず、「不可逆的」とまで付け加えられたら、私が韓国人だったら「ふざけるな」と言いたくなる。そんな「馬から落ちて落馬した」に等しい重複表現をするより、犠牲になった元慰安婦(犠牲者ではない売春婦のほうが多かったようだが…)への心からの謝罪の念をはっきり表明するだけで十分だったと思う。
 と同時に、慰安婦問題についての「法的責任」を韓国政府が問うなら、問われたことを不問にするのではなく、「日本政府が問われる法的責任の法的根拠を示せ」と、毅然として対応すべきだったのではないか。法的責任問題が不問に付されたため、今後日韓関係に再びねじれが生じたとき、この問題が再浮上しかねない。メディアは、韓国がいかなる法的根拠に基づいて日本の法的責任を追及したのかをきちんと検証すべきだ。
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軽減税率問題での自公合意に疑問あり。

2015-12-14 08:27:32 | Weblog
 久しぶりにブログを再開する。体調がまだ十分に回復していないので、年内は休養するつもりだったが、あまりにもバカバカしい事態が生じたので急きょブログを再開することにした。
 そのバカバカしい事態とは、言うまでもなく急転直下の軽減税率問題での自公合意のことである。

 安倍政権発足直後の13年4月に消費税が5%から8%に増税された。そのとき、消費税は逆進税制であるため、低所得者に一人当たり年6000円(1%につき2000円の給付ということになる)を給付することになった。1%が2000円に相当するということは、消費税増税による低所得層の負担増が1%について年20万円になるという計算によると財務省は考えたのだろう。このとき財務省は、食料品だけではなく消費生活全般について、消費税増税が与える低所得層への負担をできるだけ軽減化することを考えていたはずだ。
 当初、消費税増税を2段階で行うことは民主政権最後の総理・野田氏が自公トップとの3党合意で決めていた。このときは低所得層対策についての合意は行われていない。
 安倍政権が第1段階の8%への増税時に急きょ給付金制度を導入したのは、アベノミクスが低所得層に与える経済的打撃をできるだけ抑え、景気の縮小を防ぐためだった。第1次アベノミクスは当初2本の矢だった(「成長戦略」は後から追加されて3本の矢になった)。第1の矢は円安誘導による日本メーカーの国際競争力の回復が目的。第1の矢は大胆な金融政策(金融緩和)を伴う公共事業による景気刺激策で国内の景気回復が目的。
 そのアベノミクスの失敗は、まだ野党もメディアも十分に理解していないと思われる。「失敗」という結果は、確かに景気指標などで明らかになっているが、なぜ「失敗したのか」の分析ができないから、「失敗、失敗」とアベノミクスを結果論で批判するしか能がない。
 まだ体調が十分でないので、簡単に「失敗」の原因をまとめる(もっとも、これから書くことは過去に何度もブログで主張してきたことだが…)。
 確かに第1の矢(円安誘導)によって日本の大メーカー(自動車や電気など)の国際競争力は強化されるはずだった。理論上は、そうならなければならない。が、肝心のメーカーが国際競争力を強化しようとしなかった。なぜか。そのことに気付いているのは、おそらく日本で私だけかもしれない。
 円安になり、その分メーカーが輸出価格を安くすれば、当然国際競争力は強化される。例えば従来1万ドルで輸出していた商品は、円が2割下落すれば8000ドルで輸出できる。当然国際競争力は格段に高まる。そうなれば輸出が増大し、供給不足になり、メーカーは生産力を増強するために設備投資を行い、雇用も
回復し、賃金も増大して消費の拡大につながり、景気が回復する……というの
が安倍総理の「絵に描いたアベノミクス・サイクル」だった。が、あえて日本のメーカーは国際競争力を高めようとはしなかった。つまり円安になっても輸出価格を引き下げなかったのだ。その理由が経済学者にも分からず、経済ジャーナリストにも分からず、メディアは「日本メーカーの輸出量は増えなかったが、為替差益で空前の利益を計上した」と、アベノミクスの「効果」を伝えることしかできなかった。
 なぜ日本メーカーは笛を吹いても踊らなかったのか。設備投資による生産力の増大が、いかにリスキーな選択であるかを過去のビヘイビア失敗の教訓から学んできたからだ。近くの教訓はソニーとシャープの失敗である。
 ソニーはブラウン管TVの時代がまだまだ続くと見て平面ディスプレイで世界のTV市場を席巻しようとして過大な設備投資を行った。当時はポスト・ブラウン管の主流は液晶TVになるのかプラズマTVになるのか、テレビメーカーにも予測がつきかねていた。いずれにしてもブラウン管時代がまだまだ続くとソニーは見ていた。その結果、この戦略上の誤算が躓きの原因となった。
 この時期、体力のあるパナソニックは液晶とプラズマの二股をかけていた。体力があるため二股をかけることが出来たのだが、その結果液晶時代に出遅れた。が、シャープはこの時期液晶1本に賭けた。そうなった要因はそもそもカシオとしのぎを削った電卓競争で築いた液晶技術へのこだわりがあったのだが、一時はこの戦略が功を奏し、シャープの「亀山モデル」が世界のTV市場を席巻したこともあった。が、「亀山モデル」の競争力を過信したシャープは過大な設備投資に踏み切った。そのころすでに韓国勢(サムソン、LDなど)が急速に液晶技術を向上させつつあったのだが、シャープは自社技術の優位性を信じて疑わなかった。結果「亀山モデル」は世界市場(とくにアメリカ)で韓国勢との価格競争の荒波にもまれ、にっちもさっちもいかなくなってしまった。
 このように設備投資による生産力の増強は、必ずしも企業にとっては健全なビヘイビアとは言えなくなっていたのだ。実は、1980年代後半に日本メーカーは大きな教訓を得るチャンスがあったのだが、その危機を日本の消費者の犠牲の上で乗り切ってしまったため、教訓に出来なかったことがある。
 1980年代の初め、日本メーカーは快進撃を続けていた。エネルギー資源の97%を輸入に頼っていた日本経済を直撃した石油ショックを、日本メーカーは「省エネ・省力」「軽薄短小」を合言葉に技術革新を成し遂げるための「神風」に変えて、日本メーカーの技術力が一躍世界のトップに躍り出た。その結果、アメリカが悲鳴を上げてG5による85年にプラザ合意で先進5か国によるドル安誘導が始まった。ドル安=円高である。実際その後の2年間で円は1ドル=240円から1ドル=120円に、一気に倍になった。つまり日本製品の国際競争力は2年間で半減したのだ。いまの円安どころではない大激動時代に、日本企業は直面したのだ。2年間で円が倍にも高騰したら、常識的に考えれば日本企業の大半は倒産していたはずだ。が、このときとった日本企業のビヘイビアはたまげるようなものだった。円高に比例して輸出価格を上げるのではなく、据え置いたのだ。このときの日本企業のビヘイビアが日米貿易摩擦の最大の要因になった。アメリカから「ダンピング輸出だ」と責められ、アメリカ国内では戦後初めてといえる「ジャパン・バッシング」の嵐が吹き荒れた。
 この日本批判に対して日本企業は「合理化努力によって競争力を維持したのだ」と開き直った。もし本当にそうなら合理化努力によるコスト削減の恩恵に、日本の消費者も与れるはずだ。が、日本国内での販売価格は据え置くか、あるいは「新製品」ラッシュによってむしろ価格を上げた。日本メーカーはなぜそんなことをしたか。円高に対応して生産量を減らせば、生産コストが上昇し、そうなれば競争力をさらに失うという負の連鎖が始まることだけは避けたかったからだ。
 これが企業ビヘイビアの原理原則なのだ。それが悪い、と私は言っているのではない。自由競争社会における生存本能が企業のビヘイビアを決めるという、誰にも否定できない現実を明らかにしておく必要があったため、これまで何度も書いてきたことを改めて整理しただけだ。つまりメーカーにとっての最大の課題は生産コストの削減、悪くても維持なのである。大量生産大量消費が約束されているような市場であれば(高度経済成長時代はそうだった)、安心して設備投資に踏み切れるが、先進国における高度成長時代は終わり(先進国共通の少子高齢化が最大の要因と考えられる)、世界経済をけん引してきた中国の成長力にも陰りが見えてきた現在、政府と日銀が足並みを揃えて円安誘導・金融緩和に舵を切っても、おいそれと極めてリスキーな設備投資には踏み切れないというのが企業ビヘイビアの原理原則である。
 第1次アベノミクスが目指した「円安→メーカーの競争力強化→生産拡大→設備投資→雇用回復→消費拡大→生産拡大→…」といったアベノミクス・サイクルが成功しなかった最大の理由はそこにある。
 つまり円安によって輸出大企業は莫大な為替差益を得たが、円安は輸入品の物価上昇を招く(当たり前の話だが)。そこに消費税増税が重なったのだから、一般庶民とくに低所得層の消費意欲が減退するのは、これまた当り前だ。実際非正規社員など低所得かつ不安定な若年層や高齢年金生活者にとっては、円安と消費税増税はダブル・パンチとなった。たまたま悪性インフレに陥らなかったのは、安倍政権発足当時には想定外だった原油安が長期間続いて、物価が政府や日銀が目標としていた2%の上昇を実現できなかったためである。もし「原油安」という神風が吹かなかったら、今頃安倍政権は吹っ飛んでいた。
 そういう視点で考えたら、17年4月の再増税は日本経済にとって深刻な打撃を与えかねないことも想定される。OPECは最近の会議でも「ここは我慢のしどころ」と生産調整に踏み切らなかったが、いつまでやせ我慢を続けられるのか。少なくとも17年4月以降までやせ我慢を続けるとは、ちょっと考えにくい。もし消費税増税に原油高が重なったら、日本経済は大ピンチに陥ることは間違いない。
 そういう状況の中で、どうしても社会保障財源として消費税の増税がやむを得ないのだとしたら、8%に増税したときと同様、低所得層に対して1人当たり2000円/1%の割合で(つまり2%増税で1人4000円)の給付金支給で保護するのがまだましだったかもしれない。
 が、8%への増税時に公明が自民に対し、10%増税時には軽減税率導入を約束させていた。また先に衆院選で公明は10%増税時には軽減税率導入を選挙公約にしてきた。公明の頭にはヨーロッパの軽減税率方式しかなかったようだ。ヨーロッパ諸国が付加価値税導入に際して軽減税率を導入したのは、世論を説得することが目的だった。だからテレビがなかった時代で、世論形成に大きな力を持っていた新聞社を味方につけるために、新聞も軽減対象にした国もあったくらいだ。またIT技術もなかったから、食料品を一律に軽減するしかなかった。いまはIT技術があるから、軽減方法にIT技術をフルに駆使できる状態だ。そのことを前提にすれば、マイナンバー・カードを利用する軽減方法もある。
 財務省も、マイナンバー・カードを活用する案を提案したが、ポイント還元性などというバカげた方法を提案したから、一瞬にして葬られる結果となった。私はもっといい方法を考えていた。ただ体調を崩していたため、ブログを休止していたのだが、急きょ、その案をこのブログで公開することにした。自公が合意に達したからと言ってそのまま実現すると決まったわけではない。メディアや野党がいっせいに私の案を支持してくれたら状況は一変する。

 その方法とは、マイナンバー・カードに電子マネー機能を搭載し、スーパーの食料品売り場やコンビニなどで販売している食料品(飲料を含む)や日用品をマイナンバー・カードで購入する場合、すべて軽減税率の対象にしてしまう。酒やたばこは除外してもいいが、レジ操作が複雑になるようなら酒類やたばこなども軽減税率にしてもかまわない。
 その場合、二つの条件が必要だ。
 一つは、レジなどを置いていない零細食料品店ではマイナンバー・カードは使えないことを認め、インボイス方式の導入もやめること。これは零細食料品店の負担軽減のためである。
 もう一つは、マイナンバー・カードでの購入による軽減税率適用の総購入額
に限界を設けること。現在の給付金制度は低所得層の世帯に対して1人6000円
の給付を行っている。3人家族であれば18,000円が給付されている。
 財務省が当初提案したマイナンバー・カードによるポイント還元制度は、還付金額の上限を1人4000円としていた。これは消費税を5%から8%に増税したとき、低所得層にとっては1人当たり6000円(つまり1%につき2000円)の負担増になるという計算に基づいて実施した給付金制度だと思う。実際に6000円の負担増という計算が正しかったかどうかは分からないが(言っておくが、この給付金の算定基準は食料品だけではなく、すべての消費を基準にしている)、いちおうその計算が正しかったとして、さらに2%増税する場合低所得層の負担増は1人当たり4000円になると考えることにする。財務省がポイント還元性を提案したときも上限を1人4000円にしたのは、そういう計算を根拠にしたはずだ(なぜかポイント還元の対象は食料品に限定した)。
 財務省の提案は低所得層だけでなく、富裕層まで含めてすべて1人4000円を上限にして、あとから増税分を還付するという、システム導入自体に莫大な費用がかかり、かつ零細食料品店には大きな負担増になるということ、さらに消費者が猛反発したことで一瞬にして葬られた。マイナンバー・カードにポイントを貯めて、あとから1人当たり上限4000円を還付するというバカげた方法を考え出したのは、財務省の目的が増税による消費者の負担増を軽減化することより、益税零細小売業者をあぶりだすことにあった。つまり、「2兎を追う」ことがポイント還元性の目的だった。結果、1兎も捕まえられなかった。
 財務省案は低所得層対策という点ではまったく0点だったが、税負担軽減の上限を1人4000円にしたのは、いちおう低所得層の負担増を基準にしたのであろう(その場合、消費の対象は食料品だけでなくあらゆる消費でなければ整合性に欠ける)。そういう意味では軽減税率の導入に一定の歯止めをかけようとした点は考慮に値する。
 が、11日に急転直下、自公が合意した増税対策は財務省が苦肉の策として考えた増税負担の軽減額の上限を取っ払ってしまった。つまり、たとえばオージービーフの切り落としも国産ブランド牛のサーロインやひれ肉も一律に上限もなく諸費税を8%に据え置くという、はっきり言って富裕層のための軽減税率制にしてしまったのだ。
 そのうえ、加工品まで軽減化の対象にすることになった。ということは、低所得層には手が出ないデパートの食料品売り場でしか売っていないような高級レストランのレトルト食品も消費税は8%に据え置くということだ。そのうえ10万円もするおせちセットにも消費税は8%しかかからない。おそらく17年4月以降、デパートの食料品売り場は高額レトルト食品が氾濫することになるだろう。それが、景気回復の証拠だと考えるような政治家には、有権者は1票も投じるべきではない。
 私の「マイナンバー・カードに電子マネー機能を搭載し、スーパーの食料品売り場やコンビニでマイナンバー・カードで購入する場合、購入総額が一定額
に達するまで消費税を8%のままに据え置き、その額を超えた瞬間から税率を10%に切り替えるようにする」という案は、低所得層対策としては不十分だが(低所得対策に絞るならば給付金制度の継続が最も望ましい)、公明が主張する「低所得者ほどカップめんなど加工品の購入率が高い」という主張はうなずける要素もあるので、公明も納得するのではないだろうか。そのうえ軽減税の上限を設けるため、財源問題も深刻にならない。財源問題では、早くもたばこ税の増税案が浮上しているようだが、欧米のように健康対策で喫煙者を減らそうというのであれば私も大いに賛成するが、あまりたばこ税を上げすぎて喫煙者が激減して税収が減ったのでは元も子もない、といった日本政府のずるがしこうなやり方には納得できない。
 また電子マネー方式なら、少なくとも日用品や賞味期限が長い加工食品の駆け込み需要も生じず、増税後の景気減退にも一定の歯止めがかけられ得ることが期待できる。給付金制度の継続が不可能になった現在、次善の策として電子マネー方式の導入を野党やメディアは考慮してもらいたい。
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