小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

南スーダンPKOの「日報隠蔽」問題の真相を論理的に解明してみた。

2017-08-11 10:33:30 | Weblog
 昨日(10日)防衛省の日報隠ぺい問題(南スーダンに派遣されていた自衛隊のPKO※活動について、首都ジェバの付近で政府軍と反政府軍の間で「戦闘」があったという内容の日報を防衛省が公にせず、破棄したとしてきた問題)を巡って国会の閉会中審査が行われた。※PKOとは国連平和維持活動のこと
 これまでNHKは、加計学園疑惑をめぐる閉会中審査や閉会中予算委員会はすべて中継してきた。昨日も一応新聞のラテ欄には午前も午後も高校野球の中継を予定していたが、「場合により変更」という但し書きがついていた。日報隠ぺい問題を巡っての閉会中審査が行われなかった場合(というのは、肝心の稲田元防衛大臣が出席しなかった場合、野党が審査をボイコットする可能性があったとNHKの編成は考えたのだと思う。実は、私も稲田氏が出席しなかった場合、野党は審査をボイコットするだろうと思っていたし、またボイコットすべきだとすら考えていた)、ラテ欄に予定として「閉会中審査の中継」と書くことをためらったのだと思っていた。
 が、実際にはNHKは閉会中審査が行われたにもかかわらず、その中継をせず高校野球を中継した。私はNHKが閉会中審査を中継をしなかったので、ネットで中継を見た。ネットの中継は議場の雑音は一切入らず、発言者のマイクの音声だけしかスピーカーからは流れてこない。それはいいとして、ネットには当然のことながらNHKに対する批判が殺到した。「受信料なんかもう払わない」「安倍の言いなり放送局になったのか」といった、苦情を通り越した過激な書き込みが大半だった。
 なかにはNHKふれあいセンターに電話をして、対応した責任者のスーパーバイザーの名前まで書いて「NHKの判断です」という木で鼻をくくったような対応だったと批判した人もいた。もちろん、その批判をした人は「判断した理由を教えてくれ」と追及したのだが、もちろん回答はなかったという。
 私も念のため、NHKふれあいセンターに電話をしてスーパーバイザーに代わってもらい、「なぜ閉会中審査を中継しなかったのか」と、いちおう聞いてみた。やはり「NHKの判断です」と判で押したような答えが返ってきたので、「判断した人がいるはずだ。都知事とそっくりの名前の報道局長だろう」と追及したが、相手は黙秘権を行使した。
 そんなことはどうでもいいことだが、「野党の政治家も無能だが、お宅の記者もバカばっかりだ」と嫌味を言ってやった。途端に「NHKの記者はバカではありません。ちゃんと防衛省も担当記者が取材しています」と言い返してきたので、「頭の悪い奴が取材しても、この問題の重要性は分からない。朝日のお客様オフィスにも電話して伝えたが、この問題の重要性は稲田氏がウソをついたのか否かといったレベルのことではない、と本当の重要性を教えてやった。そのうえで「返す言葉がないだろう」と挑発したが、事実、何の言葉も返ってこなかった。実は朝日のお客様オフィスの担当者も、私がこの問題の重要性を教えたあげると、「あっ」と言って「報道部門にすぐ伝えます」と返事を返した。前置きはこのくらいにして、野党政治家もメディアもまだ理解できていない日報隠ぺい問題の最大のポイントを書く。

 稲田氏の国会答弁(「日報についての報告は受けていない」「日報隠ぺいについて了承したこともない」)がウソであったかどうかは、いくら追求しても証拠となる文書が出てこない以上、そのことについての真実を明らかにすることは難しい。私に言わせれば、そんなことの追求にしっちゃきになるより、次に述べる視点で追及するほうがはるかに重要である。

 まず、稲田氏がウソをついていたとしよう。
 その場合、彼女はなぜウソをつく必要があったのか。つまりウソをついた動機の論理的考察をしてみる。
 当然考えられるのは自己保身のためではなかったか、ということだ。彼女は国会答弁などで「私の政治信条から、報告を受けていたら絶対に公表を命じていた」と主張していた。つまり、彼女は防衛省幹部(背広組か制服組※か、あるいは両方かは不明)から報告を受けた時、この日報に書かれていたことがそれほど重大な意味を持っているとは理解できずに、隠蔽したいとする幹部の意向を認めてしまったのではないか。ところが、日報隠ぺいの事実が明るみに出て大騒ぎになったため、いまさら「報告は受けていた」とは言えず、「報告は受けていなかった」と言い張ることにしたのではないかというのが、考えうる最大の動機だろう。※「制服組」とは幕僚長以下の自衛官、事実上の「軍人」。「背広組」とは事務次官を筆頭とする防衛省の内局官僚で、技官や医療行為従事者なども含まれる。
 だが、彼女が自己保身のためにウソをついたとしたら、彼女はとんでもないミスをやらかした。そのことに野党政治家もメディアも気づいていないだけのことだが…。
 野党時代の彼女の民主党政権閣僚に対する手厳しい追及(たとえば「官僚の作文を棒読みするな。自分の言葉で答弁しろ」など)や、彼女が自ら誇っている政治信条や彼女の性格から考えても、もし報告を受けていなかったとしたら「こんな重大なことを私になぜ報告しなかったのか」と防衛省幹部(つまり自分の部下)に対して烈火のごとく怒り狂い、幹部に対する厳重な処分をしていなければおかしい(大臣にはその権限がある)。
 さらに辞任直後、彼女は記者の質問に対して「文民統制[シビリアン・コントロール]はちゃんとできている」と強弁している。もし本当に報告を受けていなかったら、文民統制は破壊されていたことを意味する。つまり完全に自己矛盾した答弁や発言を繰り返していたということだ。ただ、野党政治家やメディアが、彼女の発言の自己矛盾に気が付かなかっただけの話だ。
 ただ、彼女がウソをついていたということになると、これまでの大臣の失言問題とはレベルの違う話ということになる。ウソをついてまで自己保身に走るような彼女を防衛大臣にした安倍総理の任命責任はトカゲのしっぽ切りでは済まない。もちろん彼女をかばい続けた菅官房長官の責任も総理と同様重い。
 野党政治家やメディアはその点をこそ追求すべきなのだが、なぜか彼女の閉会中審査への出席を拒み続けた与党への追及にこだわりすぎた。ある一点にこだわり続けると、もっと重要なことが視野から外れてしまうという好例だ。

 次に、稲田氏がウソをついていなかった場合を考えてみよう。つまり防衛幹部が日報問題を大臣に報告せずに闇に葬ることにしていた場合だ。このほうが、実はことが重大である。なぜか。
 今度は防衛幹部が、稲田大臣に報告をあげなかった動機について論理的に考察してみる。
 南スーダンでPKO活動に従事していた陸上自衛隊の部隊は、部隊の近くで戦闘行為が生じたら即撤退をしなければならないことになっていた。だが、現地の近くで(部隊との距離は不明だが)「戦闘(が生じた)」と日報に書かれていたからには、少なくとも激しい銃声が部隊に届いていた距離内で紛争が生じていたということになる。
 安倍総理は国会答弁で「万一、南スーダンに派遣した自衛隊員に死者が出たら、私は責任をとって総理を辞任する」と言っていた。もっとも安倍さんにとっては総理の椅子はものすごく軽いようで、森友学園や加計学園問題でも「私や私の妻が直接何らかの関与をしていたら、総理を辞任するし議員も辞職する」と発言して自民党の重鎮からも失笑を買っていたようだが…。
 だが防衛省や陸上自衛隊にとっては、安倍さんが総理を辞任するくらいで済むことではなかった。もし、自衛隊が攻撃されたわけでもないのに、近くで政府軍と反政府軍の間で「戦闘行為」(この場合、「武力衝突」でも事の重大性は変わらない)が生じたという理由で、自衛隊がPKO活動を放棄して撤退していたら、日本の自衛隊は世界中から笑いものになることは必至である。
 だから現地から日報が届いても、そのことを大臣にも報告せず、現地の自衛隊部隊に撤退の指示も出さず、闇から闇に葬ることにしたのではないか。日報隠ぺいの理由はそれしか考えられない。
 だが、そうした理由で日報を隠ぺいし、稲田大臣にも報告していなかったとしたら、これは背広組と陸上自衛隊の制服組が組織ぐるみでシビリアン・コントロールを破壊したことを意味する。このことは防衛省の事務次官や陸幕長が引責辞任したくらいで済む話ではない。動機の是非は別にしても、自衛隊が自分たちの論理で緊急とも言えないような事態にも対処することが放置されたら、かつての大本営の時代を想起させかねない。
 また、稲田氏はそうしたことの重大性が認識できていなかったようだ。だから報告を受けなかったことに「私は裸の王様か!」と怒りもせずに、大臣辞任の日に防衛省職員から花束をもらい「皆さんにお会いできてうれしかった」と満面に笑みを浮かべてあいさつまでしたのだろう。どこまでノー天気なのか、と言いたくなる。
 稲田氏は大臣職にあった時、ことあるごとに六法全書を持ち出して幹部に「法を守ることの重要性」を説教していたという。弁護士資格を有する稲田氏は、自衛官や防衛庁職員が犯罪を犯すことを一番恐れていたのではないか。だが、防衛問題の機微には全く無知な素人大臣で、いくら稲田氏の将来性に期待したとしても、防衛問題を勉強させる機会も与えることなく、いきなり防衛大臣に就けた安倍総理の任命責任は、やはり免れえない。

 もともと南スーダンは政情不安定な国であることは周知の事実だった。国の各地で政府軍と反政府群の「戦闘」(武力衝突)が生じており、そうした国で、しかも武力衝突が生じやすい首都ジェバ近辺に自衛隊を派遣してPKO活動の任務を担わせる場合、紛争に自衛隊が巻き込まれる危険性は少なくなかった。それでも日本がPKOに参加することが国際的に日本への信頼感を高めることが、ひいては日本の安全保障につながるというのであれば、リスクを国民に開示したうえで国民の理解を得て行うべきだった。
 おそらく安倍政権は、リスクを開示した場合、自衛隊の南スーダンでのPKO活動は国民の理解を得られないと思ったのだろう。だから安倍総理が「安全だ、安全だ。もし万一のことがあったら責任をとって総理をやめる」などと軽いことこの上ない答弁を国会でしたため、陸上自衛隊幹部も防衛省幹部も、PKO活動任務の使命感と軽口総理の板挟みになって、現地でPKO活動に従事している陸上自衛隊員に撤退命令を出さず、日報をなかったことにするというシビリアン・コントロール無視の判断をせざるを得なくなったのが、この問題の真相だったのではないか。
 が、いかなる理由があったにせよ、シビリアン・コントロールの無視は今後、制服組と背広組の勝手な判断によって自衛隊を動かすことが出来る前例を作ることになり、絶対に許されないことだ。野党政治家やメディアは、そうした視点から、この問題を追及してほしい。そうでなければ、シビリアン・コントロールはなし崩し的に無力化していくだろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「原爆の日」に…核戦争の危機... | トップ | 米トランプ大統領に「失望し... »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事